Word.16 安団集結 〈4〉
「め、恵先生っ…!」
公園の入口から、ゆっくりとした足取りで公園の中へと入ってくるのは、アヒルたちのクラスの担任である国語教師、恵であった。現れた恵の名を、思わず大きな声で呼ぶアヒル。
「なっ…!」
「えっ…?」
篭也や、状況がわかっていない奈々瀬もまた、そのよく見知った顔に、驚きの表情を見せた。
「な、なんで恵先生がっ…」
「あっれぇ~?もう出て来ちゃったんですかぁ~?恵さぁ~んっ」
「へっ?」
何やら親しげに恵へと声を掛ける為介に、アヒルが目を丸くする。
「何だぁ~、もうちょっと正体ヒミツにしといた方が面白かったのにぃ」
「私はお前と違って、騙くらかす趣味はないんだよ」
「酷いなぁ~」
アヒルたちのもとへと歩み寄って来た恵が、突き放すように言い切ると、為介は少し拗ねるように口を尖らせた。
「お、お前ら…知り合いで…」
「神月」
「……っ?」
戸惑いながら呟いたアヒルの言葉を遮り、恵が篭也へと呼びかける。
「朝比奈の指導は私がやる」
「なっ…!」
「へぇっ!?」
恵のその思いがけない言葉に、同時に驚きの表情を見せる篭也とアヒル。
「な、何を言ってっ…!」
「神試験まで残り十二時間…言葉三つのこの神様に、熟語まで叩き込みたいんだろっ?」
「えっ?」
「……っ」
現状を把握しきっている恵に、アヒルや篭也たちが、一気にその表情を曇らせる。ただ単に担任の教師であれば、そんなことなど知っているはずがない。
「あなたは一体っ…」
「あの人は五十音第三十四音、“め”の力を持つ、“女守”の五十音士です」
「女守っ…?」
「ええぇ!?恵先生って、五十音士だったのかぁ!?」
代わりに答える雅の言葉に、篭也が目を細め、アヒルが激しく驚いた様子で声をあげる。
「し、知らなかった…」
「まぁ言ってなかったからな。普通は知らないだろうな」
しみじみと呟くアヒルに、恵が冷静に言い放つ。
「私がこいつに、後十二時間で熟語まで叩き込む。お前は真田と奈々瀬の相手でもしてろ」
「…………」
はっきりと言い放つ恵に、そっと眉をひそめる篭也。
「あなたが、ただの“女守”であったとして…」
「……っ」
篭也がどこか含むような言い方をすると、恵の表情がかすかに曇った。
「この短時間で、熟語まで習得させるなんてことはっ…」
「ああ、無理に決まってるだろうなぁ。だがそれは、お前が指導したところで同じだろう?」
「うっ…」
鋭い指摘を入れる恵に、篭也が思わず口ごもる。
「だが、お前が指導するより、私が指導した方が可能性は上がる。確実にな」
「随分な自信ですね」
「お前の力がどうこう言ってるんじゃない。人生経験の差だ」
顔をしかめる篭也に、恵がまるで諭すように言う。
「まぁ決めるのはお前だが、どうする?トンビっ」
「だっから俺はアヒルだっての!こんなとこに来てまで、間違えんなよなっ!」
相変わらずの様子で名を間違える恵に、アヒルが勢いよく怒鳴りあげる。
「私の言葉、信じてみないか?」
「あっ…」
恵のその問いかけに、アヒルがハッとした表情を見せる。
―――人の言葉こそが、“真実”だからさっ…―――
―――誰の言葉を信じるか、間違えんなよっ―――
「…………」
放課後の恵の言葉を思い出し、アヒルが真剣な表情で、少し考えるように俯いた後、ゆっくりと顔を上げた。
「俺、信じるよっ、あんたの言葉」
「なっ…!」
笑顔を見せ、大きく頷くアヒルに、篭也が少し目を見開いて振り向く。
「神っ…!」
「いくら担任の先生でも…まったく得体が知れてないのよ…?アヒるん…」
止めるように強く名を呼ぶ篭也の横から、囁が落ち着いた口調で説き伏せる。
「大丈夫だって。この人の言葉を、俺は信じられるから」
