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【書籍化記念特別SS】完璧な淑女などいない

書籍化を記念して、5000字強の特別記念SSをご用意しました。

時系列的には第一章終了時点のすぐあとくらいです。

それから活動報告に書籍の詳しい情報やカバーイラスト、オンラインストアのリンクがございます(予約受付中)ので良ければご確認ください。

 


「ワン、ツー、ワン、ツー」



 三角眼鏡に、真っ赤なルージュ。

 厚く塗りたくった白粉は、老いを隠そうと狙っているのが却って透けて見える。


 白髪を隠すために染髪された態とらしい金髪を後ろに括り……そんな分かりやすいきつめの印象を与える講師のバルバラは、鋭く声を発しながら手拍子でリズムを取り続ける。



「ワン、ツー、ワン、ツー」



 彼女の三角眼鏡に眩く映るのは、絶世とも傾国とも言える美を戴いた少女……セレティナ・ウル・ゴールド・アルデライトだ。


 先月十歳の誕生日を迎えた彼女は、より一層の稽古に励んでいた。

 美しきはそれに見合った体の動かし方を覚え、指の一本一本までに美の神が宿っていく。


 彼女がステップを踏むたびに黄金の髪は波を打ち、スカートは風に逆らわず翻り、その姿はまるで妖精の様だ。


 バルバラは手拍子を休む事なく打ちながら、内心舌を巻いていた。

 彼女は先月からアルデライト家に雇われた講師なのだが、長いキャリアを積んだ中であってもセレティナほど“出来た”生徒は見たことがない。


 指示を出せば一から十を学び、聞き分けは良く、論理的で聡い。


 感情に流されずに己の中でトライ&エラーを繰り返し、結果思うままに体を操ることができる。


 打てば響く、とはこのことだ。


 それに、その美貌。


 原石だ、とバルバラは思わずにはいられない。原石なのにこの輝きなのか、とも。


 磨けば磨く程に際限なく輝きを放つセレティナに、バルバラは途方のない可能性を感じていた。



(凄い……凄いわこの子は……)



 ここまでシビアで、強烈で、何よりスパルタなバルバラのレッスンをセレティナは嫌な顔一つせず、熱心に取り組んでいく。


 その姿勢もバルバラを感心させる要因の一つだ。


 バルバラは、楽しくて仕方がなかった。

 面白いように彼女の教えを吸収するセレティナに、淑女としての何たるかの一切を叩き込むことが楽しくて仕方がなかった。


 そして、それと同様の使命感もが側にあった。

 上等級のダイヤモンドにアイデアルカットを施す様に、彼女を完璧な美しさに昇華しなければならない。


(この子を生かすも殺すも、私の腕次第)


 自然、熱は入る。



「ワン!ツー!ワン!ツー!もっと、もっとよ!」



 手拍子は更に過激に、リズムは更にテンポを上げていく。


 ……しかし。



「お嬢様!」



 側に控えていた療母の悲鳴が飛んだ。

 セレティナが崩れ落ちるのは、それとほぼ同時だった。



「セレティナさん!?」



 驚くバルバラの横を、療母が矢の如く飛び出した。

 たっぷりと贅肉を蓄えた彼女の体は、セレティナの繊細な体をしっかりと受け止める。


 しな垂れかかったセレティナの体はじっとりとした重たい汗が滲み出し、浅く、速い喘鳴は空風のようにひゅうひゅうと掠れている。

 眼は開いているものの、チカチカと瞳孔が開いては閉じてを繰り返し、彼女の容態を明確に表していた。


 ぐったりと横たわる彼女の薄い桜色の唇に療母は小瓶をあてがうと、手近にいたメイド達に鋭く指示を飛ばした。



「チェル! ケラセア! エルイット! 着替えと氷を持ってきて! 早くなさい!」



 指示を受けたメイド達は顔を青褪めながら脱兎の如く部屋を飛び出していった。

 療母は手際良くセレティナの服を剥いていくと、彼女の汗を甲斐甲斐しく拭っていく。



(……やってしまった)



