Word.22 執着ト覚悟ト 〈3〉
遊園外、モニター前。
「なんて巨大な…」
天井を突き破り、造られていく水の像に、モニター越しに見つめる篭也が、少し圧倒されたように呟く。
「“祈れ”だから、女神様ってところかしら…」
「でも何だか…悲しそうな顔…」
その水像の女性の顔を捉えたモニターを見つめ、七架が少し表情を曇らせる。
「あんな巨大な像が、一気に降り注いだら…」
「遊園内は完全に水没しちゃうわね…フフフ…」
「ええぇ!?水没!?」
怪訝そうな表情を見せる篭也の横で、特に心配する素振りもなく微笑む囁。囁の言葉を聞き、保が焦りの声をあげる。
「水没どころじゃない」
「へっ?」
横から聞こえてくる声に、焦っていた保が振り向く。皆が振り向いた先には、固く腕を組んだ恵が立っていた。
「遊園はすでにボロボロで、崩れかかってんだ。あんなもんが降り注いだら、一気に大崩落だぞ」
「大崩落ぅぅっ!?」
冷静に言い放つ恵の言葉に、勢いよく頭を抱える保。
「大変ですぅ~!アヒルさんを助けないとぉ~!」
「待って」
「ぐへぇっ!」
アヒルを助けるため、遊園内へと駆けて行こうとした保を、囁が後ろからネクタイを引っ張りあげるようにして、無理やり引き止める。
「今、私たちが中へ入ったら、ルール違反。アヒるんの負けになっちゃうわ…」
「で、ですがぁ…」
囁の言葉は理解しつつも、保が複雑な表情でモニターを見つめる。
「このままじゃ、朝比奈くんが…」
「……っ」
不安げに呟く七架の横で、篭也もそっと険しい表情を見せる。
「よぉ~しっ」
あまり気合いの入っていない気合いの声が聞こえた後、その場に何かが割れる音が響いた。
―――ブー!ブー!ブー!
『えっ?』
響き渡る大きなブザー音に、皆が戸惑うように周囲を見回す。
「な、何だ?」
「緊急連絡用ボタンっていうの、押してみたんだぁ~」
「為の神」
ガラスの砕き割られた、『緊急』と赤く書かれたボタンを指差し、笑顔で言い放つ為介の方を振り向き、篭也が少し驚いた表情を見せる。
「これで、このマイク使えば、中の人に声が届くようになったよぉ~」
その横のマイクを手にし、為介がさらに笑顔を作る。
「言いたいことあったら、言ったらいいんじゃなぁ~い?」
「へっ?」
為介からマイクを手渡され、七架が目を丸くする。
「言いたいことって…そんな急に言われても…」
マイクを見つめ、少し困ったような表情を見せる七架。
「“朝比奈くん、大好きですぅ~”とかっ?きゃあっ」
「こんな時にそんなこと、言いませんっ!」
冷やかすように言う為介に、七架がムキになって怒鳴り返す。
「貸せ」
「あっ」
七架から奪うようにマイクを取ったのは、すぐ横に立つ恵であった。
「朝比奈」
マイクを口に近づけ、恵がアヒルの名を呼ぶ。
「でっけぇなぁ…」
見上げても顔を確認することが出来ないほど、巨大に造り上げられたその水の像に、どこか圧倒された様子で声を漏らすアヒル。
「さすがに、これが降って来たらヤバっ…」
<朝比奈>
「んあっ?」
唖然と像を見上げていたアヒルが、どこからか聞こえてくる自分の名を呼ぶ声に、ふと顔を上げる。
「今、誰か、俺のこと呼んで…」
<朝比奈トンビ>
「だっから、俺はアヒルだってぇのっ!」
聞こえてくる声に、思わず反射的に言い返すアヒル。
「んっ?って、恵先生?」
<ああ、そうだ>
いつもの名前間違いをされ、アヒルがやっと、その声が恵のものであることに気づく。
「なんで恵先生の声が、中に?放送はさっきの稲妻で、ヤラれちまったはずだし…」
<今は、んなことは後回しだ。いいか、よく聞け。朝比奈>
「へっ?あ、ああっ」
急かすように言い放つ恵の言葉に、アヒルが戸惑いつつも、とりあえず頷く。
