Word.18 初陣 〈4〉
「ふぅっ」
熱湯を見事にチラシへと弾き返した保が、深く息を吐きながら、上空から地面へとゆっくりと降りてくる。
「うっ…うぅっ…」
「あっ…」
自分で生じた熱い水を全身に浴び、体の所々に火傷を負って倒れ込んでいるチラシを見て、保が少しその表情をひそませる。
「いくら地球外生命体が相手でも…やっぱり嫌だなぁ…」
保が攻撃したせいで、傷ついた相手の姿を見て、保が顔をしかめる。
「で、でもっ、地球の未来を守るためだしっ…!」
「ハァっ…ハァっ…」
「あっ」
大きく首を横に振り、自分に言い聞かせるように言葉を吐いていた保が、傷だらけの体で、息を乱しながら、ゆっくりと立ち上がるチラシに、少し驚くように声を漏らす。
「ハァっ…」
「うっ…」
顔を上げたチラシの、その刺すような視線に、思わず怯む保。
「もう、いいよ…」
「へっ?」
少しかすれたような声で吐きだされたチラシの言葉に、保が目を丸くする。
「じゃ、じゃあ!地球侵略を諦めてくれるんですねっ…!」
「違うっ…」
目を輝かせる保に、すぐさま否定の言葉を吐くチラシ。
「君との言葉遊びは、もういいって言ったんだっ…」
今まで見せていなかった冷たい表情で、チラシが笑う。
「ねぇっ…?ニギリちゃんっ」
「うんっ」
「えっ?」
後方から聞こえてくるもう一つの声に、保が慌てて振り返る。
「あ、あなたはっ…!」
「アハハァ~っ」
保が振り向いた先に立っていたのは、何やら楽しげな笑みを浮かべたニギリであった。
「んっ?」
そのニギリが乗っている、巨大な水の像に気づき、保がまじまじとそれを見上げる。
「阿っ!」
「ひぃええぇぇ~っ!」
恐ろしい人相で、重い声を放つ仁王の像に、思わず震え上がる保。
「な、なななななっ…!」
「“変格”まで出したんだねぇ~、ニギリちゃんっ」
「うんっ、しろしろ素人の奈守ちんに、結構苦戦しちゃってっ」
「えっ…?」
仁王を見上げ、声を震わせていた保が、二人の会話を聞いて、ふとその表情を曇らせた。
「じゃ、じゃあ奈々瀬さんはっ…」
「さぁ~?どうどうどうなっただろうっ?」
「そ、そんなっ…」
微笑んだまま大きく首を傾げるニギリに、保の表情が険しいものへと変わる。
「だいだい大丈夫っ、君もすぅ~ぐ、奈守ちんと同じにしてあげるからっ」
ニギリが冷たく微笑み、仁王の手のひらの上から飛び降りる。
「仁王っ!」
「阿っ!」
「うっ…!」
ニギリが手のひらの上から降りると、仁王はその空いた右手を、勢いよく保へと向けた。大きな体のわりに素早く動く仁王の手に、保があっさりと捕えられてしまう。
「“握れ”っ」
「うっ…!ううううぅぅっ…!」
仁王の巨大な手に、保の大きな体もすっぽりと収まり、骨が軋むほどに、力一杯握り締められ、保が苦しげな声をあげる。
「うううぅぅっ…!」
「アハハァ~っ」
苦しむ保を見て、楽しげに笑うニギリ。
「うっ…!こ、こんな時のっ…言葉っ…」
全身を締め付ける力に表情を歪ませながら、保が必死に手の開き、中に書いてある文字を見ようとする。
「させないよっ」
「えっ…?」
いつの間にか仁王の手首に立ったチラシが、仁王の手の中の保を見下ろす。
「君にはもう、何一つ言葉なんて言わせないっ」
チラシが火傷を負った右手を、保へと向けると、右手に握られた言玉が青く輝き始めた。
「“注水”っ」
「あっ…」
保の頭上から、滝のように落ちてくる大量の水。
「うううぅっ…!」
落ちてきた水が、囲いもないのにその場に留まり、徐々に水位を上げて、保ごと、仁王の手をその水の中へと浸らせる。
「うっ…!うぅっ…!」
鼻の高さ程までに上がってくる水位に、何とか息をしようと、必死に体を水の上へと伸ばす保。だが仁王により体の動きは制限され、呼吸もままならなくなる。
