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残した者、残された者

 


「イミティア……」



 セレティナの視線は、釘付けになった。


 少しは変わったかと思えば、イミティアの容姿はセレティナが最後に見たものと全くと言ってよい程変わらなかった。


 少女の様なあどけなさを宿すイミティアの体は、相も変わらずに……セレティナと変わらないくらいには小柄だ。灰色のショートヘアは未だ瑞々しく、彼女のトレードマークであったぱっつんと揃えられた前髪も健在だった。


 獣族ビスティアの若い時間は、純粋な人間よりも長い。

 生命力溢れる獣の血がそうさせているとも言われている。


 しかし、十四年だ。


 十四年経った今でも、セレティナの友は、変わらずに在り続けた。


 えも言われぬ懐かしさと、名状し難い感情を持て余したセレティナの目頭はひとりでに熱を帯び始める。


 セレティナはそれを何とか飲みこむと、ひとつ震える息を吐いて表面だけでも平静を取り戻した。



「どけ! あたしが治す! あたしが……! あたしが……!」



 イミティアは魔力の欠乏に苛まれながらもふらふらと、頼りない足取りながらウッドバックの巨体に縋った。

 魔力が枯渇しているというのは非常に危険な状態だ。


 ただ、それでもイミティアは回復魔法を使おうと短杖ワンドを取り出している。

 振り絞る魔力の儚さを示す様に、短杖の先端は弱弱しい光しか灯らない。


「やめてお……やめておきなさい」



 セレティナは僅かに逡巡したその手を、イミティアの肩に置いた。

 敬語を使用したのは、オルトゥスとしてまだ接するわけにはいかないと判断したからだ。


 イミティアは置かれた手を振りほどくように払いのけ、射殺す視線でセレティナを睨み据えた。



「邪魔をするな……!」



 唸り、構える彼女の瞳には涙が浮かんでいた。

 その敵意ある視線に、セレティナは僅かに怯む。


 その視線は、オルトゥスであった時にはイミティアから受けた事の無い威圧を宿しているからだ。


 自身だけが変わってしまったのだという寂しさに似た感情が去来し、セレティナの小さな胸が締め付けられた。



「……それ以上魔法を使えば貴女が危険です」



 イミティアの目の下には濃い隈が刻まれており、息も荒く、汗ばんでいて、見るからに危険な状態だ。

 見るからに、魔力が枯渇している。

 セレティナは、友の危うい状態を見てはいられなかった。


 だから、警告する。



「杖を仕舞いなさい。でなければ、貴女が死んでしまう」


「構うものか……! こいつは家族だ……! あたしが助けようとしなくてなんとする……!」


「……いい加減にしなさい、イミティア・ベルベット。貴女には、帰るべき場所があるのでしょう」



 図らずも強くなる語気は、しかし諭す様な丸みを帯びていた。


 それを受けたイミティアの瞳が、僅かに揺れた。

 彼女には、他にも大勢の家族といえる旅商団キャラバンの仲間がいるからだ。


 帰る場所は……イミティアが守るべき存在は、ウッドバックだけではない。



 しかし……イミティアは、短杖を握り直す。



「何を……」


「好きにさせてくれ。……君がウッドバックを……いや、このウルブドールを守ってくれたことは知っているし、感謝している。……だけど、これは譲れない」


「……何をしようとしているのか、分かっているのですか」


「分かっているさ……」



 そう言って、イミティアは今一度セレティナへと居直った。

 その瞳には、大粒の涙が湛えられていた。

 零れる様に、溢れる様に瞳から逃れた涙は、彼女の頬をゆっくりと伝って落ちていく。



「でも、嫌なんだ」



 イミティアの言葉は、震えていた。

 幼子が零す様な、頼りなく、やせ細った声だった。



「もう、大事な……大切な人が死んでいくのを、何もできないまま見過ごすなんて嫌なんだ……そんなのはもう、十四年前……あれっきりで十分だ……!」



 涙は、止めどなく溢れ出した。

 右手に短杖を握り、左手には首から下げたロケットが力強く握られている。


 十四年前。

 イミティアにもセレティナにも思い起こされるのは、かの大戦『エリュゴールの災禍』。


 イミティアの悲痛な叫びに、セレティナの胸に炙られる様な痛みが訪れる。


 何も言わず、何も言えず、友を残してこの世を去ったのは彼女オルトゥスだ。

 戦は、何度だってあった。

 人の死は、何度も見てきたはずだ。

 それでもイミティアの心に根差した悲しみの深さは、セレティナには推し量れない。


 セレティナは知らないからだ。

 あの災禍がイミティアにとって何を意味したのか。

 彼女が握るロケットの中には、誰が描かれているのかを。



 何も言わずこの世を去ろうとした者として、果たしてセレティナは今のイミティアを止める権利などあるのだろうか。

 友として、仲間として……。


 決して少なくない無力感に捕らわれながらも、セレティナは桜色の唇から言葉を紡ぎ出した。



「それでも、私は貴女を止めなければなりません」


「何を……」



 ……失礼します。


 そう言って、セレティナはエリュティニアスを一気に引き抜いた。

 それは常人からすれば瞬きの間の刹那だ。


 セレティナの恐ろしく繊細な手加減は宝剣の隅々までに行き渡り、その威力はイミティアの意識を刈り取るまでに押し留まる。



「カッ……!」



 峰打ちを受けたイミティアは呆気なく意識を手放すと、ふらりとそのままセレティナの胸元にしなだれかかった。



「……」



 宝剣を手放したセレティナは、彼女の体を抱きとめる。

 きつく、きつく……親が子に、そうするように。


 すまない、と零したセレティナの表情には、いくつもの感情の色がせめぎ合っているようだった。


 悲しみ。


 憤り。


 罪悪感……。



「そんな手荒な止め方して良かったのか? イミティアに会いに来たんだろう」



 耳に届いた場に似つかわしくない少し陽気な声は、すぐにリキテルのものだと理解できた。

 セレティナは、振り返る事なく返す。



「今は、こうするしかなかった。今は、いいんだ、これで……」


「そうかい」



 胸元で浅く寝息を立てるイミティアは、変わらずに涙を流し続けていた。


 セレティナは、空を仰ぐ。


 雲ひとつない気持ちの良い晴天が、今の彼女には少し眩しかった。


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