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揺れる議場

 


「頭領をお守りくださり有難うございます」



 低く、落ち着いた女性の声。

 イミティアを抱いたままのセレティナは、その声に緩慢とした動きで振り返った。



「貴女は……」


「私はベルベット旅商団で会計総取締役を務めさせて頂いておりますレミリアと申します。……以後よしなに」



 薄い緑フレームを掛けた、見るからに才女然としたレミリアはそう言って粛々と腰を折った。

 紺色の美しい長髪は後ろで結われ、彼女の頭が振れる度に妖艶に空を揺蕩っている。


 レミリアはセレティナが見たことのない旅商団の団員だった。

 恐らく、オルトゥスが没した後に雇われたのだろう。


 レミリアは切れ長の眼を横たわるウッドバックに向けると、僅かにその顔が悲しみの色に濁った。



「……彼と、うちの頭領の処理はうちらでさせて頂きます。頭領の無茶を止めて下さり有難うございました」


「……それは助かります、ありがとう。でもここも門が閉じられたとはいえまだまだ危険です。貴女のような方が長く居て良い場所じゃありません」


「お気遣いありがとうございます。勿論事が済みましたらすぐに街まで引っ込みますよ」


「そうですか……では、彼女の事よろしくおねがいします」



 セレティナの手から、レミリアへとイミティアが手渡される。

 童子のようなイミティアの体は細く、軽く、長身のレミリアは彼女を軽々と持ち上げた。

 心配していたのだろう……眼鏡の奥の藍色の瞳は、安堵の色を浮かべたようだった。



「本当に、本当にありがとうございました……小さき戦士様」


「いえ、私は何も……」


「失礼で無ければ、お名前をお聞きしても?」


「……あっ……名前……」



 名前。

 セレティナは、ハッとした。


(名前……まだ考えていなかった)


 オルトゥスを名乗るのは不味い。

 そうかと言って帝国領内でセレティナを名乗るのも憚られる。

 どこにゼーネイ卿の手先がいるかも分からないし、もしも帝国から援軍が来たセレティナの立場であるのは良くないだろう。



「……?」



 言い淀むセレティナに、レミリアは少し怪訝な色を浮かべた。


 しかし、言葉に詰まるセレティナに助け舟を出したのは意外にもリキテルだった。



「こいつの名前はティーク。俺の弟分だ」



 浅黒い手がセレティナの頭をわしわしと撫で付ける。

 弟分というのは些か不満だが、この際リキテルが機転を利かせてくれたのはやはり有り難い。

 セレティナはこれから暫くは『ティーク』と名乗る事を固く決め、リキテルの手を邪険に振り払った。



「ティーク様と仰るのですね。そういう貴方は……」


「リキテルだ。覚えてくれても忘れてくれてもどちらでも結構」


「……リキテル様ですね。勿論覚えておきます。……お二人は冒険者なのですか?」


「……ん。まぁ、そんなところかな」



 リキテルの視線とセレティナの視線が噛みあった。

 そういうことで良いな? という彼の独断に、セレティナは首肯する。


 冒険者であれば身分や出生を無理に明かすこともない。

 傭兵の性質も兼ねている為、戦があればそちらにも参加しやすい。


 冒険者のティークとリキテル。

 彼らを見るレミリアは僅かに含んだ懐疑的な雰囲気を霧散させて、今一度頭を深々と下げた。



「“冒険者”のティーク様とリキテル様ですね。しかと覚えました。このご恩はいずれベルベット旅商団の名にかけてお返しいたします。ウルブドールで団員をお見かけしたら気兼ねなくお声かけくださいね」



 それでは。


 そう言って眼鏡の位置を直すと、レミリアは早々にその場を去った。



 *



「ウルブドール南門を突破された件について、報告があります」



 押し破る様に扉から雪崩れこんだ衛兵は、息も絶え絶えにそう叫んだ。

 豪奢な内装に彩られた即席の議場に、緊迫の糸がピンと張る。


 ウルブドール都市長エルバロ・ケルクリウス。

 帝都よりはるばる遠征に来たオーバンス将軍。

 ウルブドールの冒険者組合の長を務めるエティック・チャニック。


 錚々たる面子が首を揃えるこの議場は、やはり物々しい雰囲気が充満していた。



 オーバンス将軍は白髪が混じり始めた髪を掻き上げると、やや呆れたようにその衛兵を諭した。



「全く、ノックくらいできんのかね。非常時こそスマートさが肝要だ」


「オーバンス将軍、小言は良い。き、君、早く報告を始めたまえ」



 オーバンス将軍を上擦った声で宥めたのは都市長のエルバロだ。

 若くして都市長を任される事となった彼は、今まさに自分の都市が落とされる危機に瀕しており気が気ではない。

 右の親指の爪は、齧り過ぎた為に歪な形状になっている。


 衛兵はようやく落ち着きを取り戻すと、手元のメモ用紙を見ながらハキハキと言葉を紡ぎ始めた。



「ウルブドール南門を魔物に突破されて一刻。大量の蜘蛛型を相手に防衛戦を強いられておりましたが、て、『天使』の降臨によりこれを鎮圧。ベルベット旅商団の巨人族ギガンティアの手によって再び門が閉じられました」


「『天使』だと?」



 議場が、分かりやすく揺れた。


 ウルブドール陥落は、時間の問題だった。

 必要な物を持ち運び、必要な人材を連れて行き、善良な市民の命をデコイにどう脱出するか……話はもうその段階まできていたのだ。


 まさか、持ち直すとは。


 誰もがそう思って、誰もが安堵を覚えた。



「み、見たかオーバンス将軍! ぼ、僕の兵達は優秀なんだ! だから言っただろう必ず持ち直すと! そうさ、ウルブドールは落ちない! 落ちないんだよ!」



 目を充血させ、唾を飛ばしながら都市長エルバロは叫んだ。

 現実を見ず、この都市は落ちないと何度も駄々を捏ねていた彼は少し気の毒であったが、まさか彼の言うとおりになるとは誰も思ってはいなかった。


 オーバンス将軍は肩を竦めて返す。



「ああ、その通りだな。おめでとうエルバロ。だが悲しいかな、また突破されるのは時間の問題だ。稼いだ時間を有効に活用してここを早々に切り離すのが賢明だと思うがね」


「っく! まだ言うか! どれだけ……どれだけ僕がここで財と力を築いたと思っている! 諦められるか……!」


「なら、死ぬか? この都市と共に」



 歴戦の戦士たるオーバンス将軍の視線が、若きエルバロに突き刺さる。


 蛇に睨まれた蛙、とはよく言ったものだ。


 将軍のプレッシャーの片鱗を受けた彼は、次に出てくる筈だった気焔を飲みこむほかない。



「……多少は喋りやすくなったな」



 にやり、とオーバンス将軍は皺を刻みながら笑んだ。



「さて、俺の興味はたった今その『天使』のみとなった。衛兵君、詳しく話を聞かせてはくれまいか」





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