 バルバラは自責の念から立ち尽くしてしまっていた。

 つい、面白いものだから熱が入ってしまう。


 セレティナの母、メリアからは体調に関して耳が痛くなるほど念押しされていたというのに。







 *






「またやったわね、バルバラ」


「も、申し訳ございません……!」



 別室に通されたバルバラは、鬼と相対していた。

 鬼――メリアは少し苛ただしげに眉を顰めながら、もう二時間はバルバラに小言を並べ続けている。


 バルバラの頭は、猛省一色だった。

 彼女がセレティナをこうして限界まで追いやったのは一度や二度ではない。


 バルバラがセレティナに負荷を課せば課す程、セレティナは文句のひとつも言わずにそれを熟そうとするものだから何度も倒れているのだ。


 その度にメリアはこうして彼女を呼び出している。

 やりすぎだ、と。


 メリアは娘の体調や力の無さを熟知している。

 だから厳しい稽古の時も、剣を教えている時も、メリアが側に居てセレティナが倒れたことはない。


 メリアの厳しさは、深い愛情からくるものだ。

 だから娘を必要以上に厳しく躾ける事はあっても、無茶をさせる様なことは一度たりとてないのだ。



 メリアは、怒っている。



 その美しいかんばせの眉間に深い皺を刻む彼女の姿はまさしく鬼だった。

 メリアの醸すその怒気に当てられたバルバラは小さく、小さく、それは蟻の様に小さくなってしまった。


 メリアは小さく嘆息を漏らすと、一転、僅かに語気に優しさが灯った。



「バルバラ。貴女の熱意や指導力を私は結構買っているの。……でも、どうやらうちの子を指導するには少し貴女、合っていないみたいね」


「え? それはどういう……」


「明日までに荷物をまとめて頂戴。言いたいことはそれだけよ」


「そ、んな……」



 バルバラに訪れたのは、絶望と納得だった。


 もう、あの原石を自分の手で輝かせてあげられないという絶望。

 これだけ迷惑をかけたのだから、解雇は当然という納得。



(……私は、講師失格だ)



「……分かりました」


「……ごめんなさいね。うちのセレティナは体が弱いから、少し特殊なの。貴女なら次の家では立派に指導できると思うわ」



 今まで、ありがとうございました。そう言って、バルバラが泣く泣く席を立とうとしたところだった。



「待ってください!」




 可愛らしいソプラノが飛んだ。

 セレティナだ。

 セレティナは部屋の扉を開け放つと、追い縋るメイド達を振り払って大股でメリアの元までやってきた。


 顔は赤く、呼吸は荒い……寝間着のまま仁王立ちする娘に、メリアはおろおろと立ち上がった。



「セレティナ!? 貴女寝てないと駄目でしょう……! チェル! ケラセア! エルイット! 貴女達この子の面倒を見ていなさいと」


「お母様!」



 語気を強めるセレティナに、メリアは僅かにたじろいだ。

 ここまで自分の意思を強調する娘の姿は、珍しいからだ。


 セレティナは、ずずいとまた一歩前に出た。



「先生を辞めさせるのは反対です!」



 口を真一文字に結び、群青色の瞳は真っ直ぐに母の瞳を捉えていた。

 その周りではメイド達が大慌てでセレティナの体を冷やさないように毛布で包み込んでいく。

 あっという間にてるてる坊主が完成し、メイド達は毛布が肌蹴ぬ様に押さえつけ、額に氷袋をあてがった。


 メリアはセレティナの進言に、分かりやすく苦い顔をした。



「セレティナ、気持ちは分かるけどレッスンの度にこうして体調を壊しては貴女の体が壊れてしまうわ。暫く運動は控えて、教養やマナーのレッスンに専念しましょう」


「私、ダンスは好きです。それに、今の若いうちに体を動かしていなければきっと今のままベッドの住人です。バルバラ先生の教えはとても素晴らしいものです……私はまだこの方からたくさんの事を学びたい……ですから……!」


「若いうちにって……貴女ねぇ」



 取り縋るセレティナに、メリアは大きく溜め息を吐いた。


 セレティナにとって、バルバラのレッスンはとても貴重な時間なのだ。

 何をしても、何に於いても蝶よ花よと可愛がられ、硝子細工の様に扱われる彼女にとってキチンとした運動の時間程貴重なものはない。


 バルバラの指導は、確かに厳しい。

 だが将来騎士を目指すセレティナにとって、厳しいくらいの指導が丁度良いのだ。

 それに転生以前……騎士オルトゥスであったときは、途方もない鍛錬を日々熟していたため、これぐらいの指導で音を上げることすら屈辱なのだ。



 全ては、脱・脆弱な肉体。



 メイド達やメリアの目がある手前、公式に激しい運動を行える場を抑えられるのは、セレティナにとって大打撃だ。


 だから彼女は、鼻水を垂らしながらもメリアに懸命に直訴するのだ。(鼻水はエルイットに拭ってもらった)



「セレティナさん……!」



 そんなセレティナの奸計を露ほども知らないバルバラは、感激に涙を浮かべていた。

 そして、むくむくと勇気が満ちてくる。


 そうだ。

 生徒がこれほど熱心に指導を求めてくるのであれば、講師の私がそれに応えなくてどうする、と。



 バルバラは漸くもって立ち上がると、クイと眼鏡を持ち上げた。

 そして。



「メリア様!」



 気合一喝。

 バルバラは自分に鞭を打って、メリアの前に躍り出た。


 そして――。



「それは、何をしているのかしらバルバラ」



 バルバラは、見事な『ドゲザ』をして見せたのだ。

 メリアは、彼女が何をしているのか分からない。

 だが、あの淑女たるバルバラが地に頭を付けている行為のそれが何を意味しているのかは何となく分かった。



「何をしているのかと聞いているの」


「……これは『ドゲザ』にございますメリア様」


「……『ドゲザ』?」


「……はい。遥か東方にある『サムライ』なる種族が用いる謝罪……懇願するときの最上位の敬礼……言わばこれも作法にございます」


「……な、何故『ドゲザ』を?」


「『サムライ』はこのような時『ドゲザ』或いは『ハラキリ』を行うことで恩赦を賜るのです。『ハラキリ』とは呼んで字の如く、腹を切ることです。そう、私は今、自決同然の『ハラキリ』と同位にあります『ドゲザ』でメリア様にお願いを申します。どうか、私にセレティナさんの講師を続けさせてください……!」



