Word.20 譲レナイ勝負 〈2〉
「しか…?」
―――バァァァァンっ!
「なっ…!」
囁の四方に巨大な水の柱がそそり立つと、その柱の間に立方体を作るように水の壁が現れ、水の箱が、中に居る囁を、完全に閉じ込めた。
「こ、これはっ…」
囲われた水の立方体を見ながら、囁が焦りの表情を見せる。
「あたいの変格、“四海”は…脱出不可能、死へと誘う水の牢…」
「クっ…」
シャコの言葉に、囁の表情がさらに険しくなる。
「脱出不可能なんて…まさかっ…」
信じられないといった様子で、徐に水の壁へと手を伸ばす囁。
「あまり容易に触れない方がいい…」
「えっ…?」
「“痺れろ”…」
「うっ…!」
囁を取り囲む水の壁全体に、白い閃光のようなものが走った。
「ああああああっ…!!」
壁に触れていた手から、激しい電流が体へと流れ、囁が叫びあげ、力なくその場にしゃがみ込む。
「ううぅっ…」
「“四海”は…電気をよく通すから…」
「クっ…」
まだ痺れのとれない左手を押さえながら、囁が険しい表情でシャコを見上げる。
「ならっ…」
痺れていない右手で、槍を振り上げる囁。
「“裂け”っ…!」
囁の振り下ろした槍先から、壁の一面へ向け、赤い光の一閃が放たれる。
「えっ…?」
だが囁の放ったその一閃は、水の壁にあっさりと弾き返され、囁のもとへと戻って来る。
「きゃあああああっ!」
避ける暇すらなく、自らの一閃を直撃する囁。吹き飛ばされ、その背中が逆側の水の壁へと当たる。
「“痺れろ”…」
「うっ…あああああああっ…!!」
背中に触れた壁から、一気に流れ込む電流。
「あ…あぁっ…」
自らの技と大量の電流を食らい、あっという間にボロボロとなった囁が、水の立方体の中で、力なく倒れ込む。囁は痛みと全身の痺れにより、立ち上がることが出来なかった。
「“四海”は…内部からの攻撃は、すべて弾き返す…」
倒れた囁を、四海の外から、静かに傍観するシャコ。
「まさに八方塞がりだね…左守…」
「うっ…うぅ…」
槍を支えにしながら、囁がゆっくりと体を起こす。だが足の痺れがまだとれず、立ち上がることは出来なかった。
「これで本当に終わりだ…」
「……?」
「“滲出”…」
「うっ…!」
囁を包む水の立方体の地面部分の水の壁から、徐々に水が滲み出始める。足元に広がっていく水に、険しい表情を見せる囁。
「四海を水が埋め尽くし…あんたは溺れ死ぬ…」
徐々に水が浸水する四海を見つめ、冷静に言い放つシャコ。
「四海の中で何を言ったところで、あんたの言葉は無効…あんたにはもう、どうする術もない…」
「クっ…」
手詰まりなこの状況に、囁が思わず唇を噛む。
「だが…」
「……?」
言葉を付け加えるシャコに、戸惑うように顔を上げる囁。
「今すぐ、その言玉を差し出すというなら…あんたを助けてやる…」
「えっ…?」
思いがけないシャコの言葉に、囁が訝しげに眉をひそめる。
「随分と言うことが変わるのね…さっきは、神試験はもう終わり、ここからはただの潰し合いだ、だの言ってたのに…」
「ウチの神の望みは…自分以外、神と呼ばれる者がいなくなることだ…」
「……っ」
シャコが口にするイクラのその望みに、囁が少し表情を曇らせる。
「神は、あんたんとこの神が神でなくなれば、それでいいはず…だから、あんたたちを殺すまでする必要はない…」
「あら…随分と優しいのね…さっきは絞め殺そうとしてたクセに…」
「気を失わせて、言玉だけ奪うつもりだった…別にあたいに、人殺しをする趣味はない…」
どこか含んだように言い放つ囁に、シャコは焦る様子も見せず、落ち着いた口調で話した。それはシャコの言葉が本心であることの、表れであろう。
「言玉をすべて渡せば…あんたたちは誰も溺死せずに、この勝負を終えることが出来る…」
「…………」
シャコの言葉を聞きながら、そっと視線を横へと流し、遊園内を見つめる囁。遊園内は先程よりも水位が上昇し、周囲の木々はすべて水の中に沈んでいて、この立方体を出たとしても、最早、囁に足場はない。このままでは確かに、囁たちは皆、溺れ死ぬ以外に道はないように思えた。
「あんたたちにとっても…悪い条件じゃないだろう…?」
