Word.15 タイムリミット 〈2〉
神試験まで後一日。放課後。学校からの帰り道。
「ふっはぁぁ~っ…」
篭也と囁がいないため、今日も一人で帰り道を行くアヒル。両手で辞書を広げたまま、深々とやる気の飛んでいきそうな溜息を吐いた。
「もう明日か…やっべぇなぁ…」
そう呟きながら、アヒルが不安げな表情を見せる。あれから二日の時が過ぎ、神試験はいよいよ、明日へと差し迫っているのである。
「結局、奈守は見つかってねぇーし、色々気になって、いくら辞書読んでも言葉、頭に入んねぇーしっ…」
悪循環の中にいる自分を認識しながらも、それでも抜け出すことが出来ない今の状況に、頭を悩ませるアヒル。
「まじ、どうしよっ…」
辞書に羅列された文字を見ながら、アヒルが困ったように呟く。
「浮かない顔ですね」
「へっ?」
すぐ後ろから聞こえてくる声に、思わず足を止め、振り返るアヒル。
「あっ…雅さん!」
「どうも」
アヒルが振り返ると、そこには穏やかな笑顔を浮かべた、雅が立っていた。
「神試験のことで、お悩み中ですか?」
「えっ?あ、まぁ…」
雅の問いかけに、少し歯切れ悪く答えるアヒル。
「悩みなら、オカルト同好会の部室に来て下されば、いつでも聞くのに」
「いや、まず部室がわかんねぇーっていうか、あんまり行きたくねぇーっていうかっ…」
雅の気持ちは有り難いのだが、どうにも気が引け、アヒルが困ったように眉をひそめる。
「そうだ」
「へっ?」
急に何か思いついたように手を叩く雅に、アヒルが首を傾げる。
「気晴らしに、太守くんの様子でも見に来ませんか?」
「保、のっ…?」
言ノ葉町五丁目。町の何でも屋さん『いどばた』。店裏の敷地。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「じゃあ、ちょっと休憩にしよっかぁ~」
「あ、は、はい!」
大きく息を乱し、地面に倒れ込んでいた保が、為介の言葉に、慌てて体を起こし、大きな声で頷く。
「お茶でも淹れてこよっかなぁ~ふふふぅ~んっ」
「あっ…」
全身傷だらけの保とは異なり、服に汚れ一つついていない為介が、何やらご機嫌な様子で扇子を振りながら、店の中へと入っていく。そんな為介を、保は呼び止めることなく、見送った。
「はぁっ…疲れた…」
「随分とボロボロだなぁ」
「えっ…?」
背後から聞こえてくる声に、感心していた保が振り向く。
「何をどうやったら、んなボロボロになんだよっ?」
「あ、アヒルさぁ~んっ!」
保が振り向いたその先にいるのは、雅に連れられここまでやって来た、アヒルであった。この三日間、学校を休んでいたので、久々に見るアヒルの姿に、保は笑顔を見せる。
「お久し振りです!お元気でしたかぁ!?」
「そんなに久々でもねぇーだろっ」
まるで何年も会っていなかったかのように問いかけてくる保に、アヒルが少し呆れた笑みを向ける。
「あ、そうですよねぇ。す、すみませんっ…この三日間、何か雪山で遭難した時並みに、長く感じちゃって…」
「んなに、扇子野郎の指導、きついのか?」
「あ、いえ、指導の方はそんなにっ…」
問いかけるアヒルに、保が笑顔を向ける。
「午前中は言葉の勉強して、午後は為介さん、雅さんと手合わせして、力の実践的な使い方を学んだりって感じで」
「ふぅ~んっ」
保の話を聞きながら、アヒルが感心するように声を漏らす。
「はぁっ!こんな俺なんかのせいでっ、お二人の貴重なお時間を無駄にさせてしまってすみませぇ~ん!」
