Word.24 おノ神ハ弟 〈2〉
その日、放課後。
「ふっはぁぁ~っ」
一日の授業を終え、下校しようと昇降口の下駄箱を開けるアヒル。珍しく資料室掃除をせずに帰れるというのに、その口からは、いつも以上に深い溜息が零れ落ちた。
「ぶっはぁぁっ…」
「なぁ~に死にそうな溜息吐いてんだぁ?お前っ」
「うおぉっ!」
さらに深々と溜息を落としていたアヒルが、すぐ後ろから聞こえてくる声に、背筋を震え上がらせる。
「ス、スー兄!」
「よっ」
アヒルが振り返ると、そこには軽く手をあげ、笑顔を見せたスズメが立っていた。
「あ、もしかしてアレかぁっ?好きな子を、昇降口で待ち伏せして、恋文を渡そうって場面か?おいっ」
「んなわけ、ねぇーだろ!っつーか何か古りぃんだよ!そのシチュエーション!」
ウキウキと目を輝かせながら言い放つスズメに、アヒルが勢いよく怒鳴り返す。
「“恋盲腸”じゃ日常茶飯事だぞぉ?んなもんっ」
「話ん中と現実を、一緒くたにすんじゃねぇーよっ…」
得意げに話すスズメに、冷たい瞳を向けるアヒル。
「コンペーとケンカでもしたかぁ?」
「へっ!?」
スズメの言葉に、アヒルが驚いたように顔を上げる。
「おっ、図星かぁ。お前らよく懲りもせずに、ケンカばっかするよなぁ」
どこか感心するように、スズメが言い放つ。
「ケンカするほど仲がいいっつーし、別にいいとは思うけどよっ」
軽く笑みを浮かべるスズメ。
「まっ」
少し目を細め、スズメが言葉を付け加える。
「後悔する前に、とっとと謝っちまえよっ?」
「……っ」
スズメのその言葉に、アヒルがそっと眉をひそめる。
―――カー兄ぃぃぃっ…!!―――
「…………」
謝ることの出来なかった過去を思い出し、少し俯くアヒル。
「そうそう、俺、今日さ、恋盲腸のスペシャルトークライブ行くから、帰り遅くなるって、親父に言っといてぇっ」
「へっ?」
「んじゃあなぁっ!ヒトミ、待ってろよぉ~!」
「あっ…」
アヒルに軽く手を振ると、スズメはそのまま昇降口を出て、気合いの入った様子で学校から駆け去っていった。
「恋盲腸の…スペシャル、トークライブ…?」
一体、何が行われるのかを考えながら、アヒルが少し表情を引きつる。
―――後悔する前に、とっとと謝っちまえよっ?―――
「……っ」
スズメの言葉を思い出し、アヒルが再び険しい表情を作る。
「“謝る”か…」
少し細めた瞳で、どこか遠くの方を見つめるアヒル。
―――ごめんねっ…―――
「先に、謝られちまったなっ…」
靴を履き、昇降口を出たアヒルが、下校していく生徒たちの中を歩き、ゆっくりと校門を出る。
「はぁ~あぁ…」
「朝比奈くん!」
「んあっ?」
溜息を吐きながら、重い足取りで家へと帰る道を歩いていたアヒルが、後方から聞こえてくる名に足を止め、振り返る。
「奈々瀬」
「朝比奈くん!」
校門を出てきたばかりの七架が、振り返ったアヒルのもとへと、嬉しそうな笑顔を見せながら駆けてくる。
「きょ、今日も絶好の登校日和だねっ!」
「今、まさに下校しようとしてるとこだけどなっ…」
相変わらず、意味不明の発言をする七架に、少し引きつった表情で答えるアヒル。
「今日もバイトか?」
「ううん、今日は六騎と一緒に買い物に行く約束なの」
「六騎?ああ、あの弟か」
七架がアヒルの横へと並ぶと、二人は足並みを揃え、帰り道を歩き始める。
「何か、不思議だよね」
「へっ?何が?」
しみじみと呟く七架に、アヒルが大きく首を傾げる。
