英雄の心
「まず現在の状況を一旦整理しよう」
冒険者組合長エティックは疲弊を隠しきれぬ様子だったが、そう切り出した。
集った者はそれに賛同するように首肯する。
セレティナとてウルブドールの現状は喉から手が出る程に欲しい情報だ。
歳は四十後半になるか、地図を指すエティックの手の甲には盛りを過ぎた相応の老いが差している。
「ウルブドールには貴族平民……流浪の冒険者や亜人を含めて脱出を逃した延べ一万弱の人間が閉じ込められている」
「一万も?」
セレティナの声に、エティックは頷いた。
「この都市を取り囲む魔物を数えるべくもない。その殆どが未だ孵っていない卵か幼体だから、単純な戦力は計れないが奴らが増える事はあっても減る事はないだろう」
「私達は南門の防衛戦で中級位と交戦しました。中級以上もかなりの数いるのでしょうか」
「いや、中級以上はそれほど見受けられない。が、この数だ。放っておけば上級の出現は避けられないだろうな」
「上級……」
セレティナの脳裏に過ったのは『誇りと英知を汚す者』だ。
奴は大量の魔物を糧にして進化を遂げた。
あれと同じトリガーで進化を遂げる魔物であれば、確かに上級……いや、更にその上の階級の出現も有り得るかもしれない。
「今は硬く閉ざされている門も、君たちが目撃したように突破される危険を常に孕んでいる。事態は急を要していることは分かるね?」
セレティナは素直に頷いた。
リキテルは殴られたところが未だに痛いのか、しきりに後頭部を撫でている。
「では僭越ながらお聞きしますが、お三方はどのようなお考えをお持ちだったのでしょうか」
セレティナの問いに答えたのは、オーバンス将軍だった。
「全てを救うのは土台無理だ。市民に犠牲になってもらい、その隙に最高戦力で固めた要人達と脱出するのが最善だろう」
「一万の市民を、囮にすると?」
「つまりは、そういうことだな」
セレティナの冷ややかな視線を、オーバンス将軍は真に受けない。
「増援はこないのですか?」
「来ない。私は陛下から『必要な物だけ回収して脱出せよ』と仰せつかっている。私がここに来た時点で、増援の選択肢は潰れているのさ」
「なんだと。それは初耳だぞ、オーバンス将軍!」
エルバロは、蒼白しながら噛みついた。
「おっと、言ってなかったかね? これは失礼した」
「陛下は、ヴァディン陛下は僕を……僕を見捨てたのか!?」
「見捨てるとは言い草だな、エルバロ。これは皇帝として正しい判断だ。寧ろ君も護衛の対象に入っているのだから陛下に感謝のひとつでもしたらどうなんだ」
「……くっ! 何が感謝だ、白々しい。生かした上でウルブドールを落とした責任を僕一人に擦り付け、断罪するつもりだろうに……!」
「そこは私からは肯定も否定もせんよ。……運の無さを呪うんだな」
がっくりと肩を落とすエルバロと対照的に、将軍はどこか楽観的だ。
彼は一口だけ紅茶に口をつけると、再びセレティナとリキテルに居直った。
「と、いうわけで現状こんなところだ。君達は冒険者……凡そ纏まった金銭や武勲が欲しくてここに飛び込んできたのだろう? このギルダム帝国三大将軍が一人、オーバンス・ギガ・バディニルスがその保障はしようじゃないか。君らが望むのであればそれなりの地位も与えよう。だから、君達には是非とも要人達の警護任務にあたってもらいたい。その為に私は君達をここへ呼んだ」
決して悪くない話だろう。
そう付け加えたオーバンスは、二人を促す様に笑んだ。
冒険者とは、結局は彼にとっては日銭でその日を食いつなぐ卑しい人種に過ぎない。
だから御しやすい、とも。
それ故に――
「――その話、お断りさせていただきます」
セレティナの返答には、オーバンス将軍は少なくない動揺を得た。
ティーカップを置き、真っ直ぐに彼女の群青色の瞳を捉える。
セレティナの瞳も、真っ直ぐにそれに応え、揺れることはない。
「……何故だ」
単純な疑問。
金も武勲も用意すると言った。
そして彼らにとっては最も楽だろう任務を与えようとした。
別に徹底抗戦しろと言ったわけではない。
囮を使ってるうちに、要人を連れて適当に逃げろと言ったのだ。
それが出来るだけの実力がある事は、先程確認できている。
これがそういった目的の冒険者ならば鼻を鳴らして喜ぶことだろう。
しかし、セレティナは首を横に振った。
「私達は……いえ、私には一万人の無辜の民を犠牲に逃げる事など出来ません。甘ったれた戯言だと思ってはおります。ですが、私は少しでも多くの人々の命を救いたい……その為にここへ来ましたし、そのお手伝いをする為にここへ来たつもりです」
「……甘いな。君の様な綺麗ごとを並べる冒険者を見たのは初めてだよ」
「……心得ております」
「英雄にでもなるつもりか? 現実を見たまえ。死に場所を考えろ。君はどうやらウルブドールは初めての様だが、こんな見ず知らずの土地でそんなに頑張ってどうする」
「……」
「……まさか、死んでもよいと?」
「人々を救えたその先に死が待っているのであれば、私は甘んじてそれを受け入れましょう」
「……馬鹿な」
セレティナの瞳に宿るそれは、真実を語っているものの瞳の光だ。
彼女の端整な顔立ちは真剣そのものであり、オーバンス将軍を驕ろうとする意志はまるで感じられない。
オーバンス将軍はなんとも馬鹿らしくなり、ぐったりと椅子に背を預けてしまった。
(……何を考えている? この様なうつけに市民を囮に使うと公言したのは些か不味かったか? いや、しかし……)
彼にはセレティナの底が計れなかった。
ただの大馬鹿者か、それともまだ何か裏に狙いがあるのか、それとも……。
……僅かな静寂。
それは、たったの三秒程度で終わりを告げた。
「報告があります!」
部屋に雪崩れこむようにして、兵士がその扉を開け放ったからだ。
彼はやはり息を切らし、大量の汗を流している。
オーバンス将軍は、やはり呆れたように嘆息を漏らした。
「また君かね。入室の際はノックくらいしろと――」
「北門の付近より有翼種の魔物が空を飛んで侵入! 現在、都市内で魔物が暴れ回っています! その被害は、甚大極まり……!」
「リキテル!」
先に、体が動いた。
セレティナは立てかけていた『エリュティニアス』を引っ掴むと、腰のベルトに差し込んだ。
リキテルは漸く退屈を晴らせそうだと、舌なめずりを始めている。
「私達は行きます! 将軍、また後でお話お聞かせ願えましたら光栄です! 行くぞ、リキテル!」
そう言って、セレティナは部屋を飛び出した。
リキテルも後に続こうとして――
「おっさん、あいつはいつもあんな感じ……らしいぞ」
それだけ告げて、彼女の後を追って部屋を飛び出していく。
「……全く、奴ら何が目的なんだ」
後に残ったのは、オーバンス将軍の苦味のある独り言だけだった。