Word.16 安団集結 〈1〉
ずっとわからないまま、ただ晴れない気持ちだけを抱えてた。
「朝比奈クン…?」
「奈々瀬!」
あの夜の出来事が、現実だったのか、夢だったのか。
「やっぱり夢かぁ…」
都合のいい夢を見ただけと結論づけた時、こう思った。“夢じゃなければ良かったのに”と。
“夢じゃない”ことが、どんなに痛むことかも、知らないまま。
「ううぅっ…!」
「朝比奈クンっ…!!」
六騎を庇い、忌に取り憑かれたタカシに背中を斬り裂かれ、大量の血を流して、その場にしゃがみ込むアヒル。そのアヒルの痛々しい姿に、奈々瀬が大きく目を見開き、身を乗り出す。
「お、お前っ…」
「グウゥゥゥっ…」
「うっ…!」
驚きの表情で、茫然とアヒルを見つめていた六騎が、再び唸り声をあげるタカシに、一気に怯えた表情となる。震えたその手は、いつの間にかアヒルの服の裾を、握り締めていた。
「グオオオォォ!“破”っ!」
「ひぃっ!」
「クっ…!」
アヒルと六騎に向け、衝撃波を放つタカシ。震え上がる六騎の前で、アヒルが焦るように、顔をしかめながら、右手の銃を自らのコメカミへと向けた。
「“上がれ”っ…!」
「う、うわっ…!」
自分へと弾丸を放ったアヒルが、六騎を抱えたまま飛び上がり、タカシの放った衝撃波を避ける。
「と、飛んだっ…」
「ううぅっ…!」
「えっ…?」
宙に浮いた自分の体に、恐怖の色を消し、驚いていた六騎が、自分を抱えているアヒルの苦しげな声に気づき、顔を上げる。背中に負った傷が痛むのか、ひどく顔をしかめたアヒルは、空中で飛んでいる状態を維持出来ず、すぐに地面へと下降した。
「クっ…!」
「お、お前っ…」
地面へと降り立つと、すぐにその場に膝をつくアヒルを、アヒルの前に立ちながら、六騎がどこか不安げに見つめる。
「朝比奈くんっ…!」
「お姉ちゃん…」
空中から降りてきた二人のもとへ、慌てて駆け寄ってくる奈々瀬。
「朝比奈くん!」
膝をついたアヒルの横へと、奈々瀬が寄り添うようにしゃがみ込む。
「大丈夫っ…!?」
「あんまっ…大丈夫ではねぇーかも…ハハハっ…」
「朝比奈くん…」
問いかける奈々瀬に、ゆっくりと顔を上げ、力ない笑みを浮かべるアヒル。そんなアヒルの表情を見て、奈々瀬が不安げに、眉をひそめる。
「六騎っ」
「えっ…?」
強く六騎の名を呼び、振り向く奈々瀬に、六騎が戸惑うように声を漏らす。
「あの子に、何を言ったの…?」
「……っ」
奈々瀬が鋭く問いかけると、六騎は逃げるように奈々瀬から目を逸らし、深く俯いた。
「何を言ったのっ…!?」
「うっ…!」
両手で強く六騎の肩を掴み、奈々瀬が六騎の顔を上げさせる。いつもは穏やかな姉に、睨みつけるような表情を向けられ、どこか怯えた表情を見せる六騎。
「オ、オレは何もっ…」
「何もしてないわけないでしょう!?どうして本当のことを言わないの!?六騎っ!」
「ううぅっ…!」
姉に強く責められ、六騎の大きな瞳に涙が浮かんだ。
「六っ…!」
「奈、々瀬っ…」
「……っ」
さらに責め立てようとする奈々瀬を止めるように、奈々瀬の肩に手を置いたのは、まだ苦しげな表情を覗かせているアヒルであった。
「そう…怒ってやるなよっ…」
「朝比奈くんっ…」
宥めるように微笑みかけるアヒルに、奈々瀬がそっと目を細める。
「け、けど六騎のせいで、こんなことにっ…!」
「こいつのせいじゃねぇーさっ…」
「えっ…?」
奈々瀬が戸惑いの表情を見せる中、アヒルがゆっくりと奈々瀬から六騎へと視線を移し、まっすぐな瞳で、六騎を見つめる。
「なぁ?クソガキ…」
「……っ?」
責め立てる奈々瀬の口調とは異なり、乱雑な言葉使いながらも、どこか優しいアヒルの声に、深く俯いていた六騎が、ゆっくりと顔を上げた。
「確かにお前は、何にも悪いことはしてない…」
