Word.22 執着ト覚悟ト 〈4〉
「はぁ…はぁ…はぁ…」
呼吸を乱しながら、アヒルが構えていた銃をゆっくりと下ろす。右手が下りると、もう限界が来ていたのか、銃は自動的に赤い言玉の姿へと戻った。
「やべっ」
銃が言玉へと戻り、“上がれ”の力を失ったアヒルが、下の水面へと落ちる。
「このままじゃ溺れ死っ…んっ?」
泳ぎ耐える体力も残っておらず、焦りの表情を見せたアヒルであったが、周囲を見回し、ふとその眉をひそめた。
「水が…引いていく…?」
遊園内を埋め尽くしていた大量の水が、イクラの力を失ったからか、どこへともなく消え始め、その水位が徐々に減っていくと、水に浮かんでいたアヒルは、やがて水のなくなった地面へと降り立った。
「ふぅ~、助かったぁ」
久々に立つ地面の感触を確かめながら、アヒルが安心したように肩を落とす。
「う、ううぅっ…」
「あっ…」
声に反応し、アヒルが振り返ると、そこには、傷だらけの状態で、地面に力なく倒れ込んでいるイクラの姿があった。下がった水位に、イクラもまた、一緒に地面へと落ちてきたのであろう。
「んっ?」
イクラを見ていたアヒルの視界に、イクラの横に転がっている、二個の言玉が映った。
「…………」
ゆっくりとそこへと歩いていき、しゃがみ込んで、その二個の言玉を拾いあげるアヒル。
「えぇ~っと…」
懐に入れていたプレートを取り出し、そこに、今拾った二個の言玉を入れる。プレートは五つの穴すべてに言玉が入り、完成された状態となった。
「神試験最終戦、勝者、“安の神”朝比奈アヒル」
「へっ?」
背後から聞こえてくる声に、アヒルが戸惑うように振り返る。
「よって、神試験は安団の勝利となり、安の神を正式な“五神”の一人として認めます」
「言姫、さんっ…?」
アヒルが振り返るとそこには、黒い着物を着た数名の従者を連れた、和音が立っていた。神試験に和音が来ていることすら知らなかったアヒルは、驚きの表情を見せる。
「放送が遮断されていなければ、こんな感じだったでしょうかね?」
「な、なんで言姫さんがここにっ…」
「認証式は少々待っていただけます?安の神」
「へっ?」
問いかけようとするアヒルの言葉を遮り、和音がマイペースに話を続ける。
「包囲を」
『はっ!』
「えっ…?」
和音の言葉に頷き、勢いよくその場を飛び出した従者たちが取り囲んだのは、気を失っているのか、地面に倒れ込んだままのイクラであった。
「なっ…!何をっ…!」
「彼は自らの意志を優先し、神試験を遂行するのではなく、あなたをただ神にせぬよう、悪戯に攻撃を仕掛けました」
イクラを取り囲んだ従者たちの方へ身を乗り出そうとしたアヒルに、和音が冷静に言葉を放つ。
「これは、五十音士として、ましてや五神の一人として、決して許されぬ行為です」
「……っ」
厳しく言い放つ和音に、アヒルが少し表情をしかめる。
「よって、彼の神称号を剥奪し、彼を五十音界から追放致します」
「なっ…!」
和音の言葉に、大きく目を見開くアヒル。
「剥奪って…」
―――俺が…俺だけが神だっ…―――
思い出される、イクラの必死な姿。
「まっ…」
アヒルが勢いよく、身を乗り出す。
「待ってくれよっ…!何もそこまでっ…!」
「そんなマネ、誰がさせるかよっ…!」
『……っ』
割って入ってくる声に、アヒルと和音が同時に振り向く。
「お前らはっ…」
「ウチの神を神でなくすようなマネ、あたいたちが絶対にさせないっ…!」
アヒルが振り向いた先に立っているのは、金八とシャコであった。二人とも戦いの傷でボロボロの体な上に、言玉も持っていないというのに、強い瞳で、まるで威嚇するかのように、和音を睨みつけていた。
「主犯は以の神と考えています」
二人の威嚇にも動じず、冷静に言葉を放つ和音。
