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閑話・アルデライト家

 





「く……っ!」


「メリア、余り無理をしないほうがいい」



 よろりとふらついたメリアの細身を、バルゲッドがそのずんぐりとした体で受け止める。

 じっとりと額に汗を滲ませる妻に対し、バルゲッドの思いの外小さい心臓は今にも潰れそうだった。



「メリア、今日はもうやめておこう。今の君には休息も大切だ」


「……そうね」



 僅かに悔しさに顔を顰め、メリアは観念した様に侍女が構えていた車椅子に腰を下ろした。その様子にバルゲッドと周りに控えていた使用人達はホッと胸を撫で下ろす。



 死の淵から蘇ったメリアの体の調子は芳しくない。

 剣はもう持つ事はできないと医師に言われ、自ら歩行することも困難だと言われている。


 例え再び歩ける様になるとしても長期間のリハビリと療養の末どうなるか、といったところだ。


 メリアは調子の良い時は連日厳しいリハビリを自身に課し、それは周りの人間の不安を煽り続けていた。



 甲斐甲斐しく侍女達に汗を拭われ、マッサージを施されながら冷えた果実水を受け渡されている妻の肩にバルゲッドの熊の様な手が置かれる。



「メリア、君は少し頑張りすぎだ。今の君は戦士ではないのだから体を無理に扱う必要は無いんだぞ?」



 熊顔のいかめしい夫の困り顔に、メリアは僅かに微笑んだ。



「貴方達が心配性なのよ。私の体なんだもの。私の限界はちゃんと分かっているわ」


「……君が努力家なのは知っている。だが私や君を心配する使用人達の気持ちも察してはくれまいか? 私達は君を愛しているんだ」



 弱々しく笑うバルゲットの後ろでは、侍女達が「全くです」と言わんばかりに何度も頷いている。


 メリアはそんな彼らの様子が可笑しくて、ほろ苦く笑った。



「……病弱を理由にあれやこれやを制限されてきたセレティナの気持ちが何となく分かっちゃうわね……」



 肩を竦める妻に、もうひとつバルゲッドが念押ししそうになったところで--。




「旦那様。お客様が訪ねて来ていらっしゃいますが、どうなされますか?」




 侍女の一人が、恭しく扉を開けてそう発言した。




「はて、客人とな。私は招いていたつもりは無いが……」


「はい、お客様もそう仰っておられます。急で申し訳ない、と」


「ほう……。してその客人の名は?」


「……エリュゴール王国騎士団団長、ロギンス・ベル・アクトリア様にございます」









 ◇











「急な訪問で申し訳ありません」


「本当よ。貴方っていつもそうよね」


「まあまあメリア、彼も遥々来てくれたんだ。そう邪険にするでない」



 豪奢な客間に通されたロギンスは革張りのソファに浅く腰掛け、紅茶のカップを傾けていた。

 いつもの漆黒の聖鎧は無く、清潔感のある軽装は私用で来たことが一目で伺える。


 四つ脚のエレガントな長テーブルを挟んで向かい側に、メリアとバルゲッドが隣り合って座している。


 傭兵として、或いは騎士として戦場で肩を並べることの多かったメリアとロギンスは気心の知れた雰囲気を展開している。



「……随分快復したようだな」



 カップを置き、嫌悪感を抱かせない程度にメリアの様子を確かめると、ロギンスは固く笑みを浮かべた。



「お陰様で。相変わらず剣は持てないのだけれど」


「リハビリも良いが、あまりお転婆過ぎるなよ。適度な休憩が修練には不可欠だ。バルゲッド様も御心を痛められていると聞いたぞ」


「……誰から聞いたのかしら」


「この部屋に来る道中お喋りな侍女が良く話してくれたよ」



 ジロリと睨むメリアの眼差しから逃れる様に、扉の前に控えている侍女が顔を逸らした。


 ロギンスという男は器量が良い。

 その上紳士で国中の民から慕われる英雄だ。

 女性であればひと言、とは言わず少しでも距離を近くしたいと思うのは当然であり、顔を覚えてもらえればという下心から多少お喋りになるのも止む無しだ。



 メリアはむすりと不満を顔に浮かべると、ロギンスに次を促した。




「で、国の大英雄様が遥々何の用かしら? まさか人の家の侍女達にちょっかい掛けに来たわけじゃないでしょうね」


「こらメリア」


「……少し人払いをしてくれ」



 ロギンスの雰囲気が、僅かに固く研ぎ澄まされる。

 砕けた挑発をくれてやったメリアだったが、彼の雰囲気が変わった事に眉を顰めると周りに目を配った。


 そうすると侍女達は背すじを伸ばして腰を折ると、静々と物音も立てずに部屋から去っていくのだ。



「……助かる」



 一口、カップに口を付けていたロギンスは静かにソーサーにそれを置いた。


 チン……と清らかな音が静寂を刺し、バルゲッドは尻の座りを直した。



「ロギンス、君は何か重大な報告をしにここへ来た。そうだね?」


「……ええ」


「教えてくれ」



 真っ直ぐ、ロギンスを見つめる二人に彼は咳払いを一つして、



「セレティナ嬢の事です」



 そう切り出した。



「セレティナに何かあったの!?」


「……メリア、彼の言葉を待て」



 思わず顔が青ざめたメリアを諌めるバルゲッドは、しかし汗ばんでいた。

 娘のセレティナは今、ギルダム帝国へと使者の一人として行っている。


 娘に何か起こっている。

 それだけで彼等の動揺を買うには容易い。


 ロギンスは暫し待って彼等が落ち着くのを見計らうと、続ける。



「帝都を目指していた使節団とセレティナ嬢ですが、その中継地である交易都市レヴァレンスの門前で魔物が大量に発生していたそうです。その数は増え続け、未知数。使節団は安全の為に引き返したのですが……」


「……セレティナは……」


「馬車を飛び降り、魔物の群れの中に躍り出たそうです」



 ……ふらり、とメリアの体が傾いだ。



「メリア! だ、大丈夫か!」



 唇まで青褪めた妻の体を、バルゲッドの腕が抱き留める。彼もまた、動揺の色は隠せてはいない。


 彼女の代わりにバルゲッドが次を促した。



「そ、それで……む、むむむ娘はどうなったのだ……?」


「分かりません。そのまま帝都に向かったとも、まだレヴァレンスにいるとも、もしくは……いえ、今新たに情報を探している状況です」


「ま、まさか……し……死ん……」


「……その可能性も、否定はできません」



 今度こそ、メリアは泡を吹いて倒れてしまった。

 こてん、と抜け殻の様にバルゲッドの硬い膝に伏してしまったのだ。


 対するバルゲッドも動けない。

 日に焼けた浅黒い肌は嘘のように蒼白していた。



「そ、そんな……」


「とにかく情報が足りていません。宜しければアルデライト家の帝国に関する情報網をお借りしたくこちらへ伺った次第です。お力を貸して頂けますね?」


「も、勿論だ! 勿論だとも!」




 バルゲッドは何度も四角い顔を縦に振った。


 父は愛する娘の安否を確かめる為に。

 そしてロギンスは警戒対象であるセレティナの所在をいち早く確かめる為に、それぞれ動き出す。




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