「えっ…?」
思いがけないアヒルの言葉に、六騎が戸惑いの表情を見せる。
「別に悪気があって、あいつの心を傷つけようと思って、あんなこと言ったわけじゃねぇーんだろっ?」
アヒルが少し首を傾けながら、六騎へと問いかける。
「つい、口から出ちまっただけなんだろっ…?」
「……っ」
続くアヒルの問いかけに、まるで言い当てられて、気まずくなったかのように、そっと俯く六騎。
「俺も、お前くらいの時…そういうこと言って、人の心を傷つけちまったから…よくわかるよ…」
「朝比奈くん…」
六騎へと語りかけるアヒルを、奈々瀬は横からまっすぐに見つめる。
「けどな、傷つけてやろうと思って言った言葉より、そういう、つい出ちまった言葉の方が、相手を傷つけることもあるんだ」
アヒルが、穏やかな表情を、六騎へと向ける。
「相手の心に、深ぁーい傷をつけちまうことも、あるんだよ」
「…………」
俯いていたはずの六騎が、いつの間にか顔を上げ、少し細めた瞳で、逸らすことなくアヒルを見つめている。
「そのことにちゃんと気づける奴が、“優しい奴”なんだっ…」
ゆっくりと伸びたアヒルの手が、六騎の頭を撫でる。
「そのことに気づいて、ちゃんと謝ることが、相手を“思いやる”ってことなんだよっ…」
「……っ!」
頭を撫でる温かい手に、胸を打つその言葉に、六騎が涙を溜めた目を大きく見開き、瞬きをすればその滴が溢れてしまいそうなほどに、瞳を潤ませる。
「……っ」
アヒルの言葉を聞き、奈々瀬がそっと六騎の方を振り向く。
「大丈夫だよ、六騎」
六騎の左肩に手を置き、その場にしゃがみ込んで、六騎と視線を合わせ、まっすぐに六騎を見つめる奈々瀬。
「お姉ちゃんも、六騎と一緒に謝るから…だから、ねぇ…?六騎」
「うぅっ…!」
奈々瀬が優しく微笑むと、その笑みを見た途端、六騎が目を細め、その瞳からポロポロと涙を流した。
「あいつっ…あいつ…ずっと前、交通事故で親、二人とも死んでっ…」
ゆっくりとした口調で、言葉を発し始める六騎。
「な、なのにオレっ、タカシに、“お前なんか、親もいないんだから、帰ったって意味ない”って…そう、言ったんだっ…!」
涙を流し、声を震わせながら、六騎が言葉を吐き出す。
「そんなことっ、言おうなんて思ってなかったのにっ…他の奴らが言ってるから、ついっ…口から言葉が出ていっちゃったんだっ…!」
ひどく後悔した表情を見せ、言葉を続ける六騎。
「そんなこと言ったらっ…あいつが傷つくって、すっごく傷つくって、オレわかってたのにっ…」
六騎の頬を伝った涙が、地面へと何度も落ちる。
「わかってたのにっ…!」
「うん…」
声を大きくし、泣きじゃくる六騎を、奈々瀬が、その言葉を受け止めるように頷きながら、ゆっくりと抱き締める。
「うんっ…」
六騎を力一杯抱き締め、もう一度、頷く奈々瀬。
「何があの子の心を傷つけたのか、誰が悪いのか…六騎はもう、ちゃんとわかってるんだよね…?」
「……うんっ」
「じゃあ…ちゃんと謝れるよね…?」
「……っ」
奈々瀬に抱き締められながら、六騎がそっと目を細める。
「うんっ…!」
奈々瀬の問いかけに、六騎は大きく頷いた。
「ふぅっ…」
いつの間にか六騎の頭を撫でていた手を引っ込め、奈々瀬と六騎の様子を見守っていたアヒルが、頷いた六騎を見て、どこか安心したような笑顔を浮かべる。
「グオオオォォっ…!」
「……っ!」
その時、再び聞こえてくる咆哮に、アヒルが険しい表情を作って振り向く。
「“破”っ…!」
「クっ…!」
アヒルの振り向いた先に立つタカシが、三人へ向け、またもや巨大な衝撃波を放った。
「クッソっ…!」
「えっ?」
「うわああっ!」
すでに銃を構える時間はなく、アヒルが奈々瀬と六騎を、横へと突き飛ばすようにして、押し出す。
「あ、朝比奈くんっ…!」
