Word.24 おノ神ハ弟 〈4〉
その頃、篭也の案内により、於崎の屋敷を目指すアヒルと安団のメンバーは、電車とバスを乗り継いで、やっとのことで於崎の広大な敷地、その山一つ分を使った屋敷の前へと辿り着いていた。アヒルたちが辿り着いた頃には、すでにすっかり日が落ちており、周囲は山ばかりのため真っ暗で、屋敷の光だけが辺りを照らしていた。
「ふっはぁ、やっと着いたぁ」
「本当、結構遠かったですねぇ~」
がっくりと肩を落とすアヒルの横で、保も力なく声を漏らす。
「よくもまぁ、こんな山奥に好んで家を建てたものね…」
「確かに、お買い物とかは大変そう…」
本当に何もない周囲を見回し、囁と七架がどこか感心するように呟いた。
「けどさぁ」
アヒルがふと、眉をひそめる。
「すっげ厳戒態勢なんだけど、これって通れんの?」
突き出した人差し指を、軽く指し示すアヒル。その指し示した方向、屋敷の門の前には、アヒルたちを威嚇するように、強い視線で睨みつける、屋敷の使用人と思われるたくさんの者たち。痛いほどの視線には、その場に居ることも気まずくなる。
「通れるに決まってるじゃない…?何せ、篭也はこの屋敷のお坊ちゃまで…」
「何をしにおいでなさったのです!?篭也様!」
「あなたはもう十年も前に、この屋敷への立ち入りを禁じられたのですよ!」
「あら…?」
使用人たちから浴びせられる声に、囁が少し間の抜けた声を漏らす。
「立ち入りを、禁じられた…?自分の家なのに…?」
「……っ」
戸惑いながら首を傾げる七架の横で、アヒルがそっと眉をひそめる。
「はぁ!もしかして神月くんっ、子供の頃から、近所で評判の跳ねっ返りだったんじゃあっ…!」
「黙れ。殴るぞ」
「んっ!」
場の空気を読まずに大きな声を出した保が、篭也に突き刺すような言葉を返され、すぐさま両手で口を押さえ、黙り込む。
「しかし、こうなるなら裏口の方から、こっそりと行けば良かったな」
「気付くの、遅せぇよ…」
今更ながらの反省をする篭也に、アヒルが少し呆れた表情を見せる。
「まぁ入れねぇーもんは、仕方ねぇや。とりあえずここ出て、この近くで泊まれそうなとこをっ…」
「まぁ、これは珍しいお客様ですわね」
「えっ?」
皆にそう言って、屋敷の前から去ろうとしたアヒルが、門を取り囲む使用人たちのその奥から聞こえてくる、聞き覚えのある、その凛とした声に、振り返った。
「いつ振りでしょうか…」
その声の主を、アヒルたちの前まで通すように、所狭しと並んでいた使用人たちが、きれいに素早く、左右へと分かれていく。
「この屋敷で、あなたの姿を見るのは…」
「あっ…!」
使用人たちの中から姿を現したのは、豪華な着物を纏った、美しい女性。
「言姫さんっ!」
「お久し振り…でもないですわね。安の神」
驚きの表情を見せたアヒルに、笑顔を向けたのは、言姫、和音であった。
「最近、安の神とはよくお会いしますわねぇ。縁があるのでしょうか」
「な、なんで言姫さんが、この屋敷にっ…」
「まぁ居てもおかしくはないだろう」
「へっ?」
口を挟んだ篭也の方を、アヒルが戸惑うように振り返る。
「和音は、檻也の婚約者だからな」
「へっ?」
「婚約者ぁ!?」
篭也の言葉に、アヒルが目を丸くし、保や七架も皆、驚きの表情を見せる。
「代々言姫は、於の神の、この於崎の人間に嫁ぐと決められている」
「凄い勢いで政略結婚ね…」
「何か…ちょっと切ないね…」
篭也からの説明に、囁は呆れたように肩を落とし、七架はどこか複雑な表情を見せた。
「それで?もう十年以上も、この屋敷に戻ってなかったあなたが、今になってこの屋敷に何の用なのです?」
「用があるのは、僕じゃない。我が神だ」
「安の神が…?」
「へっ?えぇっとっ」
振り向く和音に、アヒルが少し困ったような顔を作る。
「神の友が、己守に選ばれたんだ。檻也とともに、この屋敷に来ているはずなんだが」
「安の神のお友達が、己守に…?」
代わりに答えた篭也の言葉に、和音がそっと眉をひそめる。
「本当に、檻也は己守を連れて…?」
