Word.18 初陣 〈3〉
戻って、雪国の森地点。
「奈々瀬さんの傷は…?」
「そう大した傷じゃない。ほぼ塞ぎ終えた」
囁の問いかけに、素早く答える篭也。その篭也のすぐ傍には、雪で覆われた地面に横になり、深く目を閉じている七架の姿があった。どうやら、眠っているようである。
「だが、疲労が著しい。余程、言葉を使ったんだろう。しばらくは目を覚まさない」
「初陣だったんだものね…無理もないわ…」
篭也の言葉を聞きながら、囁が少し肩を落とす。
「囁、奈々瀬を看ていてくれるか?」
「いいけど…篭也はどうするの…?」
「僕はもう一人の方へ行く」
「ああっ…転校生くんね…」
今思い出したかのように、素っ気なく言い放つ囁。
「奈々瀬の言玉も取り返せるかも知れないしな。囁はここで、奈々瀬と待機していてくれ」
「わかったわ…フフっ…」
その場で立ち上がる篭也に、囁が笑顔を向ける。
「じゃあ」
「気をつけてね…」
「柄にもないことを言うな」
「フフフっ…」
心配するような言葉を吐いた囁に、そう悪態をついて、篭也は素早く、その場を駆け出していった。静まり返った雪国の森に、囁と七架だけが残る。
「ふぅ…」
「ん、んん~っ…」
「……っ?」
一息ついていた囁が、小さく寝返りをうつ七架に気づき、そっと振り向く。
「あさひな…くんっ…」
「あらあらっ…妬けちゃうわね…」
寝言でアヒルの名を呟く七架に、囁が笑みを零す。
「ニギリは勝ったのか…」
「……っ」
そこへ聞こえてくる声に、微笑んでいた囁の表情が、不意に鋭くなる。
「あなたは…」
「そこで寝てるのが奈守…?」
その場に現れたのは、先程、篭也と囁が一度対峙した、“之守”のシャコであった。ゆっくりと二人のもとへと歩いて来ながら、シャコが囁の右手を見る。見つめた右手には、しっかりと赤銅色の横笛が握られていた。
「あんたの言玉は、まだ取られてないみたいだね…」
「だったら何…?」
どこか試すように問いかけながら、囁が七架の傍から立ち上がり、七架から少し離れるように、シャコの方へと歩いていく。
「あなたが奪ってみる…?」
「当たり前っ」
囁の問いかけに、迷うことなく答えるシャコ。
「まぁ、あんたがさっきみたいに逃げたら別だけど…」
「フフフっ…それなら大丈夫よ…」
どこか刺々しく言い放つシャコに、囁が穏やかな笑みを向ける。
「一回逃げただけでも、相当ストレス溜まったもの…もう二度と御免だわっ…」
「そうか…」
余裕の笑みで言い放つ囁に、シャコが動揺することもなくそっと頷く。
「それは良かった…」
「……っ」
言玉を持った右手を振り上げるシャコに、囁もゆっくりと横笛を構えた。
遊園内。紅葉の森地点。
「ひぃぃえああぁぁ~っ!」
『だるまさんが転んだっ、だるまさんが転んだっ』
七架が死闘を繰り広げたこの二十分間、保はといえば、ひたすらに雪だるまロボットとの追いかけっこを続けていた。いくつもの森を越え、いつの間にか遊園内でも端の方にある、紅葉の森まで辿り着いてしまっていた。
「はぁ~っ」
保を追いかける雪だるまロボットの、さらに後を追うようにして、保を追跡しているチラシが、疲れたような表情で深々と溜息を吐く。
「さっきからあいつ、逃げてばっかだし。ロボットも倒せないなんて、あいつ、本当に安団なのかぁっ?」
チラシが眉間に皺を寄せ、思わず疑問を口にする。
「まぁいいや。ニギリちゃんも言玉奪ったみたいだし、ボクもそろそろ貰うとしようかなっ」
