休息
【お知らせ】
本日より11月9日の書籍版『剣とティアラとハイヒール』発売まで毎日更新をさせていただきます。
また書籍版におけるキャラクターデザインも活動報告とSNSで随時公開していく予定ですので何卒よろしくお願いします。
「レミリアさん」
セレティナは漸く目標の顔を見つけて胸を撫で下ろした。
「ティーク様。こんな時間に如何されたのですかそんなボロボロのお姿で……」
「夜分遅くに失礼致します。それより今は時間が惜しい。良ければイミティア・ベルベットと話をつけたいのですが」
「……それは差し迫った話、ということでよろしいですか」
「ええ。そう捉えて貰った方が好ましいです」
レミリアは薄いフレームの眼鏡を、白魚の様な指で押し上げると、
「……取り敢えず、場所を変えましょうか」
そう言って、セレティナを別室に連れて行く。
◇
セレティナは黒革のソファにゆったりと腰掛けた。
肌の触感を通じて返される柔らかな抵抗は、嫌が応にも彼女自身の疲弊を思い知らされる。
鉛の様に重くなった体は、そのまま柔らかなソファに呑まれると錯覚するほどだ。
セレティナは重たい瞼を何とか押し上げて、長テーブルを挟んだ向かい側のレミリアと向き直る。
「レミリアさん、イミティア……さんは?」
「頭領であれば今は眠っております」
「体調が優れないのでしょうか」
「魔力の欠乏は程度によりますが、数日に渡って術者を苛みます。生命の生きる力と言っていい魔力が完全に枯渇しているのですから、生きている方が不思議なくらいです。今はできるだけ休息が必要なのです」
「では……」
「ええ。話は私がお伺いさせてもらいます」
「そう、ですか」
「ご不満でしょうか」
「いえ、そんなことは」
まさかイミティアがそこまで危険な状況になっていたとは思いがけず、セレティナの胸に動揺と安堵が去来する。
しかし取り敢えずは胸を撫で下ろした。
命あっての物種なのだ。彼女と直接話を付けられないくらいで我儘や不満を募らせるセレティナではない。
「それでは早速お話をつけたいのですが」
「……お話は私が伺います。ですがそれは明日の朝に行いましょう」
「え」
意外な返事に、セレティナは顔を上げた。
何故、明日? 今では駄目なのか、という尤もな感想が彼女の頭中に過る。
レミリアはそれに応える様に、苦く微笑んだ。
「頭領にも休息が必要ですが、それは今の貴方にも必要なことです」
「い、いや……私はこの通りすこぶる元気ですが」
体の疲れや眠気を悟られただろうかとセレティナは不安に思ったが、それはレミリアを見る限りどうも違う様だ。彼女がセレティナに向ける視線は、まるで子供を悟す母親のそれだ。
「今の貴方、酷い顔をしています」
レミリアはそれだけ言って、弱々しく微笑んだ。
「え……」
言われて、セレティナは思わず自分の頬を撫ぜる。
酷い顔、とは一体何を意味しているのかこの時彼女は気づかない。
しかし、言葉がついて出た。
「……リキテル」
それ以上、それ以外、セレティナの今の心情を
物語る言葉はない。
レミリアは小さく息を吐くと、するりと立ち上がった。
もうこれ以上言葉を交わす必要はない、今はもう寝てしまいなさいと、そんな彼女なりの優しさと配慮が見て取れた。
「お話は明日の朝……それまでは、しっかりとお休みになられる事をおすすめします。この部屋は如何様にも使ってもらって構いません。……それでは、また明日」
セレティナは、その背中を目で追う事しか出来ない。
今、自分はどんな顔をしていたんだろうかと、彼女は再び自分の頬を撫ぜた。
◇
シングルベッドに潜り込み、セレティナは溜息を吐いた。
自分の想定以上の疲労感が、彼女を襲う。
ともすれば次の瞬間にでも意識を手放してしまいそうだった。
(……私はここに来るまで、どんな顔をしていたんだ)
心の中で呟いて、セレティナはくったりと寝返りをうつ。
人の生き死には慣れているつもりだった。
前世の自分は感情の起伏が顔に現れないポーカーフェイスだった事もあり、周りの人間から『何を考えているか分からない』と言われることもしばしばあった。
こういった点もオルトゥスとセレティナの違いなのだろう。
魂は同じなれど、器が変わればその魂の在り方や性質も変わるということだ。
(……レミリアさんは恐らくリキテルの死を知っていたのだろう。都市内であれだけの戦闘があったのだから、当然と言えば当然か)
今は時間が惜しい。
だが、こうして横になるとその気遣いが有り難く感じた。
今は、体を休めよう。
体と心は消耗しきっている。
セレティナはそうして瞼を落とすと、ゆっくりと微睡みの中へと落ちていった。
◇
「ねえ、あんたどう思う?」
『エルバの浮船亭』にもとうとう夜が来た。
酒盛りを終えたベルベット旅商団の顔ぶれは、皆一様にそれぞれの塒へと着いた。
どんな時でも楽しく、逞しく、自由に……世界を股に掛ける旅商はどんな危機に陥ろうと、魔王が現れようと、その日の晩に酒は飲まずにはいられない。
きっと、ウッドバックもそれを望んでいるはず。
誰かが欠けた時、その時は酒を食らって一日で悲しい思いを吹き飛ばすというのが彼らの恒例の事だ。
ウルブドールの周囲には夥しい数の魔物が詰め寄っている……そんな事は露知らず、と言った風に男達は胃の腑から酒の臭いを発しながら眠っていた。
しかし、この日女衆は一部屋に集まってこそこそとお喋りに耽っていた。
小さなランタンを一つ囲う彼女らの瞳はまるで童女だ。
「どうって?」
「あのティークって男の子。めちゃくちゃ可愛いじゃない」
「そうだよね。童話の中から飛び出した王子様って感じ」
「あんないい男、そうそう見ないよね」
「私は流石にパス。二十年後に期待かな」
「ベフィは老け専だものね」
「あ?」
セレティナの美貌は一晩にして旅商団の女衆の心を蕩かした。
次の日から、セレティナを見る彼女らの視線が熱烈なものに変わっていたというのはまた別の話だ。