 腹を切ること同然の謝罪……『ドゲザ』。

 その視覚的破壊力たるや、元あらくれ傭兵のメリアでさえたじろぐ程のものだった。


 明らかに憐憫を掛け始めたメリアを横目で見るセレティナは、こう思うわけだ。



 ――しめた、と。



 ならば、やらいでか。


 セレティナは包まれた毛布を丁寧にソファに掛けると、まず膝を付いた。


 次いで、両の三つ指を。


 背筋を伸ばし、呆けているメリアの瞳をゆっくりと見、それから頭を垂れた。


『ドゲザ』……いや、それは完璧な『土下座』だった。


『サムライ』が誇る最上級の礼……それを、セレティナは見よう見まねで、完璧にやってみせた。

 美しく、華麗で、思わず情けを掛けられずにはいられない完璧な『土下座』。


 横目で見ていたバルバラは、更に戦慄するのだ。


 異国の、見たこともない自分のちぐはぐな礼節を、この十歳ばかりの女児は完璧に仕立て直してみせた。これを驚かず、何とする。


 バルバラは、一層心に固く決めた。

 この子を、世界で一番の淑女にする、と。


 その才能も、その心意気もこの子にはある。



 だから……。



「お願いします」



 二人は、並んでメリアに『土下座』した。


 それを受けたメリアは



「あ……うん……お好きになさい……」



 ちょっと引いていた。






 *






「ワン、ツー、ワン、ツー」



 三角眼鏡に、真っ赤なルージュ。

 厚く塗りたくった白粉は、老いを隠そうと狙っているのが却って透けて見える。


 白髪を隠すために染髪された態とらしい金髪を後ろに括り……そんな分かりやすいきつめの印象を与える講師のバルバラは、鋭く声を発しながら手拍子でリズムを取り続ける。



「ワン、ツー、ワン、ツー」



 彼女の三角眼鏡に眩く映るのは、絶世とも傾国とも言える美を戴いた少女……セレティナ・ウル・ゴールド・アルデライトだ。


 今日も今日とて二人は厳しい稽古に取り組んでいた。


 しかし……。



「あっ」



 セレティナが、少し蹴躓いた。

 それと同時に、体が大きく傾ぐ。

 それをバルバラは、懸命に受け止めた。



「大丈夫? セレティナさん」


「ええ、大丈夫です。これくらい何ともないですから」



 汗でぐっしょりのセレティナは、それでも笑顔を取り繕った。



(なんて健気な子なの……この子は本当に、もしかすればいずれ国を傾かせると言われるほどの女性に……)


「先生?」


「あっ、ええ何でもないわ! 大丈夫ならもう少し頑張ってみましょうか!」


「ええ! 騎士になる為にはこれくらいで音を上げていては駄目ですからね!」


「そうね! 騎士になる為には……え?」


「え?」


「立派な淑女になる為に……え?」


「え?」



 この後何故セレティナが淑女としての稽古を頑張っているか、何故メリアにあれだけ綺麗な『土下座』をかましてまでスパルタの自分を側に置いたのかを聞かされたバルバラは、余りに突然の告白に泡を噴くのであった。



『この世で最も美しいと言われる淑女は存在する。実際に私はこの目で見た。が、“完璧”と呼ばれる淑女はこの世にはいないのだろう』

 ――バルバラの手記より、一部抜粋。






 ◇◇おまけ◇◇



「セレティナさん。今日から歌の稽古に入ります。良いですね?」


「はい、バルバラ先生、任せてください。これでも私は歌が大得意なんです」


「そう、貴女がそう言うなら安心ね。じゃあ私がピアノで伴奏してみせるから、貴女は曲に合わせて歌ってみて頂戴」


「承知しました」


「それじゃあいくわよ。歌い出しは『ああ、尊き月よ』から」



 バルバラの指が軽快に鍵盤を叩き、美しい音色が奏でられる。

 歌い出しまであと三秒。

 二秒。

 セレティナとバルバラが、お互い頷きあって。


 …………一秒。








「あア~~~~~と↑ウ↓と↑↑きィ~~↓つ↓↓き↑↑よぁ~~~↑↑」






 セレティナは、歌が素晴らしく下手くそだった。


 完璧な淑女などいない……鬼講師バルバラがそう思ったいくつもの要因のひとつがこれだった。


 窓辺で歌を聴いていた小鳥がたまらず墜落した光景は、当たり前だが彼女が受け持った生徒の中でただ一人だったし、これからも現れることはないだろう。







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