そう言うと、チラシがスーツの胸ポケットから、青色の言玉を取り出した。
「五十音、第十七の音、“ち”、解放っ…!」
チラシが言葉を発すると、言玉が青い光を放ち始める。
「“散らせ”っ!」
チラシが輝く言玉を握り締めた右手を、勢いよく振り下ろすと、手の振り下ろされた地面から、温泉でも湧き出たかのように、大量の水が激しく噴き出した。
『だるだるぅ~っ!』
「へぇっ?」
地面から噴き出した水が、激流となって、保の後を追いかけていた雪だるまロボットたちを、一体残らず流し去っていく。苦しげな声をあげながら、流れていく雪だるまを見送り、保は目を丸くした。
「だるま、流し…?」
「そろそろいいですかぁ~?」
「えっ?」
雪だるまを見送り、首を傾げていた保が、正面から聞こえてくる声に気づき、振り向く。
「こっちもいい加減、本題に入りたいんですけどぉ?」
「あっ…」
目の前へと現れたチラシに、保が驚いたような表情を見せる。
「あなたは…」
「そうそう、ボクはぁっ」
「だるまさん総攻撃から、俺を助けてくれたんですねぇ~!ありがとうございまぁ~すっ!」
「ちっがぁーうっ!」
満面の笑顔で礼を言う保に、チラシが勢いよく怒鳴りあげる。
「ボクはっ…!」
「はぁっ!そうですよねぇ~!こんな世の中の何の役にも立たなそうな俺を、助けるわけありませんよねぇ~!すみませぇ~んっ!」
「……っ」
主張しようとするチラシの声を遮って、謝り散らす保に、チラシの表情が歪む。
「だからボクはぁっ…!」
「もしや、ただ単に雪だるまがお嫌いとかっ?」
「ちっがぁーうっ!」
またもやチラシの声を遮って、大きく首を傾げる保に、チラシが怒鳴りあげる。
「ボクは、以団の一人っ!さっき、ルール説明やってやっただろうっ!?」
「イ、 ダンっ…?」
チラシの言葉を繰り返し、目を丸くする保。
「ということは、地球外生命体っ!?」
「違うっ!」
頭を抱えて叫ぶ保の言葉を、チラシがすぐさま否定する。
「一体、どういう説明を受けてきたわけっ?ボクは以団、以附が一、“知守”の千歳川チラシでっ…」
「ひぃえああぁぁ~っ!」
「…………」
説明しようとするチラシの言葉に耳を傾けることなく、叫び声をあげながら、一目散に逃げ去っていく保。
「また逃げるしっ…」
遠ざかっていく保の背中を見つめ、チラシが勢いよく顔をしかめる。
「人の話は、最後まで聞くもんだよっ…!」
少し声を荒げながら、チラシが言玉を握る右手を振り上げた。
「“近づけ”っ!」
チラシが言葉を放つと、足元から勢いよく水が噴き上げ、その勢いに乗り、チラシの体が天高く宙へと浮き上がる。そのまま大きく移動すると、チラシはあっという間に、逃げ行く保の目の前へと降り立った。
「うぇっ!?」
すぐ前へと現れたチラシに、慌てて足を止める保。
「さぁっ、とっとと戦っ…」
「ひぃえああぁ~っ!」
「チっ…」
すぐさま体の向きを変え、逆方向へと逃げ去っていく保に、チラシがまたしても顔をしかめる。
「戦う気がないんなら、とっとと終わりにさせてもらうよっ…!」
チラシが言玉を持った右手を、逃げていく保の背中へと向ける。
「“散れ”っ…!」
言玉が青く輝くと、チラシの周囲に無数の水泡が生じ、一斉に保へ向けて放たれた。
「ひぃぃぃ~っ!」
向かってくる水泡に、逃げることもせず、ただ叫ぶ保。
「た、“助けて”ぇぇ~っ!」
保のその言葉に、保の右手に握り締められていた赤い言玉が、強い光を放った。
―――パァァァンっ!
