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魔女への憎悪

 


 夜は平等に訪れる。

 人にも、魔物にも、そして神にさえ。


 夜を愉しむ者、夜を畏れる者、夜を眠る者起きる者……。


 人や種族によりけり、だが、その女は夜を好んだ。


 高下駄をカラコロと鳴らし、煙管を咥えた薄い唇の隙間から白い煙を零しながら、ヨウナシは空を仰ぐ。


 ぽっかりと夜の闇に浮かぶ月は、少し欠けている。

 神を運ぶ浮船が月と重なる為に満ち欠けが起こると言われているが、彼女にとってその様な通説はどうでも良いのだ。


 ただそこに浮かぶ月が美しい。

 空を支配するヨウナシでさえ届きえないその存在が、諸行無常を以ってこの世界を照らし続けてくれている。


 彼女の孤独を慰めるのは、いつであってもその月光だ。


 ヨウナシは大朱盆に濁酒どぶろくを注ぐと、月に向かってそれを掲げた。

 そして一息の内に酒を喉に流し込み、また同様に濁酒を注ぎ込む。

 その繰り返しだ。



「……どうじゃ? お主らも飲まんか?」



 少し酒に灼けた声。

 ヨウナシは言って、鷹揚に振り返った。


 そうすれば、影の中からユフォとヨウファの輪郭が浮き立った。

 彼らは膝を付いたまま首を横へ振る。



「不要。僕達はお酒に弱いから」


「拒否。僕達はお酒が飲めないから」


「……ふん、知っておるわ。つれない奴らめ」



 ヨウナシは少しむくれて大朱盆を呷った。

 焼ける様な酒が喉を焦がし、頬を朱に染める。



「先生。僕達はまだセレティナを守るべき?」


「先生。ウルブドールは危険。僕達も危ない」


「ふむ……あの娘を護るのは嫌か?」


「嫌じゃないけど」


「先生、何も言わないから」



 ヨウナシがセレティナを護れと指示をくれた訳ではない。何となくセレティナがヨウナシのお気に入りな様だったから護るべき対象としていただけだ。


 ヨウナシは多くを語らない。

 故に彼らはヨウナシの意図を汲んで行動する他ない。



「お主らも大変じゃの。儂がああせいこうせいと言わずともよく働く」


「……それが僕達の一族の役目」


「もうお主らの鎖は断ち切った。何度も言うておろう、好きに生きよと」


「……」



 ユフォとヨウファは何も言わず頭を垂れるのみだ。



「……ふん」



 ヨウナシは何も言わず、燻ったままの煙管を咥えた。



「先生。一つ質問がある」


「何じゃ」


「リキテルの死体が見つからない。魂の残滓も見当たらない。何かしたの?」


「……ふぅん。なるほどな」



 ほう、と煙を吐いてヨウナシは火種を確かめる。一つ一つの所作はどこか艶やかだ。


 ユフォとヨウファは何も言わず彼女の次の言を待っている。



「儂は何もしておらんよ。あの若人にはそれなりの興味はあったが、それだけの事」


「じゃあ……」


「今宵の月は見事じゃ。小娘が悪戯でもしたのかもしれんな」



 そう言って、ヨウナシは不敵に笑った。



「やはりあのセレティナ女史に唾をつけたのは正解じゃったかの。『魔女』の香りが日を追うごとに増しておる」


「……あの首の紋章と魔女に何か繋がりが?」


「ほう、あれに気付いておったか」


「当然。魔術に造詣が深い人間なら、あれがどれだけ異質なものかくらいは分かる。異質なだけで、それ以上は何も分からないけど」


「なるほどな。人の子も中々見上げたものじゃてな」



 ユフォとヨウファは、ゆっくりと立ち上がる。

 その無機質な瞳は、月光を受けて僅かに光を灯していた。



「先生。セレティナとは、何者なの」


「先生。この街で、何が起こっているの」



 セレティナの登場。

 それから、それに示し合わせたかのように帝国内で起きた魔物の大氾濫。


 ヨウナシが酷く興味を示したことといい、彼らは今ウルブドールで巻き起こっている一連の事件が何かしらの関連を持っていると思わずにはいられない。


 だが、ヨウナシは砕けた態度で肩を竦める。



「さあな、儂にも分からん。『魔女』の考えなど理外同然」



 ヨウナシはそう言って肺にたっぷりと煙を溜め込むと、静かに吐き出した。



「じゃが、奴らは全てこの儂が殺す。一匹残らずな」



 そう言ったヨウナシの瞳はどこまでも底冷えて、ユフォとヨウファはぞくりと背中を震わせた。


 三界三傑。

 空を統べる王は、腹の腑で静かに憎悪の焔を滾らせた。

 剥き身の敵意は、それだけで夜を焦がしそうな程だ。


 全身汗腺から汗を噴いている二人に微笑み、ヨウナシは身を翻した。



「セレティナ女史を護れ。まだお主らが、儂の鎖を手放したくないのなら」



 そう言って、ヨウナシは羽織る様に深碧の炎を纏う。

 煌煌と火柱を噴き上げ、炎が風に浚われた次の瞬間には彼女の姿はもうそこには無い。

 ちりちりと空を焼く薫りが、二人の鼻腔を擽るだけだ。



「……行っちゃった」


「……あの人、意味深な事言って姿を暗ませるの好きだから」



 二人はフェイスベールの下で小さく溜め息を吐いた。



 セレティナの紋章。

 消えたリキテル。

 ヨウナシが仄めかした魔女の存在。

 そしてウルブドールを脅かし続けている魔物の大群。



 今何が起きていて、これから何が起ころうというのか。


 それは彼らには分からない。

 ただ影に徹し、従者としての使命を全うするのみ。


 二人は再び小さく溜め息を吐いて、ぽっかりと浮かぶ月を見上げた。




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