押し出されてすぐ、後方を振り返り、アヒルの方へと身を乗り出す奈々瀬。
「うああああああっ…!」
「朝比奈くんっ…!!」
一人、衝撃波をもろに喰らい、アヒルが激しい叫び声をあげ、その場に倒れていく。飛び散るアヒルの血に、奈々瀬が大きく目を見開く。
「う、ううぅっ…」
地面にうつ伏せに倒れ込んだアヒルが、苦しげに顔を上げ、目の前に落ちている銃を見つめる。
「クッ…ソ…」
銃に手を伸ばすことも出来ず、アヒルが険しい表情を見せる。
「六騎っ…!」
「う、うんっ…!」
奈々瀬に急かされるように名を呼ばれ、奈々瀬から体を離した六騎が、奈々瀬に肩を支えてもらったまま前へと出て、忌に憑かれたタカシと向き合う。
「グウゥゥゥっ…」
「うっ…」
唸り声を漏らすタカシに、少し怯むように息を呑む六騎。
「んっ…!」
だがすぐに意を決したような表情となって、六騎が力を入れるように、拳を握り締める。
「タカシっ…!」
六騎がまっすぐにタカシを見つめ、大きな声でタカシの名を呼ぶ。
「ごめんっ…!」
「……っ」
六騎の口から放たれる謝罪の言葉に、タカシの唸り声が止まる。
「タカシを傷つけるようなこと言って、ごめんっ…!本当にごめんっ…!ごめんなさいっ…!!」
嘘偽りのない、六騎の心からの謝罪の言葉が、静かな夜の公園に、何度も響き渡った。
「グウゥゥゥ…」
「これでっ…」
今までよりも静かな唸り声を漏らすタカシを、強い瞳で見つめるアヒル。
「グアアアアァァっ…!!」
『えっ…?』
「なっ…!」
だがタカシは、先程よりも荒々しい叫び声をあげ、勢いよく両手を振り上げた。そのタカシの様子に、六騎と奈々瀬が戸惑いの表情を見せ、アヒルが驚いたように目を見開く。
「忌が…出ないっ…?」
アヒルが険しい表情で、タカシを見つめる。
「リンちゃんの時は、確かっ…」
「お、お姉ちゃんっ…」
奈々瀬がアヒルと同じように戸惑う中、六騎がどうすれば良いか問いかけるように、奈々瀬の方を振り返る。
「何が、“ごめん”だよ…」
『……っ』
その時、タカシの口から聞こえてくる唸り声ではない、タカシのものである幼い声に、アヒルや奈々瀬たちが一斉に振り向いた。
「あれはっ…」
―――私がそんなに可哀想…?―――
「あの時と、同じっ…」
忌に取り憑かれながら、自らの言葉を発したリンの姿を思い出し、アヒルが眉をひそめる。
「宿主との強い同調っ…あの忌もハ級クラスってことか…?」
誰にともなく言葉を発しながら、アヒルがさらに険しい表情を作る。
「君はいいよね…優しいお姉ちゃんが傍にいてくれてさ…」
「タ、タカシ…?」
向けられるタカシの言葉に、六騎が戸惑いの表情を見せる。
「そんなヤツに…僕の気持ちなんてわかるもんか…わかるはずがないっ…!」
「……っ!」
声を張り上げるタカシに、大きく目を見開く六騎。
「謝られたくらいじゃ、許せないっ…」
タカシの声が、怒りにか悲しみにか、かすかに震える。
「お前にもっ…僕と同じ痛みを味あわせてやるっ…!!」
「うぅっ…!」
そう叫び、駆け込んでくるタカシに、六騎が再び怯えた表情を見せる。
「クソガキっ…!うぅっ…!」
六騎のもとへ行くため、起き上がろうとするアヒルであったが、喰らった傷の痛みが激しく、体が言うことを聞かない。
「クッソ…!」
アヒルが悔しげに唇を噛みながら、顔を上げ、奈々瀬と六騎の方を見る。
「逃げろっ!奈々瀬!クソガキ!」
痛みを堪えながら、必死に叫ぶアヒル。
「グオオオオォォォっ…!」
「ううぅっ…!」
だが、極度の恐怖に六騎の足は硬直し、逃げることなど出来ない状態となっていた。そんな六騎に、タカシは止まることなく、どんどん駆け込んでいく。
「ううぅっ!」
「……っ」
「えっ…?」
「なっ…!」