「な、何っ…!?」
言玉が放った光を中心として、幾重にも枝分かれした、細長い赤い光線のようなものが辺り一面に飛び出すと、その光に突き刺され、チラシの放った水泡が、一個残らず砕き割られる。
「この光はっ!?んっ?」
周囲を蜘蛛の巣のように覆った、その細長い光を見つめていたチラシが、ふと眉をひそめる。
「これはっ…糸…?」
光が止むと、そこには森中に張り巡らされた、赤い糸が見えてくる。
「ふぅ~っ」
「……っ」
どこかホッと一息つくような声が聞こえてくると、辺りに張り巡らされていた糸が、自発的に一定の方向へと下がっていく。糸の下がっていくその方向に立っているのは、大きく胸を撫で下ろした、保であった。
「助かったぁ~っ」
張り巡らされていた大量の糸を、コンパクトに両手の中に収めていく保。その両手の指には、今にも絡まりそうなほど、何本もの赤い糸が巻かれていた。
「あれが…あいつの言玉の形状っ…?」
その糸を見つめ、チラシがそっと表情を曇らせる。
「あんなもので、ボクの水を全部砕くなんてっ…」
「このあやとりって、こんなことも出来るんですねぇ~っ」
「……まぐれか」
保を見つめ、考え込むような表情を見せていたチラシであったが、保の間の抜けた発言に、一瞬にして偶然の出来事と決めつける。
「なら、今度こそっ…!」
「へっ?」
再び右手を振り上げるチラシに、保が目を丸くする。
「“散れ”っ…!」
チラシが保へ向けてもう一度、無数の水泡を放つ。
「うわっ!またっ!?」
向かってくる水泡に、焦ったように声をあげる保。
「これでっ…!」
焦る保を見て、チラシが確信めいた笑みを零す。
「たっ…」
迫り来る水泡を見つめ、保が素早くその口を開く。
「“耐えろ”!」
保が言葉を放つと、保の両指の糸が勢いよく伸び、保の正面で幾重にも重なって、まるで盾のように、保の前へと立ち塞がって、チラシの放った水泡を受け止めた。
「なっ…!何っ…!?」
見事に攻撃を止める保に、チラシが大きく目を見開く。
「“溜めろ”」
保が自然な口振りで、さらに言葉を呟くと、盾のようになっていた糸が大きく曲がり、皿のような形となって、チラシの放った水を、言葉の通り溜めていく。糸の中に水がいっぱいに溜まると、保がそっと右手を動かした。
「“倒せ”っ!」
「なっ…!」
保が次の言葉を放つと、大きく糸が揺れ動き、その溜まった水が一斉にチラシへ向けて放たれる。
「うっ…!」
返って来る自らの技に、焦りの表情を見せるチラシ。
「ち…“鏤めろ”っ…!」
チラシの言葉により、チラシに向かって来ていた水の塊が、勢いよく弾け飛ぶ。
「クっ…!」
直撃は避けたものの、弾け飛んだその衝撃に、チラシが少し押され、身を屈める。
「こ、こいつっ…」
態勢を整えながら、眉をひそめ、保を見つめるチラシ。
「あんなんのくせに、言葉が的確だ…」
呟くチラシの額から、そっと汗が流れ落ちる。
「強いっ…」
保の力に、曇るチラシの表情。
「ふぅ~っ」
チラシが険しい表情を見せる中、保が伸びた糸を両手の中へ収めて、ホッとしたように一息つく。
「この順番の通り、言葉を言えば何とかなるって為介さんが言ってたけど、ホントになったなぁ~凄いなぁ~」
テストのカンニングのように、手のひらにでかでかと書かれた、今さっき保の放った、『耐えろ』、『溜めろ』、『倒せ』の言葉の文字。その文字を眺めながら、保が感心したように言う。
「あいつは言葉での戦闘経験なんてない、素人だって調査ではなってたのにっ…」
「うわ!糸が絡まっちゃった!」
「……まぐれか」
武器である糸を絡めてしまい、変な方向に手を曲がらせている保に、チラシが一気に呆れた表情となる。
「なら今度こそ、この熟語でっ…!」
表情を鋭くし、右手を振り下ろすチラシ。
「“地熱”っ…!」
「ちねっ…?」
―――パァァァァン!