「大人しく処分に従えば、あなた方の五十音士の称号は、剥奪致しませんわ」
「いらねぇーよ!んなもんっ!」
「あたいたちの神は、この海産物な名前の神以外、他なんていないっ…!」
「……っ」
イクラを庇うように、必死に叫ぶ金八とシャコの姿を見つめ、アヒルがそっと目を細める。
「わかりました。では望み通り、三人揃っての追放を…」
「ちょ、ちょっと待っ…!」
「お待ち下さい」
『……っ』
アヒルに代わるように聞こえてくるその声に、アヒルや和音、金八たちが一斉に、その声の聞こえてきた方向を振り向いた。
「言姫様」
その場へと現れたのは、保と囁に支えられるようにして、ゆっくりと歩いて来た篭也であった。戦いが終わり、モニター前から中へと戻って来たのだろう。横には、七架の姿もある。
「篭也…」
現れた篭也を見つめ、和音がそっと目を細める。
「何でしょう?加守さん」
「以団は、決められた通りに神試験を行い、ルールに従い戦いを進め、そして、安団に敗れた。それだけです」
問い返した和音に、篭也がすらすらと言葉を並べていく。
「どこに、以の神や神附きの彼らが処分される必要が、あるのでしょうか?」
『えっ…?』
「……っ」
その篭也の言葉に、金八とシャコが驚いたように声を漏らし、和音がかすかに表情をしかめる。
「ルールに従い…?この惨状で、ですか?」
すでに崩壊しかかっている遊園内を軽く見渡し、試すように問いかける和音。
「彼らが故意に、遊園を水に沈めようとしていたところも、わたくしは見ていました」
「それは白熱する戦いに、気持ちが高ぶって、思わず出してしまった言葉。別に故意ではありません」
「なっ…」
すぐさま言い返す篭也に、和音が驚きの表情を見せる。
「そうそう…戦いで熱くなると、つい周りを見失っちゃうのよねぇ…フフフっ…」
「うんうん!そ、そういうこと、ある!」
「お、俺も、あると思います!」
篭也に続くように、囁、七架、保も口々に言い放つ。
「ですが、以の神は確かに、安の神を殺そうとっ…」
「戦いなど、互いに殺す気でやるものです。ねぇ?神」
「へっ?あ、お、おおぉ~う!」
不意に篭也に振られ、焦ったように声を上ずらせながら、アヒルが必死に頷く。
「俺なんか、隣校の奴とケンカする時だって、“死ねぇ”とか言っちゃうぜぇ?ハハハぁ~っ」
「だ、そうです」
「……っ」
アヒルの発言を聞かせ、強い瞳を向けてくる篭也に、和音がそっと目を細める。
「あんたらっ…」
「うおぉ~!感動で、俺、泣いちゃうよぉっ?」
必死に庇ってくれる篭也たちを、驚いたように見つめるシャコの横で、すっかり泣きそうになっている金八。
「まさかあなたが、彼らを庇うとは思いもしませんでした…」
「別に僕は、事実を述べただけですよ」
「……そうですか」
シレっと答える篭也に、和音がどこか諦めたように肩を落とす。
「どうやら、あなたの甘さが、皆にうつってしまったようですわね」
「へっ?」
少し呆れたような笑みを向ける和音に、その言葉の意味がわからず、アヒルが大きく首を傾げる。
「まぁいいですわ。今回のことは、お咎めなしとすることにしましょう」
「じゃ、じゃあっ…!」
「ただし」
「……っ」
強く言葉を付け加える和音に、アヒルが少し緊張した面持ちで息を呑む。
「今後もし、彼らが新たな問題を起こした場合、その時は、あなた方にも責任を取っていただき…」
和音が鋭い瞳を、アヒルへと向ける。
「あなたからは、安の神の称号も剥奪させていただきますので、そのおつもりで」
『えっ…!?』
「いいぞぉ」
「だああああああ!」
和音からの厳しい言葉に、険しい表情を見せる篭也たちであったが、一人あっさりと頷くアヒルに、篭也が勢いよくズッコケた。
