Word.21 神vs神 〈1〉
言ノ葉町の小さな八百屋さん『あさひな』。
「こんにちはぁっ」
「んおっ?」
夕方の買い物客も落ち着き、店主である朝比奈家の父が店先でゆっくりとしていたその時、休日のため、いつもの制服姿ではなく私服を纏った紺平が、『あさひな』へとやって来た。
「おおぉ!紺平くぅ~んっ!」
「こんにちは、オジさん」
立ち上がって紺平を出迎える父に、紺平が柔らかな笑みを浮かべる。
「あの、ガァ居まっ…」
「休日でお父さんに会えないからって、会いに来てくれたんだねぇ~!この胸に飛び込んでおいでぇ~!」
「えっ?いや、そのっ…」
勢いよく両手を広げる父に、紺平が引きつった表情を見せる。
「おおぉ~っ、紺平じゃねぇか」
「あっ、スズメさん!」
「あらっ?」
店の奥の居間からスズメが顔を出すと、紺平が助かったとばかりに父の両手をくぐり抜け、居間の方へと駆け寄っていった。去っていく紺平に、父が手を広げたまま、間の抜けた顔を見せる。
「あのっ、今、ガァ居っ…」
「お前もグループ交際かぁ?」
「へっ?」
問いかけようとした紺平が、スズメの言葉に、首を傾げる。
「グル―プ、交際っ…?」
「いいよなぁ~恋盲腸並みにトキメキ度高い単語だぜぇ~」
「グループ交際じゃなくて、グループ学習だから…スズメ…」
「あ、ツバメさんっ」
スズメの言葉を訂正しながら、居間にツバメが姿を現す。
「紺平くんも課題あるんでしょ…?大変だね…」
「課題?」
「グループ課題あるから…篭也くんたちの家に泊まってるんでしょ…?今日も帰れそうにないって…」
「えっ…」
ツバメの言葉に、紺平がそっと目を開く。
「あれ…?違った…?」
「えっ…!?」
紺平の反応に首を傾げ、戸惑うように聞き返すツバメに、紺平が少し慌てた様子で声をあげる。
「そ、そういえばそうでした!俺、神月くんたちの家行こうとしてたのに、ついコッチ来ちゃってっ」
「ハハっ、そりゃ習性だな、習性っ」
無理やり笑みを作り、明るく言い放つ紺平に、横で聞いていたスズメが軽い笑みを零す。
「じゃあ俺、神月くんたちの家行きますんでっ」
「晩御飯とか何か差し入れしようか…?どうせ野菜だけど…」
「どうせってヒドいぃ~!ツーくぅ~んっ!」
ツバメが棘のある発言をすると、聞き逃すことなく、父が店の方から叫び声をあげてくる。
「だ、大丈夫です!みんなで色々、持ち寄ってるしっ!」
ツバメの好意に、紺平が小さく手を揺れ動かしながら、笑顔で断りを入れる。
「じゃ、じゃあっ、俺はこれで!」
「うん…」
「おう、またなぁっ」
「またいつでも会いに来てねぇ~!紺平くぅ~んっ!」
紺平が軽く頭を下げると、父、スズメ、ツバメの三人に見送られ、慌てて『あさひな』を出て行く。店を出ると、紺平は足早に歩を進め、すぐ隣にある、篭也たちの住んでいる家の前へとやって来た。
「さっき来たけど…留守だったんだよなぁ。電気も点いてないし、それに…」
浮かない表情で、ゆっくりと家を見上げる紺平。もう日も落ち、薄暗いというのに、その家はどこの部屋の電気も点いておらず、静まり返っていて、とても人の気配などしなかった。
「課題なんて…出てないし…」
そっと俯き、紺平が眉をひそめる。
「どこ行ったんだろ?ガァたち…」
紺平が、どこか不安げに呟いた。
午後六時五十分(神試験スタートから五時間半)。
言ノ葉の森遊園内、雪国の森地点。
「ふぅっ…」
シャコとの戦いを終えた囁が、囁の言葉『遮れ』により守られ、水の中に沈んだままとなっていた七架を引き上げ、自分の立つ木の上へと寝かせると、ホッとしたように一つ、息を吐いた。
「さっきより…水かさが低くなった感じだけど…」