「え?え、ええ。己守であるかどうかはわかりませんが、昼頃、制服姿の少年を連れて、お戻りに」
「そうですか」
和音が近くに立つ使用人に聞くと、使用人は戸惑いながらも答えた。
「わかりました。どうぞ、お入りになって下さい、安の神」
「えっ?」
『なっ…!』
あっさりと言い放つ和音に、アヒルや、周りを取り囲む使用人たちが皆、驚きの表情を見せる。
「こ、言姫様…!何をっ…!」
「於崎家の者の許可もなしに、部外者を屋敷内に入れるなどっ…!」
「何か言われたならば、わたくしの指示だと言っていただいて構いません」
口々に言い放つ使用人たちの声を遮り、はっきりと言い放つ和音。
「すべての責任は、わたくしが取ります」
『……っ』
反論する使用人たちを、和音が強い口調で黙らせる。
「言姫さんっ…」
「しっかりと感謝していただいて結構ですわよ、安の神」
振り向いたアヒルへ、満面の笑みを向ける和音。
「ですが、中へ入っていただくのは安の神、お一人だけです」
『えっ…?』
言葉を付け加える和音に、保たちが驚きの表情を見せる。
「他の安団の皆さまには、離れを解放させますので、そちらで休んでいただきます」
「そ、そんなっ…!」
「我々、神附きに、神から離れろと…?」
思わず声をあげる保の横から、囁が鋭く問いかける。
「この条件を呑んでいただけないのであれば、安の神の立ち入りも取り消させていただきますわ」
『うっ…』
和音から突き付けられる厳しい言葉に、保たちが黙り込む。
「これでよろしいですか?篭也」
「ああ」
問いかける和音に、篭也は反論する様子もなく、あっさりと頷いた。
「元より、僕自身は、屋敷内に入るつもりはなかったからな」
「…………」
はっきりと答える篭也に、和音が少し目を細める。
「ではそういうことで、参りましょうか。安の神」
「お、おうっ」
和音が通って来た道を指し示し、屋敷の中へとアヒルを案内しようとする和音に、アヒルが少し慌てた様子で答える。
「朝比奈くん…」
「んっ?」
足を踏み出そうとしたアヒルが、不安げに名を呼ぶ七架の声に、振り向いた。
「悪りぃな、みんな」
仲間たちへと、笑顔を向けるアヒル。
「紺平とちゃんと話して、すぐ出てくっからさ。ちょっと待っててくれ」
「気を付けてね」
「ちゃんとお話してくるのよ…アヒるん…」
「ああっ」
声を掛ける囁と七架に、アヒルがしっかりと頷く。
「地底巨大モグラのヒゲヒゲアタックには、十分に注意して下さいねぇ~!アヒルさぁ~ん!」
「あ、ああっ…」
必死に叫ぶ保に、呆れた表情を見せながらも、とりあえず頷くアヒル。
「じゃあ篭也、後は任せるぞ」
「ああ。神もしっかりな」
「おう!」
篭也の言葉に答え、軽く右手を突き上げると、そのままアヒルは、まだ納得しきっていない表情の使用人たちに見送られ、和音に先導されて、屋敷の中へと消えていった。
「大丈夫かな…?朝比奈くん…」
「さぁ…?フフフっ…」
「アヒルさぁ~ん!地底人から無事に、紺平さんを助け出して下さぁ~い!」
「…………」
不安げな様子を見せる皆の横で、かつて暮らした屋敷を見つめながら、篭也はそっと目を細めた。
於崎屋敷から少し離れた場所に位置する、於崎の別邸。今は棘一と海苔次が、待機の場として、そこを使用していた。
「ののの…」
「んん~っ?」
窓際でソファーに座り、優雅に本を読んでいた棘一が、急に声を出す海苔次に、ゆっくりと顔を上げる。
「どうしたぁ~?海苔次っ」
「のの…の…」
「そうかぁ。安の神が屋敷の中へぇ~」
“の”としか言っていない海苔次の言葉を、棘一が瞬時に理解する。
「いよいよかなぁ?」
「のの…?」
「うん、そぉ。後は指示を待つだけぇ」
本を閉じ、近くのテーブルの上へと置いた棘一が、何やら楽しげな笑みを浮かべる。
「ああぁ~、ついにこの瞬間が来たのかぁ。本当に楽しみだねぇ」
ソファーから立ち上がった棘一が、窓から見える、丸い月を見上げる。
「これでっ…これで五十音の世界は、一気に崩れ落ちるっ…」
棘一が口角を吊り上げ、不気味な笑顔を作る。
「一気に、ねぇっ…」
かすかに開いた瞳が、見上げたその月を捉えた。




