Word.13 戦イノオワリ 〈2〉
「あっ…」
「…………」
そこには、和音の連れてきた従者に取り囲まれ、手足を縄で封じられている灰示の姿があった。灰示は深く瞳を閉じており、意識を取り戻している様子はない。傷の治療も、行っていないようであった。
「波城っ…」
「波城灰示は、他の四人の仲間とともに、わたくしが韻へと連行します」
「……っ」
灰示を見ていたアヒルが、和音の声に振り向く。
「保っ…いや、波城はどう、なるんだ…?」
少し躊躇うように、和音へと問いかけるアヒル。
「決めるのは韻の上層部ですので、わたくしにはわかりませんが…」
和音がそっと目を細め、厳しい表情を見せる。
「彼の犯した罪に対し、それ相応の罰が与えられることとなるでしょう」
「……っ」
その言葉に、アヒルも表情を険しくする。
「保、もっ…?」
「確かに、高市保という人間と、波城灰示という忌は、それぞれの人格を持つ、別の人物なのかも知れませんが…」
アヒルの問いかけに、少し眉をひそめる和音。
「彼らを切り離すことが出来ない以上、高市保にも罰を受けていただく他にありません…」
落ち着いた口調で、言葉を続ける和音。
「どうか、ご理解を」
「あ、ああ…」
『…………』
和音の言葉を受け、頷きはするものの、どこか遣り切れない表情で俯くアヒル。それを見つめる篭也や囁たちも皆、ひそめた表情で、そっと俯いた。
「ではわたくしは、彼らを韻へと連れて行かねばなりませんので、これで」
気を失ったままの灰示を、従者たちが拘束し、抱え上げたことを確認すると、和音はアヒルたちにそう言い放つ。
「波城灰示のことは、処罰が決まり次第、またお知らせに参りますわ、安の神」
「あ、ああっ…」
和音の丁寧な言葉に、アヒルが少し詰まりながら頷く。
「衣の神も、ご苦労さまでした」
「ええ」
振り向く和音に、エリザが笑みを浮かべる。
「では、失礼いたします」
軽く頭を下げると、和音は従者を引き連れ、灰示共々、アヒルたちの前から去っていった。
「…………」
和音たちが去っていった方角を、和音たちの姿が見えなくなってもずっと見つめ、神妙な表情を見せるアヒル。
「さぁて、私もとっとと帰ろうかなっ」
「……っ?」
両手を空へと伸ばし、大きく伸びをしながら立ち上がるエリザに、アヒルが振り向く。
「帰るって?」
「家によ。もうずっと言ノ葉町に居たせいで、一ヶ月くらい帰ってないからね」
「そっか。エリザは言ノ葉の人間じゃないんだもんな」
エリザが言ノ葉町に居たのは、忌の増発の原因を探るため。原因であった波城灰示が倒され、韻に連行された今、この町に残る理由もないのだ。
「色々、世話になったなっ、エリザ。ありがとうっ」
「……っ」
笑顔を見せ、改めて礼を言うアヒルに、エリザが少し目を細める。
「朝比奈アヒル」
「へっ?」
急に名を呼ばれ、アヒルが目を丸くする。
「初めて会った日と今日、君には二回も助けられた」
アヒルの方をまっすぐに向いたエリザが、爽やかな笑みを見せる。
「だから、君がピンチになった時は、今度は私が助けに行ってあげるわっ、安の神っ」
「……っ」
そう言って右手を差し出すエリザに、アヒルがそっと口元を緩ませ、エリザと向き合うようにして、立ち上がる。
「ああっ、頼むぜ。衣の神っ」
立ち上がったアヒルが差し出されたエリザの手を掴むと、二人の神は、強く握手を交わした。
『……っ』
その光景を見つめ、篭也や囁、雅が皆、笑顔を見せる。
「ご立派でございますぅ~!エリザ様ぁっ!」
同じく二人の様子を見守っていた慧が、感心しすぎたのか、今にも泣きそうな表情で叫ぶ。
「あっの跳ねっ返りエリザ様が、こんなに大きゅうなられてっ…!」
「ハイハイっ、とっとと行くわよ、慧っ」
熱く語っている慧を、半ば無理やりに引っ張って、その場を歩き出していくエリザ。
「じゃあまたねっ、アヒル!」
「ああっ」
振り返り、笑顔を見せるエリザに、アヒルが軽く手を挙げると、エリザと慧も同じく手を振り上げながら、その場を後にした。
「では僕も、これで失礼します」