<以団“幾守”…>
「んっ…?」
下に広がる、相変わらず遊園内を埋め尽くしている水を見下ろしていた囁が、そこへ入ってくる放送に、ゆっくりと顔を上げる。
<安団“加守”、“太守”、両名の言玉を奪取。現在の言玉数、安団、三。以団、三。以上>
「えっ…」
伝わる放送内容に、囁の表情が曇る。
「負けた…?篭也が…」
少し考え込むように、俯く囁。
「珍しいわね…ん…?」
そっと呟いていた囁が、壁の方から聞こえてくるかすかな音に気づき、振り向く。囁が振り向いて見ると、入口から続く遊園内の白い壁に、大きくヒビが入っていた。
「中の水が、一斉に飛び出した時に出来たのね…」
そのヒビ割れは、遊園内のあらゆる所に出来ており、ドーム状の天井にまで続いていた。
「これ以上、衝撃を加えたら…遊園ごと、崩れ落ちてしまうかも知れないわね…」
「囁!奈々瀬!」
「んっ…?」
聞こえてくる大きな声に、囁が今度は逆方向を振り向く。
「アヒるん…」
「よっ」
『上がれ』の言葉で空を飛んでいたのであろうアヒルが、上空から囁たちの姿を見つけ、二人のいる木の上へと降りてくる。
「大丈夫かっ?」
「ええ…気を失ってるだけで、傷はもう篭也が…」
「それは奈々瀬のことだろ?」
「えっ…?」
遮るアヒルの言葉に、囁が少し目を丸くする。
「お前は大丈夫なのか?」
「あ…え、ええっ…ちょっと言葉を使い過ぎちゃったけど…大丈夫よ…」
「傷は?」
「動けないほどじゃないわ…」
「そうか」
どこか戸惑うように答える囁の言葉を聞き、アヒルが安心したような笑みを浮かべる。
「私たちのことより…篭也と転校生くんの方を気にした方がいいんじゃない…?」
「へっ?」
「へって…」
間の抜けた表情を見せるアヒルに、囁が少し表情をしかめる。
「聞こえなかったの…?さっきの放送…」
「ああ、聞こえてたけど」
「篭也が負けたのよ…?下手したら、二人とも、もうこの世にいないかも知れなっ…」
「大丈夫だって」
「えっ…?」
笑顔を見せるアヒルに、囁が首を傾げる。
「篭也のことだから、俺のワガママ聞いて、言玉奪われても、生き残ることを優先してくれたんだろっ」
「……っ」
篭也を信頼しきった笑みで答えるアヒルに、囁は驚いたように、思わず大きく目を見開いた。
「いつの間にか、随分と出来上がってるものね…信頼関係って…」
「へっ?」
「いいえ…何でもないわ…フフフっ…」
聞き取れなかったのか、大きく首を傾げるアヒルに、囁は誤魔化すようにそっと笑みを向けた。
「けどっ…」
「……?」
ふと眉をひそめ、上空を見上げるアヒルに、囁が首を傾げる。アヒルの見つめる先を目で追っていくと、先程まで囁が見ていた、大きくヒビの入った天井が映っていた。
「そうね…今、生き延びていても…ここが崩れ落ちたら、全滅だものね…フフフっ…」
「ちょっと楽しそうに言うなよっ…」
不気味に微笑む囁に、顔を下ろしたアヒルが少し顔をしかめる。
「ああ、そうだ…アヒるん、之守の言玉を…」
「囁」
「ん…?」
シャコから奪った言玉を渡そうとした囁が、真剣な表情で名を呼ぶアヒルに、手を止める。
「何…?」
「奈々瀬を連れて、ここを出てくれないか?」
「えっ…」
アヒルのその思いがけない言葉に、囁が一気に表情を曇らせる。
「万が一、ここが崩れ落ちても大丈夫なように、安全な所まで避難してほしいんだ」
周囲を見渡しながら、アヒルが言葉を続ける。
「戦った後で、傷もあるお前に、こんなこと頼んで悪いって思うんだけどっ…」
「アヒるんは…?」
「へっ?」
アヒルの言葉を遮り、囁がそっと問いかける。
「アヒるんは…一緒に、行かないの…?」
「……っ」
