Word.15 タイムリミット 〈4〉
「ハァっ…!ハァっ…!ハァっ…!」
暗い夜道を、息を切らしながら、必死に駆け抜ける少年。後方を気にするように、度々後ろを振り返りながら、少年はまったく人気のない公園へと駆け込んだ。
「ハァっ…!ハァっ…!」
公園の隅にある、水場の後ろへと姿を隠すように深くしゃがみ込みながら、乱れた呼吸を整える少年。その額からは、大量の汗が滴り落ちた。
「な、何なんだよっ…あいつっ…」
少し息を詰まらせながら、少年が言葉を発する。
「なんでっ…オレがこんな目にっ…」
「見つけた…」
「うっ…!」
どこからか聞こえてくる声に、背筋を震え上がらせる少年。
「見つけたぞ…」
「ひぃっ…!」
「無事かぁ?クソガキっ」
「えっ…?」
怯えた表情で震え上がった少年であったが、聞こえてくるその声は少年の身を案じているようで、少年は思わず目を丸くし、ゆっくりと顔を上げた。
「あっ…お前、夕方のっ…」
「年上に対して、“お前”はねぇーだろっ」
少年の目の前に立っていたのは、少し顔をしかめたアヒルであった。少年の方もどうやらアヒルのことを覚えていたらしく、驚いたようにアヒルを見る。
「ガキが一人で、うろつく時間じゃねぇーぞぉ?」
「だ、だって、タカシがっ…」
「タカシって、夕方、お前らがランドセル取って、いじめてた奴か?」
「う…うんっ…」
アヒルの問いかけに、少年がどこか気まずそうに頷く。
「ったく、くだらねぇことすっから、こういう目に遭うんだよっ。ほら、とっとと来いっ」
「こ、来いって、どこにっ…?」
「そのタカシって奴のとこに決まってんだろうが」
「い、嫌だよっ…!」
少年が、自分の腕を掴んだアヒルの手を、必死に振り払う。
「他の二人が、あいつにやられたんだ!次はオレが殺されるっ!」
「大丈夫だって。他の二人も別に死んでねぇーし、スパッと謝って、あいつの痛みを何とかしっ…」
「嫌だよっ!」
「あっ」
再び掴もうとしたアヒルの手を、少年が叩き落とすようにして、拒絶する。
「往生際の悪い奴だなぁ!いいから、とっとと来いって!」
「嫌だっ!絶対行かないっ!」
夜の公園に大きな声を響かせながら、アヒルと少年が、一歩も譲らぬ、引っ張り合いを展開する。
「あのなぁっ…!」
「朝比奈クン!」
「へっ?」
呼ばれる名に、アヒルが目を丸くして、顔を上げる。
「奈々瀬っ」
公園の入口から、こちらへと駆けてくるのは、奈々瀬であった。
「あそこに居ろっつったのにっ…」
「お姉ちゃんっ…!」
「へっ?」
アヒルの手を振り払い、奈々瀬の方へと駆け出していく少年に、アヒルが間の抜けた声を出す。
「六騎っ…?」
「お、お姉ちゃん…?」
駆けてきた少年と、両手を広げるようにして受け止める奈々瀬を見ながら、呆然とした表情を見せるアヒル。
「あれっ?そっち?」
「あのお兄ちゃんにイジメられたよぉ!」
「誰がじゃいっ!」
大きく首を傾げていたアヒルが、奈々瀬へと泣きつく少年、六騎に、思わず顔をしかめ、怒鳴りあげる。
「こんな時間に、こんな所で何してるのよ?六騎っ」
「え、えぇ~っと、それはっ…」
少し眉間に皺を寄せ、問いかける奈々瀬に、六騎が言葉を詰まらせる。
「朝比奈クン、六騎と知り合いだったの?」
「へっ?あ、あぁ~、まぁ知り合いっつーか、ちょっと通りすがっただけっつーかだなぁっ」
「通りすがった?」
弟が同級生をいじめている現場に遭遇した、とも言えずに、どこか誤魔化すように笑みを浮かべ、上ずった声で答えるアヒル。そんなアヒルに、奈々瀬が首を傾げる。
「ってか、こっちが奈々瀬の弟ってことはっ…」
「グオオオオォォォっ…!」
『……っ!』
耳に届く、禍々しい咆哮に、アヒルや奈々瀬たちが、一斉に顔を上げる。
「あいつはっ…!」
空を高々と舞うようにして、アヒルたちのもとへと飛び込んでくるのは、夕方、六騎たち三人がいじめていた、タカシという、あの小柄な少年であった。その小さな体を包み込むように、夜の闇よりも深い、黒色の影がはっきりと見える。
「あれって…」
「ううぅっ…!来た!」
「六騎?」
戸惑うようにタカシを見上げていた奈々瀬が、奈々瀬の手の中で震え上がる六騎に、眉をひそめる。
「グオオオォォ!“破”っ!」
「うっ…!」
タカシの放つ言葉に、アヒルが一気に険しい表情となる。
「奈々瀬っ…!」
「えっ?きゃあっ!」
奈々瀬と六騎を抱え込むようにして、後方へと飛び込むアヒル。
―――バァァァァンっ!
