Word.10 予期セヌ再会 〈5〉
「朝比奈…アヒル…?」
篭也の脳裏に不安が過ぎっていたその頃、遊園地最奥・恐怖の館でアヒルは、思いがけぬ人物と再会を果たしていた。
「お、お前はっ…」
自分の名を呼んだその者に、戸惑いの表情を向けるアヒル。
「三沢・コーンフレーク・シュガーレス・キャサリンだっけ?」
「衣沢・アレクサンドラ・メアリー・エリザベスよっ!何一つあってないじゃないっ!」
「あぁ~!ザべスかぁ!」
「エリザって呼びなさいって言ったでしょっ!?」
名前を勢いよく間違えるアヒルに、かつて出会った少女、エリザは、久し振りにあったにも関わらず、まるで遠慮していない様子で、思い切り怒鳴り返した。
「ったく、私は君のバカウケな名前、覚えてあげてたっていうのにっ」
「相変わらず失礼だな、お前」
酷い言いようをするエリザに、アヒルが呆れた表情を向ける。
「あ、あのぉ~、アヒルさん…」
「んあっ?」
後方から遠慮がちに名を呼ばれ、アヒルが振り向く。するとそこには、困惑した表情を見せた保が、アヒルとエリザを見つめていた。
「あの方、アヒルさんのお知り合いなんですか?」
「へっ?あぁ~、まぁ知り合いっちゃあ、知り合いかなぁ?」
保の言葉に、思わず首を傾げるアヒル。一度しか会ったこともない上に、エリザのことを何も知らないので、知り合いと呼んでいいのか、自分でも疑問だったのだ。
「っつーか、ザべス」
「エリザよっ」
「お前、何だって、こんな所にいるんだよっ?」
「えっ!?」
アヒルの問いかけに、あからさまに困ったような声をあげるエリザ。
「え、えぇ~っと、それはそのぉ、まぁ色々あって、そのっ…だから色々よっ!」
「はぁっ?」
まるでわからないエリザの説明に、アヒルが大きく顔をしかめる。
「ちゃんとわかるように話せよっ」
「アヒル語は苦手なのっ」
「んだとぉっ!?あっ…?」
またしても刺々しく言うエリザに、怒鳴りあげようとしたアヒルであったが、ふと何かに気づいた様子で、その言葉を止めた。
「エリザ、お前、何か色々と怪我してねっ?」
「えっ!?」
アヒルの問いかけに、またしても困った声をあげるエリザ。確かにエリザの頬には、斬られたような痕があった。よく見れば、手足も所々傷ついており、血が固まったのか、服には黒い染みが出来ている。
「こ、これはそのぉ、まぁ…色々よっ!」
「だからわかんねぇって」
先程と同じような答えを返すエリザに、呆れた表情を見せるアヒル。
「まぁいっか。今は居ねぇーけど、俺の仲間がいるから、後で治してもらっ…」
「仲間っ!?」
「うおっ!」
凄い剣幕で聞き返してくるエリザに、アヒルが驚き、思わず心臓を押さえる。
「ってことは、もしかして君、波城灰示の討伐で来たのっ!?」
「え?あ、ああっ」
勢いよく問いかけてくるエリザに少し押されながら、アヒルが短く頷く。
「ウチへの任務だったのに、ったくっ…」
「へっ?」
「えっ!?あっ、な、何でもないわよっ!」
アヒルには聞き取れない程、小さな声で、どこか悔しげに呟くエリザ。何を言ったのかわからず、アヒルが首を傾げると、エリザは慌てた様子で笑顔を作った。
「っつーか、何だってお前が波城灰示のこと、知ってっ…」
「んっ?」
「へっ?」
問いかけようとしたアヒルの言葉が、何かに気づいた様子のエリザに、遮られる。
「大丈夫?君っ」
エリザがアヒルから視線を移し、そっと問いかける。
「すっごく顔色悪いけど」
「えっ…?」
気にかけるようなエリザの言葉を向けられ、ゆっくりと顔を上げたのは、アヒルの後ろに立つ保であった。確かに先程より青白い顔色となっており、額に汗もかいている。
「保っ…?」
急に様子の変わった保に、戸惑うように首を傾げるアヒル。
「す、すみませんっ…急に頭痛と眩暈と吐き気とぐるぐるとおえおえみたいなものがちょっとっ…」
