提案
「彼のことは……残念だったな」
厳かに口にするオーバンズ将軍の表情はやはり硬い。
例の貴賓館。例によってオーバンス将軍、都市長エルバロ、冒険者組合長のエティックが席に着いている。
向かいに席を設けられたセレティナは「いえ」とだけ口にして顔を伏した。
その傍らにリキテルの姿は無い。
戦士とは、いついかなる時にでもその命を散らしてしまう。
それは死にゆく者と、そして残される者も覚悟しておかなければならないことだ。
セレティナは情が厚い。
非情にならなければならない場面は前世でも何度だってあった。
しかし短い期間ではあったがセレティナにとってみればリキテル・ウィルゲイムは心を通わせた数少ない仲間であった事は確かだ。セレティナは長らくの間をアルデライト家の屋敷で過ごしてきたから交友関係も狭い。
彼を失った悲しみは、多少なりとも堪えても仕方がなかった。
「しかし彼……リキテル君の遺体はまだ見つかっていないそうじゃないか。まだ生きているという可能性も……」
「やめたまえエティック。半端な気遣いは彼の心を逆撫でるだけだ」
「う、む……すまない」
将軍に諭され俯くエティックに、セレティナは弱々しく笑顔を向けた。
「お気になさらずエティック様。お心遣い、ありがとうございます」
「……すまないね」
エティックは少し気まずそうだ。
対する彼の横に座している都市長エルバロは尊大な態度で椅子に深く腰掛けている。
「冒険者の考えは僕にはよくよく分かったものではないね。金の為とはいえ、よくあの化け物共と戦えるものだ。しかし生き残ったのが君で良かったよティーク君。彼……リキテルとかいう赤毛はどうも立場を弁えぬ愚か者だったからね。これで議論も交わしやすくなるというものだ」
「……左様で、ございますか」
カップを傾け、紅茶を嗜むエルバロの機嫌はどこか良さそうだった。
彼にとって権力を持たない兵はただの駒。
その駒が『上級』二体と刺し違えられたのなら、分かりやすく良い消費だ。
それにリキテルとエルバロは少しの間とはいえいがみ合った仲だ。
リキテルが最大ともいえる戦果を持って早々に退場したのは彼にとって好ましい展開だったといえる。
セレティナは内心の荒立ちををおくびにも出さず、柔らかな表情を浮かべている。
(賢い子だ。利己的なエルバロよりも余程……)
エティックは表情を変えぬセレティナをそう評した。
反対に私利私欲を前面に押し出し、ときに癇癪を起し続けるエルバロの評価は地に落ちているのだが。
「それよりも、だ。いつまでも感傷に浸っている時間は我々にはない」
一つ咳払いをし、将軍は皆に目線を配った。
「防衛戦に終始していたがとうとう有翼種の『上級』まで現れる始末だ。何をするにせよ、我々は決断を早々に下さねばならない」
「というと?」
「散々議論が停滞していたウルブドールからの脱出だ。それに関する選民と、どれだけの兵を捨て駒としてこのウルブドールに置くかだ」
将軍の口調は硬く、冗談を言っているような素振りは微塵も感じられない。
迫っているのだ。
存亡をかけたその期限が。
「オーバンス将軍! 何度も言ったが僕はこのウルブドールを諦めちゃいない! 『上級』を下したのだろう! ならばまだこの都市は安全なはずだ!」
「……エルバロ。それ以上余計な口を挟むのならその首を飛ばしても良いのだぞ。私は皇帝から直々に『好きにして良い』とお言葉を頂いているのだからな」
「……っぐ……」
「結構」
にこりと笑みを浮かべるオーバンス将軍をひと睨みし、エルバロは興奮も冷めぬままどかりと座り込んだ。
「ティーク君。君もそれで良いな?」
良いな? というのは、セレティナの意見を仰ぎたいわけじゃない。
既に決定したことなのだから、同意せよという圧力だ。
セレティナは、それが分かっている。
だから、素直に頷くしかない。
「承知しました。将軍の……引いてはこの国の意思がそうであるのなら、私はその意に背く事は致しません」
「……よろしい」
「ですが、より多くの民を救いたいという私の意思は揺るぎません。その為であるならば、この命ここで尽きようとも本望です」
真っ直ぐにオーバンス将軍の瞳を捉えるセレティナの群青色の瞳は、少したりとも揺るぎはしない。覚悟と、誇りが、彼女の内でしかと漲っているのだから。
「……そうか、私もそうしたいところなのだがね。しかし現実は非情だ。綺麗事と信念だけでは結果は伴わんよ」
オーバンス将軍は暗に『何か案を提示してみろ』と言っているのだ。
高潔な言葉を並べるだけでは人は救えない。
戦場に於いて最も重要なのは優しい言葉や一騎当千の力でもない。
盤面をひっくり返せるようなアイデアや戦術だ。
「……ベルベット旅商団の『船』を使わせてもらいます。全ての積み荷を降ろせば、五千人近い人間を収容することができましょう」
「……ふむ、成る程な。そいつを使って一人でも多くの人間を逃がすということか」
「左様でございます」
「それは無理だな」
オーバンス将軍は、ゆっくりと紅茶のカップを傾けた。
セレティナは何も言わず、硬質な視線だけ彼の動作に這わせている。
やがてカップをソーサーに置いて。
「打診はもうした。だが、積み荷を全て降ろさせるとなるとその補填額は凄まじい。よくあれだけ価値のあるものを溜め込んだと舌を巻いたよ」
「……しかし、国がそれをベルベット旅商団に補填するとなれば話は変わるでしょう。決して払えない額では無い筈です」
「皇帝は、それだけの価値をここの民に見出していないということだ」
「……なんですって」
目を見開くセレティナを、オーバンス将軍は小さく笑った。
「君は心優しいな、ティーク君。だが、国のトップとは時にこうでなくてはならない。皇帝は死に行くウルブドールを見限り、最小限の被害で全てを終えたいと思っている。大陸を股にかけるベルベット旅商団とも友好な関係のままでありたい。ならばウルブドールに住まう民達を見殺しにするくらい、安い経費なのさ」
そもそもあの皇帝は力無き民達の生き死になど、どうとも思っていないのだがね……という言葉は将軍は飲みこんだ。
ウルブドールは死ぬ。ならば如何にその被害が自身に降りかからないようにするかだけだ。
その意見には、将軍も同意だった。
セレティナは、それ以上何も言わずに立ち上がる。
立て掛けてあった『エリュティニアス』を腰に差し、失礼、と一言を添えた。
「……どこに行くと言うのだね?」
「イミティアの元へ行ってきます」
「一介の冒険者である君が話を付けられるとでも?」
「私は、ひとりでも多くの民を救える可能性があるのならその努力は惜しまない。それだけです」
「……ひとつ聞こうか。何故、君はそれだけ名も知らぬ人間達に献身するんだ」
「目の前に救える命があるのなら、そこに手を差し伸べない理由などいらないかと」
当然の事を、当然のままに。
セレティナは本心から零れ出た言葉をそのまま口にした。
その感性は、人としては余りにも異常。
己の事を顧みてこそ人間臭いというものだ。
だが、セレティナは、セレティナという人間はそこに一切の疑問を持たない。
それは余りにも人間として未熟で、そして英雄として養われた感性だった。
オーバンス将軍は少しの間ぽかんとして、
「失礼します」
そう言って部屋を出ていくセレティナの背中を見送る他無かった。