Word.16 安団集結 〈2〉
「あ…あぁ…ぁっ…」
光が止むと、虚ろな表情を見せていたタカシが、その顔色をよくした後、光の戻った瞳をすぐさま閉じて、力なくその場に倒れ込んだ。
「タ、タカシ…?」
「これは…」
すぐ前で倒れ込んだタカシを、奈々瀬と六騎が戸惑うように見下ろす。
<グググっ…!な、何だっ…?>
「……っ!」
奈々瀬たちが倒れたタカシを覗き込む、その様子を見ていたアヒルが、上方から聞こえてくる、どこか濁ったような低い声に気づき、勢いよく顔を上げた。
「忌っ…」
夜の暗い空に紛れるようにして浮かんでいるのは、禍々しく黒い影の塊。
<何故…突然、あいつの体からっ…?>
「……っ」
自分自身でも戸惑っているような様子を見せている忌を見つめ、目を細めたアヒルが、倒れたタカシの方へと視線を移す。
「奈々瀬の弟を想う、強い気持ちに…宿主の心が動いたのか…?」
六騎の謝罪ではなく、六騎を庇って痛みを受けようとした奈々瀬の姿が、タカシの痛みへの救いになったのかも知れない。
「あの黒い影…リンちゃんの時と同じ…」
「お姉ちゃん…?」
空を見上げながら、険しい表情で何やら呟いている奈々瀬に、見上げていた六騎がそっと首を傾げ、奈々瀬の見ている上空を見上げた。
「……っ?」
だが、そこには暗い空が広がっているだけで、何の姿も見えず、六騎が戸惑った表情を見せる。
<まぁいいっ…宿主など無くとも、奴等を殺すくらい容易いことだっ…>
「クっ…!」
「……っ」
不気味に微笑む忌に、アヒルと奈々瀬が同時に厳しい表情となる。
「こっの…!」
アヒルが目の前に落ちていた銃を右手で拾い上げ、重い体を引きずるようにして、必死に上半身を起こし、銃口を上空の忌へと向ける。
「“当たれ”っ…!」
言葉とともに、銃口から弾丸が放たれる。
<グっ…!グウゥゥっ…!>
必死に逃れようとする忌であったが、弾丸はどこまでも忌を追い、ほどなくして忌の黒い体を貫いた。
「あっ…!」
「んっ…?」
思わず声を出す奈々瀬の横で、ひたすら首を傾げている六騎。
「やったかっ…?」
<グウゥゥっ…>
「……っ!」
目を見張って空を見上げていたアヒルが、何らダメージを負った様子もなく、先程までとまるで同じ状態で、空へと浮いている忌の姿に、大きく目を見開く。
<何だ?今のは。ゴム玉か…?>
「クっ…!」
挑発するように問いかける忌に、アヒルがさらに険しい表情を作る。
「傷のせいで、言葉への集中が…クソっ…」
アヒルがそう呟き、どこか悔しげに唇を噛む。相手は恐らく、リンの時と同じハ級の忌。いつも以上に集中しなければならないというのに、激しい痛みで、今のアヒルにとって、ひどく困難な状態なのである。
「うぅっ…!」
「朝比奈くん…!?」
再び体中が痛み、銃を構えていた右手を地面へとついてしまうアヒルに気づき、奈々瀬が不安げに振り向く。
「朝比奈くっ…」
「奈々瀬!」
「えっ…?」
名を呼ぶ前に呼ばれ、奈々瀬が少し戸惑うように首を傾げる。
「そいつら二人を連れて、ここから離れろっ…!」
「えっ?け、けどっ…!」
「いいから急げっ!」
「……っ」
言い返そうとする奈々瀬であったが、アヒルに強く言われ、それ以上、言葉を続けることが出来なかった。
「お姉ちゃんっ…!」
「六騎っ?」
忌の姿は見えていないが、何かを察したのか、いつの間にか倒れたタカシを背負った六騎が、奈々瀬の手を強く引き、公園の出口へと一直線に駆けていく。
「六騎っ…!」
「何かよくわかんないけど、ここは危ないよ!あいつに任せて、オレたちは逃げようっ…!」
「で、でもっ…!」
出口へと駆けていきながらも、奈々瀬が背後を振り返り、アヒルの方を見る。
<逃げるか…まぁいい…>
逃げていく奈々瀬たちを見た後、ゆっくりと、下方のアヒルを見下ろす忌。
<見たところ、五十音士は貴様だけ…他の奴等は、貴様を殺してから、存分に狩ることにしようっ…!>
「クっ…!」
「あっ…!」
勢いよく降下していく忌と、その表情を険しくするアヒル。その様子を見て、奈々瀬が大きく目を見開く。
「朝比奈くんっ…!」
「お、お姉ちゃんっ…!?」
出口へと引いていく六騎の手を振り解き、奈々瀬がアヒルのもとへと駆けていく。
「朝比奈くんっ!」
「えっ?」
近づいてくる声に、振り向くアヒル。
「なっ…!く、来るな!逃げろ!奈々瀬っ…!」
<グオオオォォォっ…!“破”っ…!>
「うっ…!」
そこへ、上空から下降してきた忌が、起き上がれることもままならない状態のアヒルへ向け、勢いよく衝撃波を放った。
「クっ…!」
「朝比奈くんっ…!!」
顔を歪めるアヒルのもとへと、奈々瀬が迷うことなく飛び込んでいく。
―――バァァァァンっ!
