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崩壊寸前都市

 


 ギルダム帝国、城塞都市ウルブドール。


 帝国内に於いては未だ若く、栄えあるその都市は今、頽廃していた。


 秩序は崩壊し、倫理は乱れ、暴虐と傲慢が跋扈する。

 それらは貧困区と呼ばれる街の外側へ行くほど顕著に表れ、ウルブドールは地獄の様相を呈していた。


 街の外には夥しい数の魔物……助かる見込みは薄く、ただ死に呑まれるのを待つばかりの力無き民達が、どうして慎ましく暮らせようか。人というものは脆く、臆病だ。


 一刻先の未来には、化け物に食われているかもしれない。

 そんな理不尽な死と現実に面した時、人間の浅ましい欲望は言い訳と自棄に塗れて吐き出される。



 狭い路地裏。

 絹を裂いたような女の悲鳴が飛んだ。


 組み敷いた男の眼に、戸惑いが無い訳ではない。

 彼もまた昨日まで光りある道を慎ましく歩く一人の男だったのだろう。


 懺悔と自棄を側に置きながらも、彼はその瞳を欲望に濁した。

 酒とヤニの臭いを振り撒きながら、痩せ細った中年の男は若い女性の腕を力尽くで硬い石畳に押しつける。



「いやぁ! 離して! やめてぇ!」


「こら、騒ぐんじゃない! いい子にしていれば悪いようにはしないから……! な!」



 女の衣服は争いの果てに既に破れ、縒れ、半裸の状態と言ってよい。

 女のまろび出た乳房に興奮を隠しきれぬ男は革のベルトに漸く手を掛け、ズボンを一気に脱ぎ下ろし――



 ――その背中に、鮮やかな緋色の花が咲いた。



 無防備を晒していた男は、何が起きたのか分からない。

 ただ分からないままに意識を手放し、絶命した。


 呆然とそれを見上げていた女の顔に、どろりとした男の血液が降り注ぐ。

 糸の切れた絡繰り人形のように力を失った男を見るに、自分が助かったということだけは理解を得た。



「……何が……」



 呆然とする女の視界に映ったのは、白磁のような小さな手。

 彼女を労わる様な群青色の瞳はどこまでも澄み渡り、宝石の様。

 少年とも、少女とも、しかし絶世の美を頂くその子は、女を導くように手を差し伸べていた。



「精霊……?」



 女は、譫言の様に呟いた。

 精霊は柔らかく微笑んだ。



「もう、大丈夫です」






 *






「天……ティーク様……。何度も馬車を飛び出されては困ります。人を助けたいと思うその心は分かりますが、その度に手を差し伸べていたのでは……」


「申し訳ありません」



 馬車の対面。

 冷や汗をかいている帝国兵を前に、セレティナは謝罪すれど、己の身の振りを直そうとする発言は決してしない。



「……満足か?」


「ああ、そうだな」



 皮肉気に問うリキテルは、少し退屈そうに小さく欠伸をした。

 手慰みに手入れされているククリナイフは、次の瞬間を待つ様に妖しく光を照り返している。


 セレティナに思い起こされるのは、ウルブドールに入ってからここに至るまでに助けた六人の無辜の市民達の姿。


 皆涙を流して感謝していた。



(……この街は狂い始めている。恐怖が人々の心を蝕んでいるのか……)



 窓の外に映る街並みは、頽廃していた。

 軒を連ねていた商店は皆荒らされ、人の往来は無い。

 見えるだけの人間で言えば日が高いうちに泥酔しきっているものや、何かしら喧嘩をしているもの……次の獲物を求めて彷徨う火事場泥棒の集団くらいだ。


 これでは子どもや女性が街を歩けないというもの。

 出かけた所でここまで荒れた街のどこに行くというのか、ということもあるが。



「……」



 セレティナ達を乗せた護送車は、そんな不気味な静寂を湛えた街中を行く。


 あの絶望的な戦況を大きく覆したセレティナとリキテルは、帝国軍に手厚く迎え入れられた。

 今この状況でのこの二人は、軍からすれば喉から手が出る程に欲しい戦力だ。


 身元を証明できるものは無くとも、非常時であり、将軍が許可したならば会議には参加できる。

 セレティナはとにかく今のウルブドールの現状を知るべく、また、この都市を救うためならばどこの組織への協力も惜しまないつもりだった為、軍からの申し出は彼女にとっては渡りに船だったと言えるだろう。


『篠突く影』の二人は「組織絡みで行動するのは勘弁」と、姿を眩ませてしまったが。



(……イミティアの事も気掛かりだが、今はウルブドールの市民を守ることが先決だろう。彼女のことも、この紋章のことも、とりあえずは後回しだ)



 そっと首を撫で、セレティナは大きく溜め息を吐いた。


 気楽な帝国観光の筈だったというのに、やはり英雄に安息の時は無い。

 陥落寸前のウルブドールは鬱屈とした空気を充満させたまま、小さな英雄をその心臓部へと迎え入れていく。


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