「うわあぁっ!」
チラシの放った言葉に保が首を傾げていたその時、保の足元の地面から、勢いよく水が噴き出した。湯気のあがるその水は、熱湯である。
「熱つつつっ…!」
噴き出してくる熱湯に、顔の前へと両手を持ってきて、思わず叫ぶ保。
「アハハハハっ!熱湯地獄を味わうといっ…!」
「“高い高い”っ」
「何っ…!?」
チラシが大きく笑いあげようとしたその時、保が軽く言葉を放つと、噴き出す熱湯の中にいた保の体が、勢いよく宙へと舞いあがっていく。そんな保を見上げ、チラシが驚きの表情を見せる。
「と、飛んだっ…?」
「ふぅ~っ」
戸惑いの表情でチラシが見上げる中、宙に上がった保が、上空でホッと一息つく。
「地面からの攻撃の時は高い高いと言うって、これもバッチリだぁ、凄いなぁ~為介さぁ~ん」
手のひらに書いたメモを見つめ、再び感心の声を漏らす保。
「そこから反撃、えぇ~っと、“溜めろ”っ」
「えっ…?」
上空を舞う保の両指からまたもや糸が伸びると、糸が上空で重なり合い、先程と同じ皿のような形を作って、地面から噴き上げた熱湯を、重力に逆らうように、上空で溜めていく。その様子に、思わず目を丸くするチラシ。
「それでぇ、“倒せ”っ!」
「うっ…!」
保の言葉に応えるように、糸が大きくしなり、溜まった熱湯が一気に、チラシへと飛び出していく。
「うわああああああっ…!!」
全身に熱湯を浴び、チラシの叫び声が、紅葉の森内に響き渡った。
「へぇっ」
一方、遊園の外では、モニターで保とチラシの戦いを見つめる恵が、どこか感心するように声を漏らした。
「やるじゃないか。よくあのオドオドを、あそこまで戦えるようにしたな、為介」
「あははぁ~、そこまで誉められると照れちゃいますねぇ~っ」
「まぁ、使う言葉を搾らせた方がいい、と提案したのは僕ですけどね」
「ああ、やっぱ雅か」
「ううぅ…」
恵の言葉に照れていた為介であったが、冷静に会話を交わす恵と雅に、がっくりと肩を落とす。
「“た”のつく言葉は、僕の“み”なんかよりも、ずっと言葉数があります。辞書を読ませても、彼を混乱させるだけだと思ったんですよ」
「いい判断だな。的確に言葉を言ってくるもんだから、相手も高市の力にビビっちまってる」
すらすらと答える雅を、嫌味なく誉める恵。
「五人の内の誰と戦うことになっても、相手は皆、以団。その能力が水系とわかっていれば、使える言葉も搾りやすかったですから」
「ああ。確かに、ここまでは高市の優勢だ」
「……っ?」
恵のその含みある言葉に、雅が少し眉をひそめる。
「ここまでは?」
「ああ」
聞き返す雅に、真剣な表情で頷く恵。
「相手は忌でも成り立ての素人でもない。何度も言葉で戦って来ている、正規の五団メンバーだ」
恵がモニターを見つめ、そっと目を細める。
「搾った言葉で、どこまで通じるかっ…」
「……っ」
先を案じるような恵の言葉に、横に立つ為介も、その表情を曇らせた。




