Word.20 譲レナイ勝負 〈4〉
振り下りてくる刃に、篭也が強く唇を噛み締め、そして大きく口を開いた。
「“かっ…」
「何言ったって、あんたの武器はもうっ…!」
「“鎌鼬”っ…!」
「何っ…?」
篭也の放った、その思いがけない言葉に、思わず振り下ろそうとしていた鬼刀を止めてしまう金八。篭也の言葉を受け、先程砕き割れ、周囲に飛び散った鎌の刃部分が赤く光り、強い風を巻き起こして、金八の周囲で吹き上がる。
「こ、これはっ…!」
周囲を取り囲む強い風に、金八が焦りの表情を見せるが、巻き起こった風は止まることなく、一斉に金八へと襲いかかった。
「うわああああああっ!!」
強い風に斬り裂かれ、金八が勢いよく吹き飛ばされる。
「うあっ…!うぅっ…」
傷だらけとなって、水面に倒れ込む金八。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…」
まだ風の吹き荒れるその中心で、篭也が大きく肩を揺らしながら、乱れた呼吸を必死に整える。
「か…風、だとっ…?」
困惑したような、険しい表情を見せながら、金八が水面上で起き上がる。
「安団の言玉の形状は…武器じゃっ…そうかっ」
戸惑っていた金八が、急に納得した様子で頷く。
「あんたは安団とはいっても、一応は、あの“於崎”の人間だったんだっけなっ…」
「……っ」
金八が口にするその名に、篭也の表情が曇る。
「ならっ、言玉の形状を自由に変えられるはずだぜっ…」
「はぁ…はぁ…」
座り込んだまま、互いを強い瞳で睨みつけ合う篭也と金八。
「神に成り損ねた五十音士かっ…確かに、あんたの力は、神附きの中じゃ抜けてんのかもなぁっ」
金八が俯いたまま、篭也を称賛するような言葉を呟く。
「けど…けどなぁっ…!」
金八が声を張り上げ、右手の鬼刀を振り上げる。
「“曲折”っ!」
「……っ!」
空中で蛇のように曲がりくねり、伸び上がった鬼刀の刀身が、篭也の胴体を縛るように、強く巻きつけた。
「クっ…!」
しゃがみ込んだまま胴と両腕を巻きつけられ、身動きが取れなくなる篭也。
「“軋め”っ…!」
「うっ…!ううああっ…!」
金八の言葉とともに、篭也を巻きつけた鬼刀の刀身が、きつく篭也の体を縛り上げ、すでに傷だらけの体を強く軋ませる。
「うっ…ううぅっ…!」
「俺はっ…」
苦しげな声をあげる篭也を見ながら、金八がゆっくりと口を開く。
「俺は…ただ、神を信じてっ…五十音士になった…」
―――この世界に、神は俺一人でいい…―――
―――俺を信じるなら、附いて来い…―――
「俺の神は…あの人、たった一人だっ…」
「ううぅっ…!」
過去のイクラの言葉を思い返しながら、金八が鬼刀の柄を握る手に、さらに力を込める。金八が力を込めるほどに、篭也の表情は苦しげに歪んでいく。
「俺は、神が神である為なら、何だってするっ…!だからっ…!」
少し震わせた声を、大きく張り上げる金八。
「神になれなかったからって、仕方なく神附きやってるような奴にっ…!俺は負けたりしなねぇんだよっ…!!」
「……っ!」
金八のその言葉に、苦しんでいた篭也が大きく目を見開いた。
「これでぇっ…!んっ…?」
鬼刀を握る手に、さらに力を入れようとした金八が、ゆっくりと立ち上がっていく篭也に気づき、ふと眉をひそめた。すでに傷は重く、おまけに今は金八が鬼刀を巻きつけ、体の自由を奪っているのだ。篭也がそうすんなりと、立ち上がれるはずがない。
「な、何だ…?」
金八が立ち上がり、戸惑うように篭也を見つめる。
「何で、動っ…」
「随分と…勝手なことばかり言ってくれるんだな…」
