Word.20 譲レナイ勝負 〈1〉
午後五時二十分(神試験スタートから四時間)。
言ノ葉の森遊園は、水に埋め尽くされ始めていた。
遊園内、遠未来の森上空地点。
突如突き上げたいくつもの巨大噴水と、遊園内部を取り囲んだ水の壁により、広い遊園内が一気に浸水し、その水位は人間の背丈を軽く越え、木々の上部分まで迫るほどの勢いであった。
「プハっ!」
その激しく上がっていく水面から、這い上がって来たのか、少し苦しげな表情のアヒルが顔を出す。その傍らには気を失っているチラシとニギリ、二人を抱え込んでいた。
「クっ…!」
アヒルが多少水を鼻や口に入れながら、銃を持った右手を自分へと向ける。
「“上がれ”っ!」
銃声とともにアヒルたち三人の体を赤い光が包み込むと、三人の体が水の中から飛び出し、ドーム状となっている高い天井へと上昇していく。
「ハァっ…ハァっ…」
やっと水から逃れたアヒルが、銃をズボンのポケットへと片し、両手一方ずつでチラシとニギリを抱え直しながら、軽く息を乱す。
「どっか…こいつらをっ…あっ」
高い位置で平行に周囲を見回していたアヒルが、ドーム形天井の片端に造られた、非常用出口のようなものを見つける。アヒルはすぐさま体の向きを変え、そちらへと進んでいった。
「よっと」
出口用扉の前に造られた狭い足場へとチラシとニギリを横たわらせると、アヒルはその扉へと手を伸ばした。扉には薄い水の膜のようなものが張られている。
「開かねぇーか…」
回そうとしても回らないノブに、アヒルが少し息を吐く。アヒルは知らないが、シャコが『閉めろ』の言葉を放ち、すべての出入口や壁に水を張ってしまったために、遊園内から外へと続く道は、すべて封鎖されてしまっているのである。
「んっ?“開かない”?」
自らが放った言葉を繰り返し、そっと眉をひそめるアヒル。
「ってことは」
アヒルがポケットから再び銃を取り出し、その閉ざされた扉へと向ける。
「“開け”っ!」
その言葉とともに弾丸が放たれ、扉を貫くと、扉全体が赤い光を放ち、張られていた水の膜が崩れ落ちて、扉が自動的に開いた。
「よっしゃ!」
開く扉に、アヒルが銃を持つ手を挙げ、ガッツポーズを見せる。
「ここで待ってりゃ、外の誰かが助けに来てくれると思うからよぉっ」
アヒルがそう呟きながら、扉の外からも広がっている狭い足場へと、気を失っているチラシとニギリを移す。
「んじゃあなぁ!」
別に起きているわけでもない二人に笑顔で手を振り、そのまま開いた扉を再び閉めるアヒル。閉ざされた扉には再び水の膜が張り、出入口を塞いだ。
「えぇ~っと、プレート、プレートっ」
やっと両手が自由になったアヒルが、懐の中へと手を入れる。するとシャツの中から、胸元に仕込んでいたのか、言玉を入れるプレートが出てきた。プレートの中には、灰示がチラシとニギリから奪った、二個の青色の言玉が収納されている。
「よしっ」
プレートを左手に持ち、準備を整えるアヒル。
「さてとっ…」
アヒルが不意に鋭い表情となり、下に広がる、すでに相当浸水している遊園内を見下ろす。
「篭也、囁、保、奈々瀬っ…」
この遊園内のどこかにいる仲間の名を呼び、アヒルが不安げな表情を見せた。
その頃。遊園外、モニター前。
「先程の場所へ行き、知守、仁守、両名の保護を」
『はっ!』
和音が黒い着物を纏った従者へと指示を出すと、数名の中から二名がその場を駆け出していき、先程、アヒルが外へと出した、チラシとニギリの元へと向かった。
