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光の翼






「何だあれは!」

 兵士の一人が、空を指して高らかに叫ぶ。

 高く、高く、遥か高み……兵士の指した天空のいただきに、それは鎮座していた。


 それは、人型をとっている。

 黄金の髪は肩程までに流れ、群青色の瞳は憂いの色に満ちていた。

 背の丈の倍はある純白の翼が二対背中から伸びており、揺蕩う様に空の蒼に純白を浸している。


 それは、美しかった。

 見る者の誰もが見惚れる程の美貌を、そのかんばせに湛えている。

 短く切り取られた黄金の髪のせいもあってか、少年とも少女とも言える中性的な顔立ちは、だからこそ何か侵してはならない神聖ささえ感じられた。


 人は、それを敢えて人とは認識しない。

 その美貌。

 背から伸びる二対の美しい白翼。

 この絶望に瀕した戦場に現れたそれを指す存在となれば、誰もがそれを、こう認めてしまう。




「天使だ!」




 誰かがそう言って、誰もがそれに共鳴し、天使だと叫んだ。その共鳴は連鎖爆発の様に全軍を満たし、渦を巻く。

 盲目的な期待と安堵。

 信じられない感動と絵画の様な光景に、誰もが膝を折り、涙を流した。

 感謝と祈りを彼らは自分達の主と天使に捧げ始める。


 主は、私達を見てくださっている、と。

 絶望的な現状に、天使様は手を差し伸べてくれたのだ、と。


 誰もが己の内に震えるこの感動と感謝を、あの天使に捧げずにはいられない。



 天使・・は純白の翼を一つ翻すと、ゆっくりと降下を始めた。

 血煙が舞う、戦場の最中へと。












 *










「どうする」



 漠然とした質問を転がしたのはリキテルだ。


 遠く丘の下に見えるのは夥しい数の魔物達で形成された黒の海。

 戦いに飢えていようと、歴戦の戦士であろうと、あそこに飛び込むのは余りにも無謀だ。


 ぽつんと頼りなく黒の海に浮かぶ城塞都市ウルブドールを前に、リキテルは嘆息を漏らした。



「大丈夫だ。以前にも言ったが、侵入経路に関しては奥の手がある」



 セレティナは下馬しながらそう言うと、痛む節々をほぐし始めた。

 ユフォとヨウファ、二人は無機質な瞳を保ったままセレティナの前へと進み出る。



「待って。不可能。どう考えてもウルブドールには辿り着けない」


「ユフォに賛同。正気とは思えない。見て、あの魔物の数」



 詰め寄る二人に、しかしセレティナは動じない。

 肩をぐるりと回し、ほうと息を吐くと、セレティナはおもむろに空を指差した。



「陸は行かない。私達は、空を行く」


「……空?」



 思わずリキテルから素頓狂な声がついて出た。



「どう足掻いても陸路からではウルブドールには入れない。なら空路から行けば問題無いだろう」


「……眠気で頭がやられたか? 龍族じゃあるまいし空からなんて」


「後ろを向け」


「え?」


「いいから後ろを向け。今すぐだ」



 セレティナはリキテルをせっついて後ろを向かせると「お前達もだ」と、ユフォとヨウファにも後ろを向かせた。

 何がなんだかといった男三人だが、早くしろと捲し立てる彼女に渋々納得せざるを得ない。

 いいか、絶対に振り向くなと釘を刺し、セレティナは自身が履いている男物のパンツに手をかけた。ずり下ろすと、露わになるのは彼女の白い太腿と純白の下着……そして下着の紐に括られた一枚の小さな羊皮紙だ。


