表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
160/206

嘘と誠

 






「ーーオルトゥス、という名だった」



 そこまで言い切った。


 ……セレティナはこの時、初めて嘗ての名で名乗ったのだ。


 言って、彼女は奇妙な感覚に囚われた。


 今更自分がオルトゥスであったことに執着するつもりはない。


 セレティナはこの世に生まれ、アルデライトの娘として育まれた時よりオルトゥスで在る事よりセレティナとして生きる事を選び続けてきた。


 その違いは些細な様で、しかし決定的な違いだ。


 前世に固執するのも良かろう。

 それとて彼女の歩むべき人生の一つだったのだから。


 女性として、『セレティナ』として、貴族の淑女として両親に育まれたのは謂わば矯正だ。

『セレティナ』で在る事を強いられ、女性としてスカートの着用や作法を矯正された。


 彼女は最初から淑女だったわけではない。

 歩けば自然と大股だったし、意図せず座ればガニ股になる事など茶飯事だった。


 口を開けば勇ましい男口調がついて出た為、自然と敬語を常用するようになった。


 それらは母のメリアによって徹底的に叩き直されたものだ。


 ……だが、セレティナは『セレティナ』である事を受け容れた。メリアの指図じゃない、他ならぬ自分の意思だ。


 自分が選び、その道を往く。

 ブーツを捨てて、ハイヒールでその道を踏みしめた。


 敢えて明言するが、オルトゥスが元々女性的な素質を持っていたわけではない。男性として女性を好きになり、スカートを履かず、世間一般的……生物的に非常にニュートラルな価値観を持って生きてきた。


 しかし『オルトゥス』という器が壊れ、『セレティナ』という器に魂が注がれた時、その魂の在り方はどちらの色にも染まる事ができた。


 そしてセレティナは選んだ。

『セレティナ』という器で在る事を。





 ……だから今、セレティナは『オルトゥス』を名乗る事に非常に違和感を覚えてならない。


 奇妙な感覚が器全体を満たし、自分が正しい事を言っているのか一瞬分からなくなってしまったのだ。


 自分はオルトゥスだったと心中で思っていても、それを口に出すのとは勝手が違う。


 だがセレティナは確かに『オルトゥス』だったし、イミティアの友だった。


 セレティナは自分の言葉を反芻すると、少し頼りなかった視線に力を宿してイミティアを見据えた。








 さて、イミティアといえばーー。









「お前、今何て言った……?」








 ーー見るからに、警戒の色を濃くしていた。


 灰色の頭髪は僅かに総毛立ち、橙色の瞳は瞳孔が開いている。僅かに剥いた牙の奥からは、グルグルと唸り声が篭って轟いた。




(……当然と言えば、当然……か)