「神試験をブチ壊した連中だ。わざわざ助けてやる義理もないだろう?」
「そうはいきませんわ。貴重な戦力の五十音士ですもの」
何やら煩わしそうに問いかける恵へ、迷うことなく、爽やかな笑みを向ける和音。
「彼らを助けておきませんと、その他が皆、溺死してしまった時に、事情聴取に困りますし」
「お前ね…」
満面の笑顔で不吉なことを言い放つ和音に、恵が思わず呆れた表情を見せる。
「それに安の神も、彼らが助かることを望んでいるのではありませんか?」
「……っ」
微笑みながらも、まっすぐな瞳で、鋭く問いかけてくる和音に、そっと目を細める恵。
「けれど朝比奈君、また遊園の中へ戻ってしまいましたね」
恵の横でモニターを見つめる雅が、少し不安げな表情を見せ、口を挟む。
「もう神試験と呼べるものでもないのですから、あのまま脱出してしまっても…」
「あいつが、んなことするような奴だと思うか?」
「えっ?いや、まぁ、その…思わ、ないですけど…」
すぐさま問いかける恵に、歯切れを悪くしながらも、思わず否定してしまう雅。
「はぁ…」
自分自身の言葉に、雅が思わず溜め息を吐く。
「兄弟揃って無茶な性格してますからね、朝比奈家は」
「……っ」
呆れたように呟く雅のその言葉に、恵がそっと目を細める。
「本当にな…」
恵は、どこか遠くを見るような瞳で頷いた。
遊園内、雪国の森地点。
「“沈め”」
シャコが言葉を放つと、遊園内で徐々に水位を上げる水の一部が舞い上がり、シャコの正面に立つ囁へと、大波のように勢いよく襲いかかっていく。
「“妨げろ”…」
囁が言葉を落とし、横笛で音色を奏でると、その音色が振動の塊のようになって囁の前に立ち塞がり、向かってくる大波の水を弾き砕いた。
「あっ…」
だが弾き砕かれた大波の水飛沫が、一気に囁の方へと押し寄せ、ただでさえ迫り来ている水かさがさらに増し、囁の足場が水へと沈んでいく。
「クっ…!」
さらに上の枝へと飛び移り、何とか水から逃れる囁。
「……っ」
だが下から迫る水の勢いは止まらず、上にある木の枝も、もう先が見えており、囁はそっとその表情を曇らせた。このまま水位が上がって行けば、囁はやがて足場を失くし、水の中へと沈んでしまう。
「あんたが置かれている状況が、理解出来てきた…?」
「……っ?」
前方から聞こえてくる問いかけに、囁がゆっくりと顔を上げる。そこには、徐々に上昇する水面の上に、平然と立っているシャコの姿があった。
「このまま行けば後二十分…いや、後十分で、この遊園は完全に水に埋め尽くされる…」
半分以上水に沈んでいる、入口付近の大時計を指差しながら、シャコが冷静に言い放つ。
「そうなれば、水系の力を持つ、ウチら以団は生き延びられるが…あんたら安団は皆、死ぬ…」
「そうね…それがあなたたちの目的なんでしょう…?」
「ああ…」
「そうあっさり頷かれると…逆に清々しいわね…フフフっ…」
頷くシャコを見ながら、どこか楽しげに微笑む囁。その笑みには余裕すら感じられ、追い込まれて焦っている様子は、微塵も見せていない。
「何故、笑う…?あんたたちは、もうすぐ死ぬんだよ…?」
「あら…何故、“死ぬ”と決めつけるの…?」
問いかけるシャコに、囁が微笑んだまま、問いかけを返す。
「後二十分…十分だったかしら…?その間に、あなたたちを倒して…この水を消してしまえばいいんでしょう…?」
「そんなことが出来ると思っているのか…?」
強気な発言をする囁に、そっと眉をひそめるシャコ。