遊園を見つめている囁へ向け、シャコがさらに言葉を投げかける。
「あんたの神が神でなくなることと、あんたたち全員の命を比べたら…」
「そうねぇ…折角の素敵なお話だけど…」
「……っ?」
そっと入ってくる囁の声に、シャコが少し眉をひそめる。
「お断りさせてもらうわ」
「えっ…?」
はっきりと答える囁に、思わず戸惑いの表情を見せるシャコ。
「断る…?」
「ええ…」
戸惑いの表情のまま聞き返したシャコに、囁が迷うことなく頷きかける。
「な、何をっ…」
そっと微笑む囁に、シャコは突いて出たように言葉を吐く。
「仲間たち全員の命より、この神試験の勝敗を優先するっていうのかっ…?」
シャコがどこか必死に、囁へと言い放つ。
「例え全員死ぬことになったとしても、この勝負には負けたくないとでもいうのかっ…?」
「…………」
問いかけを続けるシャコに、囁がそっと目を細める。
「私ね…」
「えっ…?」
小さく言葉を挟む囁に、そっと眉をひそめるシャコ。
「私ね…正直、別に神試験に、そこまで興味とかないの…」
シャコの方を振り向いた囁が、どこか穏やかな笑みを浮かべる。
「篭也と違って…神様とか安団とかに、こだわってる方でもないし…」
「なら、余計にっ…」
「でもね」
戸惑いの表情を見せたシャコに、囁がすかさず言葉を挟む。
「昨日、五十音士になったばかりの奈々瀬さんが…必死に、命懸けて戦ってる所を見て…」
―――朝、比奈くんっ…―――
―――でも私…!言玉をっ…!―――
―――ううぅっ…!―――
「傷だらけなのに、まだ敵を追おうとしてる所を見て…勝負に負けて、悔しそうに泣いてる所を見て…」
思い出される七架の姿に、囁がそっと目を細める。
「それで思ったの」
はっきりと言い放った囁が、口元をさらに柔らかく緩める。
「あんな姿見せられた後に、命欲しさに言玉渡せるほど…私、腑抜けた人間じゃないって」
「…………」
堂々と微笑む囁に、シャコがかすかに表情をしかめる。
「それだけで…命を捨てるというのか…?」
戸惑いの色を深くし、囁へと問いかけるシャコ。
「あんただけじゃない…他の仲間全員が、死ぬかも知れないんだよっ…?」
「それも色々と考えてみたけれど…結局はこう思うのよねぇ…」
「えっ…?」
シャコの問いかけに答えながら、囁が水の立方体の中で、ゆっくりと立ち上がる。
「“アヒるんが神様でなくなってもいいから命が惜しい”なんて人、私の仲間にはいないって…」
「……っ」
自信に満ちた笑みを浮かべる囁に、シャコの表情が大きく歪む。
「馬鹿ばかりということかっ…」
「それは否定しないけど…フフフっ…」
呆れたように言い放つシャコに、囁がどこか楽しげな笑みを浮かべる。
「だが、どうする気だ…?」
鋭い瞳を見せ、まっすぐに囁を見つめるシャコ。
「言玉を渡さないんなら、四海の中に居るこの状況は変わらない…あんたには勝つ術なんて…」
「私の“変格”はね…」
「……?」
遮るように入ってくる囁の声に、シャコがそっと表情を曇らせる。
「言玉の形状が変わるだけじゃないの…」
「何っ…?」
シャコが戸惑いの表情を見せる中、囁が右手に持った槍をそっと振り上げ、その槍先を足元の水の壁へと向ける。
「“原型”の時には使えない…新たな言葉の使用が可能となる…」
「新たな、言葉だとっ…?」
「ええっ…」
少し表情をしかめるシャコに、微笑みかけるように頷きながら、囁がその槍先を足元に広がる水壁へと、勢いよく突き刺した。
「“サけ”…」
「……っ」
囁が放つその言葉に、シャコが驚いたように目を丸くする。
「何が新たな言葉だっ…あんたの“裂け”なんて、聞き飽きてっ…!」
「“咲け”…」
「えっ…?」
立っている水面の下から聞こえてくる、かすかな音に気づき、シャコが戸惑うように足元を見つめる。
「何っ…」
「……“咲き誇れ”…」
「うっ…!」
シャコの足元へ向け、水中をまっすぐに上昇してくるのは、一本の大きな木。
「うああああああっ…!!」
異常な速度で生長した木が、沈んでいた水面から顔を出し、真上に立っていたシャコを勢いよく吹き飛ばす。すると顔を出した雪国の森の裸の木は、急速に芽吹き、そしてあっという間に花を咲かせた。
―――パァァァァンっ!