公園の地面へと衝撃波が落ち、周囲に激しい砂埃を巻き起こす。
「う、うぅっ…」
「クっ…」
砂の舞う、少し凹んだ地面のすぐ横に、アヒルと奈々瀬が並ぶようにして倒れ込んでいた。奈々瀬が飛び込み、動けぬアヒルを、間一髪のところで、衝撃波から避けさせたのであった。
「お、お姉ちゃんっ…!」
忌の見えていない六騎であるが、その衝撃波は目に映り、出口付近から不安げに身を乗り出す。
「痛ったぁ…」
打ちつけた頭を押さえながら、奈々瀬がゆっくりと起き上がる。
「あっ、だ、大丈夫!?朝比奈くんっ」
「おっ前…見かけによらず、無茶する奴だなっ…」
問いかける奈々瀬に、感心するように答えながら、アヒルが体の向きを変え、仰向けになって、頭だけを軽く上げる。
「アハハっ、そ、そうかなっ?」
「別に誉めてねぇーぞ…?」
照れるように頬を赤く染めながら、軽く頭を掻く奈々瀬に、アヒルが呆れたような視線を送る。
「助かった。俺は大丈夫だから、だからお前は弟と、とっとと逃げろ」
「えっ…?」
奈々瀬を送り出すように、奈々瀬の肩をそっと押すアヒルに、奈々瀬が驚いたような顔を見せる。
「だ、大丈夫じゃないでしょ!?朝比奈くん、その傷じゃ、あの黒い影と戦うなんて無理だよっ…!」
「へっ…?」
奈々瀬のその言葉に、アヒルの表情がふと止まる。
「奈々瀬、お前…忌が見えて…」
<もう別れは十分に惜しんだかぁっ…!?>
『……っ!』
上から降ってくる声に、アヒルと奈々瀬が同時に顔を上げる。
<そう惜しむこともない…二人仲良く、殺してやるからなぁ…!>
「クっ…!」
忌の言葉に、アヒルが表情を引きつりながら、必死に体を起き上がらせる。
「早く逃げろ!奈々瀬っ…!」
「でもっ…!」
「お前がいなくなったらっ、あいつの心に痛みを与えることになるだろうがっ!」
「……っ」
出口付近に立つ六騎の方を指差しながら、必死に叫ぶアヒルを見て、奈々瀬が強く唇を噛み締める。
「朝比奈くんがいなくなったってっ、心が痛む人はいるよっ…!」
「奈々瀬っ…」
強く叫ぶ奈々瀬の言葉に、思わず目を見開くアヒル。
「だから…!朝比奈くんんも一緒にっ…!」
<グオオオォォォっ…!!>
『……っ!』
激しい咆哮に、二人の会話が遮られる。
<死ねぇぇぇっ…!“破”っ…!!>
「ああっ…!」
「クっ…!」
上空の忌から、二人へ向けて、先程よりもさらに大きな衝撃波が放たれた。
「このっ…!」
アヒルが必死に銃を握った右手を上げようとするが、負った傷がひどく、手は思うように上がらない。
「クッソっ…!」
「あっ…!」
銃を撃つことが無理だと察すると、アヒルは横に座り込んでいる奈々瀬の前へと出るように、立ち上がれないまま、体を動かした。前へと出るアヒルを見て、奈々瀬が大きく目を見開く。
「朝比奈くんっ…!」
「クっ…!」
奈々瀬が名を呼ぶ中、アヒルが一層、険しい表情を見せた。
「何とかっ…」
迫り来る衝撃波を見つめながら、奈々瀬が声を漏らす。
「何とか、しなきゃっ…」
その声が徐々に大きくなり、かすれていた言葉が、はっきりと奈々瀬の口から放たれる。
「“何とかしなきゃ”っ…!!」
―――パァァァァンっ!
