Word.23 異国ノ音士 〈1〉
言ノ葉町三丁目、町の小さな八百屋さん『あさひな』。
「んん~っ…シロナガス…クジラっ…」
二階の一室では、朝比奈家の四男坊・アヒルが、ベッドの上で寝返りを打ちながら、いつものように、意味のわからない寝言を呟いている。
「グッドモーニング!グッドルッキング!アーくぅ~ん!」
部屋の扉を勢いよく開け放って、中へと飛び込んでくるのは、今日も相変わらずのヒゲ面に、持ち前のハイテンションの朝比奈家父。その両脇には、大量にネギを抱えた、篭也と囁の姿があった。
「篭也くん、囁ちゃん、レッツゴー!白髪ネギぃ~、トリプルアタァァァーック!」
『ラジャー』
父の指示に躊躇うことなく頷いた篭也と囁が、抱えていた大量のネギを、まだ寝ているアヒルへ向け、勢いよく投げつける。
「だああああああっ!!」
ネギの大群が体中に押し寄せ、ベッドの上ですぐさま立ち上がるアヒル。
「いい加減にっ…しやがれぇぇぇ!!」
「ぐはぁぁぁ!」
アヒルが投げつけられたネギの一本を力一杯に投げ返すと、そのネギが見事に父の大きく開いた口に突き刺さり、父はそのまま、後方へと倒れていった。
「ノックアウト…フフっ…」
倒れた父を見下ろし、囁がどこか不気味な笑みを浮かべる。
「ったく」
呆れきった表情で肩を落としながら、アヒルがベッド周辺に散乱しているネギを一本ずつ拾っていく。
「だいたい俺が呼んだのはシロナガスクジラだし、白髪ネギじゃ“シ”しかあってねぇーだろうがっ」
「“シ”があってただけ父を誉めろぉ!」
「そうだ。あなたの父が五十音を理解していたことを、奇跡と思え」
「お前が言うな。悲しくなる」
起き上がって訴える父を、フォローするように冷静に言葉を挟む篭也に、アヒルがどこか複雑な表情を見せる。
「いっやぁ~、アーくんがグループ学習で土日とお家に居なかったから、この感覚、久し振りだねぇ~」
「へっ?あ、ああ。そ、そうだな」
嬉しそうに笑う父に、どこか歯切れ悪く答えるアヒル。土日と、アヒルは神試験のため家を空けていたのだが、そのことを父に話すわけにも行かず、グループで課題があったため、篭也たちの家に泊まっていたことにしたのである。
「というわけで、嬉しいついでにもう一ラウンドぉっ…!」
「誰がやるかぁ!」
「ぐはぁぁぁ!」
ネギを振りかぶろうとした父に、アヒルが素早くネギを投げつけると、ネギが再び父の口に突き刺さり、父はまたしても床へと倒れ込んだ。
「ったく、やっと家に帰って来たと思ったら、これだからなぁ」
「あら…?遊園で溺死サバイバルしてる方が楽しかった…?」
「いや…それはちょっと…」
試すように問いかける囁に、引きつった表情を見せるアヒル。必死に戦い、ようやく“以の神”伊賀栗イクラ率いる以団に勝利し、正式な“五神”の一人として認められたのだ。もうしばらく修行だの試験だのは、遠慮したいアヒルであった。
「早く支度しろ、神。またあの“女守”教師にどやされるぞ」
「あ、ああっ」
急かすように言い放つ篭也に、アヒルが頷きながら、壁にかかった制服を見上げる。
「戻って…来たんだよな。“日常”に…」
制服を見つめながら、アヒルはどこか確かめるように、そっと呟いた。
「うぅ~ん!美味い!」
朝比奈家一階の居間では、口一杯に物を頬張り、大きく頬を膨らませた次男のスズメが、何とも幸せそうな笑顔を見せていた。
「今日の朝飯も最高に美味だぜぇ!たもっちゃん!」
スズメが後ろを振り返り、台所に立つ保の方を見る。
「この腕前なら、恋盲腸検定準二級、合格だぁ!」
「あ、ありがとうございます!こんな俺なんかが準二級だなんてぇっ!感動です!」
「朝っぱらから意味不明な会話、してんじゃねぇーよっ…」
スズメのいかにも適当そうな言葉に、何故か感極まっている保に、二階から居間へと降りてきた、制服に着替えたアヒルが、呆れた表情を向ける。
「あ、アヒルさぁ~ん!おはようございます!」
「ようっ」
「恋盲腸検定とか、適当なこと言ってんじゃねぇよ、スー兄っ」
