Word.19 灰示、再ビ 〈1〉
午後二時四十五分(神試験スタートから二時間二十五分)。
言ノ葉の森遊園内、原始の森地点。
「吽っ!」
「おぅ、ご苦労さまっ」
イクラと金八の待機している原始の森には、ニギリの仁王の片割れ像が、大きな足を使ったため、あっという間に辿り着いていた。仁王が金八へと、ニギリから預かって来た七架の言玉を手渡す。
「ニギリんとこ、戻っていいぞぉ」
「吽っ!」
金八の言葉に頷くと、仁王は再び、戦いの場となっている遊園の中央へと、大きな足で歩きだしていった。
「ふぃ~っ」
金八が七架の言玉を軽く投げては捕る動作を繰り返しながら、イクラの待つ森の奥へと進む。
「神ぃ~、ニギリが奈守の言玉、奪ってきたぜぇ?」
「…………」
「無視っ!?」
言玉を強調するように前へと出し、得意げに笑う金八であったが、まるで何も言わないイクラに、激しく驚いた表情を見せる。
「無視とか泣いちゃうよぉ!?俺、泣いちゃうよぉ!?神ぃ~っ!」
「この気配…」
「へっ?」
ゆっくりと口を開くイクラに、泣きそうになっていた金八が目を丸くする。
「気配?」
「この…禍々しい気配は…」
金八が首を傾げ、周囲を見回す中、眉をひそめたイクラが、ゆっくりと天井のドームを見上げる。
「“忌”…」
言ノ葉の森遊園内地下、熱帯の森地点。
「ダメだぁぁぁぁっ!!」
灼熱のジャングルに響き渡る、こちらも負けじと暑苦しい大きな声。ジャングルの中心で叫びあげているのは、この神試験の受験者であり、安団を率いているはずのアヒルであった。
「いっくら歩いても、このジャングル抜けやしねぇ!このままじゃ干からびちまうよっ!」
ニギリから渡された、言玉を入れる用のプレートを持ったまま、両手で頭を抱え、心底困った様子で叫ぶアヒル。すでに試験開始から二時間半あまり。試験開始直後にここへと落ちたアヒルは、試験の間中、灼熱のジャングルを歩き回っており、何もしていないのに体力は限界に近付いてきていた。
「あぁ~どうしたらっ…!って、あっ」
頭を抱えたまま、大きく首を後ろへ反らしたアヒルが、無機質な白色の天井を見上げ、ふと何か思いついたような顔つきとなる。
「俺って、穴から落ちてここに来たんだよなぁ。っつーことはっ…」
プレートを持っていない方の手を下ろし、アヒルがポケットから赤い言玉を取り出す。
「とりあえず上に上がれば、皆のとこに行けるかもっ」
暑さで参っていた瞳を輝かせ、アヒルが強く言玉を握る。
「第一の音、“あ”、解放っ…!」
赤く強い光を放って、言玉がその姿を銃へと変える。
「よしっ!」
姿を変えたばかりの赤銅色の銃を、天井へ向けて構えるアヒル。
「あ…」
アヒルが大きく口を開く。
「“当たれ”っ…!」
アヒルの言葉とともに、真っ赤な光の銃弾が、天井へ向けて放たれた。
その頃、遊園内地上、紅葉の森地点。
「確かこちらの方から、衝撃音がっ…」
囁と七架を雪国の森に残し、一人、保のもとへと向かっていた篭也は、遠くから響いてくる戦いの音らしきものを頼りに、紅葉の森まで辿り着いていた。
「あのバカが戦っているのか…どちらにせよ、急がないとっ…んっ?」
保の身を案じ、表情を曇らせていた篭也が、ふと何かに気づいたように、足を止める。
「何だ?遠くの方から変な音が…」
―――バァァァァンっ!
