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イミティアの災禍4/4

 



 ベルベット旅商団の『船』は、陸を泳ぐ。

 

 二頭の竜――ソームとゴダラに引っ張られ、帆の無い巨大な『船』は、広大な草原の只中を泳いでいく。船底が接触することなく滑る様に地を這うことが出来るのは、船の至る所に埋め込まれた飛行術式が彫り込まれた魔鉱石のお蔭だ。

 

 

 艦首のすぐ傍……全てを見渡せるその場所で、イミティアは期待に胸を膨らませていた。

 視界には、地平線の丸みが分かる程に草原が広がっている。

 

 ただ、彼女の瞳に映っているのは想い人のオルトゥスだ。

 胸元に下げたロケットを握りしめると、彼女の鼓動は微かに早波を打った。

 

 地位も、名誉も手に入れた。

 自由も、どこへでも飛べる翼も手に入れた。

 

 後は、愛しい男を迎えにいくだけだ。

 

 

「行こう。エリュゴールへ」

 

 

 少女は思いと決心を胸に秘め、目に映る草原の遥か先を見据えて目を細めた。

 

 航路は、エリュゴール王国へと続く。

 何度も吸ったはずの空気は、僅かに硬さを帯びていた。

 

 

 そして、もう一度ロケットを握るのだ。

『想い人と必ず結ばれる』と言われる、イールエスタで拵えたロケットを。

 

 

 しかし、その時だった。

 今でも忘れもしない……顔面を蒼白に染めたガガダンが、縋る様に彼女の元へやってきたあの光景を。

 

 何か悪い知らせを持ってやってきた。

 それだけは分かる、が、長旅にあってそのような事態は何度も巡ってきた。

 

 ただ、何故だかその時イミティアの胸の内には言い様のないざわめきが渦を巻いた。

 

 

「イミティア!」

 

 

 しゃがれた声は、裏返り、ガガダンは息を切らしてイミティアの元までやってきた。

 

 

「どうした、ガガダン。そんなに慌てて」

 

 

 心臓が、不規則に鼓動する。

 口内は渇き、背筋は焼かれる様に熱いのに、イミティアはどこか冷静に次の言葉を待つ事ができた。

 

 ガガダンは口元を拭うと、ひとつ呼吸を起き、ゆっくりとイミティアに居直った。

 

 

「いいか、落ち着いて聞け」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

「……悪い知らせじゃ。今、エリュゴール王国に魔物の大群が押し寄せてきているらしい」

 

「……数は」

 

「目測で凡そ百万は下らないと聞いておる。『上級』……名付きの魔物がゴロゴロいるとさ。情報が真実ならエリュゴールは……オルトゥスはもう……」

 

「…………全速だ」

 

「……うん?」

 

 

 イミティアは船首にひらりと乗ると、全ての団員を見渡した。

 会話を聞いていたのか、団員達は皆イミティアを注視している。

 

 

「全速前進だ! この船は今より到着まで最高速度をもってエリュゴール王国へ行く! ソームとゴダラに龍王石を食わせろ! 皆、それでいいな!」

 

 

 鬼気迫る、イミティアの号令。

 彼女の号令に、団員達は皆誰もが硬く頷いた。

 それは、イミティアの為だけではない。

 

 彼ら団員は皆オルトゥスの事を知っているし、彼に対する恩義がある。

 

 今、それを返す時が来た。

 

 

 

 

 

 

 船は、草原を割る様に進む。

 

 草原の先を睨むイミティアは唇を噛み、祈る様にロケットを握っていた。

 その手はやはり、弱弱しい少女の様に震えていた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 イミティアの船が星の様に駆ける事三日。

 

 とうとうエリュゴール王国に付いた時は、全てが終わっていた。

 

 目に入るだけの王都周辺の草原は焼け爛れ、捲れあがり、腐敗し……其処ら中に山積されている人魔入り乱れる死体からは、異臭が漂っていた。肥沃なエリュゴールの大地は、死に犯されていた。

