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進化

 



 ユフォは、身も凍る様な戦慄を覚えた。




 ……いや、果たしてそれは戦慄という表現が正しいのだろうか。


 背筋を這い回る冷たい感覚は、やがて血管を巡って全身を満たし始める。


 その震えは、腑に落ちる芸術を視覚した時の感動とも取れ、余りに強大な存在を前にした時の畏れとも取れ……目の前に神が顕現した時の悦びとさえも取れるだろう。


 ユフォは形状し難いその震えを受け入れ、大きく喉を鳴らした。



 ――セレティナの進化が、止まらない。



 鼓膜を鋭く揺らす剣鳴は何よりも研ぎ澄まされ、湖に薄く張った氷の様に美しい。

 その剣先はユフォの目にもとまる事は無く、宝剣の煌めきは精霊がセレティナの周りで戯れている様にしか見えない。


 美しく、華麗で、力強く、そして何よりも速く、早く、疾く。



 セレティナは、殻を破り続ける。



 一秒前の己を、彼女は遥か後ろに置き去りにする。

 瞬きの内に、壁を何度でも壊していく。



 ――それは進化であり、解放だ。



 セレティナとしての昇華……彼女の内に眠る英雄オルトゥスの解放。

 原石は磨かれ、本来あるべき光を取り戻し始めている。

 セレティナの首に刻まれた『薔薇に絡みつく蛇』は、彼女の更なる煌めきに鳴動するように妖しい光を波打った。


 その光が強く波打つ度に、セレティナは更に磨かれていく。



(……どこまで、速くなる)



 ユフォは、舌を巻かずにはいられない。

 レヴァレンスで一度セレティナと命の獲り合いをしたのは誰有あろう彼だ。


 だからこそその異常な進化は、ユフォには異常に見えた。


 ユフォはレヴァレンスでセレティナが手を抜いていたとはどうにも思えない。

 お互いが全力を出し切り、あの狭い戦場では少なからず自分に分があったとさえ、思っていた。


 だが今の彼は、既にセレティナと対等に戦える自信は喪失している。



(……どこまで……どこまで……)



 たっぷりと睫毛を蓄えたユフォの瞼が落ち、次に開くとき、そこに先程までのセレティナはもういなかった。



 黄金の残光を従えて、セレティナは小蜘蛛共をひたすらに屠り続けていく。




 *




 重たく、鈍い音が響き渡った。


 強引に閉じられた石門は左右の扉に刻まれた魔法陣が再び一致し、一枚の強固な防壁魔法が展開される。


 石門に刻まれた魔法陣の上を暖かな光が滑り、蛍火のように明滅を繰り返した後に静寂を取り戻す。


 力の限りを尽くしたウッドバックはそのまま門にしなだれかかる様に巨体を委ねると、ずるずると地に臥した。


 湧きおこる歓声は、止めどなく戦場を縦に揺らした。

 その喜びをぶつける様に、或いは削がれた気勢に再び火が付いた兵士達は、辺りの小蜘蛛共を蹴散らかしていく。

 全軍の士気は目に見えて上がり、帝国兵はまさに息を吹き返した。



 盤面が返り、形勢が変わる。



 絶望を表したような重たかった空気は、今や吸い込めばするりと肺まで落ちる軽やかなものとなった。


 雑兵は、もう暫くはこの橋を渡ることは無いだろう。


 孤軍の将と化した大蜘蛛は、足元を飛び回るリキテルを躍起になって追い払おうとするも、一撃たりとも致命傷を与えられてはいない。

 その間、小蜘蛛らはみるみる数を減らしていく。



 ……だから、その時が来るのもそう遠くはなかった。



 リキテルが、吠える。

 両手にそれぞれ握られたククリナイフが獰猛な直線を描き、大蜘蛛の最後の黒脚を切り飛ばした。

 それと同時に、彼の横をセレティナが擦り抜けていく。

 群青色の瞳は一縷の淀みも無く、高潔と誇りに満ち満ちて、大蜘蛛の一点を睨み据えた。



 大蜘蛛から、粘糸が噴き零された。



 セレティナはそれの更に下に潜る様に滑り、宝剣『エリュティニアス』を下段に構える。


 ちき、と鍔が小さく鳴り、嫋やかに空を滑る剣身が鋭く日光を跳ね返した。



 肺に溜めた空気は、セレティナの叫びと共に押し出され、『エリュティニアス』が下から上へ、一文字を切り結ぶ。


 銀色の尾を引く一撃は、何ら抵抗なく大蜘蛛の腹を裂き、頭蓋を破り、青空に赤を描いた。


 至高の一撃は、大蜘蛛に死を予期させることも感じさせる間もなく絶命に至らせ、力を失った巨体は崩れる様にその場に落ちた。



 ……一瞬の静寂。



 セレティナはエリュティニアスに付着した血を振り払うと、大蜘蛛の体に足を掛けた。

 その様子を、兵士達はただ静かに見守っている。


 今や動かぬ骸の上をセレティナは敢えて登り、そして振り返る。


 視界には、沢山の兵士達の姿。

 セレティナは空気を目一杯に溜め、そして。



「おおおおおおおおおおおおお!!!!!」



 宝剣を高らかに掲げ、勝鬨を上げた。


 帝国兵も、それを待っていたとばかりに鬨を上げる。


 空を押し上げんばかりの兵達の咆哮は、勝利の味を噛みしめるように、生きている悦びを味わう様に、暫くの間続いていた。



 ウルブドール南門、絶体絶命の防衛戦。

 未だ危機は続いているが、『天使』が『蜘蛛』を下したことで、人類は辛くも勝利を収めた。





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