天を灼く刃
「魔女をどこへ隠したァ!」
ゼーネイ卿の苛立ちが、叫びとなって屯所の一室に木霊する。
蹴飛ばされた木椅子が石床に打ち付けられ、悲鳴を上げた。
「残念ですが私達には分かりかねます」
しかし努めて冷静に、セレティナに助けられた帝国兵達は事務的に応えるのみだ。
一分一秒でもセレティナが逃げられる時間を工面する……それが彼らに課せられた使命なのだから。
彼らの態度が苛ただしいのだろう、ゼーネイ卿のどんぐりの様に小さな瞳が更に血走っていく。
「虚言はもう良い! 貴様らそれ以上しらばっくれるつもりなら全員斬首刑に処すぞ!」
「それは余りにも暴論かと……。私達は貴方の望むままにここへご案内しました。それに貴方も実際に見たでしょう、天使様がバルコニーにてご休息を取られている様を。私達にこれ以上何を望まれるのか」
「貴様……!」
ゼーネイ卿の怒りが沸点の限界を過ぎてもなお煮え立っていく。
過剰なストレスによって体は小刻みに震え出し、口の端から涎が滲みだした。
……しかしその余りある怒りの底に眠る理性は、絶対零度の恐怖に怯えていた。
正直、早合点が過ぎたのだ。
魔女捕縛計画を立案した時、彼は自身の冴えわたる頭脳に自画自賛の念が絶えなかった。
自分のプライドと名誉と地位を守るため、これ以上にない作戦だと信じて疑わなかった。
……だが敢えてもう一度言うならば、ゼーネイ卿は早合点が過ぎた。
リスク管理。
これが、余りにもおざなりすぎる。
もし、もしもだ。
このまま魔女が……セレティナが逃走に成功したならば、どうなる。
「うぷ……っ……!」
ゼーネイ卿の胃の腑から、熱いものが喉元までせりあがった。
が、部下の手前彼はなんとかそれを飲み下す。
干上がるような熱が、喉を焦がした。
(まずい。まずいまずいまずいまずいぞ)
じっとりと汗ばむ額を拭ったゼーネイ卿の脳裏に過るのは、ギルダム帝国皇帝ヴァディン・ギム・リーン・イェルバレスの仄暗い瞳の輝きだった。
ゼーネイ卿は知っている。
あの若き皇帝が振るう断罪の剣の軽さを。
もしも此度の件がバレて公のものになってしまえばゼーネイ卿は勿論、彼の妻や子供……引いては彼に連なる者全ての首が飛ばされる事は想像に難くない。
きっと、稀代の大うつけとして自分の名が次代に残されていくだろう。
そんなのは、嫌だ。
そんなのは、耐えられない。
だから叫ぶ。
物に、人に当たる。
頭が回らず、部下に抽象的な指示しかできない。
既にゼーネイ卿の脳は、恐怖に侵されていた。
「お、お前達!この者達を拷問にでもなんにでもかけて魔女の居場所を吐かせろ!吐かせたものには白金貨を二枚……いや三枚くれてやる!」
「し、しかしこの者達は同じ帝国の」
「戯けめ!魔女の片棒を担いだこやつらはもう帝国の民なんぞではないわ!皮を剥けば中から悪魔が出てくるやもしれんぞ!その剣を貸せ!儂自らがこやつらを粛清してくれる!」
「ぜ、ゼーネイ卿!」
ゼーネイ卿は兵士の腰から剣をひったくると、何ら躊躇もせずに鞘から刀身を引き抜いた。
そうして睨むは、近くにいた少年兵……先程までセレティナに扮していたカウフゥその人だった。
ゼーネイ卿はカウフゥの襟首を乱暴に引っ掴むと、そのまま壁に押しやり、カウフゥの喉元に剣をあてがった。
「言え!魔女はどこにいる!」
ゼーネイ卿が、力任せに吠える。
カウフゥの瞳に、恐怖の色が滲み出た。
「ゼーネイ卿!お止めください!彼はまだ子供ですよ!」
「何が子供だ!魔女の手引きは重罪だ!女だろうが子供だろうが断罪されるのは当たり前であろう!」
「それを決めるのは法廷と皇帝です!ゼーネイ卿!今一度冷静に自分の身の振りを見つめ直してください!」
青二才が。
剣を握る自分の腕に絡みつく兵士雑に振りほどき、そう吐き捨てるその時だった。
――もし。
少し低く、酒に灼けた女の声が、やけに鈍く脳を揺らした。
手を止めたゼーネイ卿が、ゆっくりと振り返れば部屋の入口で、女が小さく佇んでいた。
光を通さぬほどに黒々とした紫のおかっぱ頭。
妖狐の様な細ばんだ目に収まるは、蜂蜜色の瞳。
純白の帯で留められた菫色の着物には、鮮やかな花が咲き乱れている。
ヨウナシは真っ赤なルージュを引いた口から煙を吐き出すと、ゼーネイ卿にねっとりとした視線を巡らせた。
ゼーネイ卿はカウフゥを床に打ち捨てると、突如現れたヨウナシに居直った。
「なんだ、女」
低くくぐもった声。
威圧するつもりで角ばらせたその声に、しかしヨウナシは涼しげだった。
「権力を笠に童子に手を上げるとは中々いただけない男よの」
「……何が言いたい? お前はなんなんだ」
「……件の魔女ならもうここにはおらんよ。今頃街の外かも知れぬがな」
「何だと!……いや待て、何故お前がそれを知っている。何故それを言いに来た」
「儂が逃がすように手配したからのう。知っていて当然じゃて」
瞬間。
ゼーネイ卿の目の色が変わる。
彼の手合図によって、風よりも早くヨウナシの周りを兵士達が取り囲んだ。
「貴様が魔女逃亡に一役買ったということか。わざわざここに何をしに来たのか分からんが、大人しく魔女の居場所を吐けば殺してやらんでもないぞ」
「……血の気が多くて結構。男子はこれくらい元気が無いとのう」
ヨウナシはそう言って煙管を咥えると、たっぷりと肺に煙を溜め込んだ。
ゆっくりと全身に煙を巡らせ、そしてまたゆっくりと吐き出していく。
満足気に火種を確かめながら、そうしてヨウナシは言葉を続ける。
「のう、『人事を尽くして天命を待つ』という言葉を知っておるか」
「……」
「ゼーネイ卿とやら、お主はようやった。その矮小な脳みそで悪知恵をひりだし、金をばらまき都市全体に警邏網を巡らせ、己の保身とはいえここまでやれる人間はそうはいないものよ」
でものう。
そう言って、ヨウナシの唇が歪に歪む。
「お主が尽せる人事はここまでじゃ。後は天命を待て。……何故ならこれ以上の手出しはこの儂が許さん」
「何を――」
――次の瞬間。
レヴァレンス帝国兵駐屯地に、巨大な火柱が打ち立った。
強烈な閃光は夜を焦がして天を焼き、その輝きは神話に語られる『ツァーギスの光杖』の様だったという。