 

 ベルベット旅商団の団員らとて、凄惨な戦場は何度も見てきた。

 それでも、ここまで荒れ果てた戦場を見たものは誰一人とていない。

 

 

 誰かが、震える声で呟いた。

 惨い、と。

 それは、誰しもの代弁の声だった。

 

 

(生きていてくれ……オルトゥス)

 

 

 それはイミティア自身が分かっていた、贅沢な願いだと。

 オルトゥスの底無しの強さは理解している。だからと言って、この凄惨極まりない戦場跡を見て期待しろという方が酷だ。

 

 だが、彼女はただ祈る他無い。

 愛する者が、生きていることを。

 

 イミティアは、しかとロケットを握りしめた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「……オルトゥスは、死んだ」

 

 

 エリュゴール王ガディウスは、沈痛な面持ちでそう答えた。

 

 特別に謁見を許されたイミティアは玉座に座る彼の言葉を聞いたとき、そこで思考がショートした。

 頭の中は白で塗りたくられ、脳みそに強炭酸の酒を注がれた様だった。

 

 

 オルトゥスは、死んだ。

 

 

 何度も心の内で反芻して、頭では言葉の意味を理解できても、心が、体が、それを拒否してしまう。

 総毛立ち、不愉快な寒気が全身を巡り、呼吸は荒くなる。

 

 

「……オ、ルトゥスは……死んだ……?」

 

 

 その声はどこまでもか細くて、頼りなく震えていた。

 頬を、冷たいものが走る。

 それが涙だと、イミティアはこの時理解できなかった。

 

 

「ああ……」

 

 

 そう答えるガディウスの声音は、どこまでも重たかった。

 鈍重で、オルトゥスの死を告げるすらが億劫なようだった。

 

 イミティアは悲しい。

 さりとてガディウスも悲しいのだ。

 

 そこだけは理解したイミティアは、幼子の様に彼を責めるつもりはない。

 戦争とは、こういうものなのだから……。

 

 ポロポロと頬を伝う雫は、堰き止められるものなど有りはしない。

 どこまでも白くなった思考と反する果てのない激情を秘めた涙は、やがて大粒となってイミティアの視界を濁した。

 

 

 ――オルトゥスは、死んだ。

 

 

 彼女が三度、そう心の中で反芻した時だった。

 

 

 

 

 

「陛下! オルトゥスの呪いなのですが、容態が――」

 

 

 

 宮廷魔法士の一人が、玉座に雪崩れこむようにやってきた。

 彼はどうやら慌てていたようで、イミティアの存在に気付いていない。

 しかし、彼女と目を合わせた魔法士はわかりやすく表情を変えた。

 

 ――しまった……と、そんな表情に。

 

 

 

 

 

 ……呪い?

 

 

 ……容態?

 

 

 イミティアの思考は、もたつきながらも彼の言葉を噛み砕いた。

 

 

(容態がってことは……)

 

 

 ……オルトゥスはまだ、生きている?

 

 

 その瞬間、イミティアの腹の腑には煉獄の様な怒りがどろりと染み出した。

 

 

「なぁ……オルトゥスは、生きているのか」

 

 

 ガディウスの表情は、苦々しいものだった。

 瞳の色は弱い。

 何故。

 

 

「オルトゥスは、死んだ」

 

「なあ! 今そこにいるそいつが言っただろう!? オルトゥスの呪いが、容態がって!」

 

「言葉の選択を取り違えただけだろう」

 

「ガディウス!!!」

 

 

 いよいよイミティアは食って掛かった。

 牙を剥き、果ての無い怒りに震える彼女の行く手を二人の屈強な兵士が抑えた。

 

 

「どういうことだ! オルトゥスは、お前の大切な騎士じゃないのかよ! あたしは解呪のスペシャリストだ! 生きているならあたしに診せろ! 今! オルトゥスはどうなっている! 今! オルトゥスはどこにいるんだよ!」

