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後退せよ

 


 魔法薬ポーションを胃に流し込むと、イミティアは漸く立ち上がった。



「大丈夫カ」


「ああ、クソ。いつ飲んでも忌々しい味がするね魔法薬ポーションってやつは」



 そう言って、本当に忌々しそうに小瓶を踏み潰すイミティアの表情に余裕はない。


 獣族ビスティアたる彼女の頭に生えた狼の耳が、既に次の脅威を教えてくれているからだ。


 イミティアは転がる短杖ワンドを拾い直すと、手早く腰のベルトに差し込んだ。



「ウッドバック」


「ヘイ」


「あたしを担いで後退しろ。少し様子が見たい」


「……ヘイ」



 イミティアの指示に何かを察したウッドバックは小柄な彼女の体を摘まみ上げると右肩に乗せ、視線を門から逸らさずに後ずさる。



「……何カ、クルノカ?」


「……分からない。だが、嫌な『音』がする。これは良くない」


「……ソウカ」



 魔法士達が寄ってたかって門を塞ぐ様子に、幾許かの弛緩した空気が流れているのは否めない。


 しかしこの二人の緊張の糸はまだ、固く張ったままだ。


 ウッドバックは腰にさげた戦斧をいつでも抜ける様に、それからいつでもこの場を離脱できるように警戒のレベルを上げていく。



「…………ん」



 そして、イミティアの耳がピクリと跳ねた。


 狼の耳は、どんな些細な音も聞き逃しはしない。




 --それは、亀裂。



 めりめりと硬い岩盤が悲鳴を上げた時のような鈍く、重たい音が、眼前の大門から俄かに発せられている。



(……不味いな。まさか、破られるか)



 冷や汗を流しながら、イミティアはチョークバッグの中を弄った。

 予め持ってきた魔法薬ポーションの小瓶は、残り三つ。



(まだいけそうか……? いや、ここは)



 ……撤退だ。


 イミティアが心中で結を下した、その時だった。






 --目の前の巨大な石門が、轟音をかなぐりたてながら砕かれた。






 そうして弛緩した空気は、一瞬にして地獄のそれへと舞い戻る。


 砕かれた石門に押し潰され、まずは魔法士達の絶叫が鼓膜を叩いた。


 巨人より大きく、巨木より分厚い石の門が砕かれたのだ。最前に居た兵士達は皆それらの下敷きになり、擂り潰されたトマトの様な屍をすぐさま晒すことになる。


 そして間髪入れずに響きわたるのは、恐怖に彩られた兵士達の悲鳴。


 堰のなくなった小蜘蛛達は、それこそ雪崩れ込む様に、お互いがお互いの体を乗り越えながら続々と門の内側へと侵略を始めた。


 次陣に構えていた兵士達はたちまち蜘蛛の濁流に呑まれ、死の海底へと引きずり込まれていく。


 ……阿鼻叫喚。


 戦場はやはり、地獄の様相を呈していた。




「イミティア!」




 ウッドバックの野太い声が飛ぶ。


 イミティアは目の前の光景を忌々しく睨むと、周りの喧騒に負けぬ様に指示を飛ばした。




「外門は終わりだ!内門まで下がれ!」


「ココヲ手放シテ、イイノカ!?」


「どの道もう外門は取り返せない! 冷静になれウッドバック! あたし達は兵士じゃあないんだぞ! 生きることだけを考えろ!」




 ドライで、冷静クレバー

 ある種商人らしく、しかし数多の戦場を超えた老兵の様に利己的なイミティアの決断に、ウッドバックは二も無く頷いた。


 それに、外壁が突破されたからといって完全にウルブドールが堕ちたわけではない。

 二重ふたえの内のもう一枚、まだ内壁が残っているのだから。


 己を中心に置いて、大局を見る。

 戦場に於いて『生き残る』為に、最も重要な事の一つだ。



(……くそ。『船』を出すなら南からと決めていたが、まさかここから突破されるとはな)



 大きく揺れるウッドバックの肩に乗るイミティアは、己の打算の甘さに臍を噛んだ。


 彼女は旅商団の頭領として守らねばならない団員かぞくを大勢抱えている。

 たとえこの街が沈もうと、世界が闇に呑まれようと、彼女は団員達だけは生かす腹積もりだ。


 イミティアは、戦う為に、何かを滅ぼす為にその剣を振るう事はない。

 ただ自分が護るべき者を、愛すべき者を護る為だけにその力を振るうのだ。


 ……ただし裏を返せば、赤の他人の命や境遇には興味を示さない、とも取れる。


 ウルブドールはどうなっても良い。

 ただ、彼女が抱えるベルベット大旅商団だけは何としても救いたい……その一心だった。




(どうする。南が駄目なら西から抜けるか。……いや、ここは一度レミリア達と相談した方が)



 さて、そうしてイミティアがまた思考に耽ろうとした時だった。


 一際大きな悲鳴が、打ち破られた外門から響めきあがった。


 弾かれた様にイミティアもそちらを見やると、歴戦の戦士たる彼女もまた言葉を詰まらせる。


 巨人のウッドバックでさえ、ゴクリと喉を鳴らさずにはいられかった。







 黒、黒、黒。


 小蜘蛛の波は、濁流は、止まる事を知らない。


 それらの体長は、小さな子供程度。

 牙は鋭いが体は脆く、数にさえ目を瞑れば兵士一人一人が対処しきれない程でもない下級の魔物だ。







 しかし、それらは所詮『小蜘蛛』。







「『母蜘蛛』ガ、キタカ」





 ウッドバックのその呟きは、とかく硬い。


 体長は、巨人族ギガンティアの彼が僅かに見上げる程度。


 でっぷりと膨らんだ腹部には毒毒しい斑模様がびっしりと刻まれ、柔らかそうな体と違って八本の足は鋼の様な光沢を放っている。


 顔にあたる部位には蜘蛛のそれではなく、彫刻から切り取った女神像の様な漆黒のかんばせが無機質な異彩を放っている。


『中級第一位』。


 名もなき大蜘蛛の魔物が、黒の巨大を揺らしながらゆっくりとウルブドールの大地を蝕み始めた。




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