金八の言葉を遮るようにして、落とされる篭也の声。その声は、巻きつく刀身に苦しんでいる様子もなく、とても落ち着いたトーンの声であった。
「誰がいつ、“神になれなかったから、仕方なく神附きをやっている”などと言った…?」
「……っ」
そっと顔を上げた篭也の、その突き刺すような視線を向けられ、金八が思わず顔をしかめる。
「し、仕方なくやってんだろっ!?ちゃんと調べたから、知ってんだぜっ!」
どこかムキになるように、金八が強く言い返す。
「神に選ばれなくて、神附きになるしか道がなくてっ、だから苗字も“於崎”から、神附きの“神月”に変えたってっ…!」
「前まではな。でも今は違う」
「何っ…!?」
はっきりと言い放つ篭也に、戸惑いの表情を見せる金八。
「言葉もろくに覚えないし、聞き分けもヘッタクレもない、阿呆な神だが…」
篭也が金八をまっすぐに見つめ、真剣な表情を作る。
「僕の神だって、あの神、たった一人だ」
堂々と胸を張り、誇らしげに言い放つ篭也。
「あの神が神である為になら、何だって出来るっ…」
篭也が両手を、力強く握り締める。
「今は、安の神の神附きであることに、誰よりも誇りを持っているっ…!」
「うっ…!」
強く叫び、主張する篭也に、まるで気圧されるかのように、思わず足を数歩、後退させてしまう金八。
「だから、こんなところで…あなたに負けるわけにはいかないっ…!」
「なっ…!」
篭也がそう言い放った途端、篭也の体から強い赤色の光が放たれると、篭也を巻きつけていた鬼刀の刀身が、弾かれるように金八のもとへと戻って来た。
「こ、これはっ…!」
「“火炎”っ…」
篭也の周囲から舞い上がるのは、篭也が放った光のように、赤々と燃え上がる大きな炎。
「火っ…!?今後は火かよっ…!」
「これで終わりだ」
炎を見つめ、険しい表情を見せる金八へ向け、篭也が冷静に右手を向けた。
「“涸れろ”…!」
「グっ…!」
篭也の言葉とともに、金八へと一斉に襲い掛かっていく、逆巻く炎。
「こんな火っ…!“鬼とっ…!ううぅっ…!?」
憶すことなく鬼刀を振り上げようとした金八であったが、足場の水が急に不安定になったことに気付き、戸惑うように足元を見下ろす。
「なっ…!」
篭也の炎により、遊園を埋め尽くしていた水が、あっという間に蒸発され、どんどんとその水位を下がらせていっていた。
「そ、そんなっ…!俺の、水がっ…!」
足元から崩れ落ちるように無くなっていく水に、金八が焦ったように声を出す。
「俺の水っ…ううっ…!」
金八が焦るように遊園内を見回していたその時、金八が握り締めていた右手の中の鬼刀も、篭也の炎の影響を受け、蒸気と化し始めていた。
「そ、そんなっ…」
手の中で、形を失くしていく刀に、大きく目を見開く金八。
「神っ…」
―――わかっているな…?金八…―――
「神っ…!」
イクラの姿を思い出し、金八が強く唇を噛み締める。そんな金八へと、赤々とした炎が迫った。
「ううぅっ…!うああああああああっ!!」
篭也の炎に包まれた金八は、激しい叫び声をあげながら、自らが生んだ水とともに、遊園の下方へと崩れ落ちていった。
「はぁ…はぁ…」
炎に包まれたまま、水の中へと沈んでいく金八を見下ろしながら、篭也が呼吸を乱す。
「うぅっ…!」
強く顔をしかめ、その場に力なくしゃがみ込む篭也。すると篭也を包んでいた赤い光が消え、次の瞬間、篭也の前に赤い言玉が転がり落ちた。篭也の力に限界が来て、言玉が自動的に元の姿に戻ったのだろう。
「全部涸らすのは…さすがに無理、だったか…」
下方を見つめ、篭也がそっと呟く。まだ遊園内を浸す水は残っているが、それでも先程よりはかなり水かさが減り、水の下に地面が見えるようにまでなっていた。