「つい一昨日まで、あんな大変な戦いしてたのに、今はこんなにのんびりしてて、平和で」
「……っ」
穏やかな笑みを浮かべて話す七架を、横から見つめ、アヒルが少し表情を曇らせる。
「奈々瀬」
「んっ?」
「ごめん、なっ…」
「えっ…?」
急に謝るアヒルに、七架が笑みを止め、戸惑いの表情となる。
「まだちゃんと、謝ってなかったと思ってさ」
「なんで謝るの?」
「いや、その、いくら神試験が迫ってて、奈守を探すことに焦ってたとはいえさ…」
問いかけた七架に、アヒルがどこか気まずそうな表情を作りながら、ゆっくりと言葉を繋いでいく。
「お前を、こんな戦いだらけの世界に、考える暇も与えないまま、巻き込んじまってっ…」
「朝比奈くん…」
申し訳なさそうな顔を見せるアヒルに、七架がそっと目を細める。
「“巻き込まれた”なんて、少しも思ってないよ」
「えっ…?」
返って来る言葉に、アヒルが驚いたように顔を上げる。
「少しも思ってない」
顔を上げたアヒルへ、七架が優しい笑顔を向ける。
「確かに、戦いは思ってた以上にずっと激しくて…痛い思いも、苦しい思いも、いっぱいしたけど…」
七架が空を見上げながら、どこか思い出すように呟く。
「でも、それ以上に嬉しかった」
―――俺だって、半端な覚悟で、神になろうってわけじゃねぇーんだよっ…!―――
「朝比奈くんが勝った時、すごく嬉しくて…安団のみんなで喜びを分かち合えた時、もっと嬉しくてっ…」
話しながら、七架が笑みを大きくしていく。
「ここに居られて良かったって、みんなの仲間になれて良かったって、心からそう思えたの」
「奈々瀬…」
七架の言葉を聞きながら、アヒルが少し目を細める。
「きっと、小泉くんも同じじゃないかな」
「えっ…?」
急に紺平の名を出され、驚きの表情を見せるアヒル。
「ごめんね。真田さんから、話聞いちゃったの」
「そ、そうか…」
頷きながらも、アヒルがどこか困ったような顔を見せる。
「小泉くんも、五十音士のこととか、全部知ったって、“巻き込まれた”なんて、思わないと思うよ」
そんな困ったような表情のアヒルへ、そっと微笑みを向ける七架。
「それは…」
―――もどかしかった、のかな…?―――
―――みんながわかり合えてることを、自分だけがわからなくって…―――
「それは…そう、かも知れないけどっ…」
「それだけの問題でもないのかな…」
「えっ…?」
アヒルの言葉に続くように、七架が代わりに先を口にする。
「けどね、朝比奈くん」
七架が再び笑顔を浮かべ、まっすぐにアヒルを見つめる。
「どんな想いも、言葉にしなきゃ、きっと伝わらないよ」
強く光る瞳で、アヒルを捉える七架。
「それは、朝比奈くんが、一番よくわかってるんじゃないかな…?」
「……っ」
七架の言葉に、少し表情を動かすアヒル。だがアヒルは、その言葉に特に答えることもせず、また悩むように俯いた。そんなアヒルを見て、七架が小さく笑みを零す。
「じゃあ、私はここで」
「へっ?あ、ああっ」
分かれ道に辿り着き、それぞれ左右への道を選ぶアヒルと七架。
「じゃあ、また明日、学校でね、朝比奈くんっ」
「お、おう」
アヒルへ大きく手を振ると、七架は右へと曲がっていき、さらにその先の曲がり角へと、姿を消していった。道の分岐点に立ち尽くしたまま、アヒルが少しの間、考え込む。
「言葉っ…」
そう言って、アヒルがそっと空を仰いだ。
