Word.10 予期セヌ再会 〈2〉
ステージ付近。“左守”・真田囁vs“不守”・不二不治子。
「“踏み潰せ”っ!トラトラ子!」
「ガァァっ!」
不治子の言葉を受け、囁へと飛びかかって来るのは、不治子の言玉が姿を変えた、一頭の金色のトラ。
「“避けろ”…」
飛びかかって来る獰猛なトラを前に、囁は冷静に自分の言葉を呟き、横笛を吹いて、美しい音色を奏でる。すると、音色に包まれた囁の体が、まるで宙に浮いているかのように、何の音も立てずに、自然とトラの直線コースから外れた。
「ググっ…!?」
「……っ」
トラが戸惑うように囁を振り向く中、囁が吹き口から口を離し、ゆっくりと口を開く。
「“叫べ”…」
言葉を放つと、囁が再び横笛を吹く。奏でられた音色が、横笛から放たれた赤い光とともに結集し、やがて大きな塊を作って、トラへと向かっていく。
「振動の塊っ…?」
その塊を見つめ、眉をひそめる不治子。
「“防げ”!トラトラ子!」
「ガァァっ!」
不治子の言葉に応えるように、トラが激しい咆哮をあげると、その声に弾き返されるように、振動の塊が囁のもとへと返っていく。
「“妨げろ”…」
囁も返って来た振動を、さらに妨害し、今度はトラではなく、不治子へと弾き返す。
「同じ技を同じ言葉では返せない…これでっ…」
「ウフフっ」
確信するように呟く囁の予想とは反して、振動の塊の迫った不治子は、避ける素振りも見せず、不敵な笑みを浮かべた。
「“塞がれ”っ!」
「ガァァァっ!」
「なっ…!」
不治子がそう言い放つと、離れた位置にいたはずのトラが、突如、不治子の前に壁のように立ち塞がり、またしてもその塊を囁のもとへと返してきた。
「うっ…!」
横笛を構えようとする囁であったが、肝心の言葉が出て来ない。
―――バァァァァン!
「うあああっ!」
自らの音の塊を受け、囁が勢いよく後方へと吹き飛ばされる。
「うっ…!うぅっ…」
近くの電柱へと背中を打ちつけ、力なくその場に座り込む囁。
「同じ技を同じ言葉では返せないっ…残念だったわねぇっ、ウフっ」
「クっ…」
トラの頭を撫でながら、嘲笑うように言い放つ不治子に、しゃがみ込んだまま、囁が少し顔をしかめる。
「さぁっ、こんな女、とっととやっつけて、不治子はとっとと、さっきの神様倒しに行かなくっちゃっ」
その微笑みを冷たくした不治子が、トラを撫でていた手を、ふと止める。
「それで、たぁ~っぷり灰示さまに褒めてもらうんだぁっ」
「……っ」
灰示に褒めてもらうことを、心底楽しみにしている様子の不治子を見つめ、そっと眉をひそめる囁。
「そんなに…その“灰示さま”とやらに褒めてもらいたいの…?」
「うんっ!」
戸惑うように問いかける囁に、不治子が迷いなく、大きく頷く。
「だって、灰示さまは不治子の“神様”だものっ!」
「神っ…?」
よく聞き慣れたその単語に、囁の表情が曇る。
「波城灰示はただの波守でしょう…?神などではっ…」
「不治子の神様は灰示さまだけだよっ」
「……っ」
囁の言葉を勢いよく遮って言い放つ不治子の、その言葉の力強さに、囁は少し驚いたような顔を見せる。
「だから不治子が、灰示さまを本当の神様にするのっ」
不治子がその目つきを鋭くし、囁へと投げかける。
「今の神様をやっつけてねぇっ!“増えろ”っ!」
『ガァァァっ!』
「なっ…!」
不治子の言葉が響き渡るとともに、トラの姿が分裂し、一頭から二頭へと増える。重なる咆哮に、思わず目を見開く囁。
「こんなことまでっ…」
「さぁっ、ダブルトラトラ子っ」
囁が険しい表情を見せる中、不治子が楽しげに右手をあげる。
「“踏み潰せ”っ!」
『ガァァァっ!』
「うっ…!」
勢いよく駆け込んでくる二頭となったトラに、しゃがみ込んでいた囁が、焦った様子で立ち上がる。
「さ、“避けろ”…!」
囁が必死に言葉を発し、慌てて構えた横笛で音色を奏でると、先程と同じように囁の体が赤い光に包まれ、宙に浮くようにして、囁の体が、トラの迫り来ていた場所から移動した。
「ガァァっ!」
「うっ…!」
攻撃を避けた囁の後方から、もう一頭のトラが勢いよく飛びかかって来る。
「うぐっ…!」
囁が言葉を発する間もなく、トラの鋭い牙が、囁の細い腕を斬り裂いた。
「クっ…!“下がれ”!」
左腕から赤い血が滴り落ちる中、囁が言葉を発し、傷ついた腕で必死に横笛を吹いて、後方へと体を下げ、二頭のトラとの距離を大きくした。
「はぁ…はぁ…」
「ウフフっ」
軽く息を乱す囁を見つめながら、不治子が楽しげに笑う。
「自信満々みたいなこと言ってたのに、なぁんかギリギリだねぇっ」
「動物嫌いなだけよ…」
「ウフフっ!」
挑発めいた話し方をする不治子に、負けじと強気に答える囁。どんな囁を見て、不治子がさらに楽しそうに笑い声をあげる。
「待っててねぇ?灰示さまっ。不治子、すぐに倒しちゃうからっ」
ここには居ない灰示へと話しかけながら、微笑んだままの不治子が、大きく右手を振り上げる。
「“伏せろ”っ!」