「これじゃあ傷の回復もっ…いや、それよりあの幾守の言玉を…」
「へへへへっ…!」
「……っ!」
すぐ近くから聞こえてくる笑い声に、篭也が目を見開き、俯けていた顔を、勢いよく上げる。
「なっ…!」
「う…うぅっ…」
顔を上げた篭也が、驚きの表情を見せる。篭也の居る木の正面の木の上には、今、意識を取り戻したのか、険しい表情を見せる保の首元に、鬼刀の刃を突き付けている金八の姿があった。
「た、高市っ…!」
「神、月くんっ…」
思わず身を乗り出す篭也の名を、保が弱々しく呟く。
「へへっ、残念だったなぁ。加守っ」
「クっ…!」
保へと刃を向けながら、楽しげに微笑む金八に、篭也が大きく表情を歪ませる。身を乗り出した体にも、すぐさま痛みが走り、篭也は再び力なく体を屈めてしまった。
「さぁっ、太守の命とあんたの言玉、物々交換といこうぜぇっ?」
「なっ…!」
「……っ」
金八が提示する条件に、保が驚きの表情を見せ、篭也が眉間に皺を寄せる。
「そ、そんなっ…!」
「言ったろ?俺は神が神である為なら、何だってするって」
険しい表情を見せた保が見る中、金八がその笑みを冷たいものへと変える。
「どんな汚い手だって使ってみせるっ…」
「…………」
揺らぎのない意志を覗かせる金八を、目を細め、まっすぐに見つめる篭也。
「だ、ダメです…!神月くんっ…!俺のことなんて、構わないで下さいっ…!」
刃を突き付けられている保が、篭也へ向け、必死に声を張り上げる。
「俺一人の命で地球が救われるならっ…!ああぁ~!あっさり人質になっちゃってる俺なんかが、カッコつけたこと言って、すみませぇ~んっ!」
「…………」
いつの間にか、いつもの調子で謝り散らしている保の、人質に取られても緊張感のないその姿に、篭也が思わず呆れた表情を見せる。
「とにかく、俺なんかより地球をぉ~!」
「地球?何だぁ?それっ。新手のギャグかぁ~?俺、悪者役とか、泣いちゃうよぉ~?」
まだ叫び続ける保に、その言葉の意味がまったくわからず、金八が大きく首を傾げた。
「うるさい」
「んっ…!」
どこか煩わしそうに呟く篭也に、保が反射的に黙り込む。
「あなたは黙っていろと、もう何度も言ったはずだ」
保へと鋭い視線を向けながら、篭也が傷だらけの手を伸ばし、前方に落ちている言玉をそっと拾いあげる。
「約束は守れよ」
「あっ…!」
拾いあげた言玉を、金八へ向けて投げ放つ篭也。飛んで来る言玉を見つめ、保が大きく目を見開く。
「ああっ」
頷きながら、篭也の言玉を受け止める金八。
「約束は守るぜぇ?太守に手出しはしねぇっ。けどっ!」
「うわっ!」
「あんたは倒しきらせてもらうぜぇっ…!」
保を横へと蹴り飛ばした金八が、保の首元から離した鬼刀を、しゃがみ込んだままの篭也へ向けて、勢いよく振り上げる。
「“斬り裂け”っ!」
振り下ろされた鬼刀から、篭也へ向け、巨大な水の刃が放たれる。
「あっ…!」
蹴り飛ばされ、倒れていた保が素早く起き上がり、思わず身を乗り出す。
「神月くんっ…!」
「クっ…」
保が必死に名を呼ぶ中、そっと表情を歪める篭也。言玉を渡してしまった篭也には、それを防ぐ術はなく、すでに全身傷だらけのため、避ける行為すら出来はしない。
「グっ…!」
起き上がった保が、素早く言玉を取り出し、言玉の形状を変えていく。
「た、“助けろ”っ…!」
保の右手の中で、無数の赤い糸へと姿を変えた言玉が、金八の水の刃を追い越す速度で一気に伸び、篭也の目の前で何層にも重なり合って、大きな盾を作る。
「ううぅっ…!」