 しかし、セレティナは取り乱さない。

 それは想定していた反応の一つだったからだ。


 イミティアは優しい女性だ。

 友に優しく、情に厚く、一本気。


 どこか漢らしさのある彼女は、死を遂げた友を騙る真似を決して許しはしない。


 死んだ人間が転生する……そんな荒唐無稽な話を信じてもらえるなど誰が思えるだろうか。


 だからセレティナは、その警戒の糸を一つ一つ解かしていくしかない。丁寧に、丁寧に。



「俺は、オルトゥスの魂を宿している。……転生体だ」


「オルトゥス……転生……? 寝言を言うにはまだ早い時かーー」






「最後にあったのは確か『災禍』の前……。凡そ二ヶ月前だったか」



 イミティアの言葉を遮り、セレティナが語り出す。


 少し強引な切り出しは、しかしイミティアの動揺を誘った。


 セレティナは畳み掛けるように言葉を続ける。

 昔話をできるだけ鮮明に頭の中で描き起こしながら。



「イミティアは王国を離れるのを至極嫌がっていた。もう一日、もう一日と。ウッドバックが確か嫌がる君を無理やり『船』に放り込んでいたな」


「な、にを……」



 イミティアの記憶でも、確かにそうだ。

 酒も入っていたこともあり、オルトゥスの側に居たい一心で駄々を捏ねていた。


 セレティナの言葉は、確かに真なるものだった。セレティナは続ける。


「あの時は確か俺の好きな南方の酒を土産に持ってきてくれたんだっけな。やけに辛口なあの酒、俺が好んでいたのを覚えていてくれてたのには驚いたよ」



 それも真実。



「お……前……」


「君は王国の酒は甘いものが多くて好みじゃないとよく言っていた。俺と同じ酒の趣味だと確か城下町のバーで打ち解けあったな。ほら、亀の看板が目印のあの店だ」



 これも真実。




「……て……」


「あそこはマスターが仕込んでるピクルスが最高なんだ。君も大層気に入っていた。ライオンの様に茶髭を蓄えているあのマスターだ。覚えていないか?」



 二人が共有する真実は、どこまでも鮮明にイミティアの頭に浮かび上がった。



「……待……って……」


「しかし君は少しも変わっちゃいないな……驚いたよ。昔、獣人ビスティアを見るのが珍しくて君をいつまでも子供扱いしていたが、十四年経った今とて君は変わらなかった。獣人は本当に老いるのが遅いんだな。何もかもが変わったこの世界で、君だけは変わらずにいてくれて少しホッとしーー」




「待てったら!!!!!!」




 今度はイミティアの絶叫が、セレティナの言葉を遮った。


 イミティアは、分からない。

 今、何を見ているのか、何が真実なのか、目の前の娘が何を語っているのか……。


 セレティナの語ることは、全てセレティナとイミティアが共有している記憶そのものだ。


 ……理解が追いつかない。


 虚構と現実……疑う気持ちとその言葉をすんなりと受け入れている自分……何もかもが綯い交ぜになって彼女の胸の中で渦を巻いた。


 動悸がし、体は汗ばみ、瞳は一点に留まらない。





(待て、待て。落ち着けあたし……)





 こめかみを抑え、細く鋭く息を吐く。



(整理しよう)



 イミティアは心の中でそう唱え、セレティナを差し置いて思考に埋没した。セレティナはそれを、ゆっくりと見守っている。



(まず、このセレティナの語っていることは全て正しい)



 まずはそこから始まって。

 次にそれはどこから出た記憶だ。


 転生など、有り得ない。

 精霊術においても、魔術においても、その知識を少しでも齧った事のある者なら誰もがそう唱える。


 それが出来るのなら、まさに神の御技だ。

 この世の理に触れ、捻じ曲げる。

 それは如何なる力を持ってしても叶う事は無い。



 ならば、セレティナはオルトゥスの記憶を植え付けられた人間ーー?



 これならば納得はいく……かもしれない。

 しかしそうだとて途方も無い魔術だ。

 あの魔女とて難しかろう。


 だがただ記憶を植え付けられた人間、と言うのであれば南門の防衛戦で見せたあの剣術や身のこなしは説明がつかない。




(転生など、有り得るのか……?)



 有り得る訳が無い。


 いや……。


 だが、しかし……。



「……」



 セレティナは、ただ静かにイミティアを待っている。


 群青色の瞳は、嘗ての友の柔らかい眼差しを想起させる。想起させられてしまう。



「〜〜〜〜っあぁぁぁぁあ!!!分からん!!!」



 イミティアは、爆発した。

 灰色の頭を掻き毟り、床に向かって絶叫。


 思考をちょいと巡らせた結果、セレティナがオルトゥスであるとは到底信じられない。理論的に無理だ。


 ……だが、心がそれを拒絶する。

 セレティナの言葉を信じたいと心が叫んでいる。


 イミティアの頭と心が乖離しはじめたのだ。



 イミティアは立て掛けてあった『エリュティニアス』を引っ掴むと、ばしりとセレティナに投げ掛けた。




「表に出ろ!」




 イミティアが叫ぶと、セレティナは少し面食らったが程無くして頷いた。



「君が、それを望むなら」



 オルトゥスとイミティア。

 何かの話につけ折り合いが合わなかった時、彼女はいつだってそう叫んだ。

 敗者が勝者の言い分を呑み、酒を一杯奢る。


 イミティアが何を意図してセレティナに勝負を挑んだのか、その真相は彼女にとって不透明だ。


 しかしセレティナにとってそれは、酷く懐かしいやりとりだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] うーむ、私は転生にはディセントラがやはり関わってると思ってたんだが、、、どうなんだろ?。 それだと何故女にしたかだよね、、、、呪いといい もしかして、魔女化?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