「うわああっ!」
篭也が周囲を見回し、音の原因を探ろうとしていたその時、篭也のすぐ目の前の地面が、大きな音を立て、爆発でもしたかのように勢いよく吹き飛び、地面に散っていた紅葉が宙を舞った。
「な、何だ…?」
恐る恐る歩み寄り、篭也が地面にあいた大きな穴を覗き込む。
「一体、何っ…」
「“上がれ”ぇぇっ!」
「へっ?」
穴の遥か下方から聞こえてくる、その聞き覚えのある大きな声。
「なっ…!」
下から勢いよく上昇してくる人影に、覗き込んでいた篭也が焦ったように声をあげる。
「ちょ、ちょっと待っ…!」
「よぉーしっ!いっけぇっ!」
「うっ…!どわああああっ!」
「へっ?おわあああああっ!」
穴から地上へと飛び出してきたアヒルが、覗き込んでいた状態から避けようろするも、後少しのところで間に合わなかった篭也と、勢いよく衝突する。
「ぐっ…うぅ…」
「痛つつつつつっ…」
地面に座り込んだまま、ぶつけた頭を押さえるアヒルと、同じくぶつけた腹を抱え込む篭也。
「よ、よぅ、篭也。ひ、久しぶりっ…」
「ろ、ろくなことをしないな…あなたは…」
頭を押さえながら顔を上げ、軽く笑みを零すアヒルを、篭也が強く睨みつける。
「って、篭也が居るってことは、ここ、地上かぁ?」
「当たり前だろう?僕があなたのように愚かに、落とし穴に嵌るはずがない」
「よっしゃあ!地下ジャングル、脱出成功だぁ!」
「ジャングル?」
篭也の冷たい言葉に傷つくこともなく、大きく両手を伸ばし、喜びの声をあげるアヒル。そんなアヒルを見ながら、篭也が怪訝そうに首を傾げる。
「っつーか、お前一人か?みんなは?」
「えっ…?」
目を丸くして問いかけるアヒルに、篭也が少し戸惑ったような声を漏らす。
「攻撃を受けて、分断されたんだ。僕は今、高市のところに向かっている」
「そうだったのかぁ」
「……っ」
どこか暢気に頷くアヒルを見て、そっと眉をひそめる篭也。
「神、地下のジャングルで、放送は聞こえていたのか?」
「放送っ?いやぁ?何も聞こえなかったけど?」
「そうか…」
どこか納得したように頷く篭也。すでに放送では、篭也と囁が一度、言玉を取られたことや、七架の言玉が取られてしまったことが流れている。それを聞いていれば、アヒルが平然と、皆はどうしたなどと聞くはずもない。
「では状況は何も把握していないということだな。はぁっ…」
「状況っ?」
深々と溜息を吐く篭也に、アヒルが大きく首を傾げる。
「何だよ?何かあったのか?」
「あったもあった。大ありだ」
問いかけるアヒルに、篭也が少しうんざりしたように答える。
「以団五人の内、すでに三人は動いている。僕や囁もだが、奈々瀬と恐らくは高市も、もう相手と戦闘を始めた」
「戦闘ってっ…」
篭也の言葉に、アヒルの表情が曇る。
「そして奈々瀬は、以団の一人“仁守”に敗れ、言玉を奪われた」
「えっ…?」
どこか早口で言い放つ篭也に、アヒルが顔色を変える。
「奈々瀬は!?奈々瀬は無事なのかっ!?」
「えっ?あ、ああっ」
身を乗り出して、勢いよく問いかけてくるアヒルに、篭也が少し戸惑いながら頷く。
「多少の傷は負ったが、僕が治した。今は囁が看ている」
「そっかぁ~良かったぁっ」
「……っ」
安心したように胸を撫で下ろすアヒルに、篭也がそっと目を細める。
「どこがいいんだ。今のところ、言玉の数はゼロ対一。僕たちが負けているんだぞ?」
「たったの一個だろ?後四つも残ってんだし、問題ねぇって」
「気楽な考え方が出来て、羨ましい限りだな」
アヒルが笑顔で言い放つと、篭也は呆れるように肩を落とした。
「じゃあとっとと保んとこ、行こうぜ。場所はわかってんのか?」
「ああ。さっきこの森の辺りから衝撃音がしていたから、恐らくはこの近くに…んっ?」
周囲を見回しながら、アヒルの問いかけに答えていた篭也が、ふとその表情を曇らせる。
「どうした?」
「気付かないか?この気配…」
「へっ?気配?」
篭也の言葉を受け、アヒルが言葉を止め、集中して、感覚を研ぎ澄ませる。
「あっ…」
ハッとしたように、目を見開くアヒル。
「これ、って…」
「ああ…」
険しい表情を見せるアヒルに、大きく頷きかける篭也。
「忌だ」
「忌っ…」
その単語に表情を曇らせ、アヒルが気配を感じる方角を見つめる。
「けど、この感じっ…忌とはちょっと違うような…」
さらに感覚を研ぎ澄ませながら、気配を探るアヒル。
「それに、前にどっかで…あっ…!」
考え込んでいたアヒルが、何か思いついたように、不意に大きな声を出す。
「まさか…保っ…」
「ハハハハっ…」
『……っ』
手や足から血を流しながらも、どこか楽しげに天井を見上げ、笑みを浮かべる灰示の姿を見つめ、眉をひそめるチラシとニギリ。
「誰なの?あいつっ…」
「わからない。わからないけど…」
「けど?」
言葉を付け加えるチラシに、ニギリが首を傾げる。
「あいつの格好、それに傷っ…あれは間違いなく、あの太守と同じものだ…」
