Word.23 異国ノ音士 〈4〉
「痛てててててっ…」
一方、一閃を直撃し、後方へと吹き飛ばされたアヒルが、打ちつけた背中を押さえながら、少ししかめた表情で、ゆっくりと起き上がる。
「大丈夫か?保っ」
「は、はいっ、何とかっ…」
アヒルの横で、同じように表情を引きつった保が、体を起こす。
「はぁ!こんな年中大丈夫じゃない俺なんかが、アヒルさんに心配してもらっちゃって、すみませぇ~ん!」
「ハイハイ」
相変わらずの様子で謝り散らす保を、アヒルがもうさすがに慣れた様子で軽くあしらう。
「まったく…助けられないなら出て来なければ良かっただろうが」
「すみませぇ~ん!でも正直、神月くんもそうだったような…」
「はぁっ?」
「まぁまぁっ」
険悪な空気となる篭也と保の間に割って入り、アヒルが笑顔を作って宥める。
「けっど、それにしても、あいつの力って一体っ…」
「ラ行の五十音士っていうのは特殊でねぇ~」
『……っ?』
真剣な表情でライアンを方を見つめ、考え込むような表情を見せていたアヒルが、すぐ後方から聞こえてくる声に、篭也、保とともに振り返る。
「扇子野郎っ」
「はぁ~いっ、やっぱり苦戦しちゃってるみたいだねぇ。朝比奈クンっ」
アヒルたちの立つすぐ後ろの壁の上に乗り、その暢気な笑顔で、高々とアヒルたちを見下ろすのは、為介であった。どうやら皆を追って、広場までやって来たようである。
「やっぱり…?」
「ラ行の五十音士が特殊とは、どういうことだ?為の神」
まるでこの展開がわかっていたかのように話す為介に、大きく首を傾げるアヒル。そんなアヒルの横から、篭也が鋭く為介へと問いかける。
「戦ってみて、わかったんじゃなぁ~い?彼が操ってるのは動詞でも形容詞でもない。“助動詞”だってぇ」
「助動詞?」
為介の言葉に、そっと眉をひそめるアヒル。
「って、何だ?」
「さぁ?存じあげてない感じです」
「あなたたちは、とりあえず、もっと国語を勉強しろ…」
まったく理解していない様子で、大きく首を傾げるアヒルと保に、篭也が少し怒ったように言い放つ。
「助動詞というのは、活用のある付属語のことだ」
眉間に皺を寄せながら、首を傾げている二人へ向け、説明を始める篭也。
「他の語の後について、受け身や可能、打ち消しなどの意味を表す。わかるか?」
『はぁっ?』
「わからないだろうな」
間抜け面全開にするアヒルと保に、篭也が諦めたように肩を落とす。
「さっき、朝比奈クンの“当たれ”が、“当たらない”に変えられちゃったでしょ~?」
「んっ?」
そこへ口を挟む為介に、アヒルが顔を上げる。
「彼の持つ“らりるれろ”の力は、動詞の後につく“れる”とか“られる”を変化させて、相手の言葉を操っちゃうんだよぉ~」
「らりるれろ?」
「うん~、彼の羅針盤の文字盤に刻まれてるでしょぉ?“良利留礼呂”ってぇ」
「だが、あの男は良守だろう?」
説明する為介に、篭也が鋭い瞳を向ける。
「何故、“り”や“る”の文字まで…」
「ラ行の五十音士は一人のみ」
戸惑いの表情を見せる篭也に、為介が笑顔で答える。
「つまり、良守が他の“利守”、“留守”、“礼守”、“呂守”の四つを兼ねるのさぁ~」
「へっ!?じゃあ、あいつ、一人で五人分の五十音士やってるってことかっ!?」
「そういうことぉ~」
「ひやぁ~」
為介の話を聞き、感心しきった表情でライアンを見つめるアヒル。一つの文字を操ることにも苦戦しているアヒルにとって、五つも文字の力を持っているライアンは、尊敬ものであった。
「けど、言葉変えられちまうんじゃ、ろくに使えねぇし、一体どうしたらっ…」
「ハァ~イ!ゴッド!」
「んあっ?」
悩み込むように俯いていたアヒルが、正面から聞こえてくるライアンの声に、ゆっくりと顔を上げる。
「モウ、降参デスカァ~?」
「ああっ!?」
挑発するようなライアンの問いかけに、アヒルが勢いよく顔を引きつる。