そんな二人へ、アヒルが笑顔を向ける。
「お前たちは、恵先生を信じるっつー、俺の言葉を信じてくれよっ」
『……っ』
自信を持って言い放つアヒルのその笑顔に、篭也と囁が衝撃を受けるように、大きく目を見開いた。
「フンっ…」
その様子を見つめ、どこか満足げに微笑む恵。
「仕方ないな」
「仕方ないわね…」
アヒルの言葉を受け、篭也と囁が納得しきってはいない表情で、渋々と頷く。
「そうですねぇ、仕方ないですよねぇ」
「あなたには聞いていない。会話に混ざってくるな」
「はぁっ!俺みたいな年中無休でオドオド口調の奴が、会話に混ざっちゃってすみませぇ~んっ!」
二人に続くようにして頷いた保であったが、篭也に冷たく一蹴され、頭を抱えて謝り散らす。
「まぁっ、恵さんに任せとけば、だぁ~い丈夫だってぇ~」
「あなたにも聞いていない」
「雅くぅ~んっ!」
「僕の名前を呼ばないで下さい。吐き気がします」
「はぁっ…」
保と同じように篭也に冷たくされ、雅へと泣きつく為介であったが、雅にも冷たく突き放される。そんな為介の様子を見て、アヒルは呆れるように深々と溜息を吐いた。
「では、神のことは任せますよ、恵先生っ」
「ああ」
嫌味のように先生と呼ぶ篭也に、眉一つ動かさずに、恵が素直に答える。
「じゃあ時間もないことだし、とっとと行くとするかぁっ」
そう言って、恵が服のポケットから取り出したのは、緑色の言玉であった。
「言玉っ?」
「よっ」
恵が光を放ち始める言玉を手の中で弾くと、恵の手から零れ落ちた言玉は、光を放ったまま、恵の右足へと吸い込まれるようにして消えていく。
「トンビっ」
「へっ?」
言玉を足の中へと取り込んだ恵が、空いた手で、がっちりとアヒルの腕を掴む。
「振り落とされんなよっ?」
「えっ…」
「“巡れ”っ」
恵の言葉を受け、恵の右足が強い緑色の光を放ち始めた。
「行くぞっ…!」
「どわあああああああっ!」
光り輝く右足を使い、超高速で駆け抜けていく恵に、引きずられるようにして、アヒルがその場を去っていく。アヒルの激しい叫び声が徐々に遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。
「だ、大丈夫かな…?朝比奈くん…」
「さぁ…?フフフっ…」
不安げに問いかける奈々瀬に、囁が軽く微笑んで答える。
「だっから、恵さんに任せとけば問題ないってばぁ~」
「……っ」
恵を信用しきっている様子の為介を見て、篭也が少し眉をひそめる。
「あの人は本当に、ただの女守か?」
「んん~っ?」
鋭く問いかける篭也の方を、ゆっくりと振り返る為介。
「さぁっ?」
「…………」
惚けるように首を傾げ、微笑む為介に、篭也の表情が曇った。
「さぁ~て、ボクらも戻って、お修行の続きでもするとしようかぁ~高市くぅ~んっ」
「は、はいっ!」
篭也にあっさりと背を向けると、横に雅を従え、為介は公園の出口へと歩いていく。為介の言葉に頷き、慌てて為介たちを追っていく保。
「では神月くん、真田さん、奈々瀬さん、また明日ぁ!」
保が足を止め、篭也たちの方を振り返って、軽く手を挙げる。
「はぁっ…!友達いない年が三年くらいあったくせに、偉そうに“また明日”とか言っちゃってすみませぇ~んっ!」
「とっとと行けっ」
「また明日、会えたら会いましょう…フフフっ…」
またしても謝り出す保に、篭也がしかめた表情で強く言い放ち、囁は笑顔を見せ、どこか不吉なことを言いながらも、手を振り返して見送った。
「さぁ…じゃあ私たちも、奈々瀬さんの指導に入るとしましょうか…」
「あ、ああっ」
囁の言葉に、篭也が少し詰まりながら頷く。