「もうすぐ、あんたの足場はなくなる…そうなれば、攻撃することさえ出来ない…」
「その前に終わらせるわよ…」
「ナメられたもんだね…あたいも…」
互いを見合いながら、囁とシャコがそれぞれ、構えを取った。
「“叫べ”…」
囁の言葉と音色とともに、巨大な振動の塊が生じ、シャコへと向かっていく。
「こんな音っ…」
向かってくる振動に、まるで嘲るような笑みを浮かべながら、シャコが右手の言玉を突き出す。
「“静まれ”っ…!」
「……っ!」
シャコの言玉が青く輝くとともに、囁の放った振動の塊が、一瞬にして掻き消される。あっさりと消される自らの技に、囁は思わず目を見開いた。
「“静まれ”…音を封じる言葉か…これじゃあ…」
「“縛れ”!」
「うっ…!」
囁が表情を曇らせていると、シャコが新たな言葉を放ち、水面から突き上げた数本の縄状の水が、囁へと迫り来た。
「さ、“避けろ”…!」
目にも留まらぬ速度で迫り来る水の縄に、慌てて言葉を放ち、横笛を奏でる囁。生じた振動が今度は囁の体を包み込み、囁を水の縄の攻撃から逃がす。
「逃げていいの…?」
「えっ…?あっ…!」
シャコの問いかけに、少し眉をひそめる囁であったが、攻撃から逃れたその先に広がる一面の水に、焦った表情を見せる。
「うっ…!“叫べ”…!」
囁が空中で慌てて横笛を奏でると、振動の塊が水面へと放たれ、その衝撃風に空中の囁の体が流されると、囁は近くの木へと身を寄せ、その枝の上へと飛び乗った。
「はぁ…はぁ…」
枝に膝をついた囁が、軽く息を乱しながら、シャコの方を見つめる。
「随分と大口叩いてたわりには、ギリギリだね…」
「……っ」
水面に悠々と立ちながら、まるで上から見下すように言い放つシャコに、曇る囁の表情。もう背丈の低い木々はほぼ水に沈み、いくら広い森と言えど、囁の足場は限られて来てしまっている。これでは囁は、自由に攻撃することも、防御することも出来ない。
「思ってたより…厳しいわね…」
先程と同じように微笑む囁であったが、その額からは汗が流れ落ちていた。
「…………」
「んっ…?」
そっと右手を掲げるシャコに、囁が警戒するように横笛を身構える。
「“滴れ”」
「えっ…?」
シャコが放ったその言葉に、少し目を丸くする囁。だがすぐに、上空から、何やら不穏な音が近づいてくることに気づき、顔を上げた。
「上からっ…!?」
ドーム状の天井から勢いよく降り注いでくる、無数の水の粒。
「さ、“妨げろ”っ…!」
囁が自分の頭上へ向け、音の振動を放ち、盾にしようとする。
「うっ…!」
だが降り注ぐ無数の水粒、すべてを妨げきることが出来ず、いくつかの水粒が、振動の盾を掻い潜って、囁のもとまで落ちてくる。
「ああああっ…!」
足場がないため、横に避けることも出来ず、囁が水粒を直撃する。
「うぅっ…」
「“縛れ”…」
「……っ!」
枝の上にしゃがみ込み、苦しげな表情を見せていた囁が、さらに放たれるシャコの言葉に、大きく目を見開く。
「しまっ…」
囁が立ち上がる暇もなく、囁のいるすぐ下の水面から縄状の水が突き上げた。
「ううぅっ…!」
水の縄が囁の両腕と胴体を縛り上げ、座り込んでいた囁を、引っ張り上げるように無理やり、立ち上がらせる。勢いよく立ち上がらされると、先程、水粒を喰らった時の傷から血が溢れ出し、囁は強く、その表情をしかめた。
「うっ…」
「捕まえた…」
水に捕らえられた囁のもとへと、シャコが水面をゆっくりと歩きながら、近づいていく。