咲き誇った桜の花びらが宙を舞い、囁を包んでいた四海に降り注ぐと、桜の花びらが付着した部分から水壁が崩れ落ち、やがて水の立方体が、粉々になって流れ落ちる。
「んなっ…!」
その光景に、水面に倒れ込んでいたシャコが、大きく目を見開く。
「そ、そんなっ…私の四海が…」
「ふぅ…」
舞い散る桜の花びらを見つめ、シャコが唖然とした表情を見せる中、四海から解放された囁は、美しい花を咲かせている桜の木の枝へと、軽い足取りで飛び乗った。
「内部からの攻撃には強くても…外部からの攻撃には、意外と脆かったみたいね…」
桜の木の上で、ゆっくりと立ち上がる囁。
「ここが森の遊園地で、本当に良かったわ…」
桜の木の幹を撫でながら、囁が穏やかな笑みを浮かべる。
「植物のない水族館だったら…本当に危なかったもの…」
「クっ…!」
桜の上に立つ囁を見上げ、険しい表情を見せながら、水面に倒れ込んでいたシャコが素早く立ち上がる。
「まだだ…!まだっ…!」
「あら…どうやって戦うつもり…?」
闘志を剥き出しにするシャコに、どこか余裕の口調で問いかける囁。
「言玉も…持ってないのに…」
「あっ…!」
そう言った囁が、シャコへと見せるように左手を突き出す。その左手には、青い言玉が握られていた。
「あたいの言玉っ…!」
「フフフっ…」
焦るように声をあげるシャコに、そっと微笑む囁。先程、四海が崩れ落ちた時に、姿を戻したシャコの言玉を、囁はしっかりと捕らえていたのである。
「これで本当に終わり…」
「クっ…!」
右手の槍を振り上げる囁に、シャコが険しい表情を見せる。
「“裂け”…」
「うっ…!」
振り下ろされた槍先から、シャコへと放たれる赤い一閃。だが、言玉を奪われたシャコに、その一閃をどうにかする術など、ありはしなかった。
「神っ…」
迫り来る一閃を見つめながら、そっと神の名を落とすシャコ。
「ああああああああっ…!!」
囁の放った一閃を正面から直撃すると、シャコは全身を斬り裂かれ、体中から真っ赤な血を流しながら、後方へと倒れていった。広がる水面の上に、シャコが力なく倒れ込む。
「神…」
水面に倒れ込み、ドーム状の天井を見上げ、そっと目を細めるシャコ。
「ごめん…神っ…ごめん、なさいっ…」
天へ向け、神へと謝ると、シャコはゆっくりと、その大きな瞳を閉じた。
「…………」
そっと槍を振り下ろした囁が、倒れたシャコを、どこか複雑そうな表情で見つめる。
「“ごめんなさい”か…」
シャコが最後に呟いた言葉を、ゆっくりと繰り返す囁。
「私は、私の神様に…誉めてもらえるのかしら…?」
<安団“左守”、以団“之守”の言玉を奪取。現在の言玉数、安団、三。以団、一。以上>
囁の言葉と同時に、水に埋め尽くされた遊園内に放送が響き渡り、囁の勝利を知らせた。
「うっ…」
槍を元の言玉の姿へと戻した囁が、少し表情をしかめ、力なくその場に膝をつく。
「さすがに言葉を使い過ぎたか…」
右手に収まった赤い言玉を見つめ、囁がそっと呟く。
「でも、何とかこれを…アヒるんに届けないと…」
次に左手のシャコの青い言玉を見つめ、呟く囁。
「んっ…?」
どこからか、水が流れ落ちていくような音が聞こえ、囁がゆっくりとした動作で振り向いた。
「あれはっ…」
顔を上げた囁が、そっと目を細める。遊園内部の壁一面に張られていた、薄い膜のような水が一気に崩れ落ち始めていた。
「之守が気を失って…“閉めろ”の言葉の効果が無くなったのね…」
崩れ落ちていく水を見つめながら、冷静に分析する囁。
「このままじゃ…遊園の外に水が…」
囁は、どこか不安げな表情を見せた。
―――バァァァァン!
