リキテル1/4
「お前ら! 何やってやがる!」
リキテル少年は、棒を振り回しながら怒鳴り散らした。
「うわ! リキテルだ!」
「お前ら、ずらかるぞ!」
そうすると、村の子供達は蜘蛛の子を散らす様に四散する。それはこの小さな寒村では日常茶飯事に行われている光景だった。
「全く……おい、ティーク大丈夫か?」
「へへ……ありがとう兄ちゃん」
村の子らが散った後には、いつもボロボロの少年がそこの中心に蹲っている。
リキテルより二つ歳下の弟……今年八歳になるティークは、すきっ歯を見せながら兄に笑んだ。
「見てこれ、お芋。なんとか守りきったよ。へへ……三個くらい取られちゃったけど」
「芋……。そんな事より怪我は大丈夫なのか? あちこち擦りむいちゃってるぞ」
「あ、うん。平気だよ」
「いいから兄ちゃんに見せてみろ」
「あっ」
リキテルはぐい、と強引にティークの衣服を捲ってみせた。
すると体の至る所に目新しい青あざができており、それが余りに生々しいものだったので、リキテルは思わず生唾を飲み込んだ。
「こりゃまたこっ酷くやられたな……痛むか?」
「ううん。いつもの事だから、いいんだ」
「……いや、許せねぇ。今度本格的に俺があいつらを取っちめてやっからな」
「大丈夫だよ」
「あん?」
「僕なら、大丈夫だから。兄ちゃんは心配しないで」
そう言って、ティークは笑った。
それは先程まで寄ってたかって殴打されていた、八歳になったばかりの子のものとは思えない、気高い微笑みだった。
「……でもよ。お前の身が持たねえよ」
「ううん、全然。僕は弱いけど、打たれ強さだけはあるから。兄ちゃん傭兵さんのお仕事大変でしょ? 僕に構ってる暇なんかないよ」
「……お前は、悔しくないのか?」
「ぜーんぜん。だって、僕が弱いからいけないんだもん。僕が兄ちゃんみたいに強かったらきっとこうはならなかったろうからさあ痛っ!」
リキテルはティークの頭をぽこんと殴った。
「馬鹿野郎! 弱いからって人を殴ったり蹴ったりしていいわけあるかい! 悪いのはあいつらであってお前は何も悪かねんだよ!」
「痛ーい! そんなこといいながら殴らないで!」
「……ん? それよりティーク! 急ぐぞ! もう日没だ!」
「あっ……うん!」
日は既に暮れ始めている。
二人は慌てて身なりを整えると、頷き合って駆け出した。
こうしている場合ではない。
間に合わなければ、彼らは『親』に何をされるか分からないのだから。
◇
異臭のするボロ屋。
そこが、リキテルとティークの家だった。
とはいえ、この家に兄弟がいることなど夕餉の時と寝る時ぐらいなもので、一日の殆どを外での生活に費やしているのだが。
彼らの『親』は、今日とて酒に入り浸っていた。
どこで買ってきたのか、決して身なりの良くない女を側に抱き、兄弟がありついた事など一度もない豪勢な肉料理を突いている。
リキテルとティークはくうくうと腹の虫を泣かせながら、今日のアガリをその男に手渡すところだった。
リキテルは傭兵の真似事で得た銅貨二枚。
しかしティークはこの日何も手渡すものが無かった。
……しかし当たり前だ。
家の裏にある痩せた畑で採れた芋など、買い手があるはずもない。
そんなティークを、男は容赦なく怒鳴り散らした。
この家では子が親に銅貨二枚を収めなければその日の夕餉はない上に外で寝なければならない。
十にも満たぬ子供が置かれているとは思えぬ苛烈な環境だった。
「おいやめろ! ティークは体が弱いんだ! 無茶をさせるな!」
「あァ!? 体が弱いなんざこの世界じゃ稼げなかった理由になりゃしねぇんだよ! それなら明日から男にでも体売らせてこいや!」
