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着物の女

 


 かき抱かれた。

 ふわふわのメイド服からは石鹸の香りと、少しばかりの汗の臭い。


『篠突く影』の横を脇目も振らずにすり抜けたエルイットは、彼女自身の決して貧しくない胸の中にセレティナを押し込んだ。


 ぎゅうぎゅうとエルイットの双丘に閉じ込められたセレティナは呼吸が出来ずに身藻搔くが、エルイットはセレティナを離さない。


 セレティナの頭の上からは、エルイットのぐずついた吐息と鼻水を啜る音が聞こえてくる。



「うぇ……ぶぇっ……おじょうだばよぐぞご無事で……うぅぅっ……レヴァレンスに来てみたら……おじょうざまが魔女だなんだのおおざわぎでっ……ふぅぅぐぅ……!よぐぞこぶじで……!」



 そこまで言うや、エルイットは盛大に泣き出した。年端もいかぬ幼子がそうするように、エルイットはとうとう声に出して泣いた。


 泣くメイド。

 ばたつく少女。


 それを離れたところから四つ子の少女達は少し困惑した様子で、呆然と見る他無かった。



「……困惑。新手?増援?」


「……否定。得物と戦闘力は無さそう」


「……提案。一網打尽。今の内だよ」


「……賛成」


「……否定。感動的再会?今はちょっと可哀想」


「……同意。女性の涙、大事。母が言ってた」


「……了承」


「……不満?」


「……不満を否定。無粋ではないから、僕」


「僕も」


「僕も」



 全く同じ顔、全く同じ黒装束の四人が顔を突き合わせて話しているのは奇妙なもので、それに加えて会話の内容も少し気が抜けている。

 リキテルは剥いた牙を暫し収めるべきかどうか決めあぐね、ガシガシと赤毛の頭を掻いた。



「おい黒子四姉妹。そっちは一旦放っておいてだな、俺はいつでもいけるぞ」


「……お馬鹿さん。やる気?この人数差で」


「やらないとでも?」


「……四対一。やっぱりあの人お馬鹿さん」


「同意」


「肯定」


「賛同」



 ユフォは、ふっと黒のフェイスベールの下で嘲るように笑みを浮かべると再びナイフを構えて腰を落とした。

 それに倣う様に、姉妹の三人も構えを見せる。



「捕まえたきゃ好きにしな。だがそれは俺をぶっ倒してからにしてみろ」



 リキテルの手の中で、ククリナイフが軽快半円を描いた。



 ……再び、戦闘が始まる。

 そんな空気が漂い始めた時だった。







 カラン、カロン、カラン、カロン……。







 高下駄が石畳を叩く軽やかな音色が、この狭い路地裏に奏でられる。


 カラン、カロン、カラン、カロン……。


 音色が、ゆっくりと戦場に忍び寄ってくる。


 カラン、カロン、カラン。


 ……ピタリと音が鳴り止んだ。



「何を遊んでいるのかしらお前達」



 替わりに、女の声。

 少し低く、酒に灼けた声だった。

 しかしその声は、美しい。

 まるで詩の一節を朗々と読み上げる様な、心の深くにすとんと抜ける声だった。


 声音は若い。

 されどその声にはこの世の艱難辛苦を知り尽くした老婆の様な凄みさえある。



 下駄の女は、一歩前へ。

 そうすると、影に隠れた姿が露わになった。


 まず目につくのは、光を通さぬ程に黒々しい紫色のおかっぱ頭。丸みを帯びた黒の曲線は、よくよく目を凝らせば左が短く右が長い。


 白磁の様なかんばせに、妖狐の様な鋭い目が少し細ばんでおり、蜂蜜色の瞳は僅かに輝きを帯びている。


 唇には、真っ赤なルージュ。

 小ぶりな唇が、悩ましげに赤に照っている。


 女が纏うは、遥か東方に伝わると聞く着物という衣装。一目で上等と分かる菫色の生地にはセレティナやリキテルが見たことの無い見事な花が咲き乱れ、腰の辺りで純白の帯によって留められている。


 年の頃は、二十の半ば辺りか。

 ほっそりとした長身は、高下駄を履く事で更に上背に見える。


 女は煙管キセルを口に含むと、ぽうと煙を吐き出して『篠突く影』を見下ろした。



「……おいおい、また新キャラか」



 リキテルは歯噛みすると、ククリナイフの峰で肩口をとんと叩いて嘆息を漏らした。



「……これ、そこの青いの。人様を新キャラなんぞと呼ぶもんではない」



 カラ、コロ。

 女は紅色の唇の形を変えてくすくすと笑うと、下駄を鳴らしながらリキテルに歩み寄った。



「……青い?俺のどこが青いんだ」


「尻に決まっておろう?其方は見るからにまだまだ青臭うて敵わん」



 リキテルの握るククリナイフに、僅かに力が入る。女はその機微を見逃さず、しかし満足気に目を細ばむとそっとリキテルの分厚い手の甲に自身の手を重ねた。



「しかし若さ、青さとはそれもまた尊いものよの。青さを失った者が青き日に帰りたがるのは世の常。青き者が己の青さを恥じるのもまた世の常。人間とは不思議なものじゃ」


「……何が言いたい」


「興奮するでない。儂は其方の味方じゃ」


「……何?」


「この子達が迷惑をかけたの」


「なん……?」



 言ってリキテルの眉が歪む。

 見れば、傅く様に黒の四姉妹が着物の女の後ろに控えていた。


 それは『篠突く影』と女の主従関係を表すには十分な光景であった。



「……あんた、こいつらの親玉か」


「言い方が悪いな坊や。儂はこの子らの雇い主なだけよ」



 女はそう言うと、側に控えるユフォの頭を撫でてみせた。



「それより俺らの味方ってどういう」



 リキテルが言いかけた時だった。



「ヨウナシ先生!わだっ、私のお嬢様が!見つがりました!本当にあびがどうございますぅ!」



 顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったエルイットが、女の膝元に縋る様にしがみついた。

 女はそれを見るにつけ、人の良い笑みを浮かべてよしよしとエルイットの頭を撫でつける。



「言った通りであろう?儂の占いは良く当たるんじゃ」


「はいっ!はひっ!このご恩は一生忘れません!」



 涙と鼻水が着物に付いていそうなものだが、女はにこやかにエルイットの頭を撫でるばかりだ。



「……ちっと、どういう状況か飲み込めねぇな」


「……同意」


「……困惑」


「……説明を要求」


「……お腹空いた」



 まるで蚊帳の外のリキテルと『篠突く影』の四人は、呆然と立ち尽くすばかりであった。

 ……セレティナはというと、未だにエルイットの中で窒息しかけている。

 



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