「へっ?」
和音、エリザに続くようにして、そう言い放ったのは雅であった。
「面倒この上ないのですが、為介さんのところへも行かなければならないので」
「どうせ、僕たちの戦いの様子を報告でもしに行くんだろう?為の神の命令で」
「篭也…」
悪態づく篭也に、囁が少し注意するように名を呼ぶ。
「あなたは予想以上に強かったと、報告しておきますよ、神月くん」
「……っ」
篭也の言葉など、まるで気にしていない様子で、余裕の笑みを見せる雅に、篭也は少し眉をひそめた。
「まぁ僕は衣の神とは違って、この町に住んでいますので」
笑顔を浮かべた雅が、篭也からアヒルへと視線を移す。
「何かあったら、いつでも、オカルト同好会の部室まで来て下さい」
「いやっ…部室がどこかも知らねぇーし…いまいち、行く気にもなんねぇーしっ…」
その雅の誘いに、思わずアヒルが表情を引きつる。
「けど、まっ、ありがとうなっ、雅さん」
「えっ…?」
笑顔で礼を言うアヒルに、雅が少し戸惑ったように声を出す。
「僕は別に、あなたを助けた覚えはありませんが…」
「けど、俺の仲間を助けてくれたんだろっ?だから、ありがとうっ」
「……っ」
すぐさま答え返すアヒルに、雅が驚いたように目を開く。
「以前より少し、神らしくなりましたね…」
「へっ?」
「いえ。では、また」
「あ、ああっ」
あっさりとした挨拶を済ませると、雅は足早に去っていった。
「ふぃ~っ」
その場に大勢居た人間も、あっという間にアヒル、篭也、囁の三人だけとなり、久々に戻る静けさに一息つきながら、アヒルはゆっくりと顔を上げ、崩れ落ちた恐怖の館跡を見た。
「…………」
瓦礫の山を見つめ、アヒルがそっと目を細める。
「神」
「……っ」
篭也に呼ばれ、細めていた瞳を一度閉じ、そしてゆっくりと開くアヒル。
「さっ!俺たちも家に帰るか!」
「ああ」
「ええっ…」
笑顔で言い放つアヒルに、篭也と囁が同時に頷いた。
こうして、長い長い、戦いの夜は、終わりを告げた……。
翌日。言ノ葉高校、一年D組。
「どっはああああっ!セェェーフっ!」
これ以上ないくらいに両手を目一杯横へと広げながら、アヒルが前扉から、教室へと飛び込んでくる。
「んなわけあるかっ。アウトだ、ボケっ」
「痛ってぇっ!」
そんなアヒルの額へ、容赦なく炸裂する白チョーク。チョークを喰らったアヒルが、額を両手で押さえ、思わずその場にしゃがみ込む。
「罰として、放課後、国語資料室の掃除な」
「ええっ!?またぁ!?」
「私の貴重なホームルームに遅れたんだ。当然だろう」
まだ額を押さえながら、不満げに顔を上げたアヒルに、教壇に立つ恵が、強く言い放つ。
「ほらっ、とっとと座れ。トンビっ」
「アヒルだっての!」
怒鳴るように名前を言いながら、アヒルが教室の中へと進み、窓際の自分の席へと腰を下ろす。
「あれほど遅刻厳禁だって言ったのにっ」
「うっ…」
後ろの席から聞こえてくる紺平の声に、思わず表情を引きつるアヒル。
「っつーか、なんで揃いも揃って、先行ったんだよ?家来た時に、起こしてくれりゃ良かっただろっ?」
「“起こさないことが、自立させるための第一歩だ”って、神月くんと真田さんが」
「ニャロウっ…」
紺平の答えを聞き、アヒルが睨むように、一番後ろの席の篭也と囁を見る。二人は素知らぬ顔で、前方の恵を見つめていた。
「よぉーし、これで全員揃ったなぁっ」
「……っ」
そこへ聞こえてくる恵の言葉に、アヒルがハッとなって、目を見開く。
「とっとと授業始めるよぉっ」
「…………」
恵の声を聞きながら、ゆっくりと右横を見るアヒル。
―――アヒルさぁ~ん!―――
「……っ」
今はもう、誰もいないその席を見つめながら、アヒルはそっと目を細めた。
和音や韻が何らかの操作をしたからなのか、高市保がクラスから居なくなったことを、疑問に思う者は誰もいなかった。
いや、操作をしなくとも、誰も疑問になど思わないのかも知れない。
たった一日だけ居た、転校生のことなど。
だがアヒルは、この“痛み”を忘れはしないと、そう思うのであった。