激しい衝撃波がアヒルたちの居た、公園の水場へと落ち、水場が砕け散る。周囲の砂が舞い上がる中、後方へと飛び込んだアヒルたち三人は、何とか難を逃れていた。
「痛てててっ…」
二人を庇うようにして倒れ込んだアヒルが、砕けた水場の破片が当たった背中を押さえながら、少し歪めた表情で、ゆっくりと起き上がる。
「大丈夫か?奈々瀬」
「あ、う、うんっ」
先に起き上がったアヒルの手を借りながら、奈々瀬が六騎を支えるようにして、共に起き上がる。
「クソガキも大丈夫かぁ?」
「痛ってぇっ…」
起き上がった六騎を、アヒルが少し体を傾けながら覗き込む。
「グウゥゥっ…」
「あっ」
唸り声を漏らしながら、空からゆっくりと地面に降り立つタカシに気づき、ふと振り向く奈々瀬。
「あれはっ…」
タカシの体を包む黒い影が、その瞳にはっきりと映り、奈々瀬が表情を曇らせる。
―――あたしがそんなに可哀想っ…?―――
「んっ…」
いつか夢の中で見た、黒い影に包まれたリンの姿とその姿が重なり、戸惑うように、奈々瀬が頭を右手で押さえる。
「グオオオォォォっ…!」
「ひぃっ…!」
地面へと降り立ったタカシが、先程と同じように激しく咆哮をあげると、奈々瀬にしがみつくようにしていた六騎が、一気に表情を強張らせ、背筋を震え上がらせる。
「“破”っ!」
「うわあああっ!」
再び放たれる衝撃波に、頭を抱えて叫ぶ六騎。
「チっ…!」
奈々瀬と六騎の前へと立ち塞がるようにして起き上がったアヒルが、ジャージのポケットから、素早く言玉を取り出す。
「第一の音“あ”、解放っ…!」
アヒルがそう叫ぶと、言玉は強い赤色の光を発し、その姿を銃へと変える。
「こんのっ…!」
形を変えたばかりの銃を、慣れた手つきで構えるアヒル。
「あれは…」
そのアヒルの様子を見つめ、奈々瀬が目を見張る。
「“当たれ”…!」
アヒルの言葉とともに、放たれる赤い光の弾丸。
「グっ…!」
放たれた弾丸が、タカシの放った衝撃波を正面から貫き、大きな音を立てて、撃ち砕く。砕かれた衝撃波に、虚ろな瞳を見せたタカシは、目に光のないまま、少し表情をしかめた。
「今、のは…」
―――朝比奈クン…?―――
「あの夢と、同じ…」
夢で見た時とまるで同じ、赤銅色の銃を構え、戦うアヒルの姿を見つめ、奈々瀬が戸惑うように呟く。
「どういうことっ…?これも、夢なの…?」
奈々瀬が、誰にともなく問いかける。
「に、逃げよう!お姉ちゃんっ!」
「えっ…?」
タカシが攻撃の手を止めている隙に、その場から走り去ろうと、奈々瀬の手を掴む六騎。
「ちょい待てっ」
「うわ!」
そんな六騎の手を、アヒルが力強く掴み止める。
「な、何すんだよ!離せよ!」
「離すかよ」
睨みあげる六騎に、アヒルがあっさりと言い放つ。
「逃げたって、追いかけられるだけで意味ねぇーぞ?いいから、大人しく謝れって」
「い、嫌だっ!」
六騎が強く叫び、アヒルの手を振り払う。
「オレは謝らない!オレは謝るようなことなんてっ、何にもしてないっ!」