「苦労して得たばかりの神資格を、剥奪されることを、あっさりと承諾するんじゃないっ!」
「別に、あいつらが問題起こさなきゃいいだけの話だろっ?」
注意するように怒鳴る篭也に、アヒルは暢気に言い返す。
「と、いうわけでお前らっ」
『えっ?』
アヒルに呼びかけられ、金八とシャコが戸惑った様子で振り向く。
「そいつが起きたら、なるべく問題起こさないようにって、伝えといてくれるかぁ?」
深く瞳を閉じたままのイクラを見つめ、アヒルが言い放つ。
「って、んな言葉、聞くような奴じゃねぇーかっ」
『……っ』
少し困ったように言いながらも、穏やかな笑みを浮かべるアヒルの姿を見て、金八とシャコがそっと目を細める。
「では、そういうことで、我々はここで失礼致しますわ」
「ああ」
イクラを取り囲んでいた従者を退かせ、その従者を引き連れ、遊園の出入口へと歩を進めていく和音を、頷きながら、アヒルたちが見送る。
「ああ、そういえば篭也」
「……っ?」
足を止める和音に、名を呼ばれた篭也が、少し首を傾げる。
「檻也には…お会いになりまして…?」
「……っ」
「オリヤ?」
和音のその問いかけに、アヒルが首を傾げる横で、篭也がそっと表情を曇らせる。
「ああ…」
「そうですか…」
頷く篭也を見て、和音がどこか満足げに微笑む。
「では、失礼致しますわ。安の神、また」
「あ、ああっ」
アヒルへ向けて軽く一礼すると、和音は従者とともに歩を進め、やがてその姿は、アヒルたちから見えなくなった。辺りに静けさが戻る。
「何だったんだ?今の」
「あの人のいつもの嫌味行為だ。別に気にしなくていい」
「ふぅ~ん」
篭也の答えに一応は頷くアヒルであったが、その表情を見ると、和音の真意や篭也の心情は、あまり理解していない様子であった。
「安の神」
「んっ?」
神の名を呼ばれ、アヒルがゆっくりと振り返る。するとそこには、それぞれの肩に手をかけ、イクラを担ぎあげた、金八とシャコが立っていた。
「例え恩義が出来たとしても、あたいたちは以団。あんたたち安団は、あたいらの敵だ」
「俺たちは、お前らと慣れ合うつもりも、今後、お前らに従って大人しくするつもりも、一切ない」
「あらあら…困った人たちね…フフフっ…」
厳しい言葉を吐き捨てる二人に、囁が呆れたように声を出す。
「だが」
「……っ?」
言葉を付け加える金八に、アヒルが少し首を傾げる。
「我が神を神のままで在らせてくれたこと、我が神の執着と正面からぶつかってくれたこと…」
言葉を続けながら、金八がそっと口元を緩める。
「礼を言う。ありがとう」
「ありがとう」
「……っ」
口々に礼を言い放つ金八とシャコに、アヒルの表情からも笑顔が零れ落ちた。
「俺、思わず泣いちゃいそうだったぜぃっ!」
「さっき、チラっと泣いてた…金八…」
「うっせぇ!とっとと行くぞぉ!シャコ!」
少し言い争った後、金八とシャコが再び笑顔を作る。
「では、安の神」
「また、どこかで」
「ああっ。あ、そうだ」
二人の言葉に頷いたアヒルが、何か思い出した様子で、顔を少し俯ける。
「これっ、返しとくな!」
「んっ?」
そう言ってアヒルがシャコへと投げ放ったのは、以団五人の言玉が入った、青いプレートであった。シャコがしっかりと、そのプレートを受け取る。
「それ、ないと困んだろ?」
「確かに…」
「そういや、こっちもだったな。ほらっ!」
『あっ』
頷いているシャコの横で、イクラの懐をあさった金八が、上空へ向けて勢いよく何かを投げ飛ばす。しばらくすると、篭也、保、七架のもとへ、それぞれの言玉が落ちてきた。
「じゃあなぁ~!安団!次会った時は、負けねぇーぞぉ!」
「次こそ…倒してやる…」
金八とシャコが、戻って来たばかりの言玉を握り締め、それぞれに手を掲げる。
―――パァァァン!
