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繰り返す悪夢

 


 ――撤退だ。



 誰かが、そう叫んだ。

 上級魔法を耐える魔物がいるなど、もうどうしようもない。

 裏返った悲鳴混じりのその声は、ウッドバックには遠く、残響のようなものに思えた。


 そして、皮肉気に鼻で笑うのだ。



 ――どこへ撤退するつもりなのだ、と。



 そう、最早逃げ場などない。

 ここを落とされては大量の魔物どもの侵入を許すこととなり、ウルブドールは文字通り陥落する。

 小蜘蛛どもだけならまだ良かった。

 だが、大蜘蛛ならば内門をきっと破壊するだろう。


 そうなれば家も、家族も、友人も、思い出さえ、ウルブドールの全てが焼き尽くされる。

 魔物どもは、全てを平らげる。


 それを『巨巌のウッドバック』は身に染みて分かっているから、だから。



「イミティア」


「……何だ」


「コイツハ、貰ウゾ」



 ウッドバックはイミティアのチョークバッグを半ば強引にふんだくった。



「おい……何を……」



 ふらふらと頭を押さえながらイミティアは問う。

 彼女は、ウッドバックの行動が何を意味しているか分からない。


 ウッドバックは魔法薬ポーションの小瓶を一つ呷ると、指の腹で空き瓶をくしゃりと押し潰す。

 そして、溜め息を吐いた。

 太く、長い溜め息を、だ。


 それは彼のガラス玉のような瞳に、静かに決意が宿った瞬間だった。


 ウッドバックはイミティアの首根っこを摘まみあげると近くにいた手頃な兵士に彼女を放り投げる。



「オ前! ソノ犬コロヲ内門マデ連レテイケ!」


「は……?」



 ウッドバックのその台詞は、イミティアの思考の外のものだった。

 若い兵士に抱えられながら、彼女は弱弱しくもがいて巨人の背中に縋ろうとする。



「おい! お前も下がるんだ! 何をしようとしている! ウッドバック! お前もこい!」



 声音に、思いがけず悲壮めいた色が宿る。

 ウッドバックは、それを調子よくせせら笑った。



「ドコニ俺ヲ下ゲルツモリダ。地獄ノ冥府マデ仲良ク一緒ニ下ガルツモリカ」


「ウッドバック! あたしの命令を聞け!」


「オ前モ分カッテイルダロウ」


「聞け! 聞けったら! 頼むから……!」


「イミティア。後ハ……団員かぞく達ハ、任セタ」


「ウッドバック!」



 行ケ!



