Word.13 戦イノオワリ 〈1〉
「んっ…」
アヒルが深く閉じていた瞳を、ゆっくりと開く。
「俺っ…」
「ようこそ、地獄へっ…フフフっ…」
「へっ…?」
目を開いたアヒルの視界いっぱいに入り込んでくるのは、不気味に微笑んだ囁の顔。
「うぎゃあああああっ!」
思わず悲鳴のような声をあげ、勢いよく起き上がったアヒルが、すぐ傍に座り、アヒルの顔を覗き込んでいた囁から、地面に腰を下ろしたまま、手足を動かし、逃げるように距離を取る。
「って、痛ててててっ…!」
大きく動いたアヒルが、急に体中に走る痛みを感じ、その場にうずくまった。
「まだすべて傷を塞いだわけじゃないんだ。無暗に動くな」
「か、篭也っ」
うずくまっていたアヒルのもとへと歩み寄ってきて、そう声を掛けたのは、篭也であった。篭也を見上げたアヒルが、少し驚いたような顔を見せる。
「お前ら、無事だったんだなっ」
「当たり前だろう」
安心したような笑顔を見せるアヒルに、篭也は腕を組み、素っ気なく答えた。
「この通り、私はピンピンしてるわ…」
「っつーか、マジで地獄かと思っただろうがよっ」
「フフフっ…そう…?」
再びアヒルのすぐ横へとやって来た囁が、少ししかめた表情を向けるアヒルを見て、満足げに微笑む。
「朝比奈くん」
「へっ?」
近くから聞こえてくるもう一つの声に、アヒルが戸惑うように振り向く。
「み、雅さん!?」
篭也や囁と並ぶようにして立っている雅に、驚きの表情を見せるアヒル。
「傷以外に痛むところや、体で動かしにくい場所などは、ありませんか?」
「へっ?あ、いやっ、別にねぇーけどっ…」
「それは良かった」
アヒルの答えを聞き、雅が穏やかな笑顔を見せる。
「な、なんで雅さんがここにっ…?」
「為の神の命で冷やかしに来たそうだ」
「扇子野郎のっ?」
代わりに答える篭也に、アヒルが目を丸くする。
「篭也はその冷やかしで来た彼に、とても助けられたみたいよ…?」
「囁」
「フフフっ…」
余計なことを言うなとばかりに名を呼ぶ篭也に、囁がどこか楽しげに笑う。
「そっか…って、そういや俺っ…!あ、あれっ?」
何かを思い出したように顔を上げ、周囲を見回したアヒルが、周りに広がる光景に、戸惑うように首を傾げる。そこは暗い空の広がる屋外で、遊園地の広場のような場所であった。
「俺…恐怖の館に居たはずじゃっ…」
「ああ、あれのことか?」
「あれっ?」
篭也の言葉を聞き、アヒルが篭也の見ている先へと視線を送る。
「あっ…!」
アヒルが動かした視線の先にあったのは、アヒルが足を踏み入れた頃の姿など、見る影もなく崩れ落ちた、恐怖の館の残骸であった。ただの瓦礫の山と化している館に、アヒルが唖然とした表情を見せる。
「な、なんでっ…」
「崩れ落ちちゃったのよ…派手に戦い過ぎたんじゃない…?フフフっ…」
「えっ?」
微笑む囁の言葉に、アヒルが少し驚いた顔となる。
「けど俺、あんなとこから、どうやって外に…」
「ああ、それは彼女がっ…」
「こちらでしたか」
『……っ』
戸惑うアヒルに篭也が答えようとしたその時、よく響く凛とした声が入って来て、二人は言葉を止め、同時に振り返った。
「あっ…!あんたはっ…!」
「十時間ぶりくらいですわね、安の神」
その場に現れたのは、着物姿の美しい少女。昼間に突然、アヒルたちの前へと現れ、灰示の討伐を依頼していった、言姫、和音であった。同じ黒色の着物を着た従者を、数名連れている。
「なんで、あんたがここにっ…」
「僕が連絡した」
「十一時十分前でしたので、仕方なく、出て差し上げましたわ」