震える六騎を後ろへと下がらせ、六騎の前に立ち塞がるように出たのは、真剣な表情を見せた奈々瀬であった。そんな奈々瀬を、六騎が戸惑うように見上げ、アヒルが驚きの表情を見せる。
「お、姉ちゃん…?」
「何やってんだっ!奈々瀬!」
六騎がゆっくりと奈々瀬を呼ぶ中、アヒルが倒れ込んだまま、奈々瀬へと声を張り上げる。
「逃げろ!弟を連れて逃げるんだっ!奈々瀬!」
「逃げないっ…!」
「何っ…?」
すぐさまアヒルの言葉を拒否する奈々瀬に、思わず目を丸くするアヒル。
「何言ってんだ!いいから早くっ…!」
「ここで逃げたらっ…あの子の痛みからも逃げることになるっ…!」
「……っ!」
もう一度叫びかけようとしたアヒルが、奈々瀬のその言葉に、思わず言葉を止める。
「私はっ、六騎が傷つけたあの子の痛みから、逃げるようなことはしたくないっ…!」
「奈々瀬っ…」
必死に叫ぶ奈々瀬に、アヒルが少し目を細める。
「グオオオォォォっ!」
「あっ…!」
アヒルがそれ以上は、“逃げろ”と言えずにいると、六騎を庇うようにして立った奈々瀬のすぐ前まで、両手を振り上げたタカシが迫って来た。
「お姉ちゃんっ…!」
目の前に立つ姉の手を、六騎が必死に握り締める。
「グアアアアアっ…!」
「……っ」
激しく叫びながら、両手を振り下ろそうとするタカシを、奈々瀬が鋭い目つきで、恐れることなくまっすぐに見つめる。
「ごめんなさいっ…」
「グっ…!」
奈々瀬の口から発せられる言葉に、タカシの手が止まる。
「六騎があなたの心を傷つけたこと、私からも謝るわ…ごめんなさい…」
「お、お姉ちゃんっ…?」
タカシへと謝る奈々瀬を、六騎が戸惑うように見上げる。
「何が“ごめん”だっ…!今更、お前が謝ったくらいでっ…!」
「傷つけたのは六騎…あなたが許せないというのなら、同じ痛みを与えたいというなら、それは仕方のないことだわ…」
「何っ…?」
素直に認めるような発言をする奈々瀬に、忌と同調したタカシが、戸惑うような声を漏らす。
「でも、六騎は私の大切な弟だからっ…」
奈々瀬が言葉を口にしながら、ゆっくりと両手を広げる。
「私は、六騎を傷つけさせるわけにはいかないのっ…!」
「奈々瀬っ…」
両手を目一杯広げ、強い瞳を見せる奈々瀬に、そっと目を細めるアヒル。
「だからっ、六騎が与えたあなたの痛み、あなたと同じ痛みをっ、私が全部受け止めるっ…!」
「……っ!」
そう叫ぶ奈々瀬に、アヒルが大きく目を見開く。
「お、お姉ちゃん…?何言って…」
「弟の身代わりになるというか…いい度胸だ…」
「えっ…?」
奈々瀬に問いかけようとしていた六騎が、奈々瀬の背の向こうから聞こえてくるタカシの声に、眉をひそめる。
「なら…!弟の代わりに死ねっ…!」
「……っ!」
放たれるその言葉に、六騎が大きく目を見開く。
「グオオオォォォっ…!」
「クっ…!」
「奈々瀬っ…!!」
振り下ろされるタカシの手に、奈々瀬が覚悟を決めるように唇を噛み締め、アヒルが動かない体で、必死に身を乗り出す。
「い、嫌だっ…」
六騎の口から、零れ落ちる言葉。
「嫌だっ…!死なないで!お姉ちゃんっ…!!」
―――タカシっ…―――
―――嫌だよぉっ…!死なないでぇっ!お父さん!お母さん!―――
「グウゥゥっ…!」
「えっ…?」
タカシが急に苦しげな声を漏らしたかと思うと、奈々瀬へと向かって来ていたその手が、勢いよく止まった。目の前で止まる手に、奈々瀬が戸惑った表情を見せる。
「グウゥっ!ウウゥゥっ…!」
止めた手で頭を抱え、激しく苦しみ始めるタカシ。まるで体の中で、何かと戦っているような、そんな様子であった。
「あれはっ…」
そんなタカシの様子を、アヒルがまっすぐに見つめる。
「グゥっ…グアアアアアアアっ!」
『うっ…!』
タカシの体から放たれる、眩いばかりの白色の光に、アヒルや奈々瀬が思わず目を細める。