軽く手を挙げ、朝の挨拶を向けてくるスズメに、アヒルが冷めた視線を送る。
「適当じゃねぇよぉ。本当にあんだぜ?恋盲腸検定。俺、一級持ってるし」
「マジっ!?」
「ちなみに僕は準一級だ」
「お前も持ってんの!?」
後方から会話に混ざってくる篭也に、アヒルが驚きの表情を見せる。
「うん…」
スズメのすぐ隣で、ゆっくりと保の作った朝食を堪能している、三男・ツバメ。
「この腕前なら、藁人形検定十八級、合格だね…」
「その検定は絶対ねぇだろ」
スズメと同じようなことを言うツバメに、アヒルが鋭く突っ込みを入れる。
「おはようございまぁーすっ」
「あ、紺平」
そこへ、いつものように、紺平が迎えにやって来る。声のすぐ後、店の通用口から居間の方へと、紺平が姿を見せた。
「よっ、紺平」
「おはよう、ガァ、みんな」
軽く手を挙げたアヒルに、紺平が爽やかな笑顔を向ける。
「んじゃまっ、とっとと学校行きますか」
「ああ」
「ええ…フフっ…」
「はい!何、勉強しても頭に入って来ない俺なんかが、学校とか行っちゃってすみませぇ~んっ!」
アヒルの言葉に、篭也、囁、保が、それぞれに頷いた。
「神月くん」
「はっ?」
「いつもにも増して、眉毛が吊り上がってませんかぁ?」
不機嫌さ全開のしかめた表情で、学校への道を歩く篭也に、横に立つ保が、どこか恐る恐る問いかける。
「はぁ!もしかして、俺の作った朝飯がマズすぎて、そんなしかめっ面になったままなんじゃあっ…!」
「違う。不快極まりないデカ声のあなたが、横に居るからだ」
「ひやぁ~!無駄に身長デカくって、神月くんの低身長が目立っちゃって、すみませぇ~ん!」
「黙れ…」
「フフフっ…」
あれこれとモメている篭也と保の様子を、すぐ後ろから見守りながら、囁が楽しげな笑みを浮かべる。
「神月くんて…あんなキャラだっけ?」
「さ、さぁ?あんなもんじゃねっ?」
その三人の前方を歩く紺平が、後ろを振り返りながら大きく首を傾げる。怪訝そうに呟く紺平に、隣を歩くアヒルは、どこか上ずった声で言葉を返した。
「っつーか、キラキラ青少年キャラでいくなら、最後まで貫けよっ…」
「へっ?」
「い、いや、何でもねぇっ」
思わず文句を口にするアヒルであったが、紺平に振り向かれ、慌てて首を横に振る。
「ってか、何か仲良くなってるよね。あの二人」
「そ、そうか?あんなもんだったろっ」
「……っ」
再び篭也たちの方を振り返り、鋭く言い放つ紺平に、アヒルがまたしても誤魔化すように答える。そんなアヒルに軽く視線を流し、紺平がそっと目を細めた。
―――グループ課題あるから…篭也くんたちの家に泊まってるんでしょ…?―――
「…………」
思い出されるツバメの言葉に、紺平がそっと俯き、少し険しい表情を見せる。
「ねぇ、ガァ」
「ああ?」
紺平に呼びかけられ、アヒルが振り向く。
「ガァたちって、昨日、さっ…」
「朝比奈ぁぁ!」
「んあっ?」
ゆっくりと落とされた紺平の声を勢いよく遮る、前方から聞こえてくる大きな声に、紺平の方を見ていたアヒルが、首を前へと向け直した。
「ここで会ったが百年目ぇぇっ!」
『金曜日会いました!アニキ!ただの三日ぶりっス!』
「うるっしゃーいっ!」
アヒルたちの行く道の前方へと現れたのは、今日もリーゼントにグラサン姿のアニキに、アニキの子分集団であった。いつものように、無駄に元気一杯である。
「今日の今日こそ!コテンパンのパンの耳にしてやるぅぅ!」
「ああ、日常って感じだなぁ」
勢いよくアヒルを指差し、叫びあげるアニキを見て、焦るどころか、まったりとした表情を見せるアヒル。
「覚悟ぉぉぉっ…!!」
「ハイハイ」
「あっぎゃあああっ!」
勇んで、アヒルへと飛びかかっていったアニキであったが、アヒルが右手に持った鞄を軽く振り切ると、その鞄がアニキの腹部に直撃し、アニキが勢いよく吹き飛ばされていく。
『アニキぃぃぃ~っ!』
飛んでいくアニキを、必死に追いかけていく子分たち。
「はぁっ、あのイクラちゃんに比べたら、アニキなんて可愛いもんだよなぁ」
