Word.2 泣イタ友ダチ 〈4〉
「なっ…!?うあっ…!」
大きく叫びあげたアヒルの声に反応するかのように、アヒルの体全体から強い赤色の光が放たれ、囲んでいた篭也の格子を、あっという間に吹き飛ばした。その光景に、大きく目を見開いていた篭也のもとへ、吹き飛ばされた格子が向かっていき、篭也が道の端へと弾き飛ばされる。
「篭也の…格子を…」
横から、驚きの表情で、状況を見つめる囁。
「馬鹿なっ…」
壁に背をもたれかけるようにして、地面に座り込んだ篭也が、信じられないといった表情で顔を上げ、格子を吹き飛ばし、自由になった体で立っているアヒルを見つめる。
「僕の力を…上回っただと…?」
「…………」
篭也が見つめるその先で、格子から解放されたアヒルは、ゆっくりとその鋭い表情を上げ、紺平と真正面から向き合った。
「グオオォォォっ…!」
「……っ!」
激しく叫ぶ紺平に、アヒルの方を見ていた篭也が振り向き、眉をひそめる。
「マズいっ…!来るぞ!」
「“破”っ!!」
篭也の言葉に応えるように、前方に立つアヒルへと、衝撃波を放つ紺平。
「避けろっ…!」
「…………」
「なっ…!?」
座り込んだまま、必死に叫ぶ篭也に従うことなく、アヒルは、衝撃波が向かってくるにも関わらず、避ける素振りも見せずに、ゆっくりと紺平の方へと歩み寄っていく。
「何をっ…!おいっ…!」
身を乗り出し、止めようとする篭也であったが、アヒルは決して止まることなく、歩き続ける。
「チっ…馬鹿がっ…囁!」
「えっ?あ、あっ、ええっ!」
どこか唖然とした様子で、紺平に向かっていくアヒルを見つめていた囁が、篭也の声にハッとなり、慌てて右手の横笛を持ち上げた。
「“妨っ…あっ!」
言葉の途中に、思わず大きく目を見開く囁。
「ダメだ…!間に合わないっ…!」
二人が何かをする時間もなく、衝撃波はアヒルへと迫っていった。
―――バァァァァァンっ!
『あっ…!』
吹き荒れる衝撃風に、篭也と囁が、焦ったような表情を見せる。
「ハァっ…ハァっ…」
「……っ?」
巻き起こる風の中から聞こえてくる、小さな息使いに気づき、そっと眉をひそめる篭也。
「なっ…!?」
「ハァ…ハァ…ハァ…」
風が止むと、そこには、衝撃波を直撃したのであろう、全身から滴り落ちる程の血を流しながらも、それでも立っているアヒルの姿があった。その姿に、篭也が思わず大きく目を見開く。
「馬鹿なっ…五十音士とはいえ、力に目醒めたばかりの人間が…」
「なんて…精神力…」
驚いた様子で呟く篭也に対し、囁も厳しい表情で、アヒルを見つめる。
「紺、平っ…紺平…」
途切れ途切れに紺平の名前を呼びながら、アヒルは、赤い血の流れ落ちる足を動かし、さらに紺平の方へと歩み寄っていく。
「グウゥゥ…」
「お前の苦しみ…何にもわかってやれなくて…ごめんなっ…」
唸り声を漏らす紺平のもとへと近付いていきながら、アヒルがまっすぐな瞳を、紺平へと向ける。
「お前の心を…傷つけるようなこと言って…ごめんなっ…」
謝罪の言葉を繰り返しながら、さらに歩を進めるアヒル。
『…………』
忌を攻撃をする機会はいくらでもあったが、篭也と囁は、アヒルの動きに目を奪われた様子で、決して動こうとはせず、ただ少しも目を逸らすことなく、アヒルの様子を見つめていた。
「けど、俺はっ…お前の友達だから…」
アヒルがそっと、口元を緩める。
「お前が“死ね”って言われたんなら、俺が“生きろ”って言ってやるっ…」
二人の距離が縮まり、アヒルがゆっくりと上げた左手が、もうほんの数センチで、紺平に届くところまでいく。
「お前が“消えろ”って言われたんなら、俺が“ここに居ろ”って言ってやるっ…」
さらに大きく微笑み、アヒルが紺平を見つめる。
「グオオオォォォっ…!」