 セレティナは羊皮紙を掴むと、手早くパンツを引き上げて革のベルトを締め直した。



「なんだ、ションベンか?」



 にべもなく言い放つリキテルの後頭部に、遠慮の無い鋭いチョップが落ちる。



「馬鹿者め……。トイレならもっと遠く離れてするに決まっているだろう」


「痛……くはないけど、なんだそりゃ」



 余りに軽すぎる手刀はダメージになるどころかセレティナの打ち損だ。

 ひりひりと痛む手を摩るセレティナに握られたそれを、三人は興味深げに覗き込んだ。



「それ。もしかして……」



 何かに気付いたのは、ユフォとヨウファだった。

 平坦な彼らの声音が、僅かに抑揚を得たのは気のせいではないだろう。

 そこには驚きと、僅かの興奮が滲み出ている。


 セレティナは彼らの反応を確かめると、頷いた。



「これは飛翔魔法が込められた魔法巻書スクロールだ。こいつを使って、空から行くぞ」


魔法巻書スクロール!? 飛翔魔法!?」



 セレティナの言葉に、流石にリキテルも驚愕を隠すことなどできなかった。



 魔法巻書スクロール

 羊皮紙に描かれた緻密な式に、気の遠くなる程の繊細な魔力を織り込ませた、謂わば携帯型魔法陣。魔法士でなくとも僅かな魔力をそれに流し込めば、込められた魔法を発動できるという優れものだ。


 しかし聞こえはいいがまだ未開発の技術に近い為に精巧な魔法巻書スクロールを作れる魔法士は少なく、これを手にしようと思えば多少の財など簡単に消し飛ぶ程の貴重品だ。掛かるコストも半端ではなく、どちらかと言えば使用するものというよりは芸術品……観賞が主な用途になってくるだろう。


 そんな貴重なものをセレティナはあろうことか下着に括りつけていたのだ。

 その豪胆さとアルデライト家の計り知れぬ財力に、三人は外れる顎を直すことができない。



「おいおい、何だってそんな貴重なものをそんなところに仕舞ってんだ……」


「貴重故だ。こうしておけば肌身離さず持っていられるし、女性は男と違ってプライベートゾーンに物を仕舞いやすいから助かる」


魔法巻書スクロールだぞ……信じられねぇ」



 これは万が一にとメリアがセレティナに握らせたものだ。

 セレティナ自身、まさかこうして使用する機会が訪れようとは思ってもいなかったが。



「ちょっと待って。飛翔魔法? それ、本当?」



 少し慌てて、ユフォが問いただす。

 セレティナは、それに曖昧に首を縦に振った。



「……多分ね。飛翔魔法が込められているとは聞いているけど、魔法巻書スクロールを使うのは今日が初めてだから、使ってみるまでどうなるかは分からない」


「……衝撃。飛翔魔法が込められた魔法巻書スクロールだなんて……」



 草原に魔法巻書スクロールを広げるセレティナを、ユフォはやはり目を丸くして見ていた。


 魔法に精通している彼だからこそ分かる。

 飛翔魔法……空を飛べる魔法とは、それだけでも、どれだけ簡素な式であろうともそのくらいは上級魔法に位置する。空を飛べる魔法が使えると言うだけでその魔法士はどこの国にも筆頭戦力として、あるいは魔法士を導く魔導師として迎えられることだろう。


 だから、驚愕するのだ。


 飛翔魔法が織り込まれた魔法巻書スクロールなど、存在すること自体が破格。

 ユフォは、草原の上に広げられたそれを眺めながら、少しばかり興奮を覚えた。



「なぁ。そんな便利なものがあるならレヴァレンスで使っても良かったんじゃないか?」



 訝しげに言うリキテルに、セレティナは首を横に振る。



「弓兵に落とされたらどうする。あの状況下では使えなかった」


「なるほどね……確かに有翼種の魔物も見えないし、今なら使っても問題なさそうだ」


「そういうことだ」



 魔法巻書スクロールを広げ、その中央にセレティナの絹の様な手が置かれた。

 そうすると、羊皮紙に描かれた魔法陣が黄金に淡く光り、短く鼓動し始める。

 今、そこに込められた力が、外に飛び出そうともがいているかのように。



「みんな、近くに寄ってくれ」



 短くセレティナが告げ、三人が彼女の近くに固まった。


 小さく空気を肺に溜め、小さくそれを吐き出した。



「みんな、引き返すなら今だ。私はそれを止めはしない。止める権利も、拘束する力もないのだから」



 セレティナの言葉に、しかし誰も言葉を発しはしない。

 いいから早くしろと言わんばかりに、三人の手が彼女の背に置かれた



「……わかった」



 セレティナはふっと笑みを零し、意を決すると、小さく合言葉の呪文を紡いだ。

 言の葉は風に乗って魔法巻書に滑り込み、そして――





 ――セレティナの視界が、白光に包まれた。









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