篭也が答えると、その着物姿には似合わぬ携帯を持ちながら、和音がどこか含みのある笑みを浮かべた。
「わたくしの依頼を、見事に聞き届けて下さって、ありがとうございました。安の神」
「へっ?」
急に礼を言われ、アヒルが間の抜けた声を漏らす。
「あなたのお陰で、波城灰示は倒れ、もう一人の神も、無事に救出することが出来ましたわ」
「もう一人の、神っ…?」
和音の言葉に、アヒルがしばらく考え込むように間を置く。
「ああっ…!!」
急に思い出した様子で、大きな声をあげるアヒル。
「やっべ!そういや俺っ、波城のことでいっぱいいっぱいで、もう一人の神のこと、すっかり忘れてたっ!」
焦ったように、アヒルが言葉を放つ。
「そういや波城に捕まってるんだったよなっ!?やっべぇ!一体、どこにいんだぁっ!?」
「えっ…?」
もう一人の神を探すように、必死に周囲を見回すアヒルに、和音がどこか驚いた表情を見せる。
「神なら、ずっとあなたと一緒に居ましたよ」
「へっ?」
和音の言葉に、アヒルが目を丸くする。
「何言ってんだぁ?俺がずっと一緒に居たのは、保とザべスでっ…」
「はぁ…」
「……?」
戸惑うように呟くアヒルに、和音が少し呆れるように、深々と肩を落とす。そんな和音の様子に、アヒルが戸惑うように首を傾げた。
「安の神に、自分が神であること、お話していらっしゃらなかったのですか?」
そう問いかけながら、和音がそっと後ろを振り返る。
「“衣の神”」
「えっ!?」
「へっ…?」
和音が振り返った先で、深々と地面に座り込んでいたのは、先程までアヒルと共に灰示と戦っていた、エリザであった。和音の言葉に、焦ったように声を出すエリザと、そんなエリザを見つめ、しばしの間、固まるアヒル。
「ええぇぇぇっ!?ザべスがぁぁぁ!?」
「エリザよっ!」
両手で頭を抱え、激しく驚くアヒルに対し、エリザが名前の呼び名の訂正だけをしっかりと入れる。
「って、“えのかみ”って何だ?」
『あららっ』
驚いたわりには、不思議そうに首を傾げるアヒルに、エリザや和音たちが一斉に肩を透かす。
「安附の君たち、戦いの最中から言おうと心に決めてたけど、神への教育がなってないんじゃないの?」
「まったくだな」
「言い返す言葉もないわね…フフっ…」
「ちったぁ反論してくれよっ…」
エリザの指摘に、うんうんと頷く篭也と囁を見て、アヒルが少し落ち込んだ表情を見せる。
「衣の神は五十音、第四の音“え”の力を持つ者。“五神”の一人で、衣団に属する五十音士を束ねる方だ」
「まぁつまり、アヒるんと同じ“神様”というわけ…フフフっ…」
「ええぇぇっ!?ザべスが神様ぁぁぁっ!?」
「だからエリザだっつってんでしょうがっ」
改めて驚きの声をあげるアヒルに、エリザがもう一度、名前の訂正を入れる。
「んなっ…!なななななっ…!」
「本当に言ってなかったようですわね」
「アハハっ…色々あって、つい言いそびれちゃったっていうかっ…」
まだ信じられないといった表情を見せているアヒルに、和音が少し呆れたように、エリザを見る。するとエリザは、誤魔化すような、苦い笑い顔を和音へと向けた。
「衣の神には、篭也から報告を受ける以前から、この言ノ葉町で、忌増発の原因を探っていただいていたのです」
和音がアヒルの方を向き、経緯を説明するように、言葉を続ける。
「わたくしが“安の神が目醒めた”という報告を聞いたのも、彼女からでしたのですが…」
「えっ?」
和音のその言葉に、驚きの表情を見せるアヒル。
「じゃあ、あの時…お前が忌に襲われてたのってっ…」
「調査の一環よ」
