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対峙

 


 セレティナに止まるという選択肢は無い。

 息を浅く吐き、リキテルの行方を暫し見送ると、彼女は再び屋根を伝って走り出した。



 リキテルの思想は分からない。

 何を核に動いているのか、そも、彼の中での価値観というものが壊れているのかもしれない。

 だが、そんな事はこの血煙の絶えない戦場に於いては些細な事でしかなかった。


 リキテルが降り立ったのなら、そこはきっと任せられる。



 セレティナは、この期間で、彼の腕に関しては決して少なくない信頼を築いていた。

 だからこそ、そこのエリアは任せてセレティナは駆けるのだ。



 駆けながら眼下を見下ろすと、無数の狼がやはり往来を蹂躙していた。

 屠り食らった血肉を口の端から垂らし、それでも尚飢餓の衝動を抑えられないのか、次々と人間に襲いかかっている。


 街の衛兵達は、拙い槍捌きで狼共を牽制しようとするも、暖簾に腕押しだ。

 にわか仕込みの槍は狼の肉に命中しても、ごわごわとした硬い体毛にいなされて軌道を逸らされた。


 一人が倒れたらあとは崩壊が待っている。


 小さな穴を吹き抜ける風の様に、狼はそこに雪崩れこんだ。強靭な顎は骨ごと衛兵の肉を食い千切る。


 臓物の臭いが蔓延る時には既に先程まで生きていた衛兵もバラバラの肉ブロックだ。

 隣人が見るも無残な死を晒せば、常人ならば錯乱状態になるのは必至。


 恐怖に呑まれた衛兵達から戦うという選択肢は既に投げ出された。



「怯むな! 背を見せれば却って死ぬぞ!」




 だからこそ、セレティナのその声はよく聞こえた。


 恐怖に冒された衛兵達は、空を見る。


 そこには、黄金の中性的な少年が舞っていた。

 端整な顔は決意に満ちみちて、左手には見事な意匠が凝らされた宝剣が握られている。


 セレティナは肺の底から息を吐き出して、高らかに吠えた。

 落ちながら、まるで曲芸の様な軌道を描いた宝剣の切っ先はいとも容易く狼の頭を二つも刎ねた。


 宙でくるりと身を翻し、セレティナは綿毛の様にそこに舞い降りる。

 元凶……狼どもの母体を叩きたいところではあるが、これ以上の蹂躙を看過することは彼女にとって耐え難い光景だった。


 セレティナは着地の暇もなく、滑る様にそこを動くと左右の狼の首をまたも刎ねた。電光石火の閃きだ。


 息を鋭く吐き、『エリュティニアス』を中段に構える。

 その隙に彼女に殺到した狼の数は、八つ。


 群青色の瞳が一つの瞬きの内に正確に全てを見定める。そうすると彼女は、自身の体を敢えてその中へと滑り込ませた。


『エリュティニアス』を振るわせ、その剣身に付着した血を弾く様に飛ばすと、これは彼女に最も近く迫っていた三頭の狼の六つ目に命中した。


 少し怯んだ狼の頭を踏みつけて宙へと舞えば、視界を失った狼の頭を三つ落とすことなど彼女にとっては造作もないことだ。


 三つ、狼の首が飛ぶ。



(残り、五つ)



 空に飛びあがったままのセレティナに、狼共は縋る餓鬼の様にその前脚を伸ばした。


 鋭利な爪が、セレティナのハラワタを引きずり出そうと迫るが、彼女に操られる宝剣はそれを許さない。伸びた脚は、もれなく剣技の贄となった。


 犬らしい甲高い絶叫が飛ぶ中、セレティナは一頭の狼の上に跨ると懐から一本のナイフを取り出してそいつを跨る狼の尻に捻じ込んだ。


 堪らず絶叫した狼は、きゃいんきゃいんと呻きながら他の狼共を巻き込んで走り回る。

 そうしてドミノ倒しの様に倒れていく奴らの首を、セレティナは瞬きの間に全て刈り取った。


 その宝剣の行方には慈悲も、油断も無かった。



 ……目下、魔物の姿は見受けられない。



「……」



 セレティナは、漸く深く息を深く吐き出した。

『エリュティニアス』を収め、辺りの警戒を緩めずに振り返る。


 逃げ遅れた市民達と、先程の衛兵達が呆気にとられた様に彼女の事を見ていた。



「あ、あんたは……」


「私はティーク。流浪の冒険者です。聞きたいことがあります。この狼達の母体か、運び屋がいるはずです。……どこかで見かけませんでしたか」


「ぼ、冒険者か、有り難い……。それなら、た、多分あいつだ。あいつが来てからこうなった。あいつが何か種の様なものを街に落としてから……」


「あいつ?」



 衛兵は、空を指している。

 夕焼けに染まる遥か上空……、確かにそれは、そこにいた。



 蝙蝠の翼に、山羊の頭。

 ひょろりと伸びる手足。

 漆黒よりも更に黒い燕尾服を着こんだその悪魔を、セレティナは知っていた。




死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』。




『上級』の存在感は、視認することでセレティナの五感を僅かに鈍らせた。奴の強さは、彼女がオルトゥスとして生きていた時代に嫌ほど思い知らされた。

 粘質な唾液を彼女は飲み下すと、衛兵達に居直った。



「直ぐに避難を始めてください」


「あ、あんた、どうするつもりだ」


「奴を討伐します」


「討伐ったってあんた、あいつはあんなに上空に――」





 瞬間。

 セレティナの背から、光の翼が咲き誇る。




「て……天使……!?」


「早く、避難を」


 固く告げるセレティナの台詞の端々には、緊張が滲み出ていた。


 疲労は無い。

 体は軽い。

 ここにきて、セレティナの体は更に快調だった。

 今の、今のセレティナであれば――。




(大丈夫。今の私なら、『上級』だってきっと……)




 セレティナは首筋の『薔薇に絡みつく蛇』をまじないの様に指でなぞると、ゆっくりと浮上を始めた。


死を纏いて黒(リヴェ・ゼディア)より出づる者(・イギーベディー)』に、僅かでも目を逸らすことなく。




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― 新着の感想 ―
[一言] 魔物を倒す度に強くなるのか?あの呪いみたいなの
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