表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
135/206

先手

 

星々を跨ぐ光輪(エキド・エイルセウス)



 ウルブドールの大門を超えてきた飛翔魔法の効果は、まだ持続している。


 使用時間は半刻程度。それさえ経過しなければ、セレティナの思うままに、思うときに光の翼を操ることができる。


 セレティナの背に彫り込まれたような魔法陣は淡く明滅し、彼女に飛翔の奇跡を授けた。

 天使となった彼女は、光の尾を残しながら徐々に茜色の空へと浮上していく。




「ほおう。飛翔魔法か……それもあれほどに見事な……」




 窓の外を眺めながら、零す様に台詞を吐いたのはオーバンス将軍だ。

 顎に蓄えた髭を撫でながらセレティナの背を追う彼の視線は、やはり吟味めいた色が強い。




「なるほど、光の翼の『天使』か。少しお手並みを拝見しようじゃないか」


「将軍。貴方はいかないのですか」



 冒険者組合長エティックは、ひどく青褪めていた。



「あれは『上級』に登録されている魔物……名を『死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』。あの流浪の冒険者がいくら強いとて奴に敵うはずもありません。将軍、貴方が出なければこの街はもう……」


「まあ待て待てエティック、そう急ぐこともあるまい。今面白いところなんだ」


「は? 面白い……?」


「私はあのティークという少年の力を見計らったつもりだったが、しかし彼の底までは見る事は叶わなかった。いい機会じゃないか、ゆっくりと見させてもらおう。『天使』の実力とやらを、な」


「貴方は何を言っているのか分かっているのですか! 彼だけじゃない……奴が暴れ出したらこの街そのものが危ういのですよ! 何を悠長なことを言っているのですか! 早くティーク君に助力を……!」


「少し黙ってくれないか」


「な……」


「……言わなかったか? 今、面白いところなんだ」



 肌を刺す様な剣気は、直ぐに訪れた。

 オーバンス将軍は、微量の怒気を言葉の端に含ませただけだ。


 だが、その威圧感。

 その男の物言わぬ怒りに触れ、エティックは唾を飲み下した。


 エティックは彼の事を野性味はあるが温厚で、物分かりの良い人間だと評価していた。

 しかし、それは違う。


 人の生き死には、彼にとっては些末な事だ。

 何が利か、何が楽か、何が彼の興味をそそるか……皇帝の側に侍る事ができる三大将軍は、やはり一筋縄ではいかない。


 空を楽しげに見上げるオーバンス将軍の横顔を、エティックは戦慄を覚えながらただ見ている他なかった。






 ◇







死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』と『天使』が、対峙する。



 漆黒の焔を従える悪魔は、宝剣を握る天使をさぞ興味深げに覗き込んでいる。

 山羊の頭に収まった四つの眼は、ぎょろぎょろと蠢いてセレティナを注視した。



 セレティナは、ここにきて僅かに心が恐怖に蝕まれている感覚を得る。

 じっとりとした汗が背に張り付き、唇を舐めると嫌に乾燥していた。


『エリュティニアス』の柄の感触はいつもと変わらないというのに、切っ先を揺らすと重みが増したようにさえ感じてしまう。



 夕焼けに染まる春先の冷気は、目の前に浮遊する悪魔の焔で焦げ付いていた。



『上級』の魔物と対峙するのは、これで二度目。



(大丈夫だ。私は、前よりもきっと成長している。だから――)



 大丈夫、大丈夫、大丈夫。

 心の中で、三回唱える。



 これは、王城にいた時にエリアノール姫から教わったおまじないだ。


 心の中で三回大丈夫と唱える……そうすれば不思議と心が楽になるんですのよ、と。


 エリアノールの微笑みを思い浮かべ、セレティナには確かに勇気が漲った。



 そして――。





「いくぞ」





 凡そ囁く程度の宣言。



 セレティナは光の翼を操ると、疾風を纏った。


 視界は後方に吹っ飛び、驚異的な速度で『死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』の目前へと迫る。その速度は、セレティナ自身でさえ内心驚く程だ。



 セレティナは、『エリュティニアス』を横に薙いだ。

 硬質で、甲高い音が遅れてやってくる。


 悲鳴の様な剣鳴を従えながら『死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』の首を狙い撃った一撃は、しかし阻まれた。


死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』の手には、いつの間にか漆黒の三又槍が握られている。黒山羊は鼻歌を歌いながら『エリュティニアス』の行く手を往なすと、けたけたと童の様な嗤い声を上げた。


 しかし、その一撃が通らないことなどセレティナは百も万も承知の上だ。

 彼女に握られた『エリュティニアス』は、いなされた力に逆らわない。



「……ッシッ!!!」



 力で敵わぬなら、逆に利用するまで。


 セレティナはつんのめった力を逃がさず、驚異的な空中制御で丸鋸の様に縦に回転した。

 三又槍に絡まり、纏わりつくような彼女の挙動は黒山羊の理外だ。



 宝剣の流れる様な円軌道は、銀色の残光を従えながら確かに『死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』の肩口を捉えた。


 シュパァッ……ッ!!!


 歯切れの良い、肉を裂いた剣鳴が夕焼けの空に奏でられ、茜色のキャンバスにどす黒い赤が飛散する。



(手応えあった……!)



 セレティナは光の翼を巧みに操って空を転がると、弾かれるように距離を取った。



死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』は、静止している。

 肩口を叩いたり、摘まんだり、どうやら自分の身に何が起きているのか理解できていないようだ。


 小首を傾げ、己の手にべったりと付着した血を眺めると、またも無邪気に嗤い声を上げた。



「……よく笑う山羊だ……」



 心臓は彼女の心に反して無様に、不規則に乱れていた。


『上級』の魔物に、完全な先手を打つことはできた。

 だが……。




「勝負は、ここから……か」




 振り返った『死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』に笑みはもうない。


 憤怒に表情をガラリと変えた山羊の殺気を示す様に、紅蓮の焔が仄立っている。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