 

 

 答えろガディウス! そう言うイミティアの全身が、僅かに体毛を帯び始めた。

 鼻の頭は隆起し、爪と牙はより太く……『半獣変態』が始まっていた。

 

 屈強な兵士二人は、彼女の覚醒しつつある力に押され始めている。

 

 

「イミティア、猛るな。私はお前と事を構えるつもりはないのだ」

 

「だったら言ってみろ! お前はオルトゥスを生かしたいのか、殺したいのか!」

 

「オルトゥスは私の大切な騎士であり、友人だ。殺したいなどと」

 

「こんの……!!!クソ野郎!!!」

 

 

『半獣変態』を遂げたイミティアは、怒りのままに兵士二人を投げ飛ばした。

 牙を剥き、ガディウスに飛びかかろうとしたところで――

 

 

 

「……ッカハ……!」

 

 

 意識が、白飛びした。

 突然の奇襲に、頭に血が上ったイミティアは対応しきれなかった。

 

 首の後ろを強打され、脳を揺さぶられたイミティアは為すべなく意識を手放してしまった。

 最後に見た光景は、奇襲を掛けた若き兵士が驚いたように自分を見ていた……そんな光景だった。

 

 







「……大丈夫ですか陛下。この狼……獣族は……」

 

「……ああ、ありがとうロギンス」

 

「い、いえ。何か物凄い剣幕と物音が鳴ったので駆けつけただけですが、私が来て良かったようですね……」

 

「ああ……それよりロギンス。先程の私と彼女の会話は聞こえていたかね」

 

「……? いえ、聞こえておりませんが……」

 

「そうか……なら良い。彼女を良いベッドに寝かせてやってくれ。それから彼女が起きるまで外で待っているベルベット旅商団の皆ももてなしてやってほしい」

 

「……暴徒を持て成して…………いえ。承知致しました」



 そう言ってイミティアを抱えたロギンスは堅く礼をし、玉座の間を出て行った。



「…………」



 耳が痛くなるほどの静寂。


 ガディウスは消耗を隠すことなく頭を抱えて項垂れた。



「……すまないイミティア……すまないオルトゥス……私は……私は……!」



 絞り出す様なこの国の王の言葉は、どこまでも苦渋と悲劇に塗れていた。







 *






 イミティアが目覚めたのは、それから三十時間も経った頃だった。

 目覚めた彼女の背中をふわふわと柔らかく支えるベッドの感触は、しかし彼女にはとかく気持ち悪く感じてしまう。


 転げ落ちる様にベッドから這い出し、起き上がってみれば、不快な頭痛と眠気が彼女を苛んだ。



(……何時間寝てたんだあたしは……)



 イミティアはふらつきながらも、客間の扉を蹴破った。外で控えていたメイドが悲鳴を漏らしたが、イミティアはそれに一瞥もくれてやらない。



(オルトゥス……オルトゥス……!)



 イミティアは、裸足で駆け出した。

 左右に振れる世界は混濁し、何度も壁に体を打ちつけ、転がりながらも彼女は玉座の間を目指した。


 止めに掛かる衛兵を蹴散らし、誤って給仕が運んでいた台車に突っ込んで料理をぶちまけながらも、彼女の瞳には仄暗い光が沈殿し続ける。



(呪いなら……まだ生きているのなら……あたしだってまだ何か出来るはずだ……! きっと……きっと……!)