『あっ…!』
すぐ目の前まで歩み寄ったアヒルへと、手を振り上げる紺平に、篭也と囁が身を乗り出す。
「どれだけの人間がお前の敵に回ろうとっ、俺がお前の味方になってやるっ!!紺平っ!!」
「グオオオオっ…!」
強く叫ぶアヒルに、紺平が右手を振り下ろした。
「グウゥゥゥっ…!」
「……っ」
『えっ…?』
だが、振り下ろされた紺平の手は、アヒルのすぐ目の前で、不意に動きを止めた。止まった手に、アヒルが目を細め、後方から見ていた二人も、驚いたように声を漏らす。
「グウゥゥっ…!グウゥゥっ…!」
「……っ?」
何やら、もどかしげな声を発する紺平。まるで、手が動かないことを、嫌がっているようであった。
「な、何っ…」
「ガ…ァ…」
「……っ!」
紺平の動きに戸惑っていたアヒルが、呻くような声の合間に落とされる、弱々しく小さな声に気づき、大きく目を見開く。それは重苦しい忌の声ではなく、よく聞き覚えのある、紺平の声であった。
「紺、平…?」
「ガ…ァ…ガ…ァ…」
小さな声が呼んでいるのは、幼い頃からのアヒルの呼び名。
「彼が…忌の動きを止めたというの…?」
「有り得ないっ…」
その光景を、厳しい表情で見つめる囁と篭也。
「宿主の人間が…忌の動きをコントロールするなどっ…」
篭也が信じられないといった様子で、強く顔をしかめる。
「紺平…」
自分の名を呼ぶ友を、アヒルは少し細めた瞳で見つめる。
「泣くなよ…紺平…」
「…………」
忌に取り憑かれ、意志も光も失っているはずの紺平の瞳からは、止まることのない涙が、流れ落ちていた。
「大丈夫だ…」
流れ落ちる紺平の涙に手を触れ、アヒルが紺平に微笑みかける。
「俺が絶対っ…助けてやるっ…!」
「……っ!」
アヒルの笑顔に、涙の落ちる紺平の瞳が、大きく見開かれた。
「グアアアアアアアアアアっ!!」
―――パァァァァァンっ!
『うっ…!』
紺平の体から放たれる白い光に、アヒルや篭也たちが皆、思わず目を細める。
「うぁっ…あ…」
光が止むと、紺平がゆっくりと瞳を閉じ、その場に倒れた。
「な、何っ…?どうなって…」
<グウゥゥっ…!>
『……っ!』
倒れた紺平を、戸惑いの表情で見ていた囁と篭也が、上方から聞こえてくる声に、勢いよく顔を上げる。
『あっ…!』
顔を上げた二人が、大きく目を見開く。二人の見つめる先には、夜の空に完全に染まりながら、宙に浮かんでいる黒い影が存在した。黒い影の上部に、金色に輝く、二つの目のようなものが見える。
「忌っ…!」
「宿主の体から出たのかっ…!?」
<グウゥゥっ…!>
篭也たちが険しい表情を見せる中、宙を舞う影は、少し苦しげな声を漏らす。
<何だっ…!?何故、外へっ…!?>
紺平の体の中から出て来た忌は、自分自身も出て来たことに戸惑っている様子で、誰に問いかけるでもない声をあげた。
<まぁいいっ…もう一度、取り憑けば、それで済むことっ…!>
『……っ』
忌の言葉に、篭也と囁が眉をひそめる。
「させるかっ」
「させないわ…」
篭也と囁が、それぞれに格子と横笛を構える。
「……っ」
『えっ?』
武器を構えた二人に、制止を促すように右手を横へと伸ばすアヒル。そんなアヒルに、二人が少し戸惑うように表情を曇らせる。
「アヒるん…?」
「何をっ…」
「お前らは下がってろ」
『……っ』
アヒルのその言葉に、どこか圧のようなものを感じて、二人は思わず、武器を構える手を止めた。
<何だぁ?お前、ただの人間のくせに何をっ…>
「五十音、第一音…“あ”…」
低い声を漏らす忌の言葉を遮り、アヒルがゆっくりと口を開く。
「解放っ…!」
横に伸ばされたアヒルの右手には、言玉が握り締められており、アヒルの発したその言葉に反応して、赤々と輝く、強い光を放った。
―――パァァァァァンっ!