「だっれが降参なんかすっ…!」
「降参なんてしないわ」
『えっ…?』
アヒルが言おうとした言葉を代わりに放って、入って来るその声に、アヒルとライアンが戸惑うように振り向く。
「安団を、あまりナメないで」
「奈々瀬!」
言玉を解放し、赤い薙刀へと姿を変えさせた七架が、鋭い表情を見せ、ライアンへとその刃を振りかぶろうとしていた。
「や、やめろ!奈々瀬!下手に言葉使うと、俺らの二の舞になるぞっ…!」
「オ国柄、ガールニ手ヲアゲルノハ、アマリ好マシクナイデスガァ、仕方ナイデスネェ」
ライアンに向かっていこうとする七架を止めようと、必死に身を乗り出すアヒル。一方、ライアンは、鋭い表情を見せている七架を見つめ、少し目を細めた後、困ったように言い放ちながら、羅針盤を構える。
「サァ!オイデヤスゥ!」
「な…」
いつでもかかって来いとばかりに両手を広げるライアンに対し、七架がゆっくりと口を開く。
「奈々瀬!」
「奈々瀬さんっ…!」
不安げに身を乗り出す、アヒルたち。
「“薙ぎ倒せ”…!」
振り下ろされた七架の薙刀から、鋭い赤い光が放たれる。
「エエェ~、“薙ぎ倒せ”、“薙ぎ倒せ”…ンンっ?」
羅針盤に右手を掲げながら、七架の放った言葉を繰り返していたライアンが、ふと首を傾げる。
「オウ!ラ行ガ、アリマセェ~ンっ!」
頭を抱えたライアンが、焦ったように叫び声をあげる。羅針盤で言葉を変えることが出来なかったライアンのもとへ、七架の放った光が迫っていく。
「ノオオォォォ!」
そのまま避けることもなく、光を直撃したライアンが、後方へと吹き飛ばされる。
『おおっ!ナイス!』
見事、ライアンに一撃を喰らわせた七架に、アヒルと保が目を輝かせる。
「そっかぁ。ラ行のついてねぇ言葉使えば、変えられねぇってことかぁっ」
「まぁ、それに気付いた奈々瀬も凄いが、こればかりは、文字の相性があるからな」
「神月クンてば、自分の言葉が通用しなかったことに対して、さりげなく言い訳してないぃ~?」
「していない」
からかうように問いかけてくる為介に、篭也が少しムキになったような表情で答える。
「痛タタノタデスゥ~」
後頭部を押さえながら、地面に倒れ込んでいたライアンが、ゆっくりと起き上がる。
「今ノハ、薙げ“れ”ナイト言エバ良カッタデスネェ。ヤハリ日本語ハ、難シイデスゥ」
立ち上がりながら、先程、攻撃が防げなかったことを反省するライアン。
「ヨォ~シ、次コソハァっ…!」
「“変格”」
「ンンっ?」
気合いを入れようとしたライアンが、前方から聞こえてくる声に顔を上げる。
「オゥ、マタモヤ、ガールっ?」
「さ…」
ライアンが顔を上げると、そこには解放させた言玉を、さらに変格させた、赤銅色の槍を構えた囁の姿があった。ライアンが見つめる中、囁がゆっくりと口を開く。
「“裂け”」
囁が言葉とともに槍を突き出し、ライアンへと赤い一閃を向ける。
「“裂け”…今回モラ行ハナイデスガァ、デモデモ先程ト同ジヨウニハイキマセンヨォ!」
ライアンが大きな声を出し、勢いよく羅針盤を構える。
「ララララァ~“礼”!」
羅針盤の針が、『礼』の部分へと移動していく。
「裂け“れ”マセェ~ン!」
高らかと、言葉を言い放つライアン。
「ええ…そうね…」
「ホワァットっ?」
自信を持った笑みを浮かべていたライアンが、囁の言葉に、目を丸くする。
「確かに…フフっ…」
まっすぐにライアンを見つめる囁が、どこか不敵な笑みを浮かべる。
「“避けれない”、わ…」
「ンナっ…!?」
ライアンの放った言葉が、囁により上書きされると、ライアンへと向かっていた赤い一閃は、ライアンを避けることなく、まっすぐに向かっていく。
「ノオオオォォっ!」
向かってくる一閃に、最早、かわす術もなく、焦りの表情を見せるライアン。
「オー!マイゴォォォーッドっ!!」
頭を抱え、神を呼んだライアンへと、一閃が直撃する。
―――バァァァァン!