戸惑うように見つめるアヒルに、エリザはすぐさま答えを放った。
「まぁ、どの程度の言葉で忌が取り憑くかって、軽い気持ちで試しちゃったことは反省してるけどっ」
「本当、神として、あるまじき行為でしたわよねぇ」
「うっ…」
どこか棘のある口調で言い放つ和音に、思わず顔をしかめるエリザ。
「おまけに、巻き込んじゃった一般人は安の神で、ホント、色々とあった調査だったわっ」
「……っ」
困ったような笑みを浮かべるエリザに、アヒルがやっと驚きをおさめ、落ち着いた表情を見せる。
「エリザが神…」
―――私だって、一般人の家鴨くんを巻き込むわけにはいかないのよっ!―――
―――うちへの任務だったのに、ったくっ…―――
「ああっ…」
エリザが神であったと、そうわかると、今までのエリザに対しての疑問が、すべて自動的に解き明かされていくようであった。忌の存在を知っていたことも、何故、この場で再び出会ったのかも、すべてに納得がいく。
「そういう、ことだったのかっ…」
「館が崩れ落ちた時も、衣の神が“え”の力を使って、あなたたちを外まで連れ出したんだ」
「へっ?エリザが?」
「ああ」
聞き返すアヒルに、篭也が短く頷く。
「でなきゃ、アヒるん…今頃、あの瓦礫の下で生き埋めよ…?フフフっ…」
「不気味に言うな。夢に見る」
まるで脅すように耳元で呟く囁に、アヒルが少し引きつった表情を見せる。
「ありがとうなっ、ザべス」
「エリザよ」
アヒルが笑顔を見せ、礼を言うと、エリザはいつものように、きっちりと呼び名の訂正を入れた。
「まぁっ、あれくらい、私の力を使えば簡単でっ…」
「そういえば、衣の神」
「勢いよく割って入ってくるわね…言姫…」
得意げに話そうとしたエリザであったが、自分のペースを乱さない和音に、あっという間に言葉を遮られ、少し引きつった笑みを見せる。
「あなたの附き人が、どうしても来たいと言って聞かなかったので、同行を許可しましたわよ」
「げっ…」
「附き人?」
和音の言葉に、エリザがさらに嫌そうに顔を引きつり、アヒルが首を傾げる。
「附き人って、エリザの仲間のこっ…」
「エリザ様ぁぁぁっ!!」
「どわあああっ!」
問いかけようとしたアヒルのすぐ目の前へと、空から降ってくるようにして突如、人が現れ、アヒルは思わず大きな声を出して、体を逸らした。
「って…」
「エリザ様ぁぁぁっ!」
「に、忍者っ…?」
アヒルの目の前へと降りてきたのは、本物の忍者のような装束を纏った、長い黒髪を一つに束ねている、黒く大きな瞳の少女であった。年はアヒルたちよりも少し下くらいであろうか。忍者のような装束ではあるが、その色は派手な緑色で、どこに居ても目立ちそうである。
「ご無事でっ…!ご無事で何よりでございますぅ~っ!」
「あぁ~、ハイハイっ…」
大きな瞳に涙を浮かべ、至近距離まで駆け込んでくる、その忍者の少女に、エリザがどこかうんざりしたような表情を見せる。ハーフのエリザと、忍者の組み合わせというのも、妙な違和感がある。
「エリザ様にもしものことがあればっ…!私はっ、私はっ…!」
言葉を詰まらせながら、感情の高ぶっている様子で、さらに声を張り上げるその少女。
「大好きな大福モチすら食べられないほど、三日間、落ち込むところでしたぁ~っ!」
「わりかし小さい落ち込みようだな…」
叫びあげる少女のその言葉に、アヒルが思わず突っ込みを入れてしまう。
「あぁ~ハイハイっ、この通り、無事よっ。そこの家鴨クンのお陰でね」
「うぇっ?」
エリザに指を差され、アヒルが目を丸くする。
「アナタ様が安の神でございますねっ…!」