<今すぐ、その場を退避しろ>
「えっ…?」
思いがけない恵の言葉に、アヒルが驚きの表情を見せる。
「た、退避って…」
<今、置かれている状況は、いくら頭の悪いお前でもわかるだろう>
「頭悪いって…」
歯に衣着せぬ恵の発言に、思わず顔をしかめるアヒル。
<その像が降り落ちれば、間違いなく遊園は崩れ落ちて、お前は死ぬ。その前に退避するんだ>
「け、けど、それじゃあ、この勝負がっ…!」
<これは、すでに神試験じゃない>
「……っ」
訴えかけようと身を乗り出したアヒルが、恵の声に言葉を止める。
<あいつらのやり方も、今のあいつのあの力も、明らかに五十音士の規約違反だ>
恵の声が、さらに続いていく。
<これは正式な試験じゃない。あいつのただの執着による、無産の戦いだ>
「執、着…」
その言葉を繰り返し、アヒルがそっと、像へと力を高めているイクラの方を見つめる。
<そんなもので命を落とすことはない。神試験はまた、新たな神に正式にやってもらえばいい>
「新たな、神っ…」
アヒルが、イクラを見つめる瞳を、そっと細める。
―――俺だけが、神だぁぁっ…!!―――
その時浮かんだのは、イクラが必死に叫んでいた、先程の言葉であった。
<だから、とっとと退避を…>
「嫌だ」
<はぁっ!?>
アヒルがすぐさま答えると、恵のひっくり返ったような大きな声が、遊園内に思いきり響き渡った。
<嫌だぁ?>
「ああ、無理だ」
<無理ぃぃっ!?>
恵がさらに大きな声を、轟かせる。
<何、フザけたこと言ってる!いいかっ?これはもう、神試験ではなくてだなぁっ…!>
「俺は、神試験だからって理由だけで、あいつと戦ってるんじゃないっ!」
<何っ…?>
どこへともなく強く叫ぶアヒルの言葉に、恵が戸惑いの声を漏らす。
「神試験だからってだけで、あいつと向き合ってるんじゃないんだ」
真剣な表情を見せ、アヒルがさらに言葉を続ける。
「これは…」
アヒルが鋭い瞳で、まっすぐにイクラを見つめる。
「これは…あいつの執着と、俺の覚悟、どっちが強いかの勝負」
右手の銃を握り締め、アヒルが堂々と言い放つ。
<覚悟…?>
「ああっ」
聞き返す恵の声に、大きく頷くアヒル。
「俺の、神としての覚悟だっ」
「……っ」
アヒルの放つ言葉に、力を高めているイクラの表情が、かすかに動く。
「ここで逃げたりなんかしたら、俺は一生、あいつらの神として胸を張れないっ…!」
<……っ>
恵のマイクから、声にならない声が漏れる。
「だから俺は、最後までここに残って、あいつとの決着をつけるっ…!!」
銃をあげたアヒルは、強い瞳ではっきりと言い放った。
「アヒるん…」
「朝比奈くんっ…」
そんなアヒルの主張を聞き、少し細めた瞳で、眩しいものでも見るかのように、まっすぐにアヒルを見つめる囁と七架。
「……っ」
モニターに映るアヒルの強い瞳を見つめ、マイクを持ったまま、恵が表情をしかめる。
「何がっ…」
またマイクを通し、声を発する恵。
「何が神としての覚悟だ!さっきから何度も言っているだろう!?これはもう、神試験じゃなっ…!」
「……っ」
「あっ」
アヒルを説得するように、再び言葉を投げ掛けようとした恵の手の中から、マイクを奪い取ったのは、いつの間にか立ち上がった様子の、篭也であった。
「神月っ」
「神」
恵が睨むように見つめる中、篭也がマイクを口元へ寄せ、そっと神という語を呟く。
<おっ、その声、篭也かぁ?お前、やっぱ無事だったんっ…>
「神」
<んっ?>
モニターから聞こえてくるアヒルの言葉を遮り、篭也がもう一度、アヒルを呼ぶ。
「いいか、神。よく聞け」
<また、このパターンかよっ…>
恵と同じような語りかけをする篭也に、アヒルが少しうんざりするように肩を落とす。