「オ…オゥ、ノゥっ…」
直撃を受けたライアンが、地面へと倒れ込み、そのまま力なく瞳を閉じた。
「ふぅっ…」
ライアンが倒れたことを確認し、軽く息を吐きながら、構えていた槍を下ろし、もとの言玉の姿へと戻す囁。
「やったね!真田さん!」
「んっ…?」
そこへ、明るい笑顔を見せた七架が、早足で駆け寄って来る。
「ええ…」
「真田さんに教えてもらった言葉、バッチリだったよ!凄い凄い!」
「フフフっ…でしょう…?」
感心したように話す七架に、囁もどこか嬉しそうな笑みで返した。
「あぁ~あ、終わっちゃったぁ」
微笑み合っている囁、七架と、倒れ込んだライアンを見ながら、少し肩を落とす為介。
「今回、なぁ~んもイイトコ、なかったねぇ。三人サンっ」
『うっ…』
為介の鋭い指摘に、思わず顔を引きつるアヒルたちであった。
一時間後、『いどばた』前。
「イッヤァ~!マタ新タニ日本語ノ奥深サ、面白サヲ知リマシタ!トテモイイ勉強ニナリマシタ!」
七架から傷の治療を受け、目覚めたライアンは、とても満足した様子で、大きく言葉を放った。
「腕試シニ来タ甲斐アリマシタァ!本当ニアリガトウゴザイマシタ!ガールズノ皆サン!」
「フフっ…それは良かったわ…」
笑顔を見せるライアンに、囁もそっと笑みを向ける。
「また、いつでも来て下さいね。ライアンさん」
「ハイ!ソウサセテ、イタダキマスゥ!」
七架の言葉に、ライアンは大きく頷く。
「いっやぁ~、不甲斐なかったボーイズの皆さんは、見事に無視されてるねぇ~」
「はぁ!生まれながらに不甲斐なくなかったことがなくって、すみませぇ~ん!」
「別に僕は、腕試しごときに本気にならないだけだ」
「ハハハっ…」
囁たちとライアンの立っている場所から少し離れたところでは、嫌みのように言い放つ為介に、保が謝り散らし、篭也が少し口を尖らせ、アヒルが乾いた笑みを浮かべていた。
「ソシテ、ダック」
「お前、あからさまに俺の格、下げたろ」
今まではゴッドと呼んでいたのに、いきなり呼び名を変えたライアンに、アヒルが少し表情を引きつる。
「安団デハナイトハイエェ、ワタシモア段ニ属スル五十音士」
囁たちのもとから、アヒルの方へと歩み寄って来たライアンが、アヒルの目の前へと立つ。
「アナタノ五神トシテノ今後ノ活躍、期待シテオリマスデスヨォっ」
「……っ」
笑顔を浮かべ、右手を差し出すライアンに、アヒルが少し驚いたような表情を見せる。
「……ああっ」
だがすぐにアヒルも笑みを浮かべ、しっかりと差し出されたライアンの手を取った。
「まぁ、そう期待しない方がいいと思うが」
「はぁ!期待よりもインパクトばっかり大きな名前のアヒルさんで、すみませぇ~ん!」
「うっせぇよ!お前ら!」
「アハハハハっ!」
アヒルの大きな怒鳴り声とともに、ライアンの笑い声が、その場に響き渡った。