「これで終わ…んっ…?」
「……っ」
囁のすぐ前へと歩み寄って来たシャコが、徐々に霞みがかって消えていく囁の体に気づき、そっと眉をひそめる。
「これは…」
「残念だったわね…」
「……っ!」
眉をひそめていたシャコが、後方から聞こえてくる声に、勢いよく振り返る。
「“錯覚”…」
シャコの後方にある木の上へと立ち、横笛を構えているのは、水の縄になど縛られていない囁の姿。
「これで終わりよ…」
囁がさらに攻撃をするべく、口元に寄せていた横笛を、下ろそうとする。
「んっ…?」
だが、下ろそうとしたその囁の手は、動かなかった。
「何っ…」
「“縛れ”…」
「なっ…!」
動かない手に戸惑い、囁が自らの手を見ると、囁の両手は左右から伸びている水の縄に縛られ、その動きを封じられていた。両足にもそれぞれ水の縄が伸び、囁の体の動きを完全に封じている。
「そんなっ…」
「あんたの“錯覚”は…もう見飽きてんだよね…」
「クっ…」
そう言いながら、ゆっくりと振り返るシャコに、囁が軽く唇を噛む。
「……っ」
「えっ…?うっ…!」
シャコが軽く右手を動かすと、新たに突き上がった水の縄が囁へと迫り、囁の細い首を勢いよく捕らえた。
「“絞めろ”…」
「うううぅっ…!」
シャコの言葉に反応し、囁を縛り付けた縄が、囁の四肢と首を、容赦なく絞め上げる。首を締め付けられ、囁は苦しげな表情を見せ、声にならない声を漏らした。
「うっ…ううぅっ…!」
「溺死の前に…絞め殺しちゃうかな…」
苦しむ囁を、平然とした表情で見つめるシャコ。
「さっきの言葉…もう一度、言ってあげる…」
シャコが囁へと、冷たい視線を送る。
「“死ね”…」
「うううぅっ…!」
吐かれる残酷な言葉とともに、さらに苦しげな声をあげる囁。これ以上、絞め上げられれば、シャコの言葉が発動しなくとも、本当に死んでしまう。
「うっ…」
必死に歯を食いしばり、囁が鋭い目つきとなる。
「へっ…」
絞め上げられながらも、何とか言葉を口にしようとする囁。
「“変格”…!」
「……っ」
囁の言葉とともに、強い赤色の光を放ってその姿を変えていく、囁の右手の横笛に、見つめていたシャコがそっと表情を曇らせる。
「“裂け”っ…!」
横笛から姿を変えた赤銅色の槍から、赤い一閃が放たれると、一閃が囁を縛る水の縄をすべて斬り裂き、解放された囁は、力なくその場に座り込んだ。
「ハァっ…!ハァっ…!ハァっ…!」
先程まで絞め上げられていた首元を押さえ、囁が必死に呼吸を整える。
「“変格”、か…」
そんな囁を見ながら、落ち着いた様子で呟くシャコ。
「安団の“変格”は確か…より攻撃性の強い武器への変化…」
「ハァ…ハァ…」
やっと呼吸の落ち着いた囁が、変化した槍を握り締めながら、ゆっくりとその場で立ち上がる。
「さすがに、素人の奈守とは違うか…でもっ…」
「……っ?」
言葉を付け加えるシャコに、囁が少し怪訝そうな顔を見せる。
「あたいもあんたも、同じサ行の五十音士…」
まっすぐに囁を見つめ、シャコがさらに言葉を続ける。
「これが…どういうことだか、わかるか…?」
「あなたも…“変格”が使えると…?」
「その通り…」
囁の言葉を聞き、そっと微笑んだシャコが、右手をゆっくりと開き、握り締めていた言玉を見せる。
「以団の“変格”は…水の具現…」
「具現…?」
シャコの言葉に、首を傾げる囁。
「“変格”…」
シャコの手のひらの上の言玉が、青く強い光を放ち始める。
「“四海”っ…!」