<グウゥゥっ…!>
「えっ…?」
アヒルと奈々瀬の前で突然、赤い大きな光のようなものが弾けると、その光が、二人へと向かって来ていた衝撃波を、あっという間に掻き消した。
<な、何だっ…!?グアアアアアっ…!>
さらに、弾け飛んだ光の一部が上空へと舞い上がり、宙に浮かんでいた忌へと直撃して、光に戸惑っていた忌を吹き飛ばす。
「な、何だ…?」
その光を、忌と同じように、戸惑った様子で見上げるアヒル。
「あっ、あれは…」
弾け飛んだ光の中心に、やがて何かが見えてくる。それを見て、アヒルが大きく目を見開いた。
「言玉っ…!?」
そこに浮いているのは、赤く小さな、宝石のような玉。そう、言玉であった。
「なんで…言玉が…んっ?」
上空に浮いていた言玉が、アヒルの方へと自動的に下降してくる。だが、言玉はアヒルの横をあっさりと通り過ぎると、アヒルの横に座る奈々瀬の目の前で、その動きを止めた。
「えっ…?わ、私…?」
目の前に来る言玉に、奈々瀬が戸惑いの表情を見せる。
「言玉が、奈々瀬のとこに…?」
戸惑う奈々瀬とその前の言玉を見つめ、眉をひそめるアヒル。
「そういや、さっきの言葉っ…」
―――“何とかしなきゃ”っ…!!―――
奈々瀬のあの言葉に応えるように、突然、姿を見せた言玉。
「“な”で始まる言葉っ…まさかっ…」
―――奈々瀬、お前…忌が見えてっ…―――
―――最後の一人はもう、君の近くにいるかも知れないよ…?―――
すべての出来事が、一つの道に繋がっていく。
「奈々瀬がっ…“奈守”…?」
「こ、これって…一体…」
言玉を見つめながら、大きく首を傾げている奈々瀬を、アヒルが迷いながらも、どこか確信を持った瞳で見つめる。
<グウゥゥっ…!お、己っ…!>
『……っ!』
上空から聞こえてくる声に、再び同時に顔を上げるアヒルと奈々瀬。暗い空の上には、先程の光でダメージを負った様子の、忌が浮かんでいた。だがダメージは受けていても、今のアヒルでは、あの忌を倒すことは出来ない。
「あの影、まだっ…」
「クソっ…」
奈々瀬が表情を曇らせる横で、アヒルが少し悔しげに唇を噛む。
「悩んでる暇はねぇか…!奈々瀬っ…!」
「えっ…?」
急に名を呼ばれ、奈々瀬が戸惑うようにアヒルを見る。
「言玉を手に取って、“な”で始まる言葉を言うんだっ!」
「“な”で始まる…言葉っ…?」
アヒルのその言葉に、さらに困惑したような表情となる奈々瀬。
「それって、どういうっ…」
「あぁ~!いきなり言ってもわっかんねぇか。そうだよなぁっ」
まるで状況を理解していない様子で聞き返してくる奈々瀬に、アヒルが困ったように頭を掻く。国語嫌いのアヒルでは、一つずつゆっくり話さねば伝わらないだろうが、今はその時間もない。
「だからこうっ、今のこの場を何とか出来そうな、役に立ちそうな、“な”のつく言葉をだなぁっ…!」
「役に立ちそうな…“な”…?」
アヒルの説明を聞けば聞くほど、奈々瀬が困った表情となっていく。
「やぁ~ぱ俺が考えるしかねぇかっ!えぇ~っと、納豆巻き…いやっ、流し素麺…いやぁっ!」
必死に言葉を考えるアヒルであったが、役に立ちそうもない言葉ばかりが浮かび、大きく首を横に振る。
「ああ!んなことなら、辞書持ってこりゃ良かったぁっ!」
「じ、辞書っ…?あっ…」
頭を掻きむしりながら叫ぶアヒルに、首を傾げていた奈々瀬が、ふと、傷ついたアヒルの顔や腕へと視線を移す。痛々しく刻まれた傷からは、今も直、赤い血が流れ続けていた。
「“な”で始まる…言葉っ…」