「うおっ」
急激に接近してくるその少女に、驚き、思わず後ずさるアヒル。
「我が神を助けていただき、誠にありがとうございましたぁ!この御恩っ、墓に入っても忘れませんっ!」
「いや、そこまで行ったら忘れろよっ…」
少女の必死の叫びに、アヒルが引きつった表情で、突っ込みを入れる。
「っつーか、我が神ってことは、お前はっ…」
「はいっ!私、衣団、衣附が一、“計守”、慧左衛門子と申します!」
「俺が言うのも何だけど、変な名前だな…」
アヒルの前で片膝をつき、笑顔で名乗る忍者の少女のその名に、アヒルが少し顔を引きつる。
「普段は慧とお呼び下さいませっ!」
「はぁ…」
大きな笑顔を見せる慧に、強く突っ込みを入れることも出来ず、大人しく頷くアヒル。
「まぁ見ての通り、うちの連中は、個性強いのが多くって。うっ…」
「エリザっ?」
「エリザ様っ…!」
どこか困ったように、少し肩を落として話していたエリザが、急に顔をしかめ、身を屈める。そんなエリザにアヒルは首を傾げ、慧はすぐさま駆け寄った。
「お前、傷っ…!」
「僕が治そう」
「大丈夫っ」
「えっ…?」
心配する表情を見せたアヒルの横から、篭也が名乗り出るように前へと出たが、そんな篭也に、エリザは軽く右手を突き出した。
「だがっ…」
「他団の人間の手を煩わせるまでもないわ。慧っ」
「はっ!」
エリザに名を呼ばれると、慧がその場に膝をついたまま、懐へと手を入れ、緑色の宝石のような玉を取り出した。
「言玉っ…」
「五十音、第九の音“け”、解放っ」
慧がそう言って、緑色の淡い光を放つ言玉を投げ放つと、言玉は慧の長い黒髪へと吸い込まれるようにして消えていく。言玉を吸収した途端、慧の髪留めが取れ、その黒髪がまるで浮き上がるように、大きく広がった。
「“消せ”っ…!」
慧の黒髪から放たれた強い光が、エリザの体全体を包み込む。
「あっ…」
すると、その言葉の通り、見る見るうちに、エリザの全身の傷が消えていく。掻き消えていく傷を、驚いたように見つめるアヒル。
「“け”だけに、毛っ…」
「フフフっ…言うと思った…」
どうやら違うところに感心を寄せていたらしいアヒルに、囁が楽しげに笑みを零す。
「それにしても…なかなかの治癒能力ね…」
「あれくらい、僕なら二秒だ」
「フフフっ…負けず嫌いっ…」
囁が慧の力に感心していると、隣に立つ篭也が、どこかムキになるように様子で言い放った。
「ふぅっ」
粗方、傷を消し終えると、慧の髪から言玉が分離され、髪が元通りの一つ結びに戻り、慧がホッと一息つく。
「申し訳ありません。すべての傷を、完全に消すことは出来ませんでした」
「随分、楽になったし、問題ないわ」
そっと頭を下げる慧に、エリザが軽く笑顔を向ける。
「しかし、言葉の力でも、すべてを治しきれないとは…」
言玉を右手の中に戻しながら、慧が少し驚いた顔を見せる。
「まぁ、ただでさえ傷だらけの状態で力を使い、二人も連れて、外へ脱出したのですもの。無理もないですわ」
「えっ…?」
不意に口を挟んだ和音の言葉に、アヒルが目を見開く。
「ええっ!?」
「うわっ」
突然、大声を放つアヒルに、エリザが少し驚く。
「な、何よっ?」
「言姫さんっ!あんた、今っ、“二人も連れて”っつったよなっ!?」
エリザが戸惑うように見る中、アヒルが確かめるように和音へと問いかける。
「ええ、確かに」
「じゃあっ…!」
「彼なら、そこよ」
「……っ!」
アヒルが何を気にしているのかわかっている様子で、エリザが指を指し示す。アヒルはすぐさま、エリザの指の先を、振り向き見た。




