イミティアの災禍2/4
エルハイム聖教国の南部に位置する小さな町、『イールエスタ』。
どこまでも広がる麦畑と、町の中心を彩る色鮮やかな花園……長閑を表したように風車がゆるゆると回る風景は、見ているこちらの気が抜ける程に平和なものだった。
時折海岸から吹いてくる潮風も温暖で、ともすればそのまま昼寝でもしてしまいそうだ。
小さな町にひとつだけある教会はやはり慎ましく佇んでいた。
積み上げられた煉瓦の壁は経年劣化が激しく、少し頼りない。
それでも連日神父やシスターが掃除を怠らない為、内装を驚くほどの清潔感を保っている。
灰色の髪の少女――イミティアは、祈りを捧げていた。
膝を折り、奉られた女神像に瞼を落として祈る彼女の様子は、敬虔なる信者のそれだ。
ステンドグラスを投下した光はイミティアを祝福するように降り注ぎ、そこだけを切り取れば一枚の聖画の様にさえ思えてしまう。
イミティアは、ひたすらに祈りを捧げていた。
そんな彼女の遥か後ろを、団員達は珍獣でも見ている面持ちで眺めていた。
「なあ、団長が祈りを捧げたところって見たことあるか?」
「あるわけないだろう……」
「あの人この前女神像並べてチェスしてたんだぜ」
「お前ら煩いぞ」
若干苛立ちがはみ出したイミティアの声は、低い。
「おっと……おっかねぇ……」
「地獄耳か」
「それにしたって何だって団長はあんなにオルトゥスにホの字なんだ?」
「お前知らないのか? そりゃあ……」
スッ……と、イミティアは立ち上がった。
どこか満足気というか、誇らしげな表情が印象的だった。
「お前ら、もう行くぞ」
「へ、へぇ……」
僅かに微笑みを湛えた彼女の横顔は、いつものガサツさの無い、恋する少女のものだった。
*
オーティンのアトリエ。
小さなイールエスタの、更に縮こまるようにして隅に建てられたアトリエだ。
画材の独特な香りはアトリエの外まで香り、潮風と相まってどこか異国の様な匂いに感じる事だろう。
しかし、オーティンとは別に名の売れた画家でない。
片田舎で細々と生計を立てる、しがない画家なのだが……。
「こっ……ここで想い人を描いてもらった絵をロケットに入れて持っていれば、その恋は叶うっていう噂は本当か?」
開口一番。
扉を開き、イミティアが放った声は少し上擦っていた。
イミティアの質問を受けた白髪の若者――オーティンは、少し遅れて苦笑した。
「何が可笑しい」
口を尖らせるイミティアに、オーティンはすまないと一言詫びて居直った。
オーバーオールを大きく着こなした彼は、適当な椅子を見繕ってイミティアの前に差し出した。
「いやなに。最近そういう注文のお客さんが増えたなと思って」
「……噂は嘘なのか?」
オーティンは肩を竦めると、窓を開けて目を細ばんだ。
画材の香りが抜け、代わりに潮の香りがそこらを歩き回った。
「まあ落ち着こうよ。噂は……そうだね、真実とも言えるし、嘘とも言える」
「……どういうことだ」
「僕の作るロケットにそんな効果はない」
「……そうか」
「ガッカリした?」
「……ああ」
「……でもね、どういうわけか君の言うとおり、僕が作るロケットを握った人間は想い人と結ばれるみたいなんだ」
「本当か!?」
イミティアの表情に向日葵が咲いた。
「ああ、本当さ。今のところ六人の人間が来て、皆結ばれているからね」
「つ、作ってくれ! あたしにも!」
「良いけど……本当に君はその人を愛しているのかい?」
「あ……あぁ……あ、愛しているとも……」
「……なるほどね」
オーティンはひとり得心すると、「こちらへ」と奥の部屋へとイミティアを通す。
半球状のその部屋は、狭い。
ぐるりと円状に取り囲む本棚に収められたそれらは、どれもこれも古びた本の香りだ。
部屋の床には幾何学模様の魔法陣が何組もチョークで描かれ、その中央には少し寂しそうにキャンバスが佇んでいる。
「……見たことのない魔法陣だな」
言葉を零したイミティアに、オーティンは微笑んだ。
「幻惑魔法の応用の一種さ。魔法に精通しているなら何となく分かるだろう?」
「……確かに、記号の配列は似ているが……ってちょっと待て幻惑魔法ってまさか」
何かに気付いたイミティアは、半歩後ずさる。
その様子を見ぬいたオーティンは、手を振って笑った。
いや、笑ってしまった、という方が正しいだろう。
「どんな想い人とも結ばれるロケットね……。残念ながら僕の作る絵はそんなに都合のいいものじゃないし、そんな力も持たせてはいない」
「何? でも幻惑魔法って……」
「少し、暗くするよ」
「わっ」
オーティンが、ひとつ柏手を打つ。
そうすると球体の小部屋の窓は全て閉じられ、カーテンがひとりでに走り、燭台の光は全て床の魔法陣に吸い込まれた。
突然の闇が視界覆う中、魔法陣に青白い光が淡く灯ることで部屋は幻想的な明るさを取り戻す。
蛍のような泡沫の光が、小さな部屋を浮かんでは消えていく。
オーティンは頷くと、キャンバスの前に腰かけた。
「僕は魔法絵師。依頼主のイメージを覗かせてもらって、より写実的にキャンバスに描くことが、僕の仕事さ」