『なっ…!』
囁の不安は的中し、シャコの水の壁が無くなると、遊園の正面出口から、遊園内に溜まった水が、その扉だけではとてもせき止めきれず、扉を突き破るように溢れ出してきた。大波のように押し寄せてくる水に、和音の従者たちが皆、焦ったように声を出す。
「三十二音、“み”、解放っ…」
雅が素早く制服のポケットから言玉を取り出し、右手で強く握り締める。
「“水鏡”…!」
皆の前へと出た雅が、自分の前に大きな水の盾を作り、遊園から溢れ出てきた大波を受け止める。
「うっ…!」
だが受け止めたその瞬間、雅の両手に強い圧力がかかり、雅の足が少し後退した。
「な、なんて水の量っ…」
かかる圧力で震える右手を、左手で必死に押さえながら、雅が険しい表情を見せる。
「このままではっ…」
「“凍てつけ”っ」
「……っ」
雅がそっと眉をひそめたその時、雅の後方から言葉が放たれると、出口から溢れ出て来ていた水が一気に凍りつき、その動きを止めた。
「あっ…」
右手にかかっていた圧力が一気に消え、雅が少し気の抜けた声を漏らす。
「す、すみません。為介さん」
「ぜぇ~ん然、大丈夫だよぉ~っ」
振り返った雅に、雅の後方に立った為介が、扇子を扇ぎながら、軽い口調で答える。
「今度、ボクの大好物奢ってくれたら、それでぇっ」
「明日は満月でしたっけ?」
「あららぁ~?無視かなぁ?雅くぅ~んっ」
奢らせようとする為介をあっさりとかわして、まるで違う話題を始めようとする雅に、為介が少し引きつった笑顔で問いかけを入れる。
「んなこと言ってる場合か?為介」
「ああ、ハイハイっ」
恵に鋭く言葉を挟まれ、為介が軽く頭を掻きながら頷く。
「言姫サマぁ~」
「……?」
為介の軽い口調で名を呼ばれ、和音がゆっくりと振り向く。
「またお水がドバンと来るかも知れません~ここは危険ですので、どこか安全なトコまで避難をぉ~」
「その方が良さそうですわね」
凍りついた大波を見上げながら、和音が冷静な表情で頷く。
「檻也、あなたはどうなさいますか?」
和音が振り向き、隣に立っている青年、檻也へと問いかける。
「別に…自分の身くらい、自分で守る。お前だけ避難すればいい」
「そうですか。わかりました」
素っ気ない檻也の返事にも、慣れた様子で微笑みながら頷く和音。
「恵サンはどうしますぅ~?」
「私も残るよ。一応、クソガキ共の引率者だからね」
「そうですかぁ~じゃあ雅くぅ~ん、言姫サマを安全な場所まで、誘導してってもらえるぅ~?」
「えっ?あ、はい」
為介からの言葉に、少し戸惑いながらも、雅が素直に頷く。
「では、あちらへ」
「ええ、お願いしますわ」
誘導するべく右手をあげる雅へ、和音が柔らかな笑みを向ける。
「では、檻也。わたくしの分も、しっかりと観ていって下さいね」
足を踏み出す前に、もう一度、檻也の方を見る和音。
「あなたの“お兄さん”の雄姿を」
「……っ」
『…………』
まるで強調するかのように、はっきりと言い放った和音のその言葉に、檻也の表情がかすかに動き、檻也を見ていた為介と恵も、それぞれ表情を曇らせる。
「では、失礼いたしますわ」
為介たちに微笑みを向けると、和音は、雅に誘導され、安全な場所へと案内されていった。和音の従者もそれに続き、その場に為介、恵、檻也の三人だけが残る。
「読めないお姫サマですねぇ~」
「ああ。この上なく気に食わないっ」
どこか感心したように呟く為介の横で、あからさまに顔をしかめる恵。
「…………」
そんな二人から少し離れた所に立つ檻也が、鋭く瞳を細め、水浸しとなったモニターを見つめる。
「篭也…」
檻也が見つめるモニターの向こうには、金八と戦う、篭也の姿が映し出されていた。