「ここでの立ち話もなんだし…弟さんたちを送って行ったら、私たちの家へ来てもらってもいいかしら…?」
「えっ?あ、うんっ」
振り向いた囁に問いかけられ、慌てて頷く奈々瀬。
「じゃあとっとと行くか。今は何にせよ、時間が惜しい」
「そうね…フフフっ…」
篭也が倒れている六騎とタカシを抱え上げ、公園を出ようと、出口の方へと一早く、歩いていく。
「……っ」
歩きながら、ふと公園の柱時計へと視線を移す篭也。
「後、十二時間か…」
動く秒針を見つめながら、篭也はどこか浮かない表情を見せた。
「さぁ…じゃあ私たちも…」
「あ、あのっ…!」
「んっ…?」
篭也を追って、出口へと歩いて行こうとした囁を、奈々瀬が急に呼び止める。
「何…?」
「先に一個だけ…聞いといてもいいっ…?」
「どうぞ…?」
遠慮がちに問いかける奈々瀬に、囁が軽く手を差し出し、微笑んで答える。
「親戚…じゃ、ないんだよねっ…?やっぱり…」
「えっ…?」
奈々瀬のその問いかけに、囁が少し意外そうな顔を見せる。
「フフっ…そうねぇ。残念ながら、私とアヒるんは赤の他人よ…」
「そ、そうっ…」
微笑んで答える囁に、どこか落ち込むように俯く奈々瀬。
「でも安心して…」
「えっ…?」
続く囁の言葉に、俯いていた奈々瀬がゆっくりと顔を上げる。
「私…アヒるんに百パーセント全開、まるでもって、天と地がひっくり返っても興味ないからっ…フフフっ…」
「そ、そこまで言わなくてもっ…」
満面の笑顔で凄まじく否定する囁に、奈々瀬が思わず呆れた表情を見せる。
「はぁっ…」
だがどこか安心した様子で、ホッと一息つく奈々瀬。
「……っ」
そんな奈々瀬を見て、囁が微笑んだまま、そっと目を細める。
「今のところはね…」
「えっ…!?」
「フフフっ…」
あからさまに焦るような声をあげる奈々瀬に、囁はどこか楽しむように微笑んだ。
その頃。以団、滞在場所。
「後十二時間かぁ~っ」
ソファーに腰掛け、両手を目一杯伸ばしながら、退屈そうに壁に掛かった時計を見つめている金八。
「待ちくたびれたぜぇ。とっとと始まんねぇ~かなぁ~神試験っ」
「金八…」
「んあっ?」
向かいのソファーに座るシャコに名を呼ばれ、金八が時計からシャコへと視線を移す。
「ウザい」
「ええぇっ!?いきなりぃ!?泣くぞぉ!?俺、泣くぞぉ!?シャコっ!」
何の前触れもなく冷たく言い放つシャコに、金八が激しくショックを受ける。
「ボクの名前はチラシ!」
「私の名前はニギリ!」
部屋の大きな鏡に向かって、満面の笑顔で自己紹介をしているのは、チラシとニギリ。
『こんな二人は、ただの他人っ!』
二人が鏡へ向けて、ポーズを決める。
「よぉっし!神試験でのポーズはこれで行こう!ニギリちゃん!」
「了解よぉ!チラシくんっ!」
ポーズの出来が良かったのか、二人は満足げな表情で頷き合い、親指を立てて、ガッツポーズを作っていた。
「後十二時間か…」
『……っ』
部屋の上座のソファーに、深々と腰を下ろしているイクラがゆっくりと口を開くと、騒々しいほどに会話を交わしていた四人が、一瞬にして静まり返った。
「金八、シャコ、チラシ、ニギリ…」
『はっ!』
名を呼ぶイクラに、四人はすぐさま頭を下げ、大きな声で返事をする。
「勘違いするなよ…?これは神試験なんかじゃない…」
イクラの切れ長の瞳が、鋭く光る。
「“神潰し”だ…」
鋭い眼光とともに、吊り上がる口端。
「遠慮することはない。神も附き人も、殺すつもりで叩き潰せっ…」
イクラの低い声が、部屋中に響き渡る。
「神などっ…俺一人で十分だ…」
『……っ』
イクラのその言葉を受け、金八たち四人も、先程までの緩んだ表情とは違う、冷たい顔を見せる。
『仰せのままに、我が神…』
神試験まで、後、十二時間。