「てめぇ……!」
「お前らがこうして生きているのは誰のおかげだと思っていやがる! 全部身寄りの無いお前らを引き取ってやった俺のおかげだろうが!」
「誰がそうしろと言った!」
「口答えたァ偉くなったもんだなァ!」
「うっ……!」
噛み付くリキテルを、容赦なく男は酒瓶で殴りつけた。
頭の肉が切れ、幼いリキテルは思わずその場にへたれ込む。
男は蹲るリキテルの頭に容赦なく革靴の底を見舞った。
「やめて! 兄ちゃんが死んじゃう! やめて! ねぇ!」
「このッ! くのッ! お前ら今日は飯抜きだ! 今日は外で寝てろ! いいな!」
最後の一撃が、リキテルの鳩尾に入る。
蛙が潰れた様な声を上げながら、リキテルは襤褸屋の外まで吹き飛ばされた。
「兄ちゃん!」
ティークは涙を零しながらリキテルの後を追って襤褸屋を出た。
「ちょいとアンタ。あたしの前で変なものを見せないで頂戴。気分が悪いわ」
「はは、すまねぇ。それより、よ。ガキもいなくなった事だし……」
「……チップは弾みなさいよ」
体を丸めながら嘔吐する兄の余りに痛々しい姿に、ティークはサッと青褪めた。
吐瀉物には血も混じり、兄の仕置が相当な打撃だったことを嫌でも証明している。
「……へっへっへっ」
しかしリキテルは、痛みに呻きながら笑みを零していた。少年らしい生意気な笑みだ。
「兄ちゃん!?」
「へへ……見ろ、ティーク」
リキテルは言いながら、懐から二つの丸パンを取り出して見せた。
カビも生えていない、そのまま口にできる真っ新な丸パンだ。
木の根を煮詰めた塩スープか、痩せた芋ぐらいしか献立がない彼らにとっては余りにもな馳走だ。
ティークにはその丸パンが如何な宝石よりも尊く輝いて見えた。
「え、兄ちゃん……! それは……!?」
「吹っ飛ばされる時に隙を見てくすねてやったぜ。へへ、見たか。気づかれる前に早くずらかろうぜ」
生意気に笑みを浮かべるリキテルに、ティークは思わず涙ぐんだ。
ティークにとって兄とは、絶望の中での唯一の光であり英雄だった。
弱い自身とは違って、心優しく力強い、なんでもやってのける本当の英雄。
ティークは、辛い日々の中にあっても兄の存在があるだけでへっちゃらだった。
そして、それはリキテルにとっても同じこと。
ティークは守るべき存在でありながら、彼の唯一血の繋がった家族。
本当の親の顔など知るべくも無いが、彼はティークがいるからこそ、泥濘の様な日々にも耐えられた。
リキテルはパンを弟に与えながら、柔らかく笑んだ。
「美味いか、ティーク」
「うん、美味い! パンってこんなに美味しかったんだね……!」
「そうだな……。よしティーク、こっちのもう一個も食え」
「え!? いや、でもそんなの悪いよ……兄ちゃんも食べよ?」
「……実は兄ちゃんな、今日外で他の傭兵に結構食べ物食わしてもらってたんだ。だから腹減ってないんだよな」
鼻水を啜るリキテルに、ティークは思わずぷりぷりと頬を膨らませた。
「えー! 兄ちゃんずるい! いいなぁ、外だとそんなこともあるんだ……」
「悪い悪い。だからこいつはお前が食え。お詫びの印だ」
「うん。でもまた今度外で食べる事があったら僕にも分けてね」
「……おう。約束する」
リキテルはそう言ってティークの頭を撫でた。
……自らの涎を飲み干して、空腹を紛らわせる為に腹の肉を思い切り抓りながら。
(……ティーク。お前は強くなんかなくったっていい。俺がいずれもっともっと強くなって、お前に腹いっぱい飯くわせてやるからな)
小さな戦士の願いは、誰にとも届く事はない。