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英雄は何を思う

 





 *





 眼下では、既にリキテルが暴れ狂っている。

 一対のククリナイフを縦横無尽に戦場を走らせ、小蜘蛛共を屠りつつも大蜘蛛を翻弄している。


 獣のような野性的で奔放な彼の剣術は、どちらかと言えば一対多数でその本領を発揮できると言える。五感を尖らせ、目に見えないものを捉え、恐ろしく鋭利な本能で数多の血肉を掻っ食らう様は、あのセレティナとて驚嘆するほどだ。


 セレティナは純白の翼をぎこちなく操ると、ゆっくりと降下を始める。

 慣れぬ浮遊感と揚力に違和感を覚えながら、彼女は柔らかくそこへと降り立った。

 地に足が付く安心感に胸を撫で下ろすと、背中の羽はやがて明滅を始め、光の粒子となって空に溶け込んだ。


 喧騒の最中、セレティナは伏せた目をゆっくりと上げて、美しい下唇を噛んだ。



「……ウッドバック」



 転がしたその言葉は、虚空に渦を巻いて消えていく。

 セレティナが大きく見上げるその巨人の名を、彼女は知っている。

 今では遠い前世の記憶……彼がまだオルトゥスであった頃、彼女は彼と何度か言葉を交わしたことがあった。


 あれは、酒の席だった。

 イミティアが催した酒宴でたまたま隣り合った二人は、エールを酌み交わした。

 奔放でお転婆なイミティアが迷惑をかけていないかと、いつも気にかけていたそうだ。


 セレティナは彼が寡黙な男だと思っていたが、意外にも酒が進むとまあ舌が回る愉快な男だった。

 剣と斧……お互いの得物は違うが武器に対する価値観も似通っており、彼らはそのときお互いを友だと認め合った。


 記憶が確かであるならば、最後にセレティナが彼と会ったのは、『エリュゴールの災禍』が起きるひと月前だったはず。



『また会おう』



 そう言って、笑顔で別れたのをセレティナは覚えている。

 愚図るイミティアを担いで、ウッドバックは彼女を『船』に放り込んでいた。





「……ウッドバック」





 セレティナは、再度その名を口にする。


 群青色のまなこに映る巨大な友は、大量の小蜘蛛に群がられて血の溜池を作っていた。

 肩で呼吸し、全身の肉が爛れた旧友の姿に、セレティナの小さな胸はきつく締め上げられるようだった。



「ユフォ……ヨウファ、頼む」



 セレティナが小さく告げると、足元に伸びた影から二つ黒い影が飛びだした。

 藍緑色のポニーテールを従えた双子の踊り子は、フェイスベールを靡かせながら巨人の足元を滑る様に駆ける。


 ユフォとヨウファはベールの下でぼそりぼそりと呪文を唱え、小瓶から淡く光る聖水を垂らしてウッドバックの足元に魔法陣を描いた。彼らの元にも小蜘蛛共は追い縋るが、歯牙にもかけずに淡々と仕事をこなしていく。


 速い。余りにも彼らの動きは速い。

 小蜘蛛共が生きる速度の世界では、彼らに追い付くはずもない。



「ユフォ!」


「ヨウファ!」



 容姿も声音も、掛け声のタイミングも全て一致している。

 ユフォとヨウファは互いに頷き合うと、二人で作りあげた巨大な魔法陣の上に勢いよく両手を突いた。


 そして、高らかに魔法名を唱えるのだ。








穢れを穿つ銀薔薇バティーニア・ゲル・ツィニカ








 ソプラノの声が重なり、大気が震える。

 そうすると彼らの置かれた手に呼応するように、魔法陣が鋭く瞬きだした。

 鋼を思わせる冷たい銀色の光だ。

 光はやがて膨張、拡大していき、次の瞬間にはバチバチと火花のように爆ぜはじめた。

 霰の様に、或いは炭酸が弾ける様に、微細な光の爆発がウッドバックを包んでは弾けている。


 するとひとつ、またひとつと小蜘蛛達は弾かれた様にウッドバックの体から引きはがされた。

 引きはがされた小蜘蛛は太陽に炙られる吸血鬼と同じように、しゅわしゅわとあぶくを吐いて溶け始めた。



 これは退魔の陣、ともいえる範囲魔法。



 低級の魔物であれば、その一切を寄せ付けなくなる魔術・・だ。

 使い勝手も効果も高いが、戦場の最中でこうして精巧な陣を描けるのは驚異的な技術と言っても良い。


 ユフォとヨウファ……それからセレティナは、銀色の陣の中に足を踏み込んだ


 陣の外にはまだ吐き気を催すほどの小蜘蛛がいるものの、ウッドバックに群がる魔物は既に全滅している。


 ウッドバックは爛れた体と、既にひしゃげて光を失った眼窟をからがら動かして事態の様子を探っていた。



「コレハ……俺ハ……ドウナッテ……オ前達ハ……」



 肺に溜まった血を吐きながら、ウッドバックはしゃがれた声を何とかひり出した。


 それに応え、セレティナが一歩、前へ出る。



「教えてくれ、ウッドバック」


「……オ前……俺ノ名ヲ知ッテ……?」



 腰の鞘から宝剣エリュティニアスの美しい刃が、雅に姿を現した。

 キィン、と涼しげに鳴きながら。


 そして、再びセレティナは問う。



「……教えてくれ、ウッドバック。私は、何をすればいい」



 美しい少女の背中からは、悲壮な剣気が滲み出ている。

 群青色の瞳は、涙色に揺れていた。





 もう、この手から大事なものを取りこぼしたりはしない。







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