 いよいよ玉座の間に到着したイミティアは、門番を蹴散らかして扉を蹴破った。



「ガディウス!!!」



 獣の様に叫ぶイミティアの視界には、前と変わらず玉座にガディウスが鎮座していた。


 ガディウスは至極弱々しく視線をイミティアに向けると、少し怯えた様に肩を震わせた。


 痩せ細り、白髪が増え、血色は悪い。

 以前見た王の姿より、一回り小さく見える。


 だが、頭に血が上ったイミティアにそんなことは関係ないし、彼の変化に気づきもしなかった。



「オルトゥスは!!!!どうした!!!!」



 食って掛かるイミティアを、またも屈強な兵士二人が止めに掛かった。

 薬を盛られた起き抜けの体では『半獣変態』はできはしない。


 イミティアは、兵士二人にとうとう押さえ込まれた。



「ガディウス!!!答えろ!!!」



 暴れ狂うイミティアを前に、ガディウスはゆらりと幽鬼の様に玉座から立ち上がった。その姿に元気という物は一切感じられはしない。


 ガディウスは渇いた唇で、静かに語り出した。



「……オルトゥスの葬儀は、もう執り行われた。墓所は『約束の丘』。王都で最も美しいと言われる場所だ」


「……な、にを……」



 ガディウスの瞳には、涙が流れていた。


 それは嘘偽りの無い、本物の涙だった。


 オルトゥスの死。

 その現実がとうとう訪れてしまったのは、彼の瞳が物語っている。




「……分かってくれ、イミティア。オルトゥスは、死んだんだ。『エリュゴールの災禍』で、尊い犠牲となったのだ」


「違う!!! オルトゥスは、殺されたんだ!!! ガディウス、お前にだ!!! 救えた命を、何故救おうとしなかった!!! 何故、あたしに診せなかった!!! 何故だ……!!! 答えろ、ガディウス!!!」



 興奮するイミティアを、兵士は必死に取り押さえた。彼女の瞳にも、涙が溢れている。


 悲しいからじゃない、悔しいからだ。


 愛する者の命の危機を、救えたかもしれなかった命を、イミティアは遠ざけられた。

 彼女は、ガディウスを信頼していたのに。


 オルトゥスが盲目的に信頼していたガディウスに、彼が裏切られたのかもしれない……そう思うと、悔しくてたまらなかった。涙が、忿怒によって滲み出た。


 ガディウスは、やはりゆっくりと言葉を絞り出した。



「……お前達、よい。イミティアを離してやれ」



 王の命令に、兵士二人は驚きを隠せずにはいられない。事情は分からずとも、ここまで興奮したイミティアを手放す事が何を意味するか、それが分かっているからだ。


 しかし、ガディウスは穏やかな声音で「よい」と再び告げる。


 恐る恐る手の力を緩めると、イミティアはそれを鬱陶しそうに振り払った。



「……イミティア。お前の言いたい事は、よくよく分かる。だが私からお前に答えられる事は無いのだ。だから、私を殴ってくれ」


「……お前」


「……すまないイミティア」


「……お前」


「…………」


「……お前えええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!」




 イミティアの細腕が、ガディウスの胸倉を掴んだ。恐ろしく強い力だ。


 見た目が少女とて、彼女に流れる狼の血は伊達ではない。

 殴れば、きっとただでは済まないだろう。


 それでも、イミティアはガディウスを殴るつもりだった。


 でなければ、この怒りの矛先をどこに向ければいい。





 ……しかし。



「……すまない」



 そう零すガディウスの翡翠色の瞳には、悲しみと、憐憫が溢れていた。


 その翡翠色は、オルトゥスが何よりも守りたかったものだった。



(……オルトゥス)



 あたしは、どうしたらいい。







 ……振り翳した拳は、力無く項垂れた。


 愛した者が命を賭して守ったものを、彼女には殴る事はできなかった。



 イミティアは掴んだガディウスの胸倉を乱雑に引き剥がすと、尻餅を突いた彼を射殺す様に睨んだ。




 オルトゥスは、死んだ。




 もう……それしか残らなかった。

 それ以外……彼女は興味が失せてしまった。




 イミティアは汚泥の様な怒りと悲しみを腹に抱えたまま、玉座の間を飛び出していった。



 それ以来、彼女がエリュゴール王国の地を踏む事は二度と無かった。



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