「おいおい、大丈夫かよ?」
頭を押さえながら呟く保に、アヒルが心配するように問いかける。
「だ、大丈夫です…!二週間に一回は風邪引く俺のことなんてっ、き、気にしないで下さい…!」
「気にしないでくれっつったってなぁ」
必死に笑顔を見せる保に、アヒルが困ったように腕を組む。
「場所が場所だから、一人で帰すってわけにも行かねぇーしっ…」
「すぐそこに広間があるわよ?そこで少し、休ませてあげたら?」
「そうすっか」
エリザの提案に、アヒルがすぐさま頷く。
「ほらっ、保っ」
「す、すみませんっ…」
肩を貸そうと手を差し伸べるアヒルに、保は申し訳なさそうな顔を見せた。
暗い廊下を数分歩くと、エリザの言った通り、大きな広間へと出た。二階まで吹き抜けの天井に、壁に置かれたロウソクの火が、かすかな灯りとして、部屋を照らしている。広間の壁へともたれかからせるようにして、アヒルは保を床に座らせた。
「ふぅ~、しっかし広い部屋だなぁ」
保から離れ、部屋の中央へと立ったアヒルが、高い天井を見上げる。
「ここが恐怖の館のゴール地点、この遊園地の最奥にあたる場所よ」
「えっ?」
すぐ隣へと歩み寄ってくるエリザの言葉に、アヒルが目を丸くする。
「マジ!?誰もいねぇーじゃんっ!」
周囲を見回し、誰の姿もないことを確認するアヒル。
「そうなのよねぇっ…」
首を捻ったエリザが、困ったように眉間に皺を寄せる。
「それで私もどうしたもんかと思って」
「うぅ~んっ…って」
悩むように首を傾げていたアヒルが、何か思い出したかのように、勢いよくエリザの方を振り向く。
「だからぁっ、結局、お前は何者でっ…!」
―――ドクンっ。
「……っ!」
突如、胸に走る大きな音に、アヒルは目を見開いた。
「アヒルっ…?」
「……っ」
様子の変わったアヒルを、エリザが戸惑うように見つめる中、アヒルはゆっくりと体の向きを変え、広間の入口の方を振り返った。
「…………」
入口付近に、立っている人影が見えた。
「保っ…?」
その人影は確かに保で、アヒルが戸惑うように保の名を呼ぶ。保は確かに先程、壁のすぐ傍に座らせたはずである。体調も本当に悪そうで、すぐに立てる状態には見えなかった。
「何やってんだよ、保。もっとちゃんと座ってろってっ…」
「……っ」
「えっ…?」
アヒルが保のもとへと歩み寄って行こうとしたその時、立っている保の周囲から、白い靄のようなものが起こり、保の体を包み込んだ。
「な、何だ?」
「……っ」
部屋の中で立ち込める靄に、アヒルが戸惑うように声を発し、エリザもアヒルの後ろで眉をひそめる。
「おい、たもっ…」
「ハハっ…」
「……っ!」
アヒルが呼びかけようとしたその時、靄の中から聞こえてきた声は、妙に震えた、遠慮がちな保の声ではなく、もっと冷たく響く、聞いたことのない笑い声。その笑い声に、アヒルの表情が強張る。
「保じゃっ…ない…?」
「誰っ…!?」
アヒルの横へと足を進め、エリザが鋭く問いかける。
「“誰”っ…?」
エリザの問いかけを受け、靄の中から、先程の声が返ってくる。
「おかしなことを聞く…」
徐々に、立ち込めていた靄が晴れ、中に立つ者の姿が明らかとなっていく。
「君たちは…僕に会いに来たんじゃないのかい…?」
見えてくるのは、流れるような黒い髪に、鋭く光る、血のように赤い、二つの瞳。靄の中から姿を現わしたのは、保と同じ、アヒルたちの高校の制服を着た、一人の青年であった。だが青年は、妖艶な空気を纏い、保とは違う、まるで人間ではないような、そんな印象を受ける。
「この、“波守”の僕にっ…」
『……っ』
そっと口元を緩めるその青年に、アヒルとエリザが、厳しい表情を見せる。
「波城っ…」
アヒルが青年を見つめ、口を開く。
「波城…灰示っ…!」
「ハハハっ…」
名を呼ばれた灰示は、どこか楽しげな笑みを零した。