「あなたが、そこから退避する必要はない」
<へっ…?>
『えっ!?』
篭也の思いがけない言葉に、アヒルが間の抜けた表情を見せ、篭也の傍にいた皆が、一斉に驚きの表情を見せた。
「あなたが決着をつけたいというのなら、そうしろ。あなたの思った通りにすればいい」
<篭也っ…>
「だが…」
<……っ?>
言葉を付け加える篭也に、モニターの中のアヒルが、少し首を傾げる。
「絶対に負けるな」
<……っ>
マイクから放たれる篭也の言葉に、アヒルが大きく目を見開く。
「そうですぅ~!絶対に勝って下さい!アヒルさぁ~んっ!」
「あっ」
篭也からマイクを奪い取り、保が力一杯、叫びあげる。
「人類の未来をお願いしますぅ~!」
「訳もわかってない奴がマイクを使うな…」
必死に叫ぶ保に、篭也が横から冷たい視線を送る。
<はぁ!俺みたいなヘボが服着て歩いてるような奴が、偉そうに言ってすみませぇ~んっ!>
<いいから、とっととマイクを返せ!>
「ハハハっ」
聞こえてくる保と篭也が言い争っている声に、アヒルが思わず笑みを零す。
<あ、朝比奈くんっ、死なないでねっ…!>
「奈々瀬」
<死んだら私が地獄まで送ってあげる…フフフっ…>
「囁…」
七架の言葉に笑みを見せていたアヒルが、不気味な言葉を落としてくる囁に、一気にその表情を曇らせる。俯きながら、少し肩を落とし、アヒルがどこかホっとしたような表情を見せた。
「みんな…元気そうだっ…」
仲間の無事を確認し、嬉しそうな笑みを零すアヒル。
「よっしゃあ!そんじゃあ、気合い入れていくぜぇっ!」
アヒルが力の入った声を出し、銃を握る手に力を込める。
「神…」
『……っ』
マイクのスイッチを切り、モニターの中のアヒルを見守ることに集中する、篭也たち四人。
「いいんですかぁ~?」
「ここまで来たら、もうどうにもならないだろ」
軽い口調で問いかける為介に、恵が少し呆れたように肩を落としながら答える。
「まったく…」
呆れきった瞳を、モニターの中のアヒルへと向ける恵。
「ああいう向こう見ずなところは、お前とまったく同じだな…」
その瞳が、そっと細められる。
「カモメ…」
小さな声が、静かに落とされた。
「いいのか…?仲間の言ったように、ここから逃げ出さなくて」
「何、聞いてやがったんだ?」
試すように問いかけるイクラに、アヒルが強きに問いかけ返す。
「俺の仲間は“負けるな”って言ったんだよ」
アヒルが誇らしげな笑みを浮かべ、堂々と胸を張る。
「だから俺は、お前に勝つ」
その瞳を鋭くし、右手に持った銃の銃口を、イクラへと向けるアヒル。
「お前に勝って、俺は神になるっ…!」
「……っ」
アヒルが口にした“神”という語に、イクラがあからさまに表情をしかめる。
―――じゃあイクラくん、先生が祈ってもいい…?―――
今も、まるで瞼に焼きついているかのように、瞳を閉じただけで浮かぶ、あの微笑み。
―――イクラくんが幸せになれるように…―――
「何が、神っ…」
過去の出来事を思い出し、イクラが煩わしそうに顔をしかめる。
「俺が神だ…俺だけが神だっ…」
少し声を震わせ、またしても言い聞かせるように必死に、その言葉を繰り返すイクラ。
「他の神など、この世界にはいないっ…」
―――なんでぇぇぇぇっ…!!―――
声を震わせたイクラが、力一杯、自らの拳を握り締める。
「俺以外の神など…この世界には必要ないっ…!!」
顔を上げたイクラが、勢いよく叫びあげる。
「“行け”っ…!!」
イクラが言葉を放ち、掲げていた右手を力強く振り下ろすと、天井の上まで伸びあがっていた水像が、顔面から、下方にいるアヒルへと向かってくる。
「……っ」
