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ティーク

 


 リキテルの視界は、決して明るくない。


 血はどろどろと流れ続け、十分に酸素の巡らない頭は朦朧としている。


 チカチカと瞳の奥で閃光が弾け、立っているだけでも大したものだ。


 ……しかし、その沸き立つ様な怒りはどうだ。


 マグマ溜まりにぐらぐらと煮え立っていたものが、火口のすぐ側までせり上がった様なその熱量はどうだ。



「フーーッ……! フーーッ……!」



 ともすれば、噛み締める奥歯は砕けそうだった。



 相対する二人。


死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』は彼の激情の意味が分からないのか、こてんと首を傾げていた。


 しかし、魔物に理性や矜持など無い。

 黒山羊は、リキテルの顔面目掛けて一切の予備動作無くその口腔から火炎を吐き出した。


 扇状に、鋭く放射された火炎は怖気が走る威力だ。

 炙られた空気が、蜃気楼の様に揺らぎを覚えてーー



 ーーだが、そこにリキテルは居ない。



 低く姿勢を落としたリキテルは、獣の様に四つ足を焦げ据えた石畳に突いている。


 反射で躱した訳ではない。

 それは、予知だ。


 リキテルの野生の勘は、死の淵にて限界まで生存本能を引き絞られた末のひとつの極致に至っていた。

 それは彼の意図するところでも、体得した極意という訳でもない。


 有り体に言うのならば、火事場の馬鹿力、ということだろう。



「ッハア!!!」



 無軌道に振るわれたククリナイフを、黒山羊は半歩下がる事でその射程から逃れる。くるりと振るわれた手には、漆黒の三又槍が握られて、



「ああああああッ!!!!」



 殺し合いが、始まった。


 リキテルの荒々しい斬撃を、『死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』はその長い槍を巧みに操って往なしていく。


 今のリキテルの技は聊か冷静さが欠けており、御し易い。

 セレティナ程の達人で無くとも、『上級』の魔物の筋力と眼があれば十分にそれが可能だ。


 確かに、リキテルの剣速は未だかつてない程に昂りを見せ、その一撃一撃の威力たるや目を見張るものがある。

 凡そ死に体の戦士の振るえる技ではない。


 だが朦朧とする頭に、本能で操られた剣……意思無き剣筋など、愚鈍な魔物に見切られても当然だ。

 もう一体の『死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』を狩れたのは、体を犠牲に勝ち取った勝利だからだ。

 捨て身の一撃の結果は、彼の胸元の大きく捲れた傷跡が如実に証明している。


 リキテルは、思いがけず舌を打った。


 良い様に自身の剣があしらわれ、怒りの次はフラストレーションが溜まっていく。


 黒山羊は、人間との児戯を愉しんでいるのだ。一見派手に見える交戦とは言え、これはもはや勝負の程を成してはいない。


 猛る牛をひらりひらりと躱す闘牛士のそれだ。





(弱きハ、悪だ)





 リキテルの左のククリナイフが嘶いた。

 愚直に黒山羊の喉元を狙い澄ました一撃は、白い火花を散らしながら漆黒の三又槍に妨げられる。





(強くナけレバ、奪われルだけだ)





 次は右だ。

 間髪入れずに右のククリナイフが空を滑り、やはり黒山羊の喉元に追い縋る。


死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』はぐるりと三又槍で円を描くと、槍の石突きをもってリキテルの一撃を弾き飛ばした。



「あァ……?」



 手の中から力がすっぽりと抜けた感覚。


 弾かれたナイフは、あっさりと手元を離れて宙を飛んでいる。





(だかラ、俺が強クならなイト)






 次の瞬間、頭蓋の奥で、雷が弾けた。


 視界は回って回って、転がり回る。



「う……ぐぉっ……!」



 雷が頭に落ちた訳ではない。

 どろりと滴る熱湯の様な血液が、ぱっくりと割れた頭の傷から溢れ落ちている。


 リキテルは石畳の上を何メートルと転げ回りながらその傷を抑え、自分が槍で殴られたのだと何とか理解できた。


 砂利と鉄の味がリキテルの口内を侵す。


 リキテルはそれを弱々しく吐きながら、よろよろと立ち上がる。





(俺が、奪ウ側なンだ……俺が……)





 死んでもおかしくない彼の体を支え起こすのは、果てのない憎しみと怒り……それから力への渇望。


 ばちばちと白く弾け始めた視界の中で、リキテルは返って冷静を取り戻し始めた。


 ……表現が少し違う。


 荒れ狂う自分を俯瞰の視点で見つめるもう一人の冷静な自我が芽生えた、という方が正しいだろうか。


 冷静なリキテルは、混濁した記憶の中でこう思う。




 何が自分をこうも猛らせているのか、と。




 何故ここまでの怒りを抱え、憎悪を魔物にぶつけているのか、と。


 セレティナと別行動をするまではいつもの冷静なリキテルだった筈だ。




(何だっけな……何で俺、こんなに……)




 ……ああ。


 リキテルは理性が弾け飛ぶ最後の瞬間を思い出して、合点がいった。


 その瞬間とは、もう一体の『死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』がウルブドールに住まう幼い兄弟を、地獄の焔で焼き焦がした瞬間だ。


 彼らは逃げ遅れ、散々黒山羊にいたぶられた挙句に殺された様だった。


 それはリキテルが幼かった頃に体験した悪夢の光景を呼び起こすのには余りにも容易く、理性は簡単に消え去った。





「……ティーク」





 血濡れのリキテルは、震える唇でその名を呟く。


 その名は、彼の唯一の肉親である実弟の名だった。





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