三人の周囲から噴水のように水が突き上げ、その水が再び地面へと落ちると、すでにそこに、三人の姿はなくなっていた。
『…………』
地面にかすかに残った水の滴を見つめ、安団の面々がどこか考え込むような表情を見せる。
「何か…」
一番に口を開いたのは、保。
「そこまで悪い人たちでもなさそうでしたね」
「ああ、そうっ…」
「地球外生命体の皆さん」
「だあああっ!」
保の発言に、頷こうとしていたアヒルが、その場で勢いよく転ぶ。
「だ、大丈夫っ?朝比奈くん!」
「どうしたんですかぁ~!?アヒルさぁ~ん!」
「そういや…地球侵略ってことになってたんだったな…色々ありすぎて、忘れてたっ…」
七架と保に心配されながら、アヒルが頭を少し重そうに抱え込む。
「これで無事、神試験クリアね…」
「まぁまぁだな」
「フフフっ…素直じゃないわね…」
素っ気ない態度を見せる篭也を見て、囁はどこか楽しげに笑った。
「…………」
遊園内の少し離れたところから、あれこれと騒いでいるアヒルたち五人の様子を見つめ、穏やかな笑みを浮かべている恵。
「即席のわりには、いいチームになったじゃねぇかっ」
恵の口元が、そっと緩む。
「まぁ、とりあえずはお疲れ様ってとこだな。安団っ」
「ふはぁ~!こんなありふれた名前の俺が、アヒルさんみたいな思いきった名前の人のこと、心配しちゃってすみませぇ~ん!」
「だっからケンカ売ってんのかよっ!てめぇはっ!」
「うるさいから、どちらも黙れ…」
「えぇ~っと、その、みんな、えと、もっと仲良くっ…そのっ…」
「フフフっ…」
こうして、十時間に及んだ神試験は、安団の勝利で、幕を閉じた。
その頃、遊園外、モニター前。
「為介さんっ」
「あ、雅くぅ~ん。久し振りぃ~」
放水により、和音とともにモニター前から避難していた雅が、モニター前に残っていた為介のもとへとやって来る。
「戦いが終わったそうで、言姫様は遊園の中にっ…」
「あ、うん、見てたぁ~。もうお帰りになったみたいだよぉ」
「そうですか」
モニター越しにアヒルたちの無事な姿を確認し、口には出さないが、雅も安心したような表情を見せる。
「…………」
「んん~?」
ふと視線を逸らした為介が、その場を立ち去ろうとする檻也の姿を見つける。
「どうでしたぁ~?彼らの戦いはっ」
「……っ」
為介の問いかけに、止まる檻也の足。
「“於の神”」
「えっ…?」
為介が呼ぶその名に、横に立っていた雅が、少し眉をひそめる。
「ふぅ…」
軽く息を吐いた後、檻也がゆっくりと為介の方を振り返る。
「とんだ茶番だった」
落ち着いた表情を見せた檻也が、どこか冷たく、言葉を吐き捨てる。
「あいつらのどちらが神か?くだらない」
煩わしそうに眉をひそめ、重い声を落とす檻也。
「あいつらは、どちらも神じゃない」
その瞳を鋭くし、檻也が睨むように為介を見つめる。
「本当の神は、正統な神の血筋を引く、この俺だけだ」
はっきりと言い放つと、檻也が再び、為介たちに背を向けた。
「篭也の神も、いずれ思い知る」
その言葉を最後に、檻也は振り返ることなく歩を進め、やがて為介たちの前から去っていった。
「難しそうな神様ですねぇ」
「そぉ?ボクには、わりかし単純に見えたけどぉ」
檻也が去り、その場に二人だけとなった為介と雅が、どこか暢気に言葉を交わす。
「さぁ~てっ」
為介がゆっくりと振り向き、モニターに映る、仲間たちと笑い合っているアヒルを見つめる。
「これが終わりじゃない。これが始まりだよぉ~?朝比奈クンっ」
まるで試すような為介の言葉が、モニターのアヒルへと、そっと投げかけられた。