「本当ですね」
「ひぃえぇぇ~!ごめんなさぁ~いっ!」
「雅さん…」
笑顔であっさりと頷いて、保をさらに追いこんでいる雅に、アヒルが少し呆れた表情を見せる。
「指導の方では疲れてないんですけど、何か急に色々知っちゃったから、少し気疲れしてしまってっ…」
「……っ」
どこか曇った笑顔で話す保に、そっと目を細めるアヒル。
「そのぉ、保」
「へっ?」
どこか遠慮がちに問いかけるアヒルに、保が目を丸くして振り向く。
「ごめんな。俺が勝手に突っ走ったせいで、お前まで巻き込んじまってっ…」
「そんなっ…!アヒルさんのせいじゃないですよ!」
申し訳なさそうに謝るアヒルに、必死に訴えかける保。
「これは俺の問題でもあるし、俺だって、アヒルさんの力になりたいですからっ!」
「保っ…」
アヒルへまっすぐな瞳を向け、大きな笑顔で言い放つ保を、アヒルが細めた瞳で、嬉しそうに見る。
「それにっ!宇宙侵略から、この言ノ葉町を守るためじゃないですか!」
「はっ?」
次に放たれた保のその言葉に、アヒルの表情が一気に歪む。
「まさか、この前の人たちが地球外生命体だとは思いませんでしたぁ。どう見たって、人間ですよねぇっ」
「た、保っ…?」
「それにまさか!言ノ葉町に、地球の核となる超特殊鉱石、ダイヤモドンドンが埋まってるだなんて!もう驚きですっ!」
「…………」
どこか興奮気味に話す保に、何から突っ込んでいいのかもわからず、否定する元気すらなくして、引きつった表情で黙り込むアヒル。
「はぁ~い、お茶入ったよぉ~って、あっれぇ?」
そこへ、店から茶を淹れて出てきた為介が、保と話しているアヒルに気づく。
「雅クン、それに朝比奈クンもぉ~いつ来たのぉ~?」
「おいっ…」
「へっ?」
店から出て、近づいてくる為介のもとへ、アヒルが早足で歩み寄っていく。
「話が…あんだけどっ…?」
「アハハぁ~嫌な予感~っ」
圧をかけるような瞳で睨みつけるアヒルに、為介が引きつった笑顔を見せる。
「んん~っ?」
「僕らは中で休憩にしましょう、高市くん」
「あ、は、はいっ!こんな俺がお茶なんかいただいちゃって、すみません!」
アヒルと為介の様子に首を傾げていた保であったが、雅がその場の空気を読んで、保へと声を掛けると、二人はそのまま、アヒルと為介を残して、店の中へと入っていった。
「で、どういうことだ…?」
「何がぁ~?」
「宇宙侵略やらダイヤモドンドンやらの話だよっ!」
惚けるように聞き返してきた為介に、アヒルが我慢ならなかったのか、勢いよく怒鳴りあげる。
「ああっ!よく出来た大ウソでしょぉ?」
「どこがじゃいっ!リアリティのカケラもねぇわっ!」
為介が得意げな笑顔を見せると、アヒルはさらに顔をしかめる。
「何、ウソばっかり、吹き込んでんだよっ!」
「だってぇ~、下手に話して、記憶復活しちゃったりしたら、マズいんでしょ~?」
「それはそうだけどっ…」
為介の指摘に、アヒルが少し言葉を詰まらせる。
「けどっ、あんな大ウソまで吐く必要なんてっ…!」
「ホントはねぇ、話そうとしたんだっ」
「えっ…?」
「五十音士のことや、神試験のこぉ~とっ」
「……っ」
そっと微笑み、落ち着いた口調で言い放つ為介に、少し驚くように目を見開くアヒル。
「じゃあ、なんでっ…」
「話そうとしたら、すぅ~ぐ眠っちゃうんだよ、彼っ」
「えっ?」
その言葉に、アヒルが目を丸くする。
「まるで、彼の中にいる誰かさんが、彼がすべてを知ることを、邪魔してるみたいでさぁ」