<何っ…!?>
「…………」
光が止むと、そこには、右手に赤銅色の銃を持ったアヒルが立っていた。鋭く睨みつけるアヒルに対し、忌が驚きの声をあげる。
<あいつも五十音士っ…!?>
「……っ」
アヒルが横に伸ばしていた右手を垂直に曲げ、構えた銃口を、暗い夜空へと向ける。
―――パァァァン!
何もない空へ向けて、放たれる弾丸。
<フハハっ…!バァーカっ!どこを狙っているっ…!?>
空へと飛んでいく弾丸に、大きく笑いあげる忌。
「終わったわね…」
「ああ…」
囁の言葉に、篭也が静かに頷く。
<フハハハハっ…!この隙にもう一度、あの人間にっ…!>
「…………」
空で大きく体を動かし、倒れている紺平に向かって降下していく忌を見て、アヒルがそっと目を細める。
「“当たれ”」
アヒルの口から、落とされる言葉。
<フハハハハっ…!ハっ…!何っ…!?>
紺平へと降下していた忌が、空の上から、降り落ちる一滴のようにして向かってくる弾丸に気づき、焦りの声をあげる。
<馬鹿なっ…!弾丸は確かに空へっ…!ウウゥっ…!>
答えを出す間もなく、忌へと迫る弾丸。
<グウゥゥっ…!>
空から落ちた弾丸が、忌の黒い影を貫く。
<グっ…グギャアアアアアっ!!>
次の瞬間、忌は、白く強い光を放って、夜空の闇へと掻き消えた。
「…………」
光の消えた空をしばらく見つめた後、アヒルは銃をもとの言玉の姿へと戻し、ゆっくりと歩を進め、倒れたままの紺平のもとへと駆け寄った。倒れている紺平のすぐ横に、アヒルが膝をつく。
「紺平…」
「んっ…」
アヒルの声に反応して、紺平が閉じていた瞳を、ゆっくりと開いた。
「ガァ…」
その目に光を取り戻した紺平が、目の前にあるアヒルの顔を見つめる。
「ガァっ…」
もう一度アヒルを呼び、そっと口元を緩める紺平。
「ありがとう…」
「……っ」
紺平の発した、“あ”から始まる言葉に、アヒルは嬉しそうな笑顔を見せた。
「すぅー…すぅー…」
アヒルに一言呟くと、紺平はすぐに再び瞳を閉じ、深い眠りについた。昨夜の男同様、忌に取り憑かれたことで、体に相当の負担がきてしまったのだろう。
「はぁっ…」
眠る紺平を見て、どこか安心したように肩を落とすアヒル。
「お疲れ様、アヒるん…」
「んあっ?」
背後から聞こえてくる声に、アヒルが振り返る。アヒルと同じように武器を言玉に戻した篭也と囁が、アヒルのすぐ後ろに、並んで立っていた。
「ああ、お前らっ…」
その場で立ち上がり、二人と向き直るアヒル。
「さっきは突っ走って悪かったなぁっ、何か俺、つい偉そうなことっ…」
「それでいいのよ…」
「えっ?」
謝ろうとしたアヒルが、大きく頷く囁に、戸惑うように眉をひそめる。
「見事な戦い振りだったわ…さすがは我らが神…」
「神っ…?」
―――今のあなたは…我らが神となるには、あまりに浅薄…―――
首を傾げたアヒルの脳裏に、戦いの最中の篭也の言葉が思い出された。
「そういやさっきも言ってたけど、その神ってのは一体っ…」
「あなたは…加守である僕や、左守である囁など、“安団”に属する五十音士の、頂点に立つ者…」
「へっ…?」
アヒルの言葉を遮って話す篭也に、目を丸くするアヒル。
「五十音士、“五神”の一人…」
篭也がまっすぐに、アヒルを見つめる。
「“安の神”…」
「安の…神っ…?」
強調して言い放った篭也に、アヒルはただ、首を傾げるだけであった。