目の前で出来上がった糸の盾に、金八の放った水の刃が直撃する。その衝撃風に、篭也は思わず目を伏せた。
「ふはぁ~っ」
何とか篭也を助けることが出来て、無数の糸を言玉の姿へと戻しながら、ホッとしたように胸を撫で下ろす保。
「そういや、忘れてたぜぇっ」
「へっ?あっ…!」
背後からの声に保が振り向いた途端、保が右手に握り締めていた言玉を、金八が素早く奪い取る。
「あんたの言玉も回収しねぇとなっ」
「待っ…!」
「よっ」
「うっ…!」
奪い返そうとした保であったが、顔を上げるとすぐそこに、鬼刀の刃があり、動きを止めざるを得なかった。
「んじゃあまっ、確かに頂いてくぜぇ?」
満足げに微笑むと、金八が噴き上げた水に包まれ、そのまま姿を消していった。
「あっ…」
水飛沫だけが飛び散り、先程まで目の前にあった金八の姿がなくなると、保は茫然とした表情で、ポツリと小さな声を漏らす。
「言玉がっ…」
「ううぅっ…!」
「えっ?あっ…!神月くんっ…!」
聞こえてくる苦しげな声に気づき、保が振り返ると、しゃがみ込んでいる篭也が、さらに苦しそうに傷だらけの体を抱え込んでいた。保が慌てて立ち上がり、木の枝を飛び移って、篭也のもとへと駆け寄っていく。
「大丈夫ですかっ!?神月くん!」
心配そうに声を出しながら、篭也のすぐ横へと屈み込む保。
「はぁっ!こんな存在自体が心配の種でしかない俺なんかが、一丁前に神月くんを心配しちゃってすみませぇ~んっ!」
「うるさい。傷に響く…」
すぐ横で謝り散らす保に、思わず表情を引きつる篭也。
「すみませんでした…」
「……?」
急に声のトーンを下げる保に、篭也が戸惑うように顔を上げる。
「俺のせいで、言玉をっ…」
「……っ」
申し訳なさそうに俯く保を見つめ、篭也がそっと目を細める。
「いい…」
「えっ?」
短く落とされた篭也の言葉に、首を傾げる保。
「神の言葉は…守った…」
―――保のことを頼むっ―――
噴き上げる水の中で別れた時の、アヒルの言葉を思い返し、篭也がそっと呟く。
「これで…いいっ…」
「あっ…!」
言葉を言い終えると、篭也がその瞳を閉じ、ゆっくりと倒れ込んでいく。
「神月くん…!神月くんっ…!!」
保の篭也を呼ぶ声が、静かになった紅葉の森に、響き渡った。
<以団“幾守”、安団“加守”、“太守”、両名の言玉を奪取。現在の言玉数、安団、三。以団、三。以上>
遊園外、モニター前。
「大したもんだな…」
モニター越しに、篭也と金八の戦いを見終えた恵が、倒れた篭也を見つめながら、どこか感心したように声を漏らす。
「あの神月篭也に、あそこまで言わせるとは…」
「……っ」
その恵の言葉を聞きながら、恵よりも後方で同じようにモニターを見つめていた檻也が、そっとその表情を曇らせる。
「無様なものだ…」
傷だらけで倒れ込んだ篭也の姿を見つめ、冷たく吐き捨てる檻也。
「…………」
「んん~?どこへぇっ?」
モニターに背を向け、足を踏み出そうとした檻也に気づき、為介が軽い口調で声を掛ける。その声に足を止めた檻也は、再びモニターの方を振り向いた。
「帰るんだ。これ以上見ていても、時間の無駄だからな」
「あぁ~そうですかぁ」
はっきりと答える檻也に、為介があまり興味なさそうに頷く。
「じゃあ、俺はこれで…」
「まぁ待てよっ」
「……っ」
もう一度去ろうとした檻也に、今度は恵が声を掛けた。
「ついでだ。見ていったら、どうだ?」
檻也の方を振り向いた恵が、そっと口元を緩める。
「お前の兄貴が神と認めた、“安の神”って奴をっ」
「…………」
鋭く微笑む恵に、檻也は少し目を細め、篭也とは別のモニターに映るアヒルの姿を視界へと入れた。