その頃、紺平は、檻也、棘一、海苔次と共に車に乗り込み、言ノ葉町からはかなり離れたところにある、あまり人口の多くない山ばかりの町へとやって来ていた。
「ふわぁっ…」
やっとのことで止まった車を降りると、紺平は思わず感嘆の声を漏らした。目の前に広がっていたのは、山一個分の敷地を丸々使った、壮大な屋敷であった。木造建築で、その様式も古く、歴史ある屋敷であることがうかがえる。
「ここが代々、於の神を務めておられます、於崎のお屋敷であります」
屋敷を指し示し、棘一が紺平に説明するように話す。
「まぁ、ワタクシから言わせれば、ただのバカデッカイだけのボロ屋敷ですけどねぇ」
「棘一…」
相変わらず失礼極まりない棘一を、檻也が鋭く名を呼んで注意するが、棘一は特に、その笑顔を崩すことはなかった。
「もう、お前たちはここでいいぞ。下がって、休め」
「おやっ?ですが小泉サンへの説明はぁっ…」
「空音にさせる」
「空音サンに…そうですかぁ。でしたら確かに、ワタクシたちまで行く必要はなさそうですねぇ」
檻也の言葉に、納得するように頷く棘一。
「口下手にも程がある神が説明するというのであれば、無理やりにでも残るのですがぁ」
「お前、いい加減に殴るぞ…?」
棘一の発言に、そろそろ怒りも頂点に達してきたのか、檻也が強く拳を握り締める。
「では、お言葉に甘えて、今日はこのまま休ませていただくとしましょうか、海苔次」
「ののの…」
棘一がそう声を掛けると、海苔次が遥かに上の方で首を縦に振る。
「ああ。じゃあまた、必要であれば呼ぶ。来い、小泉紺平。中へ入るぞ」
「あ、うん」
二人にそう言い放ち、紺平を連れ、檻也が屋敷の中へと入って行こうとする。
「ああ、神ぃ~」
「……っ?」
呼び止める棘一に、門をくぐったところで、檻也がゆっくりと振り向く。
「何だ?」
「いいえぇ、そのぉ、あまりこういう小言のようなことは言いたくないのですがぁ」
「…………」
言葉を選ぶように、少し詰まらせながら話す棘一に、眉をひそめる檻也。
「この間の神試験のことといい、今回のことといい、最近の神はいささか、勝手が過ぎるかとぉ」
「俺に、お前の言うことだけを聞いて、動けと…?」
「いいえぇ、そんなとんでもなぁいっ」
そっと問いかける檻也に、棘一が大きく首を横に振る。
「ただぁ、ワタクシはあなたに、神として常に冷静であってほしいと、そう願っているだけですぅ」
「俺は常に冷静だ」
「ええぇ、お兄様のいらっしゃらないところでは、ねぇっ」
「……っ」
まさに棘の含んだ、その棘一の言葉に、一気に曇る檻也の表情。
「俺に、兄などいない」
少し瞳を細めた檻也が、まるで睨みつけるように棘一を見つめ、強く言い切る。
「行くぞ」
「あっ、えっと、ちょっと…!」
足早に屋敷の奥へと入っていく檻也を、紺平が慌てた様子で、必死に追っていく。二人の姿が屋敷の中へと消えると、辺りに静けさが戻った。
「ふぅ~っ」
海苔次と二人、門前へと残された棘一が、どこか一息つくように、深々と肩を落とす。
「まったく、本当にからかい甲斐のある神様ですねぇ」
「ののの…」
「んっ?」
楽しげに微笑んでいた棘一が、上方から聞こえてくる声に、そっと顔を上げる。
「何だい?海苔次」
「のの…トド、ロキ…」
「今は棘一だよ。その名で呼んでは駄目だ」
途切れながらも名を呼んだ海苔次に、棘一がどこか注意するように言い放つ。
「でもまぁ、この名でいるのも後少しかな」
棘一が口元を歪め、怪しく微笑む。
「これで後は、ここに安の神が来ればっ…」




