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子守唄

 



「……まぁ、そんな事は今はどうでもいいんだ」



 セレティナはそう言って肩を竦めた。



「どうでもいいか?」


「気になるところではある……だが目下の問題に比べたら今は些細な問題だ」


「この都市からの脱出か……」


「そういうことだ」



 セレティナは固く頷いた。


 そう前世や転生……ガディウスの謎など気になるところではあるが、今はそれどころではない。


 そもそも論じたところで答えが出るわけでもない。


 それよりもこの崩壊寸前の都市で、為すべき事を早急に為さねばならない。


 手頃な椅子に腰掛けると、セレティナは再度イミティアに申し出る。



「イミティア、私からもう一度君へのお願いだ。あの『船』を借りたい」



『船』を借りる。

 それは先に述べた通り、積荷を全て降ろしてくれと請うていることになる。


 それは旅商団の財産を放棄することでもあり、そして他国から与った信用を手放すことにもなる。


 セレティナの申し出に首肯する事は、全ての崩壊を意味するわけではない。

 多少の融通は聞くし、他国との信頼関係は物品と誠意を以って補修していくしかない。


 引き換えに得られるのは、ウルブドールの多くの命……それだけだ。

 正直イミティアにとってはどうとでも良い命達だ。行きずりで出会った彼らの命よりもよっぽど旅商団の経営の方が大事だし、彼女には非情になれる心も持ち合わせている。



「……」



 イミティアは涼やかな瞳でセレティナを見据えた。


 黄金の少女となったセレティナは、嘗ての頑としたオルトゥスを彷彿とさせる程に頭を深く下げ、誠意を示している。


 正味、この取り引きはイミティアにとって旨味のある話では決してない。

 商人ならば……いや、少しでも判断を見誤らないものであるならばここでの答えは明確に「ノー」だ。


 イミティアは深く溜息を吐いた。



「顔を上げな」


「……」


「いいから上げな」



 イミティアが促すと、セレティナはようやく顔を上げた。少しバツの悪そうな顔に、図らずもイミティアの頬の肉が緩んだ。


 セレティナは……オルトゥスという男はどこまでも純粋だ。

 人の為に簡単に身を粉にでき、そしてそれを何ら労であると思わない。


 英雄の中の英雄。

 いや……聖人である。そう言い切った方が良い。

 若しくは善悪の悪の心だけがすとんと抜け落ちた異常者か。



 だからこそイミティアは惚れた。

 昏き道しか望めなかった自身に対して差し伸べてくれた武骨で大きなその手を。

 全ての生命を等しく受け入れるそのまなこを。



(お前は、何も変わっちゃいないなオルトゥス)



 イミティアは笑んだ。

 姿は変わっても、何も変わらない友の姿に嬉しくなった。


 だからこそ、その首を縦に振るのだ。



「……いいよ」


「えっ?」



 セレティナは弾かれたように伏し目を上げた。

 そこには柔らかな笑みを讃えたイミティアの笑みがある。



「うちの『船』に好きなだけ人間を詰め込みな」


「い、いいのか? 本当に……」


「お前から願い出ておいてなんで意外そうなんだ」


「だって」


「但しきっちりアルデライトに補償してもらうよ。それからあたしらは『船』の積荷を下ろすだけだから人間の誘導はそっちでやってくれ。それ以上は何もしないからな」



 そう言ってイミティアはやれやれと煙管の火種をつけようとして__。



「イミティア!」


「うわっぷ!」



 抱きつかれた。


 瞬間、イミティアはあっという間に赤面する。



「お、おい! 抱きつくなったら……!」


「いいだろう今は女同士なんだし」


「良くない! あたしは今のとこお前との接し方をどうしようか色々と考えてるところでだな……!」



 言いながら、気づく。

 セレティナの目端に涙が浮かんでいることに。



「イミティア、本当にありがとう。君のお陰でどれだけの命が救われることか……」


「あ〜もう分かった、分かったったら……」



 イミティアはそう言いながらセレティナの背を撫でた。


 セレティナの背は、当たり前だがオルトゥスのものよりだいぶ小さく、頼りなかった。









 ◆







 眠りなさい 眠りなさい


 尊き無垢な白き子よ


 早くベッドへお逃げ


 夢の中なら怖くはないわ


 黒より黒きがやってくる


 眠りなさい 眠りなさい


 もうすぐ彼がやってくる


 眠りなさい 眠りなさい


 全てが呑まれるその前に





 脳の隙間に染み入るようなその歌声は、まるで聖歌の様にさえ思えた。

 美しい女声だ。

 高く、尊く、しかし毒の様。


 月光が、黒き少女を照らしてるのが見えた。

 漆黒の傘をクルクルと回しながら、少女は踊る様にスカートを翻す。


 黒のシルエットは楽しげに。

 紅の瞳に愉悦を添えて。


 歌う子守唄は、エリュゴール王国に於いて最もポピュラーなものだ。



 “彼”も子供の頃、弟と聞いたことがある。


 横たわり、全身の力という力が霧散していく……そんな感覚を覚えながら、彼は再び微睡みの中へと落ちようとしていた。


 芽生えた意識はあまりに脆く、そんな彼に少女は微笑んでいる。




「眠りなさい。貴方の手番が来るその時まで」




 眠っても良い。

 誰かにそう言われるだけで、彼は安心して眠る事ができた。


 少女はくるくると月光の最中を踊っている。



「ああ、とっても楽しみ。そうよ、物語には悪役ヴィランが必要だものね。主演は貴女で、ヒロインは私よ」




 少女は月へと手を伸ばす。

 遠く、遠く、彼女の瞳には月など見えてはいない。


 紅色の瞳に映るのは、ただ一人……黄金の気高き少女のみ。





 眠りなさい 眠りなさい


 尊き無垢な白き子よ


 早くベッドへお逃げ


 夢の中なら怖くはないわ


 黒より黒きがやってくる


 眠りなさい 眠りなさい


 もうすぐ彼がやってくる


 眠りなさい 眠りなさい


 全てが呑まれるその前に




 少女はくるりくるりと歌いながら舞い踊る。


『ウルブドール』という、崩壊寸前の舞台の上で。







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