囁にまっすぐな瞳を見せられ、アヒルが少し目を細める。
「俺は、ここに残る」
「…………」
はっきりと答えるアヒルに、少し険しい表情を見せる囁。
「どうして…?この試験はもうすでに、神試験と呼べるものではないわ…」
鋭い表情で、囁がアヒルへと問いかける。
「ここを抜け出た所で…失格になることは無いわよ…?」
「俺はっ…」
少し口元を緩め、アヒルがゆっくりと口を開く。
「俺は、まだ何にも応えてないからっ…」
「応、える…?」
「篭也、囁、保、奈々瀬…それに灰示もっ…みんな、必死に戦ってくれたっ」
アヒルが銃を握り締める右手に、グッと力を込める。
「俺みたいな神の、神試験の為にっ…」
「アヒるん…」
「だから俺は、それに応えるまで、ここからは出れないっ」
「……っ」
晴れやかな笑顔を見せ、はっきりと言い放つアヒルに、囁はそっと目を細めた。アヒルの瞳から伝わってくる想いはとてもまっすぐなもので、囁が止める気にもなれないようなものだった。
「わかったわ…奈々瀬さんを連れて、ここを出る…」
「サンキュ、囁っ」
頷く囁に、アヒルがさらに笑顔を見せる。
「じゃあ、これ…」
「おうっ」
囁からシャコの言玉を受け取り、アヒルが左手に持っていたプレートへと、その言玉を入れる。プレートには、青い言玉が三つとなった。
「それから、これも…」
「へっ?」
そう言って囁が次にアヒルへと差し出したのは、赤色の言玉であった。
「これって…」
「私の言玉よ…」
「へっ?囁の?」
囁の言玉を右手に受け取り、アヒルが戸惑うような表情を見せる。
「何でっ…」
「その言玉は…私以外の人間が手にしたら…その人間の生気を吸い取っていくの…」
「ぎゃああああああっ!」
「嘘よ…フフフっ…」
不気味な囁の言葉に、受け取った言玉を掲げながら、騒ぎ立てるアヒル。そんなアヒルを見て、囁が楽しげに微笑む。
「そんなわけないじゃない…フフフっ…」
「お前が言うと、そんなわけあるように聞こえるんだよっ」
微笑む囁に、しかめた表情を向けるアヒル。
「一度、外に出たら…もう試験にも参加出来なくなるだろうし…その言玉はアヒるんが持っていて…」
不気味だった笑みを穏やかなものへと変えて、囁がアヒルを見つめる。
「私の…私たち安団の想い、託すわよ…神」
「……っ」
囁の笑顔に、アヒルも同じように微笑んで見せる。
「ああっ!」
囁の言玉を握り締め、アヒルは大きく頷いた。
遊園内、原始の森地点。
「…………」
遊園を埋め尽くす水の水面に浮かび上がった、水で出来たソファーのような大きな椅子。その上に、いつもながら険しい表情を見せたイクラが、深く腰を下ろしていた。
「か、神っ…!」
そこへ、水面を蹴るように走りながら、篭也に勝利した金八が、どこか嬉しそうな笑みを浮かべながら、少し急いだ様子でやって来る。
「神っ…!俺、やったぜぇ!」
金八が篭也と保、ぞれぞれから奪った二個の赤い言玉を掲げ、声を張り上げる。
「あいつ等からっ…言玉、二個も奪ってきてやったんだ!」
駆け込んできた金八が、座っているイクラの前までやって来て、その足を止める。
「これで、あいつ等と俺たちの言玉が同じ数にっ…!」
「金八…」
「へっ?」
興奮気味に話していた金八であったが、どこか冷たく呼ぶイクラの声に言葉を遮られ、戸惑うように首を傾げた。
「神、何っ…」
「俺がいつ…“言玉を奪って来い”と言った…?」
「……っ」
静かに問いかけるイクラに、金八の表情が曇る。
「俺は、“安の神と安団を叩き潰して来い”と、そう言ったはずだが…?」
「そ、それはっ…」
鋭く、まるで睨みつけるように注がれる視線に、金八がさらに表情を曇らせ、イクラの顔を直視することが出来ないのか、深く俯いてしまう。