「朝比奈くん!」
「あっ?」
アニキの飛んでいった方角を見つめ、しみじみと呟いていたアヒルが、またしても呼ばれる名に、右方の脇道を振り向く。
「奈々瀬」
「おはよう、朝比奈くん」
脇道からアヒルたちの行く大通りへと出て、アヒルへと満面の笑みを向けるのは、七架であった。
「ああ、おはよう」
「きょ、今日も絶好のホノルルマラソン日和だね!」
「そうだなぁ。まぁ今日、ホノルルマラソンやってっかは知らねぇーけど…んっ?」
「…………」
よくわからない七架の言葉に対し、少し困ったような表情で返事をしていたアヒルが、その七架の横で、何やら唖然とした表情を見せ、何も言わずに立ち尽くしている想子を見つけ、首を傾げる。
「んだよ?何、アホ面かましてんだ?想子」
「へっ?あ、ああ、べ、別に何でもないわよっ。ちょっ、ナナっ」
「えっ…?」
問いかけるアヒルに誤魔化すように答えながら、想子が七架を引っ張り、アヒルに背を向けるように、体の向きを変えさせ、その耳元に口を寄せる。
「あんた、いつの間にすんなり、ガァにおはよう言えるようになったわけ?何かあったの?」
「へっ?」
アヒルに聞こえないように、ひっそりと問いかける想子に、七架が目を丸くする。
「べ、別に何もないよ!」
「ホントにぃ~?」
「ほ、ホントホント!」
疑うように見てくる想子に、大きく手を振りながら、必死に答える七架。想子に奈守になって、安団に入って共に戦ったため、アヒルと親しくなったなどと言うことが、出来るはずもなかった。
「あっ!おはようございまぁ~す!奈々瀬さぁ~ん!」
「んっ?」
そこへ、後方からやって来ていた篭也や保たちが、やって来る。
「はぁ!こんなクラスのウザい人ランキングに選ばれちゃいそうな俺が、奈々瀬さんに気安く朝の挨拶しちゃって、すみませぇ~ん!」
「ああ、ウザいウザい」
「お、おはよう…みんな…」
謝り散らす保と、保に冷たい言葉を吐き捨てている篭也に少し呆れながらも、七架が皆へと挨拶をする。
「具合はどう…?」
「あ、真田さん」
二人の横から七架へと歩み寄った囁が、気にかけるように七架へと問いかける。
「大丈夫だよ。真田さんは?」
「私も大丈夫よ…フフフっ…」
互いに元気なことを知り、囁と七架がどこか安心したような笑みを見せる。
「昨日、死者の魂を三つ、喰らったから…」
「ぎゃああああ!」
「フフフっ…冗談よ、アヒるん…」
悲鳴をあげるアヒルに、囁が不気味な笑顔を向ける。
「なぁ~んて言うか…」
あれこれと騒がしい五人の様子を見ながら、ゆっくりと言葉を呟く想子。
「妙な連帯感があるわねぇ」
「…………」
不思議がるように首を傾げる想子の横で、紺平は複雑そうに眉をひそめた。
言ノ葉高校、一年D組。
「相沢」
「はい」
朝のホームルームでは、D組の担任の恵が、いつもと何ら変わりない様子で、淡々と出席と取っていた。
「朝比奈」
「はい」
「……んっ?」
出席簿にチェックをいれていた恵が、返って来る返事に、しばらくしてから、驚いたように顔を上げる。
「何だ。遅刻じゃねぇとは、珍しいなぁ、朝比奈トンビ」
「だっから、俺はアヒルだっての!」
いつもと同じように名前を間違える恵に、アヒルがいつもと同じように勢いよく怒鳴り返す。
「トンビのくせに遅刻せずに来るとは、生意気だな」
「だっから俺はアヒルでぇっ」
「罰として今日、放課後、資料室掃除な」
「いやっ、意味わかんねぇーし!」
遅刻しなかったというのに、遅刻した時と同じように掃除を言い渡され、アヒルが反論するため、思わず席を立つ。
「職権乱用だろ!それ!」
「職権なんてものは、乱用するためにあんだよ」
「どういう理屈だぁ!それぇ!」
自信満々に言い放つ恵に、怒鳴り散らすアヒル。そのいつもの光景を、クラスメイトたちは皆、のんびりと見つめていた。
「んっ?」
「…………」
そんな中、一人、険しい表情で、窓の外の景色を見つめている紺平の姿が、恵の視界に入って来る。
「……っ」
その紺平の様子を見つめ、恵はそっと目を細めた。




