高みへ
目まぐるしく、戦場が変異していく。
希望を得たウルブドールの兵達は鬨を上げ、再び戦火の中に飛び込んだ。
彼らの戦意は、先程までとはうって変って燃え上がる。
外には何万と魔物が控えているが、それが雪崩れこめるほど門の幅は広くはない。
セレティナを筆頭とした四人の参加もあり、押し込まれていた前線は、次は人間側が押し返していた。
あの大蜘蛛をリキテル一人が相手取っているのが大きいだろう。
力強い護衛を得た満身創痍のウッドバックは、よろよろとした足取りだが、しっかりと門を目指して歩いていく。
「はあああああ!!!!」
先陣を切るセレティナが、大きく吠えた。
横一閃に残光を従えたその一振りは、小蜘蛛共を一挙に五体も巻き込んで蹴散らした。
その一振りだけでは彼女の満足は及ばない。
革のブーツで石畳を軽快に叩くと、セレティナは小蜘蛛の密集地帯に自ら踊り出ていく。
宝剣『エリュティニアス』は淀みなく真円を描くと、彼女に群がる脅威の一切を払いのけた。セレティナを中心に、鮮血の花が咲き誇る。
「こっちだ! ウッドバック!」
美しいセレティナの声と、研ぎ澄まされたエリュティニアスの音を頼りにウッドバックは迷うことなく前へ出る。手負いの彼に降りかかる火の粉はない。
ウッドバックの足取りは確かに重たかったが、それでも奇妙な安心感に包まれた彼は臆することなく一歩、また一歩と踏み出していく。
着実に歩みを重ねて、気が付けば既に彼らは門の前まで迫っていた。
彼らが背に負う帝国兵達が自然と沸き立ち、興奮に満ちた怒号と歓声がウッドバックの鼓膜を揺らすことで、目の見えぬウッドバックは自身が既に門の直ぐ目の前にいることを理解した。
(ここか)
ウッドバックの大木の幹より更に壮健な両腕が、導かれるように自然と伸びた。
堅く、冷たい感触が、彼の野太い指の感覚を伝う。
それが石門だと、ウッドバックは直ぐに理解できた。
……あとは、やるだけだ。
「グウウウウウウウオオオオオオオオオオオ!!!!!」
全身に力を溜め、全身の傷口から血を吐き出しながらも巨人は吠えた。
人の胴回りよりも太い声帯が重たく震え、戦場の空気をウッドバックの気合いが大きく叩く。
門は、想定を超えて重たく、堅牢だった。
巨人族の中で於いても頭一つ抜けて力自慢な彼であっても、巨大な石門はごりごりと呻いて少しずつしか動かない。
しかし、動いている。
巨大な門は、ウルブドールに続く道を閉ざそうと確かに声を上げている。
ウッドバックが門に手を掛けたとき、背後からはより一層の歓声が沸き起こった。
いけ。
やれ。
閉ざせ、と。
決して少なくない男達の興奮を孕んだその歓声は、しかしウッドバックには届かない。
その歓声を聞くことさえ、彼には惜しい。
奥歯を砕けんばかりに噛み締め、足りない血は全て頭頂に登り、全身の毛穴から汗を噴き、ウッドバックは唸り声を上げながら全霊を持って両腕に力を込める。
ゴリゴリと土埃を上げながら閉じ始めているその扉は、本来限られた魔法師で無ければ制御できない代物だ。
「驚愕。これが巨人族の力なの」
「同意。なんて馬鹿力」
影を這い回る双子も、フェイスベールの下でいつものポーカーフェイスに亀裂が入る。
他者からの干渉を許そうとしない石門の魔法陣が、単なる腕力のみでバキバキと歪に割れていく様は見ていて不安になるほどだ。
手負いであれど、死に体であろうと、『巨巌のウッドバック』の力は腐りはしない。
頭蓋が割れる程の力を込め、筋繊維をぶちぶちと千切りながらも、圧倒的な力で石門を閉じ込めていく。
だが、そこは万単位の魔物が流れ込む唯一の風穴。
防衛戦は、苛烈を極めた。
殺しても殺しても、殺戮の限りを尽くしたところで後ろには腐るほどの小蜘蛛が控えている。
セレティナの剣が如何に冴え渡ろうと、折れぬ鋼の闘志が宿ろうと、圧倒的な数には抗う事など出来はしない。
そも、セレティナには限界がある。
誰よりも、何よりも分かりやすい限界だ。
虚弱体質は熾烈な戦闘に耐えられず、肺は破れ、なけなしの体力は底を尽き、へばり、倒れ臥す。
生来『弱者』であるセレティナが背負う枷の重さは彼女自身が痛いほどに分かっている。
ビルドゥアの街でギィルという刀使いの男と剣を交えたとき。
初社交界の道中、『中級』の魔物からケッパーを庇う盾となったとき。
『誇りと英知を汚す者』との一戦。
『レヴァレンス』門前でリキテルと共に魔物の群れを掃討したとき。
セレティナはいつだって最後には枯渇し、倒れ臥した。
全身で挑むからこそ、全霊を賭けるからこそ……己の極限に至る戦いを重ねてきたセレティナは、その都度空っぽになるのだ。
だから今回も、限界はやってくる。
レヴァレンスを発ってからウルブドールに来るまで不眠不休の旅路でもあったのだ。
十全なコンディションでもないセレティナが、ただ一拍程の息も付けぬ防衛戦などそう長くは保たない。
--セレティナでさえ、そうなると思っていた。
軽い。
軽やかだ。
セレティナの踏むステップは、剣の冴えは、その表情さえ、軽い。
淀みも濁りも無く、彼女から弾ける汗はどこまでも爽やかだ。
切迫した気配はまるで無く、快調そのものと言っても良い。
『エリュティニアス』が従える残光も、いつになく澄み渡り見ていて心地が良い。
セレティナは今、不思議な万能感に包まれていた。
今なら何体でも何百体でも何万体でも、捌ききれるという自信。どこまでも、どこまでも、高みに昇っていけるという確信。
あのリキテルまでもが、気後れする程にセレティナは今まさに冴え渡っていた。
楽しい、というセレティナの心に僅かに滲み出た感情に、彼女は嘘がつけなかった。
無論楽しんでいる状況でもなく、そんな余裕はない。
だが己の思うままに体が動き続けてくれる現実というのは、枷を嵌め続けてきた彼女にとってどれほどの事であるか想像に難くない。
もしかしたら。
もしかしたら、このまま高みへ昇り続ければいつか届くかもしれない。
そんな思いが、セレティナの脳裏を過る。
(私は、オルトゥスに届くかもしれない)
--セレティナはまだ、首筋の『薔薇に絡みつく蛇』の紋章が淡く光を宿していることには気づいていない。