「なっ…!」
放たれた言葉に、囁が大きく目を見開く。
「しまっ…!ううぅっ…!」
焦るように声を出す囁であったが、すでに逆らう術もなく、その場に勢いよく倒れ込んでしまった。
「うっ…!うぅっ…!」
地面にうつ伏せになったまま、苦しげな声を漏らす囁。倒れた体は、上から大きな圧力がかけられたかのように、どう力を入れても動くことはなかった。
「ウフフっ、チェックメイトだねぇっ、左守ちゃんっ」
「クっ…」
二頭のトラを両脇に従え、ゆっくりと歩み寄って来る不治子を見上げ、囁が険しい表情を見せる。
「せめて、最っ高に苦しませて、死なせてあげるっ」
冷たく微笑み、不治子がそっと右手をあげた。
「“踏み潰せ”!」
『ガァァァァっ!』
不治子の言葉を合図に、二頭のトラが、伏せたままの囁へと勢いよく飛びかかっていく。
「うっ…!」
動くことも出来ずに、表情を歪める囁。
「ああああああっ…!!」
二頭のトラの下に囁の姿が見えなくなると、囁の悲鳴が、辺りに響き渡った。
「ウフフっ…ウフフフフっ!」
悲鳴が消えると、今度は不治子の楽しげな笑い声が響き渡る。
「やったぁ!やったよぉ!灰示さま!不治子、また一人、五十音士をやっつけたよぉっ!」
大きく両手を広げ、空を仰いだ不治子が、大きな声で叫ぶ。
「やったぁ!やった!ウフフフフ!ウフフフフっ!」
「大きな声ね…」
「……っ!」
後方から聞こえてくる声に、不治子が大きく目を見開き、響かせていた笑い声を止める。
「もう空も暗いんだから…近所迷惑よ…?フフっ…」
「なっ…!」
不治子が振り返ると、そこには、余裕の笑みを浮かべた囁が立っていた。囁は、先程トラの牙に斬り裂かれた腕の傷こそあるが、トラに踏み潰されたような痕はない。何事もなかったかのように自然と、そこに立っている。
「なんでっ…!?あの女はあそこにっ…!あっ…!」
確かめるように再び前を見た不治子であったが、トラの下敷きになっていた囁の姿が、徐々に消えていくのが目に入り、驚きの表情を見せた。
「消えたっ…?」
「“錯覚”…」
「……っ!」
背後から聞こえてくる囁の声に、不治子が再び後ろを見る。
「錯覚っ…?“熟語”っ…“動詞”より難易度の高い言葉をっ…」
「フフっ…」
険しい表情を見せる不治子に、囁が余裕の笑みを向ける。
「でもなんでっ!不治子が“伏せろ”って言ったらっ、言葉なんて使えないはっ…!あっ」
問いかけるように叫んでいた不治子が、何やら気付いたように、ハッとした表情を見せ、言葉を止める。
「まさかっ…伏せた時から、もうっ…」
「あら…意外と頭が回るじゃない…?」
「クっ…!」
感心したように言い放つ囁に、悔しげに唇を噛み締める不治子。
「ダブルトラトラ子っ!」
不治子がトラを呼ぼうと、勢いよく右手を振り上げる。
「んっ?ダブルトラトラ子?」
後方のトラの反応がなく、不治子が戸惑うように振り返る。
『ぐぅぅーっ』
「んなっ…!」
不治子が振り返ると、二頭のトラは、こたつに潜ったネコのように、大きなその体を丸め、すやすやと寝息を立てて、気持ち良さそうに眠っていた。
「“催眠”…フフっ…」
「いつの間にっ…」
怪しげに微笑む囁に、思わず歪んでしまった表情を向ける不治子。
「さぁてと…“変格”」
囁が横笛を振り下げると、笛が赤い光を発し始め、先端から細い刃が伸び、その姿を槍へと変えた。
「チェックメイトのようね…不守さん…」
「うっ…!」
槍を構える囁を前に、不治子が少し怯むように、足を二、三歩、後ろへと下げる。
「嫌っ…嫌よっ…!」
「……っ?」
強く叫ぶ不治子に、囁が少し戸惑うように眉をひそめる。
「負けたら…負けちゃったらっ、不治子は灰示さまにとって、“要らないもの”になっちゃうっ!」
必死に口を開き、大声で叫ぶ不治子。
「そんなの嫌っ!絶対、嫌よっ…!!」
「……っ」
叫び続ける不治子を、囁が細めた瞳で、まっすぐに見つめる。
「そんなの…あなたの都合でしょう…?」
「うっ…!」
冷たく言い放った囁が、不治子の叫びを聞くこともなく、鋭く槍を振り上げる。
「“裂け”…」
「……っ!」
振り下ろされた槍から放たれた赤い一閃が、まっすぐに不治子へと向かっていく。
「は、灰示さまっ…灰示さまっ…!」
助けを求めるように、不治子が繰り返し、灰示の名を呼ぶ。
「灰示さまっ…!あああああああっ…!!」
囁の放った一閃に斬り裂かれ、不治子は灰示の名を残し、その場に倒れていった。地面に横たわった不治子が、力なく目を伏せる。
「…………」
不治子が意識を失くしたことを確認し、囁が槍を下ろして、もとの言玉の姿へと戻す。不治子が倒れたと同時に、二頭のトラも、もとの黄色い言玉へと戻った。
「そうそう…一つだけ…」
言玉を握り締めた囁が、思い出したように、倒れた不治子の方を見る。
「一度、負けたくらいで見捨てるような神…信じるだけ、無駄だと思うわよ…」
“左守”・真田囁vs“不守”・不二不治子。勝者・囁。