「た、“たっ…!ううぅっ…!」
呼吸すら遮られ、言葉など放てる状態ではなくなる保。
「ニギリちゃんっ」
「うんっ」
振り向いたチラシに、ニギリが大きく頷く。
「“握り締めちゃって”、仁王っ」
「阿っ!」
「うっ…!」
仁王がもう一方の手も添え、保をさらに握り締めた。
「うあああっ…!」
水の中でさえも響く、保の悲鳴。
「あ…ぁぁっ」
仁王の手の中で、力なくうなだれる保。周囲を取り囲んでいた水が辺りへ流れ落ち、仁王が手を離すと、少し水の残った地面に、保が力なく倒れ込んだ。
「うっ…」
保の手が地面へと落ちると、指に絡まっていた赤い糸がそっと光り、もとの言玉の姿へと戻る。保の体力が奪われ、武器の形状を保っていられなくなったのだろう。
「一丁、あがあが上がりだねぇ~、チラシくんっ」
「うん、これで終わりだ」
仁王の手首から降りたチラシが、倒れている保に、さらに言玉を向けた。
「“千切れろ”…」
「ううぅっ…!」
チラシが言葉を放つと、無数の水の刃が一斉に保へと降り注ぎ、保の体を斬り裂く。
「うああああああああっ…!!」
飛沫のように赤い血を流し、保が倒れたまま、激しく叫びあげる。
「うっ…!うぅ…」
全身を斬り裂かれ、もう一度、地面に背中を打ちつけられる保。
「アハハっ」
「アハハァ~っ」
チラシとニギリの笑い声が、重なり合って、周囲に響く。
「……っ」
その笑い声を聞きながら、かすんできた視界で、天井のドームを見上げる保。
「痛、い…」
意識が遠のく中、ただその言葉だけが頭の中に残り、保は力なく、そう呟いた。
「痛い、よ…」
もう一度繰り返しながら、保がそっと瞳を閉じる。
『…………』
じっと観察するように見つめ、保が意識を失ったことを確認するチラシとニギリ。
「結構あっさりだったね」
「チラシくんと私がそろそろ揃えば、無敵だもぉ~んっ」
「そうだねっ」
嬉しそうに頷き合いながら、チラシとニギリが互いの手を合わせる。
「ボクの名前はチラシ!」
「私の名前はニギリっ!」
誰も見ていないというのに、自己紹介を始める二人。
『こんな二人は、ただの他人っ!』
チラシとニギリが、試験が始まる前に打ち合わせていたポーズを、ばっちりと決める。
「よぉ~し、ポーズも決まったところでぇっ」
「言玉取っちゃって、早く次行こっかぁ~っ」
―――………………!
『……っ!』
ウキウキと弾むような会話をしながら、微笑み合っていた二人が、ふとその場に流れ込む、何か不穏な空気を感じ取り、すぐさま浮かべていた笑みを止める。
「な、なになに何っ…?」
戸惑うように、周囲を見回すニギリ。どこからともなく発生した靄が、色鮮やかな紅葉の森全体を覆うように広がり、辺りの景色を霞ませていく。
「こ、これはっ…」
「ハハハ…」
「……っ!」
ニギリと同じように周囲を見回していたチラシが、どこからともなく聞こえてくるその笑い声に、勢いよく振り向く。
「だ、誰だっ…!?」
叫ぶチラシにつられるように、ニギリもそちらを振り向いた。
「……っ」
『あっ…!』
靄の中に佇む人影に、チラシとニギリが大きく目を見開く。
「ハハハっ…」
そこに立っていたのは、黒い髪に、不気味に光る赤い瞳の、一人の青年であった。
「あれはっ…!」
モニターを見つめ、大きく目を見開く雅。
「波城っ…」
同じくモニターを見つめながら、恵が険しい表情を見せる。
「波城灰示…」
「ハハハっ…」
どこか楽しそうに微笑みながら、灰示が、血の流れ落ちる両手を、ゆっくりと左右に広げる。
「さぁ、君にも贈ろう…」
その冷たい視線を、前方のチラシとニギリへ向ける灰示。
「この、“痛み”をっ…」