 鬼気迫る巨人の発破を受け、イミティアを担いだ兵士は逃げる様にその場を後にする。

 ウッドバックを呼ぶイミティアの悲痛な叫びが、ウルブドール南門の架け橋に痛く木霊する。


 イミティアを見送るウッドバックは、胸の内がじくじくと痛む感覚を覚えた。

 残される者の辛さが、彼には分かるから。



 ……感傷なんかに浸っている場合ではない。

 彼は何千、何万回と振るってきた得物の柄の感触をにわかに確かめると、目をしかと見開いた。


 今から目に映るその全てを、破壊し尽さなければならないのだから。



「グウウウウウウウウウオオオオオオオオオオオオ!」



 巨人の雄叫びは、大花火のように聞く者の腹の底まで轟く。

 ウッドバックは咆哮を上げると、斧を片手に走り始めた。

 大質量の巨人が走れば、橋の石畳は割れ、撓み、バキバキと悲鳴が上がる。


 ウッドバックの戦斧が、半円を描いた。

 足元の小蜘蛛共が捲れあがった石畳ごと一挙に吹き飛ばされ、彼の前に大きく道が開けた。


 そこで女王は待っている。

 まるで、ウッドバックとの一対一サシの勝負を望んでいるかのように。


 にやりと口角を上げたのはウッドバックだ。



 ――上等ダ。



 腰を落とし、戦斧を中段に、地と水平に構える。

 戦斧が届く距離まで、後僅か。


 力を溜めるや否や、ウッドバックのパンパンに膨れ上がった上腕筋が、更に膨れ上がる。

 力強く握られた戦斧の柄がぎちぎちと嬌声を上げ、そして、横薙ぎに振るわれた。



 キィィィン……! と、鼓膜を刺すような高音。

 ウッドバックの一撃は、やはり大蜘蛛の脚に阻まれた。


 だが、それは想定内。

 ウッドバックは何の未練も躊躇もなく戦斧を手放すと、巨腕を広げて大蜘蛛の体にしがみついた。



「オオオオオオオオオオオオオオ!」



 そして咆哮の末、大蜘蛛の巨体が持ち上がる。

 ウッドバックが見つめる先は橋の外。

 奈落とさえ思われる崖の底だ。



「オ前ヲ、突キ落トシテヤル……!」



 絶対にここで殺す。

 必殺の決意が、巨人の瞳に燃え上がった。

 全ては、団員かぞくを守る為に。


 しかし。



「ウグ……ッ!」



 大蜘蛛の八本の脚が、ウッドバックの背中を容易く貫いた。

 だが、それも彼の想定の範囲内。

 内臓が破れ、肉体を引き裂かれようとも。



「アアアアアアアアアッ!!」



 オマエハ、ココデ仕留メル。



 ウッドバックは全ての力を振り絞り、更に猛った。

 命が燃え、ちりちりと焦げはじめる感覚が巨体の内を走り回る。


 そうしている間に足元には既に小蜘蛛共が群がり始め、ウッドバックの脚の肉を食い散らかし始めていた。

 それらは腰に及び、肩、首、顔まで小蜘蛛が這いまわり……しかし彼は大蜘蛛を抱いて離しはしない。



 ウッドバックは小蜘蛛共に全身を食い千切られ、背中に八つの風穴を開けられながらも、とうとう大蜘蛛を放り投げた。


 奈落の底へ、大蜘蛛が落ちていく。

 どこまでも、どこまでも、果ての無い底の底へと。



 遠巻きに見ていた兵士達は、歓喜に湧いた。

 まさか、捨て身とはいえあの大蜘蛛を退治するなど誰が思おうか。


 兵士に担がれたイミティアも、彼の勇姿に涙が滲み出た。



「ウッドバック……! お前……!」



 ウッドバックの巨体には既にびっしりと小蜘蛛共が群がり、彼の精悍だった姿は見る影もない。

 しかしそれでも彼は、動いている。

 斧を拾い直し、更に群がってくる小蜘蛛を蹴散らかしながら、よろよろと門の方へと歩み続ける。



「マ……ダ……ダ……」



 痛覚は、とうに失せた。

 生きているのか、死んでいるのかさえ、彼自身自覚は無い。

 それでも亡者のように歩き続ける。


 唯、一点を目指して。



「お、おい……まさかあの巨人……門を……」



 誰かがそう、呟いた。


 自動修復魔法は、まだ機能している。

 砕かれた石門は開いてはいるものの、既に元通りに修復されつつある。



 ――あれを閉じることができれば。



 誰もがそう思って、誰もが期待する。

 あの死に体のウッドバックが、あの石門を固く閉ざすことを。



「が、頑張れ……頑張れ! 巨人!」



 若い兵士が、そう叫ぶ。

 祈りの様な叫びは、すぐさま伝播した。



「頑張れ! 頑張れ巨人! あと少しだ!」


「頼む! お前しかいない! 門を閉じてくれ!」


「行け! 行けぇ!」



 半ば懇願するような半泣きの応援に、イミティアは苛立ちを隠せない。


 ここは、お前達が守るべき都市なのだろう、と。

 尻尾を巻いて逃げ惑っているくせに、あたしの家族に何を甘えたことを言っているのだと、心底腹が立った。



 ……だが、彼らは直ぐに黙る事になる。



「……あ……」



 奈落に落とされた大蜘蛛が、吐いた糸を辿って易々と橋をよじ登っているのを目撃してしまったのだから。




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