降り落ちてくる水像を見上げ、グッと唇を噛み締めるアヒル。
「あ…」
口を開きながら、アヒルが銃口を、向かってくる水像の顔へと向ける。
「“当たれ”!!」
銃口から放たれた赤い光の弾丸が、正面から水像へとぶつかっていく。
「グっ…!」
「クゥっ…!」
ぶつかり合う二つの力に、アヒルとイクラがそれぞれ、険しい表情を見せる。
「こっのっ…!」
「うっ…!」
銃を握る手に力を込め、弾丸の勢いを増させるアヒル。勢いの強まった弾丸に、少し水像が押され、水像の足元に佇むイクラが、思わず顔をしかめる。
「俺はっ…俺は神なんだっ…」
必死に力を込めながら、イクラはまるで祈りのように、何度も言って来たその言葉を繰り返す。
―――俺はもう、神になんて祈らない…―――
―――顔も知らない神に祈るくらいなら…俺が神になる…―――
「俺は…神でなければっ…ならないんだっ…」
瞳を細め、唇を噛み締めたイクラが、震えた声を落とす。
「こんな、ところでっ…負け、られるかっ…」
下ろしていた右手を、再び掲げるイクラ。
「何の意志もなく選ばれた貴様などにっ、負けられるかぁぁぁっ!!」
「なっ…!」
掲げられた右手の中の言玉が強く輝き、アヒルが押し始めていた水像が、勢いを増して、今度は逆に、アヒルの弾丸を押し始める。
「うぅっ…!」
右手に一気に掛かってくる圧力に、アヒルが顔をしかめる。
「俺がっ、神だぁぁぁぁっ!!!」
「……っ」
イクラの叫び声とともに、どんどん勢いを増していく水像。徐々にその力に押され始めながらも、必死に叫ぶイクラのその姿を見つめ、アヒルがそっと目を細める。
「お前が…」
掛かる圧力に耐えながら、アヒルがゆっくりと言葉を落とす。
「お前が、どんなもん、背負ってんのか知らねぇーけどっ…」
アヒルの曇りない瞳が、まっすぐにイクラを捉える。
「俺だって…」
―――決めてたの…あの人のために、私は戦うって…!―――
―――これは俺の問題でもあるし、俺だってアヒルさんの力になりたいですから!―――
―――これは単なる“貸し”、だからね…―――
―――“アヒるんが神様でなくなってもいいから命が惜しい”なんて人、私の仲間にはいないって…―――
―――今は、安の神の神附きであることに、誰よりも誇りを持っているっ…!―――
「俺だってっ…!」
銃を握る手に、力を込めるアヒル。
「半端な覚悟でっ、神になろうってわけじゃねぇんだよっ…!!」
アヒルの声に応えるように、赤い光の弾丸が、さらに激しく光を放ち、周囲を照らしながら、押されていた水像を、再び力強く押し返していく。
「ううぅっ…!?」
一気に押されていく自らの力に、驚きの表情を見せるイクラ。
「な、何だ?この力はっ…!」
イクラが戸惑いをそのまま、声にする。
「俺が、負けるっ…!?」
信じられないといった表情を見せながら、イクラが押されていく水像を見上げる。
「違うっ…!俺は神だ…!俺だけが神なんだっ!あんな偽物の神に、負けたりなどっ…!あっ…」
必死に言葉を続けていたイクラの視界に入って来たのは、押されていく水像の女性の、どこか悲しげな、その表情であった。
「先、生っ…」
重なるその姿に、イクラがそっと目を細める。
「俺は…あなたを救う、“神”になりたかった…」
水像を見上げながら、力ない声を落とすイクラ。
「なりたかった…だけなんだっ…」
今までのどの言葉よりも自然に、素直に零れ落ちたイクラのその言葉に、水像の悲しげだった女性が、少しだけ、微笑んだように見えた。
「……っ」
その微笑みを見て、イクラがゆっくりと目を閉じる。
―――バァァァァン!
アヒルの放った弾丸の光に呑み込まれ、イクラの水像は蒸発するように、空中へと掻き消されていった。




