ピースは揃えど
「イミティア」
セレティナの表情が俄かに華やいだ。
気が置けない友人の存在というのは彼女にとっては貴重だ。
イミティアのぴこぴこと動く灰色の耳を見るとホッとするのだ。
「お前はあたしのどこを見ている」
開口一番そう吐き捨てると、イミティアは訝しむ様にセレティナを睥睨した。
「すまない。しかし早かったな。旅商団の方はもういいのか?」
「こういう事はレミリアに任せておくに限る。説得はするだけして後はあいつに丸投げだ。あいつは賢い。きっと今頃荷ぐるみを置いた方が利益が出ると団員に嘯いている頃だろうよ」
「成る程な。……紹介するよ、こちらがオーバンス将軍。それからウルブドールの冒険者組合長のエティック様だ」
「ふぅん」
オーバンス将軍、次いでエティックがソファから身を起こし、握手を求めた。
イミティアはぶっきらぼうな視線を彼らに投げると、フランクという言葉そのままと言った感じに握手に応じた。
「よろしく。粗忽な商人だもんでね。多少の無礼は許してくれ」
イミティアの無礼はいつもの事だ。
しかしセレティナはハラハラとしながらそれを見つつ、将軍と組合長の様子をちらりと垣間見る。
将軍はにこやかにイミティアに応じると、
「いや、それくらい砕けた方が話しが進みやすくて良い。この度は協力どうも有難う。本当に助かるよ」
軽く会釈をした。
これは大変な事で、一国の将軍が軽々しく商人に頭を下げるなど有り得ない光景だ。
セレティナは更に肝を冷やすことになるが、それはイミティアの知るところではない。
「ほ、本当に貸して頂けるのかね。あの『船』を」
恐る恐る、といった風に言葉を紡いだのはエティックだ。
イミティアは鷹揚に頷くと、誰よりも早く席に腰掛けた。
「ああ、それは本当の事だ。そこの『ティーク』が先んじて言っただろう通りさ」
皿に盛られた果実を摘まむイミティアは余りにも自由過ぎる。
セレティナはイミティアの足を小突くと、刺す様な視線を投げかけた。
(おい、無礼にも程があるぞ……)
セレティナは礼節を尽くす人柄だ。
イミティアはふとその視線に気づくと、少しの拍を置いて自分の身形を見直し……。
「んぅっ、んんっ!」
咳払いをして居直った。
少し罰が悪そうにすると、組んでいた足を崩すのだ。
傍若無人な彼女の態度を正すのはレミリアなのだろう……セレティナはレミリアの事を思うと心労を察して溜め息が出るばかりだ。
「……やはり随分と気心が知れているようだ」
オーバンス将軍は髭を撫ぜながら、席に掛ける。
エティックも頷きながら席に座し、そして漸くセレティナもそれに倣う。
「将軍の言うとおり、君達は仲がいいようだね」
「そう見えるか?」
「知り合ったのは昨日今日なのだろう? その割には」
「……あたしとオル……ティークはそんなんじゃねぇよ」
唇を尖らせるイミティアの台詞を、オーバンス将軍は見逃さなかった。
(オル……? ティーク君の本名はオル某……といったところか)
オルで始まるもので最も有名なものと言えばやはり『オルトゥス』だ。
……しかしその先は消える。
『オルトゥス』とは余り特殊な名では無いものの、そもそも男性が冠する名だ。
『ティーク』を女性と見做している将軍にとって『オルトゥス』は有り得ない。
(だがもしも『オルトゥス』だったなら、か……いやいや、私も夢見がちになったものだな)
将軍は紅茶を啜ると僅かに過った考えを取り下げた。
いくら正体を偽っているとてかの英雄『オルトゥス』である事など絶対に有りえない事なのだから。
(……イミティア、お前なあ……)
対するセレティナはうっかりイミティアが襤褸を出さないかヒヤヒヤものだ。
(頼むから、頼むよ……)
果実をひょいひょいと摘まむイミティアのこめかみを殴ってやりたい気持ちをぐっと抑え、セレティナは細く息を吐いた。
「それよりももっと建設的な話をしませんか? 私とイミティアの仲など、些細な問題でしょう」