灰示の纏っているものは、保が着ていたものと同じ制服。それに灰示の全身の傷は、先程、チラシとニギリの攻撃により、保が受けたものに他ならなかった。
「けど、あの太守ちんとは、まるで別人にしかみえみえ見えないわっ…それにこの気配っ…」
「うんっ…」
ニギリの言葉に、チラシが表情を曇らせながら頷く。
「この気配は、忌っ…」
「ハハハっ…」
忌の気配を放つ目の前の人間に、チラシとニギリが険しい表情を作る。
「君っ…!」
「……っ」
大きく呼びかけるチラシに、灰示が笑みを止め、天井を見上げていた顔をゆっくりと下ろし、チラシの方を見る。
「君は一体、何者なんだっ…!?」
「何者っ…?」
灰示が、チラシの問いかけをそっと繰り返す。
「くだらない問いかけだね。とても答える気になれないな」
「何っ…!?」
「僕が何者かなんて、どうでもいいよ」
『あっ…!』
そう言いながら、灰示が少し膝を折り、地面に転がっていた赤い言玉を拾い上げる。
「あれはっ…!」
「太守ちんの言玉っ…!?」
力尽きた保が手から零れ落とした言玉を、灰示がそっと握り締める。
「君たちは、“痛み”を与えた…」
「痛、み…?」
灰示の言葉に、チラシが少し眉をひそめる。
「僕が君たちにも“痛み”を与えてあげるから、その罪を知るといいよ…」
『うっ…!』
「……っ」
灰示の放つ冷たい空気に、まるで突き刺されたかのような感覚を覚え、表情を引きつるチラシとニギリ。そんな二人の様子を見て、灰示が満足げに笑う。
「五十音、第二十六の音…」
灰示の右手の中の言玉が、赤く輝き始める。
「“は”、解放っ」
『なっ…!』
さらに輝きを強めた言玉が、その姿を数本の赤銅色の細長い針へと変える。その針を、灰示は慣れた手つきで回し、両手に指の間へと素早く構えた。
「“は”っ!?“は”だって!?」
「“波守”っ…?何で後半音の“波守”が、こんな所にっ…」
針を身構える灰示を見て、チラシたちがさらに驚きの声をあげる。
「これは安団と以団のみが参加する神試験よっ!?」
「そうだ!波守が出てくるなんて、ルール違反でっ…!」
「うるさいな…」
必死に訴える二人の声を、灰示があっさりと遮る。
「君たちは、喚く必要なんてないんだよ…」
灰示がゆっくりと、針を構えた両手を上げ、首の前で交差させる。
「君たちはただ、この“痛み”を受け入れればいいっ…」
そっと口端を吊り上げ、灰示が両手の針を投げ放つ。
「“倍せ”…」
『うっ…!』
灰示の放った針が、灰示の言葉を受け、チラシとニギリへと向かっていくその空中で、徐々にその数を倍へと増やし、二人が逃げる隙もないほどに広がっていく。
「に、ニギリちゃんっ…!」
「“逃げろ”っ…!」
「阿っ!」
チラシに名を呼ばれ、ニギリが言葉を放つと、二人の後ろにいた仁王がその巨大な手で二人を持ち上げ、針の嵐の中から救い出す。
「ハァっ…ハァっ…チラシくん、いまいま今の言葉って…」
「うん…“変格”と同等に難しいとされる、“濁音”の言葉だ…」
「五団メンバーでもない波守が、濁音をつかつか使えるなんてっ…」
「ハハハっ…」
微笑みながら、新たな針を構える灰示を見て、チラシとニギリが表情を曇らせる。
「とにかく、あいつが何者かとか、そういうこと考えてる場合じゃなさそうだね」
「うん。とっととあいつをげきげき撃退しちゃおっ」
そう言葉を交わすと、二人が仁王のそれぞれの手のひらの上で、素早く言玉を構えた。
「“散れ”っ!」
チラシが仁王の手の上から飛び降りながら、言玉を持つ手を振り上げると、チラシの周囲に無数の水の玉が発生し、一斉に灰示へ向けて飛んでいく。
「…………」
その場に立ち尽くしたまま、静かに向かってくる水泡を見つめる灰示。
「“外れろ”…」
「何っ…!?」
灰示がそっと言葉を呟くと、無数の水泡が一個として残ることなく、灰示の体を見事に避けていく。その光景に、大きく目を見開くチラシ。
「も、もう一度っ…!」
「……っ」
再び言玉を構えようとしたチラシへ、灰示が一本の針を投げ放つ。
「一本くらい、すぐに避けっ…!」
「“破裂”…」
「なっ…!」
灰示が囁くその言葉に、チラシが焦りの表情を浮かべる。
「うわああああああっ!」
チラシへと向かっていた一本の針が、チラシの目の前で赤い光を放って破裂し、無数の細かい針となって、一斉にチラシへと襲いかかった。
「うあっ…!」
全身に針を浴び、体中から血を流しながら、倒れ込むチラシ。
「チラシくんっ…!」
倒れたチラシを見て、ニギリが仁王の手の上で思わず身を乗り出す。
「熟語まで簡単にっ…」
少しだけ灰示の方を振り向いたニギリが、その額から汗を流す。
「う、うぅっ…」
「少しは“痛み”を理解したかい…?」
苦しむチラシを見下ろし、そっと問いかける灰示。チラシへと問いかけた灰示がゆっくりと視線を動かし、今度は仁王の手の上に立つニギリの方を見上げる。
「次に“痛み”が欲しいのは、君かな…?」
「クっ…!」
嘲るように微笑む灰示に、ニギリの表情が歪む。