「それはっ…」
「俺の言葉が…わからなかったか…?」
「そ、そんなことっ…!」
イクラのその問いかけを、金八が顔を上げ、必死に否定する。
「なら…俺ごときの言葉は、聞けないか…?」
「ち、違うっ…!」
金八が何度も首を横に振り、イクラへと強く訴える。
「俺は、あんたの為にっ…!あんたの言葉なら何だってっ…!」
「俺の言葉が聞けぬ者など、俺はいらない…」
「えっ…?」
さらに言葉を続けようとした金八へと、イクラが目にも留まらぬ速さでそっと、その右手を振り払った。
「うあああああっ…!!」
強く振り払ったとも思えぬイクラの手に当たり、金八が勢いよく吹き飛ばされる。後方の木へと背中を叩きつけられた金八は、上昇した水面の上に、うつ伏せに倒れ込んだ。
「一応、これは貰っておくぞ…」
振り払った時に奪ったのか、イクラの右手の中には、篭也と保の赤い言玉と、そして金八自身の青い言玉の三つが握り締められていた。
「か、神っ…」
倒れた金八が、まるで救いを求めるように弱々しく、神という単語を呟く。
「なん、でっ…」
「何故だと…?わかりきった問いかけをするな…」
篭也たちの言玉をプレートに、金八の言玉を懐に入れ、自由になった右手を、イクラが倒れたままの金八へと向ける。
「神の言葉は絶対。それに従えぬ者には…」
イクラの瞳が、冷たく光る。
「死、あるのみ」
「うぅっ…!」
向けられる冷たい視線とその右手に、金八の表情が凍りついた。
「神っ…!ま、待っ…!」
「“逝け”…」
「ううぅっ…!」
金八の声に止まることなく放たれる、イクラの冷たい言葉。イクラの右手から放たれた青い閃光が、動くことも出来ない金八へとまっすぐに向かっていく。
「クっ…!」
向かってくる青い光に、金八は強く唇を噛み締め、目を閉じた。
―――パァァァァン!
イクラの放った光が、金八の倒れている場所へと勢いよく落ち、周囲の水が高々と噴き上がる。
「…………」
その噴き上がる水を、静かに見つめるイクラ。
「そんなものを助けて、どうするつもりだ…?」
誰へともなく問いかけながら、イクラがゆっくりと視線を上げていく。
「安の神…」
「…………」
イクラが見上げた先には、左手に金八を抱え、右手に銃を持って、上空に浮かんでいるアヒルの姿があった。金八は気を失ってしまったのか、アヒルに抱えられたまま、深く俯いている。アヒルは鋭い表情を見せたまま、上空を移動し、近くの木の上へと降り立った。
「か…み…」
「……っ」
木の上へと金八を下ろすアヒルであるが、金八がうわ言のように呟いたその言葉に、そっと眉をひそめた。
「てめぇーこそ、自分の仲間に何してやがんだよ?」
アヒルが振り向き、イクラへと強い視線を送る。
「以の神」
その表情に怒りを滲ませるアヒルを見つめ、イクラが口元を緩ませる。
「そいつは俺の、神の言葉に逆らった…」
薄く笑みを浮かべながら、イクラがアヒルの問いかけに答えるように、言葉を放つ。
「神の言葉は絶対だ…聞けぬ者など、生かしておく価値もない…」
「……っ」
そのイクラの言葉に、大きく顔を歪ませるアヒル。
「そんな神っ…」
もう一度、金八を見た後、アヒルが勢いよく顔を上げる。
「俺が認めないっ…」
アヒルが右手に持った銃の銃口を、鋭くイクラへと向ける。
「俺を認めるのは、貴様ではない…」
アヒルの言葉を否定しながら、イクラがゆっくりと、腰掛けていたその水の椅子から立ち上がる。イクラが立ち上がると、すぐにその水の椅子は崩れ落ち、下の水と一体化した。
「俺を神と認めるのは、世界だ」
イクラがはっきりと言い放ち、懐から青色の言玉を取り出した。