強引な舵取りだがこれ以上はイミティアの襤褸が出そうだ。
セレティナは柔らかな笑みを浮かべてそう提示した。……手汗はじっとりとしているが。
「……それもそうだな。時間も惜しい」
将軍の同意が鶴の一声となった。
セレティナ、イミティア、オーバンス将軍、エティック組合長はこれからの事について綿密に語り合った。
ウルブドール全域の図面を広げ、どこを開門するか、どこの経路が一番『船』の足を一番活かせるか。護衛の兵はどれだけ付けるか、もしくは付けないか。何を残すか、どれだけの武器を積んでいくか……。
詳細はエルバロが戻ってきてからが本番だが、しかし議題には事欠かない。
ウルブドールが擁する全軍、それから冒険者達、ベルベット旅商団……三つの組織が足並みを揃えなければならないのだから。
しかし議題が『聖戦』へと移ったとき、イミティアの目の色が変わった。
「どういう事だ……?」
脚の揺すりが止まらない。
表情は険しいものとなり、彼女の一切の余裕は消え失せた。
『聖戦』。
セレティナを象徴として臨む決死の作戦に勝ち目は無い。
『方舟』の脱出は西門から行われる。
その逆の東門と、そこから程近い南東の門を開け放ち、ウルブドール外壁に蔓延る魔物共を惹きつけて戦力を分散……手薄となった頃合いに西門を開け放ち、『方舟』が脱出する、という筋書きだ。
東門と南東門。
そこで迎え撃つ兵士達には勿論礎となってもらう他ない。
文字通り、決死の作戦だ。
この戦に臨む者は皆平等に死が待っている。
だがしかしどうだ?
セレティナは残ると言う。
残り、ウルブドールの民達の礎になることも厭わないと言う。
イミティアが、どうしてそれを許せようか?
たった一人の最愛の男。
姿は変わっても、魂は変わらない。
……みすみす、見過ごせるはずもない。
この再会は彼女にとって奇跡以外の何物でもないのだから。
「あたしは反対だからな。こいつは絶対あたしの船に乗せていく」
「しかしイミティア……戦力はまるで足りてない上に分散されるんだ。君も分かっているだろう、少しでも戦力を補強できれば、少しでも時間を稼げればそれだけで『方舟』の脱出成功率は上がる」
「そんなことは分かってる! でもあたしはお前を置いていくことなんて……!」
「私も頃合いを見て脱出するつもりだ。幸い頭の良い駿馬を二頭持っていてな。だから……」
「脱出なんて嘘を吐け! お前は、ずっとそうだったじゃないか! 絶対に逃げない……今回もお前は絶対逃げられないぞ!」
「イミティア……」
――不味い。
イミティアが興奮している。
これ以上は――。
「お前は『災禍』の時だって――」
「イミティアッ!!!!」
それ以上を、セレティナの叫びが制した。
口を噤んだイミティアは口を押え、零しそうになった台詞を何とか取り押さえる。
イミティアは青褪めていた。
周りに人間がいる事を忘れ、セレティナをオルトゥスとして扱っていたことは間違いない。
セレティナが制さなければ、それ以上を口走っていただろう。
……僅かな静寂。
重々しく口を開いたのは、セレティナだ。
「……少し頭を冷やしてこい」
イミティアは、何も言わない。
静かに頷くと、今までの尊大ぶりが一切の鳴りを潜め、静かに部屋を後にした。
組合長のエティックは何があったんだと二人の顔を見比べていたが、オーバンス将軍は違う。
刻んだ皺を更に深く刻み、考え込むように額に手を宛がっている。
彼の頭には『災禍』……十四年も前の大戦のキーワードが頭を占めていた。
目の前の『ティーク』の年齢を鑑みれば、『災禍』を経験することなど有りえないはずだ。
オーバンス将軍の中でピースが一つ一つ生まれていく。
しかし、そのピースは彼の常識という枠組みの中では上手く嵌ってくれない。
将軍は、今一度『ティーク』を盗み見た。
(……まさか、な)
答えは直ぐそこにある。
だが、彼の理がそうではないと激しく訴えるのだ。