「それって…」
一気に曇る、アヒルの表情。
「波城灰示、が…?」
「さぁ?ボクは彼のこと、詳しく知ってるわけじゃないから、何とも言えないけどぉ」
「……っ」
首を傾げる為介を見て、考えるように俯くアヒル。灰示が保の記憶に干渉し、五十音士や灰示自身の記憶を消したということは、アヒルも篭也を通して、和音から聞いていた。灰示がそこまでしているというのに、保を五十音士の太守として戦わせることに、アヒルは気の引ける思いであった。
「まっ、お話はともかく、ボクらの指導を邪魔しないってことは、神試験に参加するのは一応、認めてくれてるってことなんじゃないのぉ~?」
「一応、ねぇっ…」
為介のどこか適当そうなその言葉を聞きながら、アヒルが複雑な表情を見せる。
「太守クンはいいとして、他はどうなの?」
「えっ?」
「奈守クン、まだ見つかってないわけ?」
「あ、ああっ…まだ…」
アヒルが浮かない表情を見せながら、そっと頷く。
「篭也と囁には、奈守探しは二人に任せて、辞書読んで勉強するようにって、言われてんだけどっ…」
「その分だと、全然、捗ってなさそうだねぇ~」
「うっ…」
為介に言い当てられ、アヒルが思わず口をすぼめる。
「辞書は読んでんだけど、何か色々と気になっちゃって、こう、言葉が右から左に抜けてくっつーかっ…」
「イクラくんてねぇ」
「へっ?」
急に言葉を挟む為介に、目を丸くするアヒル。
「さすがに、忘れてないでしょぉ?以の神の伊賀栗イクラくんっ」
「あ、ああっ…」
イクラの鋭い、突き刺すような瞳を思い出しながら、アヒルがゆっくりと頷く。
「ボクの教え子っていうか、弟子っていうかぁ…ボクが彼に言葉の力の使い方を教えたんだよねぇ」
「えっ…?」
為介の言葉に、アヒルが驚いたような顔を見せる。
―――君も久し振りだねぇ…イクラくん…―――
「あっ…」
アヒルが、イクラが現れたあの日、為介とイクラが互いに知っているように言葉を交わしており、二人の間に、何やら因縁めいたものを感じたことを思い出した。
「彼ねぇ、どうしても神になりたかったらしくて、血や力による選出のない、人為的に継承出来る“以の神”になろうって決めて、ボクのとこに無理やり、弟子入りしに来たの」
「神に、なりたくて…?」
「うん。彼がどうして、そこまで神に執着しているのかは知らないけどねぇ」
眉をひそめ、聞き返したアヒルに、為介が涼しげな表情で答える。
「ボクは彼の望む通り、“い”の力を教えて、数年後、彼は自分の望み通り、“以の神”になった…」
空を見上げた為介が、遠くを見るような瞳を見せる。
「そして、“以の神”となった彼は、三ヶ月前、神試験を受けた」
「神試験っ…?」
「うんっ」
敏感に反応するアヒルに、為介が大きく頷きかける。
「本来なら、以団五名で参加するはずの試験を、彼は“自分だけで十分だ”と、たった一人で受験」
顔を下ろした為介が、まっすぐにアヒルを見つめる。
「当時、五団の中で最強と言われた、“於団”の於附四名を、一瞬で倒し、あっさりと神試験を合格した…」
「……っ」
伝えられる事実に、アヒルが険しい表情を見せ、思わず強く、唇を噛み締める。
「そういう人間なんだよ、君の試験官はっ」
為介が口端を吊り上げ、どこか不敵に笑う。
「さぁて…彼の試験、君は合格できるかなっ…?」
「…………」
どこか試すように問いかける為介に、アヒルは頷くことも出来ず、ただ厳しい表情を見せた。




