奇襲
「バアアアアアアアアアアッ!」
銅鑼をかなぐり立てた様な叫びが、ウルブドール南門の橋を縦に揺らした。
巨人族のウッドバックが渾身の力を両の腕に溜め、今まさに斧を振り下ろそうとしているところだ。
「いけ!」
蚤の様に大蜘蛛の足元を飛び回るイミティアは叫ぶと、直線上にその場を離脱する。
その様子を認めたウッドバックに躊躇の文字は既にない。
ぎらりと陽光を跳ね返す戦斧は、遂に振り下ろされた。
空を裂き、暴風さえ伴う強烈な一撃が炸裂する。
岩盤さえ容易く砕き割る一撃は、大蜘蛛の脳天に直撃しようとして――。
「ウゥッ!?」
ウッドバックの体が、黒々とした大蜘蛛の脚で叩き落された。
「ウッドバック!」
イミティアの絹を裂いたような叫び。
大蜘蛛はグルリと頭をもたげると、地にのたうつウッドバックへと目標を変える。
八本の脚が絡繰りのように這い動き、地を滑る大蜘蛛は驚くべき速度でウッドバックへと迫った。
「チクショウ……!」
ウッドバックは思いがけず毒を吐いた。
辺りには既に大蜘蛛が吐いた粘性の糸がそこかしこにへばりついている。
故にウッドバックの巨体は辺りの粘糸を巻きこんでしまって思う様に動かない。
腕をあげようとしても、強力な糸の粘りによって釘づけだ。
しかし大蜘蛛の脅威はすぐそこまで迫っている。
二本の鋭利な脚が振り上げられ、今まさにウッドバックの体を貫こうとしていた。
弱音を上げている間も、神に祈りを捧げる時間も既に無い。
「グウウウウウウウウッ!」
ウッドバックは唸りを上げながら渾身の力で腕を糸から引きはがした。
べりべりと腕の皮は引き千切れ、血を吹きながらもからがら腕の自由を取り戻した。
生きる意志を、戦士の底力を瞳の奥で燃やし、ウッドバックは振り下ろされた二本の脚を寸でのところで捕まえる。
「……ッグヌゥ……!」
力は、やや大蜘蛛が勝るか。
大蜘蛛の鋭利な脚が、徐々に徐々にウッドバックの両の肩口に迫りつつある。
ウッドバックの壮健な筋肉はぶるぶると悲鳴を上げ、大蜘蛛の余りの力に腕の筋細胞が破壊されるようだった。
そして、顔面が真っ赤に染まったウッドバックはなんとか声を絞り出す。
「速ク……シロ……イミティア……!」
灰色の狼が彼の視界を横切ったのは、その声のすぐ後だ。
大蜘蛛と巨人の間に躍り出たイミティアは、蛍火の様に明滅する短杖を突きつけこう叫ぶ。
「『冬を疾く焦がす大蛇』」
瞬間。
イミティアの振るう短杖から蒼炎の大蛇がずるりと飛びだした。
強大で、長大。
鱗の一枚一枚が蒼く燃え盛り、天に向かって高く猛る。
大蛇は煌煌と燃える深紅の瞳で獲物を捉えるや否や、轟々と周囲の酸素を食い散らかし、強烈な熱波を伴って大蜘蛛の体を這い回って締め上げ、そして――
――爆発。
蒼く、剛健な火柱が天と地を焼き焦がす。
嵐の様な熱風は辺りに散らばった粘糸を蕩かし、吹き飛ばした。
その爆発に巻き込まれたのは彼らも例外ではない。
転がるウッドバックは吹き飛ぶイミティアの体をなんとか捕まえると、傷が付かぬように手籠を作って彼女の体を守った。
蒼炎の大蛇に焼かれた大蜘蛛は、堪らず悲鳴を上げる。
呪詛に取りつかれた女の様な、悍ましい叫びだ。
神経を逆なでにかき鳴らすような不快な叫びに、ウルブドールの兵士達は勿論、周りの小蜘蛛達もその場に釘付けになった。
イミティアによる、二度目の『上級魔法』。
日に二度も『上級魔法』が使える魔法士は、はっきり言って規格外と言ってよい。
先程魔法薬を服用したが、あれは外傷や疲労を癒せるが魔力の回復を促せる効果はない。
イミティアはウッドバックの手籠の中で蹲りながら、強烈な消耗感と吐き気に苛まれていた。
彼女を守るウッドバックもまた、彼女の様子が気になって気が気ではない。
……蒼炎の火柱はやがて空に解けはじめ、霧散した。
炙られた空気が春風に押され、辺りに涼しさが戻り始める。
焼き焦がされた大蜘蛛は、その場に立ち尽くしていた。
元から体が黒い為、炎によるダメージがどれほど入っているのかは見た目では分かりにくい。
ウッドバックは僅かに身じろいで手籠を解くと、手の中で未だに蹲るイミティアを地に下ろした。
「オイ、イミティア……大丈夫カ?」
「……あたしなら、平気さ。……へへ、それより見ろよ。奴の丸焦げの哀れな姿をさ。やっぱりあたしの魔法は天下一品だ」
「……アイツハ元々真っ黒ダガ」
「それもそうか……っくぅ……!」
苦し紛れに気焔を吐いたが、イミティアは既に立ち上がれない。
膝から崩れ落ちると、彼女は魔力の枯渇による嘔吐感に抗えず、その場で吐瀉した。
喉が炙られ、胃はきりきりと痛み……それから頭蓋の中身をカクテルシェイクしたような嫌悪感がイミティアを苛んだ。
「オ、オイ」
堪らずウッドバックが不安気な声を上げるが、それをイミティアのか細い声が制する。
「ウッドバック。あたしを担いで後退しろ……早く」
「何ダッテ」
「あいつは、まだ……生きている」
「何……?」
直後。
大蜘蛛は蒸気機関の様に口から煙を吐き出すと、瞳に深い赤を灯した。
『お前達は必ず殺す』
そんな憎悪が、聞こえてくるようだ。