「何にもしてないってっ…」
必死に主張する六騎に、どこか困ったように頭を掻くアヒル。
「してないってことはないだろぉ?お前はあいつにっ…」
「してない!オレは何にもしてない!」
宥めるように言葉を掛けようとしたアヒルの声を、六騎が初めから聞く様子もなく、強く遮る。
「あっ…」
そんな二人の様子を見て、奈々瀬が急にハッとした表情となる。
―――お前が受け止めなかったアイツの言葉は、アイツに戻って、アイツ自身を傷つけた…―――
―――私が…リンちゃんを傷つけたの…?―――
―――ああ…―――
奈々瀬の中で、より鮮明になっていく、夢だと思われていた夜の記憶。
「あのなぁっ…!いい加減にっ…!」
「六騎」
「……っ」
そっと六騎の名を呼ぶ奈々瀬に、アヒルが思わず言葉を止め、振り向く。
「あの子の心を、傷つけるようなことを言ったの…?」
「……っ!」
どこか少し責めるように、厳しい表情を見せて問いかける奈々瀬に、問われた六騎が大きく目を見開く。
「奈々瀬っ…?」
その奈々瀬の様子に、少し戸惑うように首を傾げるアヒル。
「な、何だよっ、お姉ちゃんまでっ」
六騎が唇を震わせ、同じように、少し震えた声を発する。
「今っ、オレたちを襲ってるのは、あいつだろっ?今、悪いのは、どう考えてもあいつだろっ!?」
徐々に声を大きくし、感情を高ぶらせて叫ぶ六騎。
「なんでオレが悪いみたいに言うんだよっ!」
「六騎っ」
「オレは悪くないっ!」
共に逃げようと掴んでいた奈々瀬の手を、六騎が投げ捨てるように、振り払う。
「オレはっ…!何にも悪くないっ!!」
「あっ…!」
そう言い放ち、アヒルや奈々瀬に背を向けるようにして、その場から飛び出していく六騎。
「馬鹿っ…!離れるんじゃっ…!」
「グオオオオォォっ…!」
「あっ…!」
アヒルが引き止めるように言い放つ中、激しく叫びながら、高々と飛び上がったタカシが、あっという間に空を移動し、公園の入口へと駆けていく六騎の目の前へと降り立つ。
「うあっ…!」
目の前に立ったタカシに、思わず足を止め、震え上がる六騎。
「六騎っ!」
「クソっ…!」
奈々瀬が六騎の名を呼ぶ横から、アヒルが険しい表情を見せ、必死に六騎のもとへと駆けていく。
「グアアアアアっ!“斬”っ!」
「うううぅっ…!」
手を振り上げるタカシに、六騎の表情が凍りつく。
「グオオオオォォォっ!!」
「……っ!」
振り下ろされるタカシの右手に、六騎が固く瞳を閉じた、その時であった。
「ううぅっ…!」
「えっ…?」
何かが斬れたような音と、すぐ目の前で聞こえる苦しげな声に、六騎がゆっくりと目を開く。
「グっ…!」
「あっ…」
六騎の目の前には、六騎の代わりにタカシに背中を斬り裂かれ、真っ赤な血を流しながら、地面へと倒れていく、アヒルの姿があった。
「あ…」
そのアヒルの姿に、奈々瀬が大きく目を見開く。
「朝比奈クンっ…!!」
奈々瀬の悲痛な声が、静かな公園に響き渡った。