真剣な表情で、奈々瀬がその言葉を繰り返す。
「朝比奈くん…」
「んあっ?何っ…」
「“治って”」
「……っ!」
奈々瀬の口から放たれたその言葉に、アヒルが大きく目を見開く。
「“治って”…」
奈々瀬が、言玉を握り締めた両手をアヒルの体へと向け、もう一度、その言葉を繰り返す。すると、奈々瀬の言玉から赤い、柔らかな光が放たれ、傷ついたアヒルの体を、優しく包み込んだ。
「傷がっ…」
自分の腕を見つめ、驚きの表情を見せるアヒル。赤い光に包まれると、流れていた血が止まり、負っていた傷があっという間に塞がっていく。やがて傷だらけだったアヒルの手は、傷一つない状態へと完治した。
「す、すげぇっ…」
すっかり痛みの消えた手で、銃を握る感覚を確かめながら、アヒルが感心するような声を漏らす。
「奈々瀬っ…」
アヒルが顔を上げ、驚きの表情で奈々瀬を見つめる。
「役に、立ったかなっ…?」
「……っ」
そっと微笑んで問いかける奈々瀬に、アヒルも口元を綻ばせる。
「ああっ、ありがとう」
大きく頷き、礼を言うと、アヒルがその場に立ち上がった。
「十分だっ」
<グっ…!>
立ち上がったアヒルが、その目つきを鋭くし、上空にいる忌を睨みつけると、忌は怯むように、少し体を引いた。
<ま、まさか五十音士が二人も居るとはっ…こ、こうなればっ…!>
「あっ…!」
その実体のない体を翻し、逃げようとする忌に、奈々瀬が思わず声を出す。
「……っ」
だが奈々瀬の横に立ったアヒルは、特に焦ったような様子は見せず、冷静にその銃口を、自らのコメカミへと向けた。
「“欺け”っ…」
アヒルの口から放たれる、“あ”で始まる言葉。
<この場は逃げて、新たな宿主をっ…!ウゥゥっ…!?>
公園の上空から逃げ去ろうと、空を移動していた忌が、驚きの表情を見せ、急に動きを止める。
<なっ…!?き、貴様はっ…!>
「…………」
忌の進もうとしたその先の空に浮いているのは、鋭い表情を見せたアヒル。
<い、いつの間にっ…な、ならば向こうへっ…!ウウゥっ…!?>
逃げる方向を変えようと、体の向きを変え、振り向いた忌が、さらに驚いた表情となる。
「…………」
忌が振り向いたその先にも、同じように鋭い表情を見せたアヒルが浮かんでいた。
<こ、これはっ…!>
焦った様子で忌が四方を見回すと、次々とアヒルの姿が現れ、何人ものアヒルが忌の周りを取り囲んだ。その有り得ない光景に、忌がさらに焦った表情を見せる。
<幻覚系の言語かっ…!グゥっ…!>
忌が勢いよく下降し、何人ものアヒルの囲いから脱出する。
<ウゥっ…?>
「…………」
地面へと下降していく忌を迎えるように、地面に立っているのは、上空の者たちと同じ、鋭い表情のアヒル。
<また幻覚だろうっ…!?突き破ってやるっ…!>
「……っ」
今度は、目の前に立つアヒルに止まることなく、突き進んでくる忌に、その目の前に立っているアヒルが、ゆっくりと銃を構えた。
「悪いなっ…」
アヒルの小さな声とともに、弾丸が放たれる。
「俺は幻覚じゃねぇ…」
<何っ…!?>
強い光を放ち始める弾丸に、忌が一気に表情を歪める。
<グゥっ…!>
「……“当たれ”っ」
忌が弾丸から逃れようと体を反らしたその時、アヒルの口から言葉が放たれ、弾丸は軌道を変え、逃れようとした忌へと、その向きを改めた。
<なっ…!?グウゥゥっ…!!>
忌が驚きの表情を見せたのも一瞬、アヒルの弾丸が、勢いよく忌の体を貫いた。
<ギャアアアアアアアっ…!!>
―――パァァァァァンっ!




